「好きだよ。手塚」

 いつもそうやって、一方的に言って笑うから。





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It cannot become fortunate
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「よかったね、今日は晴れて」
 朝練のない日、偶然校門で不二と会って、並んで歩いていく。
「ああ」
「これ以上雨で潰れちゃ困るでしょ」
「お前もじゃないのか」
「そうだね」
 朝日の、まだ寒い空気の中の、風。
 雲足は早い。それはそのまま、風の強さ。
「そういえば、もうそろそろランキング戦だよね」
「そうだな」
「ま、君が負けるなんて事はないだろうけど」
 くすくすと、楽しげに傍らで不二は笑う。
「僕は、君とやってみたいけどな」
 そう言って、手塚の答えも待たずにまた笑う。
 吐息に混ざるような声、笑い。
「考え込まないでよ。言ってみただけだから。ね」
 鞄を持っていない方の、空いた手でくい、と手塚の服を掴む。
 顔を見上げて。
「不二」
 此処は学校だ、と言おうとして、伸び上がってきて触れた唇に遮られる。
 ほんの、一瞬。
「好きだよ、手塚」
「不二」
「ほらまた、眉間に皺」
 そう言って、またいつものように笑う。




 放課後、暮れ始めた空の赤さが、端から広がっていく。
 誰かの頬を染める。
「不二」
 声を掛けられて
 コートから視線を動かすといつの間にか傍らに立っている長身の身体。
「乾」
「観戦?」
「うん」
 コートの中で、打ち合っている菊丸を指さす。
 と言っても、練習と言うより遊びのノリだからサーブの度に“あーっずりぃ今ミスったじゃん”とかいう声が聞こえてくる。
「セルフジャッジみたいだね」
「うん、見てると楽しいよ」
 同じように見ている二年や三年が、笑う声がする。
 手塚が来たら校庭何周かな、と考えている乾に、不二が視線を寄こさずに言う。
「そういえば、もうすぐランキング戦じゃない」
「ああ、そうだね」
「それだけ?」
「だけって…不二、さりげに脅してる?」
「なんで僕が?」
「いや?」
 お互いに惚けたように答える。視線だけは、コートの中に。
「ただ、あれだけデータ取っててまた落ちたら馬鹿だなぁと」
「嫌味か」
「多分ね」
 自分で言っておいて、多分もないだろうと思うが、嫌な気はしない。
 持っていたノートで、軽く不二の頭を叩く。
「ま、頑張るよ」
「そうして」
 それからようやく、視線を合わせた。



 とっくに暮れた空を見上げていると、不二が横に立っていた。
「星、見える?」
「不二に見えるなら見えるだろ?」
「なに、その言い方」
 二人の背後で、部室から明々と光が漏れている。
「見えてるのに訊くなってこと」
 少し戯けたように言って、乾は鞄を持ち上げる。
「じゃ」
「うん。じゃあね」
 軽く手を振って、少しの距離だけ見送ってから不二は部室へと引き返した。
 明るい室内に入ると、より濃くなったように映る夜空。
 部室にいるのは、自分ともう一人だけ。
「手塚」
「…なんだ」
「まだ終わらない?」
「…どうして?」
「どうしてって、途中まで一緒に帰ろうかなと」
「逆方向だろう」
 またそんな、と言おうとして止める。
「…手塚?」
 何だろう。
 いつもより、きつく感じる。
「手塚? どうしたの?」
 手が、ペンを動かしているのだけが見える。
「手塚?」
「静かにしてくれ」
 自分が邪魔をしている自覚はあるが、そうも取り憑く暇もなく言われたら気になってしまう。
 せわしなく動く手を捕まえる。何をするんだと言いたげに向けられる眼鏡の奥の瞳を絡めて見て、空いた手で眼鏡を取って口付けた。
 がたんと、机が拍子で鳴る。
「………………っ」
 手塚の肩を掴む、不二の手首を、その上から手塚の手が掴んだ。
「……っ…!」
 舌に小さな痛みを感じて、不二は小さく呻く。
 その緩んだ手を引き剥がして、手塚は不二の手から眼鏡を奪い返した。
 早い呼吸が漏れる。
 舌に残った痛みは、そう強いものではない。鉄の味もしない。
 だけど。
 茫然とした顔で、自分を見る不二を一瞥して、手塚は眼鏡をかけ直した。
「…………」
 それきり不二の方を見ずに、また手元に意識を戻した様子が、“邪魔だ”と言っているような気さえする。
 壁にもたれて、不二は口元を拭うと、足下にあった鞄を掴み上げる。


「手塚、好きだよ」


 一瞬、止まったような息が、吐き出される音が聞こえる。


「好きだよ」
 こちらを見もしない手塚に言い続ける。
 ヤケになったように。
「手塚」
 邪魔するつもりなんてない。
 でも邪魔だと知っていても、止められない。
「好きだよ」


 軽蔑されても、嫌がられてもしょうがない。

 どうしようもない…。


 消えるまで。


「好きだよ……好きだよ…手塚」



 風化してしまうまで。


「好き」
「いい加減にしろ」
 まるで初めて見たように、そこでようやく手塚は不二を見る。
 表情に、そんなに大きな変化はみれない。
 けれど、苛ついたような、その色がある。
「いい加減にしろ、不二。
 ――――――…俺はお前のことを好きにはならないと言ったはずだ」
 笑みを浮かべているのに、何処か達観したような表情で不二は手塚を真っ直ぐに見返す。
 知ってるよ。そうただ伝えるように。
「それでも、そう言い続けるのか」
「…、皆の前では、言ってないよ」
「答えろ」
 いつもより、厳しくて押し潰すような声。
 諦めにも似た感情が不二に浮かぶ。
 今まで、ずっとあったものだけれど。

 ――――――…ああ、手塚。
               君は、それだけですらもう嫌なんだね。



「……うん」



 泣きそうになる。それでも笑うしかない。
 今ただ、自分だけに向けられる眼差しがあることだけが。
 此処にいる理由のような気さえする。

「……それなら、もう俺は部活以外でお前とは話さない」

 吐き出された言葉に、心臓が沈むような感触さえ覚える一方で“ああやっぱり”と自嘲に笑いたくなる自分が居る。

「口も聞かない」

 どうして今、笑えるのか自分でも判らない。
 いっそ全て、諦めているからだろうな。
 軽蔑されて、それでもこれが本当だから。
 嫌わないでなんて言えない。好きになってなんて言わない。
 ――――――何にもいらない。

 君の想いも心も体も優しさも労りも、みんな要らない。

 欲しがらない。

 侮蔑でもいい。僕を見ていて。



「それでもか」



 僕を見てくれる、その一瞬だけでいい。


「……うん」


 僕のことを、片隅に置いて。


「…うん、いいよ」


 “嫌い”でいいから。

 片隅にいさせて。



 僕の全部で、君が好き




 その想いが、風化してしまうまで。


 僕が君を――――――嫌いになるまで









どうやったってこの先には行けない
鉄柵の向こう、行き止まり














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