小さな機械音が響く病棟の一室。
横たわり、目を覚まさない巨躯は、本来助けるべきではない敵。
北の上は受け入れた。理由は、よくわかっていた。
「…ってください! 忍足中尉! 怪我が…!」
扉の向こうから響いた声に、ハッとして白石は振り返る。
あの後、三日意識不明だった弟だ。
自分の足も大分は癒えたが、まだ普通に歩くには遠い。
乱暴に開かれた扉の向こうから満身創痍といっていい弟が顔を見せた。
「侑士っ…お前、寝てなアカン…っ!」
咄嗟に駆け寄った白石の頬がその手で打たれた。
驚いたのは背後の部下だけで、白石自身は予想の範囲だった。
「…ごめん、ちょお二人きりにして」
「…はい」
頷いていなくなった部下の靴音と、閉まる扉。
それを待つのも限界だというように、侑士は白石の胸ぐらを掴んだ。
「お前…っ…自分事千歳を撃てて命令したて…。
死ぬ気なんか!?」
「せやけど、あの場で侑士助ける方法は…」
「お前が死んだら意味ない!」
強く叫ばれ、抱きしめられて息が止まる。
「侑士…傷開く…っ」
重傷だと言う自分の言葉を訊かず、更に引き寄せ侑士が深くキスを仕掛けた。
「……ん」
「お前が」
口を離して、荒い呼吸で紡ぐ低い声。
自分は、ずっと知らなかった。
「お前が死んだら意味ない。
謙也も俺も、生きてる意味ない。
お前が俺と謙也が死んだら意味ないて思うように、俺と謙也もそうやってわかれや!」
「……………ゆう」
「…頼む。…お前が、自分から的になったて訊いて…」
心臓が止まる思った。そう掠れた声が、紡いですぐ泣いた。
自分は知らなかった。
一人、長く北に一人になって離れていたこの弟の、低くなった声を。
大きくなった身体を。
知っているのは、幼い高い声と身体。
あの日、北に戻って会った時に初めて知った。でも一発で彼だってわかった。
矛盾だらけだって知っている。
北の総統も、部下も、土地も。
あの日に初めて出会ったものばかり。
この歳になるまで、自分は北の土地を踏んだことも、総統の顔も知らず、部下も知らず。
なのに、今あっさり自分が大尉として扱われている矛盾。
それでも疑われてなどいない。
自分が、自分たちが北を裏切ることなど。
「……ごめんなさい」
心の底から謝罪すると、涙に濡れた目と視線が合った。
すぐ傾いた顔に目を閉じる。重なるだけのキス。
もう一度追おうとして、ぴくりと白石は目を開いた。侑士を軽く引き離す。
「蔵?」
「…目、醒めたんか…?
いかれ兵士」
白石が振り返った背後、瞼を開けた巨躯が些か茫然としてこちらを見上げている。
「…」
侑士が不機嫌そうに目を留める。
「…なるほどな」
「なにがや」
「…人質はお互いってこつね?」
いつから訊いていた。いつから意識が。
「そこの弟と、…謙也も、お前の弟か。
お前を逃がしたんも謙也?」
「…自分を撃て言うたんもな」
千歳に向き直ると、起きあがろうとする巨躯が痛みに顔をしかめるのを押し戻した。
「起きるな。傷が開く」
「……なんでん助けた」
「…さあな。強いていえば、お前がなんでそこまで、アホほど俺に執着すんのか……知りたかっただけかもしれん。俺にもわからんわ」
自分自身に呆れたような白石の声に、千歳は不意に笑った。
その、日溜まりの中で零されるような笑みに、何故か胸が苦しくなった。
「白石は、怪我は?」
「え」
「痛くなか? 大丈夫と?」
「……お前、アホか。ホンマのアホか」
俺はお前を殺すために自分ごと撃てって言ったんや。
それを庇って撃たれて、その上命令した人間を心配して。
「……アホや」
「知っとう」
「……蔵もアホやけどな」
侑士の言葉に、ひっそりと頷いた。
「南の上層が疑わんってこつは、お前の弟との関係は完全にデータ上からは消されてるってこつね?」
「…ああ。もう、誰も知る人間はおらん。知ってたんは、亡くなった白石の祖父と両親。
二人を引き取った「忍足」の夫妻も、侑士らが「白石」の人間とはしらん。
俺の弟なんてことはしらん」
「自己紹介しとこか。
忍足侑士。
蔵ノ介の弟で、次男。謙也は末弟や。蔵が長男」
「…兄弟でキスとかすっとや?」
「生憎、それ以上もしとる。
お前に死ぬ程妬いたわ千歳。
俺らしか入ったらアカン筈の蔵の中に、お前の挿った跡見つけた時にな」
言って、自分の部屋戻ると踵を返した侑士は、千歳が今、白石に害がないと判断したのだろう。
その背を見送っていると、急に腕を掴まれて、視界ががくんとぶれる。
「……」
自分の腕を横たわったまま掴む手に、眉をひそめる。
「…なんや」
「…弟に、身体抱かせとーと?」
「そんなん、俺の自由やろ」
「……お前は、弟のもん?」
「ああ」
「……半分でよか。俺にくれんね」
「…俺は、半分こ出来るお菓子やない」
そういう意味じゃないと、見上げる千歳の瞳が痛い。
何故。
「白石の、半分でよか。全部なんて贅沢いわん。
ちょっとでよか。弟にあげる分の少しでよか。
…俺に、頂戴」
「…なんでや。なんで、そんな俺を……、お前、理解したない」
くしゃりと自分の前髪を押さえるように顔を隠す白石の手を、伸ばした長い手が撫でた。
「…理由が欲しかの?
なら、考える。なんでも、考える。
白石が欲しかもん、なんでもやる。
理由も、ちからも、命も、言葉も、…身体も…。
俺を全部やる」
「だから俺にお前を頂戴。白石」
理解したくない。
何故そんなに真っ直ぐな、揺れてもいない真摯な瞳で自分を見れる?
俺はそんな綺麗な人間じゃない。
俺がなにを裏切ったか、お前になにをしたか、なにを言ったか。
わかっているのか。
理解したくない。理解したら壊れる。お前の愛は俺には重すぎる。
「……イヤや」
「…白石」
「呼ぶな」
「…白石」
その場にしゃがみ込んだ白石の髪を、何度も大きな手が撫でる。
「……白石、…愛してる」
「………お願いや。………そんなこと言うな」
悲しくないはずなのに、瞳から涙が溢れた。
「…白石、泣いとう?」
無理に寝台から起きあがった身体が自分の身体を緩く抱く。
その肌の匂いも、腕の温もりも欲しくない。
「……止めて。
……呼ばんで…」
「…白石」
「…お前の愛は、…俺には重すぎる」
何度泣いて訴えても。
千歳は好きと繰り返した。
拒絶すら出来ない身体を抱きしめた。
名前を呼んだ。
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