光にだって渡さない
繰り返し、悪夢を見る。 あの日の悪夢。 あの日、俺の代わりに血に染まったキミ。 親しさがいといけない故に、駆け寄れなかった俺を、ずっと憎んでいる。 「千歳!」 渡り廊下で呼ばれて、振り返る。 頭一個低い彼が、いつもの顔で微笑んだ。 「どげんしたと白石? 今日は部活なかとやろ」 「それがセンセが急にミーティングするて。ほら、もうすぐ追い出し会の紅白戦やん。 それやない?」 「ああ、ならすぐ行くと」 「ん」 頷いて踵を返した背中。 細くて頼りない、肩。それでも、コートの中であんなにも大きかった。 「………ちとせ?」 急に腕を掴んだ千歳を、白石は驚いたようにゆっくりと振り返って見上げる。 「千歳?」 そして笑う。綺麗な、愛しい笑顔。 逆らえず抱き締めた。まるで媚薬のように、キミは俺を縛る。 「……千歳、どうしたん?」 「…今日、家泊まっていかんと?」 「……」 抱きたい、と伝える。 白石は腕の中で笑って、わかったと頷いた。 「ほな、はよ行くで」 オサムちゃんが拗ねる、と白石が先を促した。 部長としての彼の姿も、あと少しが見納め。 「……うん」 それでも、俺はずっと、こんな風に傍にいる。 キミが俺を好きだと受け入れてくれたから、ずっと傍にいる。 流石に「好いとうよ」と急に言ったら、時と場所選べと殴られた。 繰り返し見る悪夢は、過去の姿。 一年前の夏の大会、偶然会った白石が親しげに話しかけて来た。 当時、大阪の部長という印象しかなかった俺はあまり記憶になかったけれど。 その時、頭上にあった照明の破片が俺に向かって落下してきたことに気付いた白石が、俺を庇った。 彼の左腕は、破片で傷ついて赤く染まった。 痕も残らない、テニスに支障もない傷だと説明されて安堵したけれど、今でも心を苛む。 あの日、親しくもなかった俺を庇った白石。 あの日、親しくなかった故に、倒れた彼に駆け寄れなかった俺が。 なにより、憎くなる。 「白石」 その下肢から引き抜いて、震える身体を見下ろすと絶頂の余韻に涙を浮かべた顔がそれでも訝るように見上げてきた。 「……なんや?」 もう一回はナシやで。と。 「……いかん?」 「あかん。もう何回ヤった思てん。自分とあと二回ヤったら普通に死ねんで?」 そういいながらしっかり自分で起きあがれるのだから、白石も体力馬鹿だとは思うが。 「しょんなかとね…」とうなだれた千歳にキスをして、ほなシャワー借りるわと立ち上がった白石の太股を自分の精液が濡らした。 「白石」 「…なんやねん」 今度はあからさまに不機嫌になった彼の腕を掴んで、千歳はかねてからの不満を口にした。 「いい加減、俺の前でまで嘘の包帯せんで」 「ええやんか。こういうのは習慣や。お前の前だけって、気ぃ抜いてたらいつか金ちゃんの前でも忘れそうや」 「だけん」 そのなにもまとわない姿を抱き締めて、耳に囁く。 「俺は、蔵の全てが見たか」 びくりと腕の中、身体が震える。 「あ…ほ、盛るな」 「盛ってなか。俺は、蔵の全部が欲しかって、言うただけと」 「……………」 そんな綺麗な白い肌を、俺の前でまで包帯の白で隠さないで、見せて欲しい。 毒手なんて嘘、吐かないで。 「……白石、イヤと?」 腕の中から伝わるのは、拒絶ではなく迷い。 言葉に、応えたいけれどどうしよう。そんな可愛さ。 「じゃあ」 それがわかるから、千歳は腕を放した。 きょとんとする白石の髪を撫でて、キス出来そうな程顔を寄せて願う。 「引退、引退したら、俺だけに見せて欲しか」 その日が来たら、俺だけのもんになって。 そう願う。 その瞬間、白石は喜ぼうとして喜べず、酷く怯えたような迷いで千歳を見上げた。 「あー! 結局負けた!」 「謙也ぁ、結局財前に負けたまんま引退やんなぁ?」 引退式のその日の紅白戦。 結局最後の試合を、後輩の勝ち星で逃した謙也が、着替えながらホントやでとぼやいた。 「その点白石は千歳含めてみんなに勝ち越したまんま引退か」 「仕方ないわよぉ、蔵リンやもん」 石田に続いて小春が言う。 それが不満な部員はいない。四天宝寺の旗印である白石の最強の称号は、部員全員の誇りだ。 部長は必ずしも最強でなければいけないわけではないが、白石の示すはっきりとした最強の力はいつでもチームを前へ引っ張った。 「謙也クン」 後片付けは部に残る後輩の仕事だ。終わったのだろう。部長を引き継ぐ財前がクラブハウスに戻ってきた。 「おー光。部長頑張れやー」 「謙也クンに言われんでもやるわ。無駄に言うなや」 「無駄ってなんやねん!」 「いや」 いつも通りの生意気を主張して、それから彼は迷うように一度下を向くと、すぐ謙也を見上げて、はっきり言った。 「この後すぐ引継やけど、そうなると言うタイミング逃すから、今言っておきますわ」 「…なにを?」 本当に心当たりのない謙也が間抜け面と後輩が称する顔で見下ろす。 しかし彼は今日は馬鹿にせず、真顔のまま謙也を見上げた。 「謙也クン」 「有り難うございました」 はっきりと、クラブハウス中に届く声で、後輩は言った。 その後、礼儀でなく、頭まで下げて、謙也を見上げた。 「……え?」 「やから、…俺とダブルス組んでくれはってて、…ほんま有り難うございました。 すごい、楽しかったです。有り難う、謙也クン」 淡々とした口調でも、言葉に滲む感情がそれが確かな、真っ直ぐな感謝だと伝わるから、謙也は真っ直ぐに見つめる後輩を直視出来ず顔を真っ赤にした。 「な、なに普通に礼言っとんねん! 光らしない! 第一大会最後のダブルス光と組んだん千歳やもん!」 「ああ、千歳先輩は別に。 俺と、ずっと一緒に戦うてくれたん、謙也クンですから。 やから」 「わー! もうええ! もう一回礼なんかお前から言われたら死ぬ! 死んでまう!」 「…流石にソレは失礼やわ、謙也クン」 口では言いながらさして気分を害した様子のない後輩の後ろで、白石が笑う。 「謙也ァ。オーバーリアクションが過ぎんで? 財前、気にすんな。謙也は情熱的なだけやねんから」 「別に気にしませんけど…」 「気にしろや!」 「…俺にどうして欲しいんですか謙也クンは」 「照れろ! お前も照れろ! 真っ赤になれ!」 「…いやぁ、俺立海の切原やないし」 「誰が赤目になんぞなれっちゅーたー!」 「謙也うるさいー!」と戻ってきた金太郎が叫んで、ぴょんと入り口に立っていた千歳の腰に抱きつく。 引退だから、抱きつき納めなんやろか、と白石。 「そや、白石! 一個忘れてるもんがある!」 急に振られて、なにがやと呟いた声がいい加減になったことを誰が白石に責められようか。 「嘘はたださんといかんやろぉ? 今日で毒手は仕舞いや!」 「ああ、そうねえ蔵リン、包帯取ってあげないと。金太郎さんに」 「えぇ〜!? 毒手イヤやー!」 「金太郎はん、大丈夫や」 あれは毒手ではない、と伝える三年たちは金太郎に根ざした嘘を取り除こうとしている。 確かに、しばらくは押さえるのに必要な気もしたが、バラす頃合いとしてはそうだ。 “引退したら、全部みせて欲しか” 「……引退したら?」 伺うように、訊いたあの日の彼は揺れていた。 「イヤと?」 「……………」 そのまま無言で、胸にしがみついてきた身体が、やがて小さく“千歳だけなら、ええ”と応えた。 「……白石」 なにもないにしても、引退を示唆する言葉がイヤだったのだろう。 迷ったあの日の彼を追いつめることは出来なかった。 部長として、結局優勝に導けなかったことを悔いている彼に、引退の話は酷だった。 「ほら、白石」 謙也が掴んだ左腕が、震えたのを千歳は思考から冷めた頭で、違和感としてみた。 いつだって、誰が触れたってそんな風に強ばらなかったのに。 「白石?」 呼ぶと、彼は酷く迷って、すがるように千歳を見上げた。 「…金ちゃんの、おらんとこやあかん?」 「それ意味あらへんやろ」 「謙也、その辺にしとくたい」 「千歳?」 「なにも今日じゃなくてもよかばい」 千歳が笑って謙也の腕を白石の左腕から退かす。 少し驚いた謙也が、そっかと頷くのに時間は要さなかった。 「すまん、謙也」 千歳だって、強く違和感を感じた。 けれど、引退したらと約束してくれたから、守ろうと思った。 「いや…」 ピン、とその時何かが張った気がして、謙也は腕を思い切り振っていた。 いつかは、バレることだった。 それでも、知られたくなかった。 本当は、 お前だけには ……… 。 それは、解きかけた包帯の端の金具だった。 わからず振り回された腕の所為で、しゅるりとほどけて床に落ちた包帯。 それから露わになった腕には、醜いと全てに訴える、直視に耐えない広範囲に這った引きつれた傷の痕。 静寂とは、こんな空気を言うのだ。 その場を支配した沈黙に、謙也はそう思った。 理解が、追いつかなかった。誰も。 包帯は、嘘だと信じていた。 そんな傷なんて、知らなかった。 「白石?」 沈黙を破ったのは、金太郎の声だった。 最初は大きな瞳で、なにか得体の知れないものを見るように、毒手ではない傷を見た。 そして伸ばした指先で、呆けて腕を隠さない白石のその痕に触れて、幻ではない感触に、やっと夢から覚めた赤子のように泣き出した。 「…金ちゃん」 後輩らしくない、声を殺した嗚咽に、白石は沈黙から我に返ってその小さな姿を抱き締めてしゃがみ込んだ。 「ごめんな…毒手ちゃうから…ごめんな、金ちゃん…」 その醜い痕の這う腕で背中を抱いた。 何度も、撫でる。 「…白石…っ…ワイ…ごめん」 「なんで、金ちゃんが謝るん…」 「そんな…苦しかったんやんなぁ……毒手より…苦しかったやろ……?」 白石の過去の痛みに、同調するように泣きじゃくる後輩を抱き締めて、白石はそないなことあらへんと呟く。 その翡翠の瞳から、正反対に涙が一筋だけ、零れた。 「……痛ない…もう、……なんも、苦しいことないから………」 伝えて、泣く後輩を強く抱いた。 泣きやむまで、抱いていた。 そうして気付く。 ああ、自分はずっと苦しかったんだ。 隠し続けることが。 負った瞬間の痛みよりずっと。 …自分は、苦しかったんだ。 「やっと泣きやんだわ」 石田が校門からクラブハウスに帰って来た。 泣き疲れた金太郎は、渡邊が今から車で送っていくことになった。 沈黙ばかりのクラブハウスで、石田の声にだけそっか、と謙也は答えた。 白石は、もう包帯で隠さないままの腕をそっと撫でた。 「…ごめん、白石。金ちゃんに、って、そない意味やったんやな」 「…もう、ええ。いつか、バレたんや」 「俺らこそすまん。知らへんで」 「やから、ええって」 よくなか―――――――――――――呟いた声がなければ、それで終わっていた沈黙。 見下ろす長身には、しかしそれが出来なかった。 「千歳…?」 「それ、…あの日の傷とやろ?」 謙也の声を無視して問いつめた千歳の声に、白石の顔から血の気がざぁっと引いた。 「包帯ずっと、俺のとこでもとらんかったん、俺にしれたらいかんからかったと? あの夏の大会の傷とやろ。痕残らんて、嘘やったとね。なんで隠すと。 なんで責めんと。俺庇って、そんないらん傷背負いこんで…なんで」 怖い と耳を押さえて目を閉じた白石の青ざめきった頬を涙が伝った瞬間だった。 「謙也クン」と呼んだ声が怯える白石の身体を謙也に押しつけた。押しつけられるまでもなく、謙也は抱き締めて震える背中を閉じこめたけれど。 直後、背後で骨と骨がぶつかる音がした。 振り返ると、千歳がよろけていた。 茫然とした顔で、体勢を整えた千歳が見下ろす先で、振り下ろしたままだった拳を引っ込めた後輩が、人一人殺せそうな眼光で彼を睨んだ。 ああ、財前が千歳を殴ったのだ。とわかった。 「あんた何様やねん」 「……ひか」 「呼ぶなウザい。あんた何様や。責められたい?責められなかった人間の気持ちもわからんと、偉そうやな。 あんた、部長の恋人ちゃうんか」 「……、……そう、たい」 頷くことが、酷く重かったわけはすぐわかった。 「ならなんで、部長があない怯えてんねん」 後輩の言葉に、初めて白石を振り返る。 謙也の腕の中。白石は全てを訊きたくないと絶望を浮かべた青い顔で、ただ涙を流していた。 やっと見えたそれに、血の気が引いたのは、今度は千歳の方だった。 「好きやったら、なんでもっと優し聞き方でけんねん。 あんなに怖がらせて、…あんた、部長のなに見てきたん」 怖がらせた。 それでも、彼は話してくれるつもりでいてくれた。 耐えて堪えて、話してくれる約束をした優しさを、 あの日、親しさがいといけない故に駆け寄れなかった自分。 あの日と同じ、いといけなさで自分が置き去りにした。 悲しい優しさを裏切って、泣かせて、怯えさせた。 その時、全身を襲ったのはあの日を思い出すのと同じ、苦しい程の自分への憎悪。 感情にまかせるままに、千歳はなにもない壁に拳を振り下ろしていた。 あの、千歳が壁を殴った音が、耳にこびりついている。 「白石、ほら」 あの後、家まで送ってくれた謙也が泊まると言って付き添ってくれている。 今日、家族は旅行でいない。 「ああ、ごめん、ありがと」 「ええって」 人懐っこい笑みを浮かべる謙也に、少し安心して白石は渡されたコップを手の平に収める。 「…千歳、」 左腕には、もう包帯を巻いていない。 むき出しの醜さから瞳を逸らさず、謙也は言う。 「多分、悔しかったんや」 「…く…?」 「白石の一番でいるのに、自分が原因のそれを知らなかったことが」 「………」 「白石は、隠しておきたかったんやな…?」 優しいそれは、決して自分を脅かさない。 少しして、白石は頷いた。 あの時、自分は千歳に怯えたんじゃない。 「バレんの、怖かった。…千歳のことや。 傷を負い目に、いつか俺んこと捨てたなっても、捨てられなくなるんやないかって…。 そんな負い目、負わせたなかった。なにより、そんな縛り方、俺がしたなかった…。 …責められるわけあらへん。あらへんのに…絶対知られたなかった……」 謙也の手が、俯いた白石の髪を撫でる。 「…俺、あん時千歳が怖かったんやない。 知った千歳の、俺への好きが………義務感に変わってまうんが怖かったんや……」 「千歳は」 謙也の腕が白石を抱き寄せる。 「そんなこと、ないと思うで」 「……知っとる」 弱く答えた白石だって、わかっているのだろう。 でも、怖く思ってしまう。それほどに、千歳を思っている。 場違いに鳴ったチャイムに、謙也は無視しようと耳を貸さなかった。 だがピンポンダッシュかという程鳴らされて、ごめん白石と彼は謝ってから、キレた。 「っだああああああああああああああああああああ! これでただのピンポンダッシュやったりしてみぃ! この浪速のスピードスターが許さん!」 「…謙也、多分近所のお婆ちゃんやからそれはやばい」 だいぶ冷静になった白石がつっこんだ(というか謙也の怒声で冷静になった)。 「多分、煮物のお裾分けや。俺出てくる」 「ええんか? 白石。手」 「お婆ちゃんは知っとるよ」 「…本物のピンポンダッシュやったらすぐ呼べやー」 「はいはい」 居間に謙也を残して、白石は玄関を開けた。 「…?」 誰もいない。 「…本当に謙也の言ったとおりか?」 謙也ほどではないが、ムッとなる。 影くらい見えるだろうかと扉を閉めて出た矢先に、すぐ腕を掴まれた。 びくりと震えたのは、それが左腕だったからだと信じたい。 「……………」 声が、出なかった。 千歳は白石を見下ろすと、一度あの時抱き締められなかった身体を抱き締めた。 「…ちと」 「……あの後、考えた」 低い声に呼ばれて、白石は指先が震え出すのを感じる。 なにを?と言えない。怖い。 “義務感になるんやないかって” 怖い。 「…考えたけど、答え、一緒だったと」 「…ぇ?」 「俺は、蔵が欲しか」 苦しさと、優しさの狭間のような顔で呼ばれて腕をそっと掴まれた。 その手が、そっと服をまくって、傷を露わにする。 「…俺は、蔵の全部、欲しか。全部が、見たか」 口から覗いた舌が、無抵抗に彼に渡されたままの左腕の傷を這った。 その感触に、ぞくりと背筋を昇った感覚に、嘘だと思った。 千歳はなおも傷を舌でたどって、引きつれて浮かび上がった肉を緩く噛む。 「…ち…っ…と」 「…蔵は?」 「…ぁ」 傷痕に口を這わせたまま問われただけでも、刺激が強すぎて折れた膝を千歳の腕が支えた。 自然、千歳に抱きすくめられる形になる。 「…蔵は、……傷があったら、俺ば嫌いんなると?」 「…そんなわけ」 「なら、俺が欲しか」 「……」 「俺が、その傷欲しか」 「…千歳?」 「その傷、もらえるもんならすぐもらうたい。俺はそれが欲しか。 どげん醜かろうが構わなか。俺は、それが蔵のもんなんば、全部むぞらしか」 それは、可愛いって意味だって、前に、いつか訊いた。 「…醜いって、誰が決めたと。蔵は、綺麗たい。全部、指の先まで綺麗たい。 俺には、蔵は全部眩しく見える。…醜くなんかなか。 そげん思うなら、俺にくれればよか」 「…なんで」 「蔵は、俺が嫌いと?」 「……千歳」 「…俺は、蔵が欲しかって言ったたい。 蔵が俺のもんでいてくれるなら、なんでもすると。 俺は、蔵のことば好いとう。ずっとそれは変わらなか。ずっと、蔵を好いとうよ…!」 顔を両手で挟まれて上向かされて、見下ろされる瞳の、どこにも義務の色はなかった。 不思議なほど、罪悪もなかった。 魅入られたように見上げていると、口づけが降りてきた。 素直に受け入れると、すぐ舌が口内を這った。 不思議だった。あれほど醜いと思った傷を舐めた舌が触れても、気持ち悪くなかった。 「蔵、俺のもんばなって」 合間に告げられる。願われる。 「もう一度、俺のもんばなって…他に、なにもいらなかよ……」 懇願のように伝えられて、不意に理解が落ちた。 彼だから、汚くないんだ。 傷がどんなに汚くても、千歳だから。 千歳だけは、汚くない。 千歳が与えてくれるものなら、なんだって嬉しいのだと。 気付いた時、初めて傷痕が愛しくなった。 ああ、これだって、千歳がくれたものだった。 「…蔵、…俺のもんばなって」 静かに、微笑みながら泣く白石の瞳に口付けて、千歳が願う。 千歳、と呼ぶ。欲しい。俺だって、お前が欲しい。 「…千歳」 愛している。愛している。愛している。ずっと。 中学生で、運命の相手がいるなんて、笑われるけど。 本当なんだ。 本当に、…彼しか欲しくない程愛している。 「………好きや」 涙が頬を伝って、そう口から零れた瞬間、深く口付けられて抱き締められた。 夏の高い太陽はもう負けて、空は暗いけれど。 その背中越しの月は眩しい。 「好いとうよ…」 蔵、と呼ばれると媚薬のように、走る愛しさ。 まるで麻薬のように。 僕を縛る、キミのこころ。 「ちゅーか、いつ俺、お前のもん一回止めたんや?」 あの後、あまりに遅い白石を見に来た謙也は、一回扉を閉めかけた。 まあ、邪魔出来る空気でなかったのが事実。 だがそれに白石の方が気付いて、逃げるなと止めて、千歳を家の中に招いた。 「は? 千歳、そないなこと言うたんか」 「……ぇ。まずかったと?」 「まずいやろ、一回も別れたいとか言うてへんし」 「…………そげん、俺はわかっとうけど、」 言わずにはいられんかった、と項垂れる長身の頬に湿布を貼ってやって、白石はとにかく明日痛いからなと怒った。 「ったく、…財前かてあれで力あんやから、放置すんな。絶対腫れる」 「……もう腫れとるたい」 「明日女子に猛攻撃されんぞ千歳」 「そん時は素直に言うからよか」 「…可哀相やな、光」 「なんば言うとっと謙也。俺はこう言うだけたい」 千歳は背筋を伸ばすと、はきはきとした声で。 「『黒猫にパンチ喰らった』って」 その後、謙也が呼吸困難に陥ったことは言うまでもなく。 白石も地味にウケていたが、すぐ気付くと笑って頬に触れてくる。 その手を取って、笑い返した。 太陽(光)にだって渡さない。 俺だけの、白い月。 |