目が覚めると、隣のベッドで眠る白石の寝顔が見えた。 それが最初だった。 (…ほんにキレーばい) とても、綺麗で強い白石は、今は自分のモノだと、思うととても幸福で。 興奮した。 今すぐ起こして、その唇を塞いでやりたかった。 聞こえる寝息が、白石はそんな自分の疚しい心など思ってもいないことを教えていて。 余計、落ち着かない。 時計を見れば、まだ朝の三時。 千歳は、白石とこういう関係になって、白石の癖を一つ知った。 白石は寝た相手と同じベッドでは決して共に眠らないこと。 きっと、前にいただろう彼女ともそうだったのだろう。 この綺麗な顔で、部長で、強くて、彼女が居なかったはずがない。 そう思うと、いつも自分はどす黒い嫉妬の川に落ちるのだ。 綺麗な顔で眠る白石に、そんな思いはないのかと思うと余計、苦しくなって。 その顔が、自分のためだけに汚れればいいと思った。 彼と出会ったのは、半年前。 友から受けた傷も癒え、テニスへの自信と愛情を覚えたが、今更九州には戻れなかった。 橘がいないことを知っていたからだ。 自分を想って辞めた橘を考えれば、自分だけ獅子楽に戻れなかった。 そんな時だ。四天宝寺の顧問の渡邊オサムに言われるまま、四天宝寺に入学した。 今年、決勝の相手より立海を苦しめた四天宝寺を、俺は自分の居場所にした。 ここにいればいつか桔平と戦えるかもしれない。早く、テニスを始めたと知れば、あいつもきっとテニスを始める。そう願って。 そのために、関西の雄と呼ばれる四天宝寺は打ってつけだった。 「……テニス部の部室くらい、教えてほしか…」 思ったより広い校内に迷って、テニス部の場所がわからず視線が彷徨った。 ちらちらと見られるのは、日本人離れした長身の所為だろう。 オサムは来ればわかると言ったが、実際、広い。 聞けばいいが、周りの生徒は遠巻きに見るだけでいざこちらが話しかけようとすると逃げるのだ。 ため息を吐いた時。 「あらいい男♪ ちょっとロックオン♪」 「浮気か小春!」 雑音の中で響いたのは、恐怖や興味とは違う響きだった。 二人連れの、黄色のウェアを着た二人が触りあったまま近寄ってきて、千歳を見上げた。 「大きいわねぇあ・な・た。もしかして新しいセンセイ?」 いやだ年上の禁断の恋、萌えるわと片方が言えば片方がつっこむ。 「…えー」 なんばいねこの二人は、と思った。 しかし、道を聞くチャンスではある。 「あー、テニス部、どう行くかしらん?」 「…テニス部?」 「あら、用事ってテニス部? オサムちゃんのお友達?」 「…オサムって、渡邊オサム?」 「そうよ〜あたしたちのコ・モ・ン」 「ってテニス部か? 話はやか。連れてってくれん?」 「いいわよ。あなた素敵だから小春言うこと聞いちゃう♪」 「小春!」 「ユウくん…。小春はユウくんだけがす・き。少しの浮気は許してん?」 「小春…」 「あの、そこで二人きりの世界にはいらんでくれんと?」 こんな濃いのがいるテニス部が立海を…と聞くと語弊がありそうだ。 「で、自分はオサムちゃんの友達か?」 「いや、新入部員」 「…中学生?」 「…一応中二」 「嘘やろ〜! どうみても大学生かセンセイや! 身長でかすぎやっちゅーねん」 「成長期ってもんは仕方なか!」 盛り上がる二人の首をいきなり後ろから伸びた手が引っ張った。 二人は離れかけたことが大事のように、慌てて抱きしめあってから、相手を見て。 「蔵リン!」 「どないしたん」 「どないしたって、オサムちゃんの言う部員迎えに来よったら、自分らがそれらしいデカブツ囲んでさわいどったからやろ」 デカブツ呼ばわりは逆に気持ちがいい。ここまではっきりモノを言う人間を千歳は嫌いではなかった。 (しかし、やたらに綺麗な顔した兄ちゃんばいね) その金に近い髪も、涼しげな目元も、整った鼻筋も。輪郭が芸術のように通っていて、犯しがたい程に輝いていた。 どこか夏の月光を思わせる暖かでそれながら明け方の冴え冴えとした空気を映す月のような、怖いくらい、綺麗な男。 「えっ、オサムちゃんが?」 「オサムちゃんの勧誘やもん。な、ようこそ千歳千里くん」 「あ、ああ。名前も知っとるんばいね。」 「そらそうや。こら小春にユウジ。身長だけで判別は失礼やで」 「やって蔵リン! これは規格外やで〜」 「あんな…このレベルで規格外やったら銀はどうなるんや?」 「…あ、そやな。師範も中学生やった…あれで」 「そうや。見かけで判断はあかん! どんな人間も暖かくお出迎え! それが大阪の心意気や」 「流石蔵リン。素敵やわ…」 「ほな、俺らが案内したろか?」 「ええよ。俺がする。小春とユウジは別メニューの最中やろ。はよ行ってきいや」 「そやった。ほなでっかいキミ! またな〜」 「行くで小春!」 相変わらずくっついたまま駆けて行く二人を見送って、よくあれで転ばないなと思う。 そして改めて頭一個は小さな相手を見下ろすと、左手に包帯が見えた。 (…怪我?) 「……どないしたん? 千歳くん」 「あ、えー…千歳でええとよ?」 「そか。ほな千歳。無我使えるんやろ? オサムちゃんに聞いた」 「せや話ほんまに早か。えっと」 「ああ、堪忍、俺は部長の白石蔵之介」 「………一瞬、外人かと思ったとよ」 髪の色といい、それにさっきクラリンとか呼ばれてて。 そう言うと、あれは小春流の呼び方や。と彼は言った。 「白石でええよ。部長って呼ぶレギュラーおらへんもん。 千歳…ならすぐレギュラーいりやろし。ほな、きたら。案内するで」 包帯の巻かれた右手でおいでの合図をされて、歩き出す彼について足を速めた。 すぐ抜かしそうになって、歩調をゆるめると、彼は気付いたのかこちらを向く。 気に障ったかと思ったが、彼はとても柔らかく笑った。 「気ィ使ってくれてあんがとな。助かるわ」 「…イヤなヤツ、とか思わんと?」 「なして? 人に自然に気を使えるんはプラスの個性や。マイナスの個性はあかんけど、プラスの個性になしてケチつけなあかんねん」 「……」 思わず、真っ向からの賛辞に照れて言葉が浮かばなかった。 なんて、綺麗に笑う男なんだろう。 「ああ、さっきのな。二人、金色小春と一氏ユウジ。うちのダブルスや」 「あ、すまん。実は気になっとった」 「かまへんて。気になることあったらなんでも聞いてや」 「……」 「なに?」 「…手、怪我?」 「あ、ああ。これちゃう。怪我違うて」 「…えー…刺青とか?」 「キミは俺をどない思うとるんや」 「いや、包帯で隠すんは傷か刺青かと」 二択しかなかったとよと謝れば、彼はまあええよと笑った。 「ウチの部にな、めっさ強いけん。やけ扱いがめっさむつかしい子がおんねん。 筋金いりのゴンタクレやから、こうやって嘘つかんと抑えられんの」 「嘘?」 「そや、この子がまた素直でなー。富士山は東京にあるゆーたら信じてしもた」 「……それはひどか思う」 「まあいいなや。で、これは毒手やって言っとる。触れると死に至るってな。 で、我が儘言ったら死にたいん? って包帯外して言う。効果覿面や」 「それで収まるゴンタクレっての、ちょっと想像つかん」 苦笑すると、白石はせやろーと軽く跳ねた。 靴でコンクリートの道を叩いた。 「せやけど、天才。めっさ素直でかわええ。めっさ好きやであの子。俺」 「その子が……」 「白石でええて」 「…その子が白石を? 白石がその子を?」 「後者」 「そか。仲良くできっとええけんね」 「千歳愛想よくせな。せやったら大丈夫。あの子人見知りせえへんよ」 「善処する。…愛想ようない?」 「ええよ? ただ、その子ちっこいから、威圧あたえんようより愛想ようせなって。 敵意向けられると同じだけの敵意で返すけんね。けど、愛想よう接せば楽しく懐いてくれるから」 ほらついたで。白石の言葉に、向けば白いラインのコートが見えた。フェンスの向こうだ。 「あそこが部室。ここと、部室挟んで向こうにもう一個コートな。向こうはレギュラー外の部員のコートやし、千歳すぐレギュラーやろからしらんでもええで」 「ああ、ありがとう」 くい、と裾を引っ張られて、見下ろすと小さな赤い髪。 「……」 まん丸の瞳が、こちらを注視したかと思ったら、その子供がほえるように高い声で叫んだ。 「白石ー! なんやこいつめっさ強そうやわー! ワイ試合したい!」 「金ちゃん。金ちゃんはまだや。宿題終わるまでダメや」 「ケチー! ええやん五分だけや、な!」 「ダメや」 「白石の阿呆ー!」 「金ちゃん、金ちゃんは覚醒剤でつかまりたいん?」 「え? なんでや? ワイぼーりょくだんやないで?」 「今、“阿呆”っていうたろ? 阿呆は阿片の親戚や、その言葉を知ってるってことは、麻薬取引の暗号を知ってるってことや」 しらんかった? と真顔で言う白石に“それは無理がある”と千歳が思って、しかしその赤い髪はみるみる青ざめた。 「う…うぅ…ワイ、ワイなんもしてへん〜! なんもしらへん〜白石警察にいわんといて〜!」 「ほな、金ちゃんは宿題。出来たら黙っといたる」 「わ、わかったワイやる! ほな部室借りるで!」 「おーよーけ気張りや」 「ほな今度試合しよなにいちゃん!」 「お、おう」 暴走か? と思うほどの猛スピードで部室らしき小屋に駆け込んでいくちっさい赤い髪を見送って。 「どや? 可愛いやろ? うちのゴンタクレ」 「会話の流れから多分とは思ってたが…なんぼ純粋過ぎけん」 「しゃーないて」 「あ、部長。遠山は?」 「あ、財前。部室や」 「ああ、学校の宿題? 大変やな。まあ、中学ほど多くないやろけど」 黒髪の、こちらも随分小綺麗な顔の少年だ。 なんとなく、とげとげしい感じを受けた。 「そらな、財前かて中学あがって宿題の量の違いに驚いたやろ?」 「いやー俺天才ですから。別に苦労しませんし」 「自分で天才呼ばわりするヤツは天才とはいわん」 「……? 白石」 「あ、千歳。悪い。こっち財前、一年や」 「あ、新入で二年の千歳ばい」 「ああ、俺財前光っす」 「…で、今、中学とは量が違うっていわんかったと?」 「言った。やって、小学生は量すくなかろ?」 「……さっき、あの子は“うちの部”っていうたばい」 「あー、来年のうちの部員や。今小六。学校近所」 「……わかった。白石、関西人は理屈うまかろ?」 「どやろ?」 そう言って笑う、白石はやはり綺麗だった。 部活動を同じくするうちに白石の人となりも見えてくる。 四天宝寺は誰も彼もあくが強く、それをまとめる白石はかなりの強者だ。 「あ、千歳ェ。俺と打たへん?」 「ええとよ」 誘われて初めて同じコートに立つ。 白石のテニスは、基本を押さえた、それ故の強さを持っていた。 カウントでは自分が勝ったが、その隙のなさに、憧れた。 「千歳ほんま強かね」 「白石かて強かよ?」 「負け試合褒められてもな〜」 コートに寝転がった白石が笑う。 空は夕焼けが迫っていて、白石は雲の流れを追うように、空をじっと見上げていた。 「……」 「白石?」 「………俺、ほんまは、今のテニス好きやないねん」 「……」 少し、驚いた。隙のない完璧なテニス。それは、誰もが憧れる才能だ。 「……そら、強くなるんに必要やけどな。……でも、千歳や金ちゃんみたいなテニスに憧れる。完璧言われたかて……つまらんもんは、つまらんよ」 「…………白石」 「…ってな。なに話してんのやろ。気にせんでな。好きでそういうテニスにしたんやし」 寝転がる、その金の髪。笑う声は、何処か愛(かな)しさを帯びていて。 部長だと、一人で立つ。 折れそうになっても、負けても、揺るぎなく立つ。 誰より責める、自分に耐えて、戻ってくる。笑う、その、淋しいまでの強さ。 その姿が、……憧れて、もどかしく、淋しかった。 何度も見たその姿が、自分には、彼を誰より弱く感じて、淋しい。 一度コートに向かう、その背が、少し震えている。そのことに気付いたのは、いつだったろう。 震えた背も手も、自分より小さい。 それでも、コートに一度向かった背は、決して振り返ることなく、決して崩れ落ちることもない。 だから、憧れた。 だから、愛(かな)しかった。 その淋しい強さに、自分が惹かれてやまないことを知っていた。 彼がいつか崩れ落ちる日が来るなら、支える誰かになりたいと。 重ねた、唇は自分が寝転がる彼に覆い被さって。 夕焼けの中で。 「…………」 白石は、動くことなく、千歳を見上げた。 「…………俺、女の子違うで?」 「知っとう」 「……俺、千歳のこと、戦友以上に、好きと違うで?」 「……知っとう。やけん、好きになって。戦友以上に、好きになって」 「……………」 白石はその時初めて、泣きそうに瞳を揺らがせた。 初めて見る、彼の弱さだった。 「……俺は―――――――――――千歳は好きになりとうない」 それは、まるで、 まるで、千歳が好きなんだと言っているようにしか聞こえなくて。 腕を掴んで否定の声を聞かず、腕の中に閉じこめた。 抱きしめた。 「………痛い」 「……白石。」 「…苦しい。………俺は、男で……千歳になにもしてやれる身やなくて」 「…知っとうよ」 「……千歳に、……子も作ってやれん」 「俺もばい」 「……千歳…俺、千歳を好きになりとうない…。なりとうないよ………」 「………………俺は、白石が好きとよ。………好きとよ」 打ちのめされるのがわかっていたんだ。 いつか、千歳の才能を憎んでしまう。自分は。 そんな、 そんな痛い思い、誰が好きな相手にさせたい。 だから、好きになんかなりとうない。 なりとうないから、抱きしめないで欲しい。 「…。」 好きやから、抱きしめて欲しくない。 育った思いは残酷で。 それはいつかキミを裏切る。 キミを裏切る、毒になる。 頬に当てられた手が顔を上げさせた。 自分はきっと、情けない顔をしている。 見つめる痛いほどの千歳の瞳が、近づいて唇が重なった。 (嫌や) そう思いながらも、彼に触れられれば自分の身体は喜びに震えた。 否定しながらも、自分は彼の愛の言葉が欲しかった。 (嫌や) それでも自分は瞳を閉じた。 それでも自分は彼の背に手を回した。 重なる唇が、哀しい程熱かった。 「……………ん」 声がしたので、それで白石が起きたのだと千歳は気付いて、側に寄った。 髪を掻き上げてやると、白石はくすぐったそうに笑う。 「いつから俺の寝顔見てたんや?」 「ん、一時間くらい」 「趣味悪いわ」 「白石、綺麗やから、悪くなかとよ?」 「……そうか?」 言いながら起きあがった白石を抱きしめて、千歳は繋ぎ止めるように呼ぶ。 「………キスしてよか?」 「……なんやそれ。いつも人が嫌がるくらいして、苦しいくらい抱きしめる癖して」 笑う、その顔が綺麗で、 自分だけ見て欲しい。 “俺は、千歳を好きになりとうない” 「……目、閉じて?」 「………千歳?」 頬をたどる指が、首を撫でた。 白石が身を震わせる。 「……な、目、閉じて……蔵ノ介」 「……っ……狡いわ……今、呼ぶな……っ」 「蔵ノ介」 「………」 頬を染めながら、目を閉じた白石を、肩を掴んで唇を深く重ねる。 「…っ……ふ……ん………ん…。…っ」 漏れる声に、あおられる。 「……ッ…! ちと…せ…っ」 ズボンの中に潜り込んだ手に、白石が身をよじる。 逃がさないと、強く引き寄せてまだ濡れている箇所をいじった。 「……ッ……あ……。あ…ァ……っ」 「蔵ノ介…かわいか……ほんま……かわいか」 「意地……悪………意地悪や………千歳……もう、嫌や…」 「やめなかよ?」 「……っ………」 染まる肌の赤に、今だけは彼を支配していると、そう思えて、満たされた。 ベッドに再び組み敷く。 「………っ………あ……や…ァっ……」 「……蔵ノ介……千里…って呼んで」 「…や………」 「蔵ノ介……」 「……ん」 瞳に涙を溜めながら、引き出された情欲に身を染めて、必死に紡ぐ。 「……せんり」 抱きしめる、彼は知らない。 どうして、一緒のベッドで眠らないかなんて。 淋しいからや。 一緒に寝たら、きっと、 俺は一人が淋しくて、淋しくて、お前がおらんと生きていけんようになる。 抱かれることも、唇を重ねることも、なにもかもお前が初めてで。 裏切られるなら、一緒になんか眠りたくない。 いつかテニスを選んで。 いつか、誰かを選んでお前が離れてく言うなら、一緒になんか眠らない。 一生、一緒になんか眠らない。 それでも、彼が抱く相手が自分が最後であって欲しいと。 願うのは、 きっと戻れないほど自分が彼を好きだから。 だから、好きになりとうなかった。 戻れなくなる。 溺れる。 彼一人に。 きりとって、あげる。 テニスも、手も、力も、 きりとってあげる。 出来ないことは言えなくても。 言ってみせたら、側にいてくれるだろうか。 一生、お前の側にいなければ生きていけないから、どうか殺さないで欲しいと。 言ったら。 彼は振り返ってくれるだろうか。 本当は自分を置いていくのは千歳の方だと。 知っていて、だから好きになりとうないと。 それでも それでも俺は、彼が好きだった。 一緒に眠れない程、彼が好きだった。 |
初千歳×白石〜。 |