★らびっとでぃあ★ −五話・初恋の話− 千歳の家に今日も白石は来ている。最近は、千歳の家に彼がいない方がめずらしい。 千歳にとっても、至福だ。 「千歳…」 千歳の膝の上に乗り、腕の中に収まっているウサギは名前を呼んで、それから腕を背中に回して千歳の胸板に頬を押しつける。そして、すりすりすり、と頬をこすりつける。千歳の胸に。 そして、ほぅ、と恍惚の息をもらし、またすりすりすり、とこすりつける。それを繰り返している。 その頬はうっすら赤くて、幸せそうだ。千歳は彼の背中や髪を撫でている。 白石の頭に生えたままの耳は嬉しいのか、ゆらゆらと揺れている。 千歳の頭にも耳がある。 千歳の頬も、赤い。 (ああああ食いたい! 食いたい! はよ犯したいっっっっ!!!) とんでもなく可愛い。とんでもなく可愛すぎて堪らない。 そんな自分の腕の中で、安心しきった顔で、胸に何度も何度もすりすりすりなんてされていたら誰だって我慢出来ない。 しかし、千歳は心の中で叫んでも、実行には移さない。 甘噛みを覚えていない自分は、きっとまた噛んでしまう。覚えるまでは、出来ない。彼が大事なのだ。そこは守る。 でもそれと、堪らなくなってしまう感情は別物で。 腕の中にぎゅうぎゅうと抱きしめて、千歳ははあ、と熱い吐息を吐いた。 それから、不意に不思議に懐かしい気分になった。 ああ、そうかと思う。 「ちとせ?」 唐突に苦笑した千歳に、白石は不思議そうな視線を向けた。頬を胸にこすりつけたまま。 「いや、…出会った時ば思い出してな。…最初は俺、警戒されとったねぇって」 「……あれは千歳が悪い」 「そうやね」 千歳はあっさり頷いて、髪をまた撫でた。 あれは、今年の三月の終わり。 白石は学校に行く時間に起きて、鏡を見てため息を吐いた。 頭には、ウサギの耳。 「まだひっこまへん…」 自分の耳を手で引っ張って、ため息を吐いた。憂鬱だ。 痛みはひいたけど。 今日は部活があるし、昨日まで部長なのに休んでしまった。行かないといけない。 それに今日は、転校生が部に来ると言うのだから。 発端はたいしたことではない。 たまたま耳が生えてる時に、練習試合をする運びになってしまい(練習試合の最中に生えてしまったともいう)、相手が打ったミスショットが豪快にウサギの耳を直撃した。 そのあとなんとか勝ったが、もともと敏感な耳にかなりの激痛。 白石はしばらくふらふらになって起きあがれなくなり、部活を三日休んでしまった。 事情をよくわかっている部員は、小石川を始め、ゆっくり休めと言ってくれたが。 ダメージから、ウサギの耳は三日間生えっぱなしだった。痛みや、傷を回復する時は動物のサインは生えたままだとは知っている。その『耳』が、ダメージを受けた場所ならなおのこと。 しかし、今日も耳は引っ込んでいなかった。常にアイスノンを当てて冷やしていたのに何故。というか、この状態で会うのか、転校生に。 「蔵リン。獅子楽の千歳くんなんやけど、獅子楽はヤンキーが多いっていうやない。確かにがら悪いわね。 でもむしろ、ヤンキーは千歳くんと橘くん自身や思うわ」 と、他校に詳しい小春が言っていたのだ。威厳もなにもないじゃないか、ウサギの耳なんか生えていたら。 「お、…来たか白石」 職員室に入ると、顧問の渡邊はそう言いながら苦笑した。視線が「まだ引っ込んでなかったんか」と語っている。自分だってそう思う。 渡邊の向こうに、身長がやたらでかい、何故か下駄の男がいる。彼だ。しかし、近くでみると結構な男前。 うっかり見とれそうになって、白石は慌てて首を小さく振った。笑顔を浮かべる。 「部長の白石や」 はっきり言って威厳もなにもない。耳の所為で。しかし、そこはあえてスルーしろ。転校生の礼儀だ、と白石は千歳にそう願った。 瞬間、白石を凝視していた千歳の頭と尻に生えた耳と尻尾。白石はびくん、と怯んで一歩下がった。 だって、なに。自分を見て生えたじゃないか。今。 狼の耳だ。狼が耳や尻尾が出るのは、確か、目の前の相手を食いたくなった時で。 「む…」 千歳は大股で近寄ると白石を唐突にぎゅうっと抱きしめた。痛いくらい。そして叫ぶ。 「むぞらしか―――――――――――――っ!!!!!!」 「……え、あ、…は、はなしっ…」 「むぞかっ! むぞかよー!!!」 いやいいから、離してくれ。っていうか、「むぞ」なんとかってなに。意味がわからない。白石は手を突っぱねるが、全然離れない。力が違いすぎる。 「は、はなしっ…はなして」 「むぞかー…!」 「…は…あの、は」 「たまらんと…。こんむぞかウサギ…」 「……」 ダメだ。言葉が通じていない。恍惚とした顔で自分を抱きしめ、髪に顔を埋めてすりすりしている狼。ダメだ。こいつ、人の話聞かない。 「は、なせって言うとるやろっ!!」 狼VSウサギじゃ勝ち目なんかない。が、テニス部部長としての意地はある。男としての意地も。 白石が全力で振り上げた拳は、千歳の顎にヒットした。千歳が呻いて、その場に仰向けにぶっ倒れた。 「……あ、あれ」 ぜーはーぜーはー、と荒い呼吸をつきながら、白石はぽかんとした。 千歳は意識がないみたいだ。 「…………勝っちゃった」 茫然と呟く。窓の外から「おーすごい」という声がして見ると、そこには一部始終を覗いていたらしい副部長。 「すごいもんみたわ。ウサギが狼倒したで」 「健二郎。お前助けろや!」 「いや、助けに来たんやけど、その前にお前が」 よく見れば小石川は片足を窓をまたいでこちらに降ろしている。窓から入って助けようとしたが、寸前で自分がどうにかしてしまったらしい。 「ちゅうか、こいつ、狼やったんか」 「え?」 「いやいや」 渡邊はそう白石と小石川からの視線を誤魔化した。 あとから考えると、千歳が初めて動物化したのがこの日だったから、渡邊も千歳がなんなのか知らなかったから、だろう。 自分は深く考えなかった。 とにかくびっくりした。なんなんだこいつ。むぞらしかってなに。 「ああ、白石、『むぞらしか』って、熊本の方言や。可愛いって意味な」 「小石川、お前なんで知ってんねん」 「いや、あんまり方言ひどかったら困るから、昨日ネットの辞書で軽く調べて」 「ああ」 白石はショックを受けた。 あんまりだ。そりゃ、ウサギはそう見えてしまうけど。 自分が所属する部の部長に向かって、挨拶もなく「かわいい」なんて。 「なー、白石ー」 「なに」 翌日、ウサギの耳はやっと引っ込んだ。 それを見て、登校してきた千歳はひどくがっかりした。また白石の自尊心が傷付く。 (ウサギやなくたってええやろ!? 自分、なにしに四天宝寺来たん!) と、怒鳴ってしまいたい。 「大丈夫と?」 「は?」 「いや、昨日、耳ばはえてた事情訊いたけん…体調とか辛くなかかと」 「……いや、別に」 「そか」 千歳は優しく微笑んで、安堵した風な言葉を言う。 そんな風に言われると、強気な態度はとれなかった。 「…」 千歳は自分をじーっと見ている。やっぱり興味か。 「…残念たい」 千歳は唐突にそう言って肩を落とした。休憩時間の木陰。 「なにが?」 「俺、実は昨日初めてサインが出てな? 最初の日ばい」 「……え?」 「そげんあり得ない声ば出さんでも」 千歳は傷付くばいと俯いた。自分の声はよほど「そんなんあり得ない」と言いたげなトーンだったらしい。申し訳なくなったが、今は興味が「最初の日」というとこに行ってしまっている。 「昨日が? それまで、なったことないん?」 「なかね。やけん、自分でもなんの動物かわかっとらんかったばい」 「…、あ、でも遺伝やし」 これは一応遺伝だ。父親か、母親のどっちかを受け継ぐ。 「俺の親父が狼で、母親がウサギでな? 俺は正直ウサギはいやっちゃね〜とか思っとって」 「…まじか」 結果的にはならなかったとはいえ、もしかしたら仲間だったかもしれなかったなんて。 白石は途端、惜しくなった。 「…なんで悔しそうなん? 自分」 狼ならよかっただろう。と思う。女ならウサギがいいだろうが。男だし。 なのに千歳は残念そうだ。 「俺、体格こん通りばい。大概負けんと。やけん、狼でよかったけんなぁ……。 ウサギなら、部長さんの仲間やけん……、惜しかったばい。今はそぎゃん思う」 そういう千歳は本当に本当に残念そうで、悔しそうで。 不覚にもときめいた。 「あれ? 耳ば生えとうよ?」 「え!?」 「あはは。もしかしてときめいてくれたと?」 「ときめいてへ………わざとか!?」 「いやいや本気で」 千歳はへらへら笑って、また自分を抱きしめた。優しく髪を撫でて、生えてしまった耳に殊更優しく触れる。 「…仲間なら、傍におるんが容易かろ?」 「……?」 「俺は多分、あんたに相応しくないっちゃろ。それが悔しかね。仲間なら、もっと楽に傍おれっとね。…残念たい」 千歳は淋しそうに微笑んだ。髪を撫でたまま。 小春の言葉を思い出す。 でもヤンキーだろうが、関係ない。付き合ってて、良いヤツだって思えばそう扱う。 「相応しいかどうか、決めてええんは俺や」 「……」 千歳は目を丸くしたあと、くすくすと笑い出した。 「おい」 「いや訊いちょる。…外見かわいらしかけん、中身は男前っちゃね、白石は」 千歳は笑いを納めてそう言った。それに、またときめいてしまった。 だって、嬉しいし。 「…あ、ばってん、俺はヤンキーじゃなかよ? ただ髪ば染めとっただけで、煙草とか吸っちょらんし」 「……」 白石は口に出すのは堪えた。失礼だったから。 そうだったのか、という本音は。 「…懐かしかね。というか、実際、まだ二ヶ月くらい昔の話で」 「千歳は馬鹿やったな」 「でも、そこにときめいたっちゃろ?」 そう言われたら、否定は出来ない。 千歳の不意打ちな言葉や、思いがけない笑顔や、時に強引なとこに、ときめいてしまっていたのだし。 「……」 「蔵?」 急に黙り込んだ白石は、また千歳の胸板にすりすりすり、と頬をすりつけた。 「ちとせ」 「ん?」 「一個、イエスかノーで返事して」 「…うん」 「千歳の初恋、俺?」 首を傾げて、上目遣いで白石は訊いた。腕の中で、耳を揺らしながら。 「………イエス」 千歳は参ったといいたげに笑うと、そう答えてきつく抱きしめた。 本当なんだから、信じて欲しい。 「蔵の初恋は? 俺?」 「………食われてもええで、ってくらい好きになったはじめて」 「…〜〜〜〜〜〜」 千歳は頭を抱えた。取りようによって、初恋は他にいるともとれる答え方だが、そんなのどうでもいい。 今は、甘噛みを覚えていないから、堪えろ、と自分を律するので、精一杯。 「こんウサギは……。どこまで俺を溺れさせたら気が済むとや…」 「…決まっとるやん」 千歳の腕の中、白石は不意に、見たことがないように妖しく笑う。 すぐ、にっこりといつもの可愛らしい笑みになった。 「千歳が、俺がおらんと息できへんくらいまで、な」 「……もうなっとる!」 ぎゅうぎゅうと身体を抱きしめて、でもまだ抱けない自分がもどかしい。 千歳はいっそ、小石川に教わろうかと思った。甘噛みを。 だって、もう、限界だし。 →NEXT |