雨が降った。 借りている部屋に帰るところで、千歳は傘を自分一人に差し出した。 「千歳が、風邪引く」 「蔵ノ介が引いたら洒落にならん」 「…」 『もうおんぶに抱っこでよかよ』 前に彼はそういった。でも、納得がいかない。 「蔵?」 傘から出て、先をさっさと歩き出した。 「蔵! 濡れる…」 「なら、千歳も入って」 「……」 おんぶに抱っこでも、しょうがないけど、いいけど。 千歳を犠牲にしたやり方は嫌だった。 千歳は迷ったような顔で、傍に歩み寄った。 彼が傘をもう一度差しだしたときには、お互い全身濡れていた。 「聞けば聞くほどアホやな……」 あのあと、風邪を引いた白石を診に来た謙也が、そう一言。 「…悪い」 流石に気まずく、そう答えた千歳の襟元を引っ張って、謙也は台所の方に連れてくる。 「お前が、料理作ったれや?」 「……」 「まだ、なんも作れんのか」 呆れたような彼の声。奥から、白石の咳が聞こえてくる。 「……ちょっと、紙寄越せ。…作り方書いたる……」 「…ありがとう」 礼を言うと、謙也は少し吃驚した顔をした。すぐ、笑う。 「お前、大分人間らしゅうなったなぁ」 さっき、出来ないことに呆れた顔で、そう褒める。 ひどく、人間らしく、笑って、呆れて。 そんな人たち。 「…ほんなこつ?」 自分は、そうなれている? 「……謙也、帰ったみたいやけど」 独り言すら、すぐ咳で遮られる。 布団の中で動く気力すらない。 台所から、たまに千歳の声が聞こえる。 「痛っ」とか「間違えた」とか。 「……なにしとんのやろ……っ」 また、咳で呼吸が苦しくなって、言葉が途切れた。 「蔵! 大丈夫と?」 やっと姿の見えた千歳が、布団の傍に座って、持っていた小さな鍋を枕元に置く。 自分の髪をそっと撫でた。 「ちとせ? それ…」 「え、と…忍足に作り方聞いて…。食べるもんが、他になかし…薬飲むのに……」 そう言う千歳は、明らかにすまなそうだった。申し訳ない顔をする。 「……食べる」 そう答えると、千歳は更に身を縮こまらせた。まずいものを食べさせると、うまく作れない、と落ち込む巨躯が、可愛くなる。 「…食べたい。千歳の」 「…………、うん」 そう言って笑う。起きあがると、千歳が鍋を取って、粥をそっと口に運んでくれる。 粥は、卵がなんかどろどろになっているし、葱は、ちゃんと切れていなくて繋がっている。 それに気付いて、千歳はなんとも情けない顔をした。 「…ごめんっ。俺…」 「ええ」 「……え」 「食べる」 「………」 やって、と言いたげな、情けない顔。 他に食べるものないやろ、と思ったけど、それは本当に思ったことじゃない。言いたい事じゃない。 「…千歳が作ってくれたん、俺はおいしい思う。…うれしい」 「…………」 千歳はしばらく黙ってしまった。鍋を持ったまま。 『大分、人間らしくなったなぁ』 本当に? だって、こんなにも、彼に救われてばかり。 「…千歳、ほんま、優しくなったな」 「……」 白石の声に、思わず顔を上げる。微笑む顔がある。 「千歳は、もうどう見たって、人間やな……。狐になんか、戻られたら、俺が困る」 「……」 人間? そう見える? そうでいていい? 泣きそうになる。そんな風に言われたら。 「…千歳?」 自分の様子をいぶかしがって聞いた白石に、千歳は首を左右に振って、粥をまたすくった。 「取り敢えず、食べなっせ。あと少しだけ」 「…うん」 なら、嬉しい。早く、なりたい。 人間らしく、なりたい。 彼の傍にいても、おかしくないように。 だったら、嬉しい。 粥を食べ終わったあとの鍋が畳の上に置きっぱなしだ。 白石は全部食べてくれた。おいしそうに。 あれから、薬を飲んだがまたあがったらしい熱に、白石は起きあがれない。 傍で、千歳は水で冷やした布巾を絞って、額や身体を拭う。 「……」 そうすると少し、楽になったように白石は息を緩める。 「…千歳」 「ん?」 「……」 頼りなく伸びた手が、千歳の着物を掴む。 「……千歳は、俺とおったら、嫌?」 「そ、んなわけなかろ!?」 「…なら、…一緒がええ」 思わず怒鳴ってしまって、慌てた千歳に白石は、苦しい呼吸の中で笑う。 「一緒に帰って、一緒に………。 寝て。…寒い…」 手を伸ばして、布団から出された白石の手を握る。 熱い。 風邪を引くと、寒いと言う。 「…俺、熱かよ」 少しおどけて言うと、白石はくすくすと笑った。 「かまへんもん」 「…ありがと」 礼を言うのはおかしいという白石の、汗で張り付いた前髪を掻き上げて、千歳は布団を少しまくって、その隣に身体を納めた。白石の身体をしっかり抱いて、横になる。 「背中、出とらん…?」 「うん。大丈夫たい」 「……うん」 安心したように、瞳を閉じて白石は千歳の胸にすがってきた。 一緒に、と彼は言う。 あの時も、きっと。雨の中で。 「……わかった。一緒におるよ」 そう答えると、白石の呼吸が安心したように和らいだ。 白石の風邪が治って、数日。 出かけた先でまた雨が降った。 千歳は傘を広げると、白石の肩を抱いて、自分たち二人の上に差す。 それに、白石が嬉しそうに笑った。 まだわからないことが多いけど。 キミが笑うと、嬉しいことだけは確かだから。 一個ずつ、叶えていきたい。 キミの傍で。 =========================================================================================== かなり前に書いた「蓮華の咲くほとり」の続き。 携帯サイトの2000ヒット作品の一つ。 作成日時:2009/06/21 |