一緒にいて欲しい






---------------------------------------------------------------
睡蓮の雨と手に触れて
---------------------------------------------------------------







 雨が降った。

 借りている部屋に帰るところで、千歳は傘を自分一人に差し出した。
「千歳が、風邪引く」
「蔵ノ介が引いたら洒落にならん」
「…」



『もうおんぶに抱っこでよかよ』



 前に彼はそういった。でも、納得がいかない。
「蔵?」
 傘から出て、先をさっさと歩き出した。
「蔵! 濡れる…」
「なら、千歳も入って」
「……」
 おんぶに抱っこでも、しょうがないけど、いいけど。
 千歳を犠牲にしたやり方は嫌だった。
 千歳は迷ったような顔で、傍に歩み寄った。
 彼が傘をもう一度差しだしたときには、お互い全身濡れていた。







「聞けば聞くほどアホやな……」
 あのあと、風邪を引いた白石を診に来た謙也が、そう一言。
「…悪い」
 流石に気まずく、そう答えた千歳の襟元を引っ張って、謙也は台所の方に連れてくる。
「お前が、料理作ったれや?」
「……」
「まだ、なんも作れんのか」
 呆れたような彼の声。奥から、白石の咳が聞こえてくる。
「……ちょっと、紙寄越せ。…作り方書いたる……」
「…ありがとう」
 礼を言うと、謙也は少し吃驚した顔をした。すぐ、笑う。
「お前、大分人間らしゅうなったなぁ」
 さっき、出来ないことに呆れた顔で、そう褒める。
 ひどく、人間らしく、笑って、呆れて。
 そんな人たち。
「…ほんなこつ?」
 自分は、そうなれている?





「……謙也、帰ったみたいやけど」
 独り言すら、すぐ咳で遮られる。
 布団の中で動く気力すらない。
 台所から、たまに千歳の声が聞こえる。
 「痛っ」とか「間違えた」とか。
「……なにしとんのやろ……っ」
 また、咳で呼吸が苦しくなって、言葉が途切れた。
「蔵! 大丈夫と?」
 やっと姿の見えた千歳が、布団の傍に座って、持っていた小さな鍋を枕元に置く。
 自分の髪をそっと撫でた。
「ちとせ? それ…」
「え、と…忍足に作り方聞いて…。食べるもんが、他になかし…薬飲むのに……」
 そう言う千歳は、明らかにすまなそうだった。申し訳ない顔をする。
「……食べる」
 そう答えると、千歳は更に身を縮こまらせた。まずいものを食べさせると、うまく作れない、と落ち込む巨躯が、可愛くなる。
「…食べたい。千歳の」
「…………、うん」
 そう言って笑う。起きあがると、千歳が鍋を取って、粥をそっと口に運んでくれる。
 粥は、卵がなんかどろどろになっているし、葱は、ちゃんと切れていなくて繋がっている。
 それに気付いて、千歳はなんとも情けない顔をした。
「…ごめんっ。俺…」
「ええ」
「……え」
「食べる」
「………」
 やって、と言いたげな、情けない顔。
 他に食べるものないやろ、と思ったけど、それは本当に思ったことじゃない。言いたい事じゃない。
「…千歳が作ってくれたん、俺はおいしい思う。…うれしい」
「…………」
 千歳はしばらく黙ってしまった。鍋を持ったまま。



『大分、人間らしくなったなぁ』



 本当に?

 だって、こんなにも、彼に救われてばかり。



「…千歳、ほんま、優しくなったな」
「……」
 白石の声に、思わず顔を上げる。微笑む顔がある。
「千歳は、もうどう見たって、人間やな……。狐になんか、戻られたら、俺が困る」
「……」
 人間?
 そう見える?

 そうでいていい?




 泣きそうになる。そんな風に言われたら。




「…千歳?」
 自分の様子をいぶかしがって聞いた白石に、千歳は首を左右に振って、粥をまたすくった。
「取り敢えず、食べなっせ。あと少しだけ」
「…うん」
 なら、嬉しい。早く、なりたい。

 人間らしく、なりたい。
 彼の傍にいても、おかしくないように。



 だったら、嬉しい。





 粥を食べ終わったあとの鍋が畳の上に置きっぱなしだ。
 白石は全部食べてくれた。おいしそうに。
 あれから、薬を飲んだがまたあがったらしい熱に、白石は起きあがれない。
 傍で、千歳は水で冷やした布巾を絞って、額や身体を拭う。
「……」
 そうすると少し、楽になったように白石は息を緩める。
「…千歳」
「ん?」
「……」
 頼りなく伸びた手が、千歳の着物を掴む。
「……千歳は、俺とおったら、嫌?」
「そ、んなわけなかろ!?」
「…なら、…一緒がええ」
 思わず怒鳴ってしまって、慌てた千歳に白石は、苦しい呼吸の中で笑う。
「一緒に帰って、一緒に………。
 寝て。…寒い…」
 手を伸ばして、布団から出された白石の手を握る。
 熱い。
 風邪を引くと、寒いと言う。
「…俺、熱かよ」
 少しおどけて言うと、白石はくすくすと笑った。
「かまへんもん」
「…ありがと」
 礼を言うのはおかしいという白石の、汗で張り付いた前髪を掻き上げて、千歳は布団を少しまくって、その隣に身体を納めた。白石の身体をしっかり抱いて、横になる。
「背中、出とらん…?」
「うん。大丈夫たい」
「……うん」
 安心したように、瞳を閉じて白石は千歳の胸にすがってきた。
 一緒に、と彼は言う。




 あの時も、きっと。雨の中で。




「……わかった。一緒におるよ」


 そう答えると、白石の呼吸が安心したように和らいだ。







 白石の風邪が治って、数日。
 出かけた先でまた雨が降った。
 千歳は傘を広げると、白石の肩を抱いて、自分たち二人の上に差す。
 それに、白石が嬉しそうに笑った。


 まだわからないことが多いけど。

 キミが笑うと、嬉しいことだけは確かだから。



 一個ずつ、叶えていきたい。






 キミの傍で。








===========================================================================================
 かなり前に書いた「蓮華の咲くほとり」の続き。
 携帯サイトの2000ヒット作品の一つ。

 作成日時:2009/06/21