自分も突っ込むべきかと、白石はその日初めて謙也に進路について訊いた。
「へ?」
「やから、進路」
謙也はああ、と頷いて起きあがった。場所は屋上。時間は昼休み。
あれ以降財前が謙也と気まずいため、その日白石は謙也にそれとなく訊いてやると昼飯を財前の許可つきで誘ったのだ。
「東京行くて」
「……? それがなに?」
なに、やないやろ。
「謙也?」
「……え? そない大騒ぎになってん?」
「なるわ。普通に」
呆けたことを言う謙也に厳しく突っ込むと謙也はぼんやりとした顔で、溜息を吐いた。
「…俺も、ホンマは附属行きたいねん」
「え? 自分から選んだんちゃうんか? 東京は」
「まあ自分やけど…。
ほら、俺、親の跡継ぐやんか」
「ああ」
謙也の親は開業医で、長男の謙也がその跡を継ぐことは前から知っている。
「で、親が昔世話になったいい医者が東京で個人病院やってるから、謙也高校の間そこの事務のバイトせえへんか?東京の学校に進んで……て」
「……そんな理由か」
従兄弟ほとんどついでやん…。
つか、表向きのクラスメイトへの理由?
「俺としても、そら学ぶんは早いほうがええし、この仕事に『実戦をやる』以外は早いっちゅーことはないし、学ぶんには。
せやけど、俺としては…」
「まだ、みんなで大坂でテニスしたい、…?」
「そやねんなー…。あと、光」
「追ってきてくれとか、言えへんやん。来て欲しいけど。
それ完璧彼氏のエゴっちゅーか…」
「ホンマを言うと、どないしてもそういう話になるから財前には『従兄弟』以上の理由を言わんねんな?」
「うん……」
屋上の地面に転がった謙也が、空を見上げて手を伸ばした後、急に「あー!」と叫んだ。
多少びっくりした白石を余所に、頭を押さえてもがき始める。
「しんどい…っめっちゃしんどい!」
「そら、謙也、空気読むとか苦手やもんな。大人の空気読むんは疲れるわな」
「人をKYみたく言うな!
そやない! 光! 光とここんとこべたべたしとらんっちゅーねん!
だー! 心臓に悪い! …光に抱きつきたい……!」
「欠乏症かお前」
「当たり前や。禁断症状舐めんな。
つか、お前はええん?」
「ん?」
「千歳と離れるんやろ? ドイツ行くなら」
謙也に転がったまま問われて、白石は初めて固まった。
「しらいし?」
「…謙也」
息を一つ吐いて、謙也の肩をぽん、と白石が叩いたところで「屋上組ー」と小石川が屋上にやってきた。
「健二郎。お前、なに今の『屋上組』て」
「いや、進路に問題あるヤツが揃って屋上おるから」
「一緒にすな」
立ち上がった白石を、行くん?と謙也が転がったまま見上げた。
「謙也、健二郎、一つ言うといたるわ」
「「ん?」」
「俺は四月馬鹿やないから嘘は四月以外に吐くんやで?」
にっこり笑って言うだけ言って屋上から去った白石を追うこともなくその場で意味をシンキングする二人。その数秒後、
「って、嘘か!? ドイツ留学は嘘ってことか白石!!!?」
「嘘やで―――――――――――――♪」という遠い声が階段の遥か下から響いた。
「あんの策士…!」
「え? 嘘なん? 白石の『ドイツ』」
あまり状況についてこれてない謙也の言葉に、小石川がはぁと疲れたようにその場に座った。
「嘘らしい。あいつ、千歳で遊ぶためだけに俺らまで謀りよった」
「千歳で遊ぶためなん?」
「つか、愛を感じるため? 大半が遊ぶためやろうけどな。
やって、あいつドSやんか実際」
「あ―――――――――――――…」
「それに、昔あいつ言うとったんや…」
「昔?」
「去年の全国大会の時に…」
健二郎ー、と声をかけた自分よりは細い身体が駆け寄ってきたので、小石川は少し待って彼が隣に並ぶのを待った。
「なんや?」
「今な、獅子楽の三年の人らにエース二人紹介されてん」
「ああ。お前部長やからな」
白石の来た方角を振り返ると、なにかを談笑している獅子楽の姿。
あの目立って高い奴らか、と思った小石川の隣で白石は、
「で、な…」
「?」
物憂げに息を吐く白石に、疑問符を浮かべた後、小石川はハッとした。
「まさか…他校生に一目惚れしたとか言わないやんな?」
白石に限ってあり得ない。実直だとよく言われる自分より真面目な白石に限って。
「俺、あの背ぇ高い…千歳の方…」
「が!? が、なに!?」
「……ものっそう泣かせたい…」
物憂げに吐いた息と裏腹に黒い笑みで呟いた白石に、小石川は思わず転びそうになった。
「あの、背の高さ体格の良さに似合わん意味わからんとっぽさ! 緩さ!
関西のツッコミもボケも理解せえへんようなあの暢気マイペース的兄ちゃんを泣かせたい…!
…あれが途方に暮れたりしたら絶対捨てられた大型犬やで?
…見たいなぁ……」
「……白石」
公共の場にも構わず本性の出ている部長の肩を叩いて、慎重に言ってやる。
「お前、そのためだけに落とすなや? 落とすんやったら一生世話するくらいに惚れてっから落とせ? ええな?」
「わかっとるって。
てか、案外健二郎も酷いな…」
世話とか言うなや、人間に。と突っ込む白石は既にSモードのスイッチがオフだった。
「………………しらいし……っ!」
驚愕の白石と千歳のファーストインプレッションを初めて知って笑っていいのか疲れたらいいのかわからず地面とにらめっこをする謙也を、小石川が宥める。
「そういうヤツやからなぁ…あれは。
先輩らは正しいわ…」
かつて、結構な頻度で『白石蔵ノ介は隠れSではないか』と論議していた先輩を思いだした小石川は知らない。
まさに一昨日、その先輩の一人を白石が巻き込んだことを。
一組、かくっかくっと何度も上下する頭は半分彼が寝ているからだ。
しかし、寝ている人間は幸せそうだ、という大半のデータを裏切るように、その顔は目が半開きで今にも死にそうな恐ろしい顔だった。
証拠に、周囲の女子が退いている。男子も数人。
「…千歳……?」
おそるおそる声をかけた一氏の声にも目を覚まさない。かくっかくっと頭が上下する様はおかしすぎるというより、怖すぎる。
「千歳!」
「…っ…ふぁ?」
「やないわ。大丈夫かお前?」
「……あ、あー…ユウジ」
やっと夢の世界から帰ってきた千歳の眼にはくっきりと濃いクマ。
「お前、相当寝不足やな…。
白石の留学の話やろ?」
「………うん」
こっくり、と素直に頷く肩はしょんぼりとしていて、どうしようもなく助けてやりたくなるが白石の進路ばっかりはどうしようも出来ない。
「夢ば見ても…白石が遠くば行く夢ばっかばい…怖くって何度も夜中起きっとよ…」
「…大変やな。…せやけどなぁ…」
千歳ですら撤回させられないくらい、白石の意志が強いのならば自分たちがなにを言ったって無駄で。
そこでクラスメイトの女子が一人、おそるおそる進み出た。
「あの、一氏くん」
「ん?」
「それ、白石くんの話?」
「うん」
「ウチ、さっき屋上におったんやけど…、そこで白石くんたちが話しとってな?」
「…ああ、進路をか?」
「なんね!? 撤回したと!?」
がばっと起きあがって顔色を変えた千歳にびくっと退きながら女子は撤回っていうか、と濁す。
「小石川くんが白石くんに『ドイツ留学は嘘か!?』って言っとってな?
白石くん、それに『嘘やでー』って………答え、とったで…?」
「………え? なに、嘘? ………ドイツが?」
疑うように訊いてしまった一氏にも、女子はこくりと頷いた。
瞬間、椅子を蹴倒して千歳が立ち上がる。
「ちぃと、あのアホ捕まえてくっばい…」
「…お、おう……気ぃつけや……」
残った一組のクラスメイトが、結局なんの話なんだと一氏を引っ張った。
「白石!」
五時間目は自習だったので、中庭で休もうと背伸びをしたところで呼ばれた。
声からして既に怒り心頭という声だ。振り返って白石はわあ、と思う。
(めっちゃ本気で俺にキレとる……)
「白石……、一個、念のため訊くばい」
「う、うん」
そう言いながら千歳は白石の腕を強引に掴むと、壁に押しつけて腕の中に閉じこめる。
「ドイツ留学は、ほんなこつ? 嘘? どっちばい?」
「…………嘘」
「もう一個、やむを得ない事情で嘘ば吐いたと?」
どこまでも真剣に自分を思う言葉に、白石は自分の肩を抱いて目を伏せる。
「…やむを得なかったといえば、得なかった」
「…、なんね?」
そこで詰めた息を多少吐いた千歳を見上げて、白石は両手を女の子のように組んで微笑んだ。
「他になかったんや。千歳を苛め倒すネタと機会が」
言った瞬間、あからさまに千歳のまとう空気が変わった。
流石にびくっとした白石を、千歳は見下ろして小さく笑った。
「嘘…か」
「なん、やねん。それ」
「ばってん、俺もそれで決めてしもたばい」
「…?」
「九州、高校から帰るっばい」
「……嘘やな!(どきっぱり)」
腕を組んで自信満々に秒速で断言されて、千歳は二の句を失った。
「千歳が俺から離れられる筈あらへん。俺なしで生きてかれん。
嘘は、もうちょい信じられる嘘にしよな?」
「……な、なんでんすぐわかっと!?」
「わかるわアホ! 惚れた年歴舐めんなや?
俺は一年前に獅子楽の当時の三年の人らに紹介された時っからお前に惚れてんねん。
どないしたら好かれるかって散々見てたんや。お前が四天宝寺来るて知って喜んだ人でなしやで俺。
…お前の嘘とホンマくらい判別つかな甲斐がない」
ふ、と柔らかく微笑んだ白石に、全身の力が抜けて千歳はしがみついた。
「……もう、本っっっっ気でこげなこつせんでくれ……。
本気で泣くばい…。別れないけんかと…お前ともうこげなこつ出来んって…………………………………死ぬかと思った」
その零す言葉が、明らかに震えていて、抱きしめる腕が、震えていて。
初めて白石はちょっと反省する。
「…、ごめん。堪忍な。もうせえへん。絶対せえへん。
…ごめんな千歳」
背中を撫でて優しく言うと、鼻をすする音と一緒に「約束」と掠れた声が響いた。
「ん。約束。
……ごめん、千歳。大好きやで」
「…俺も、ほんに好いとう…」
しょっぱいキスを交わした後、白石が不意に「今日、家行ってええ?」と訊いた。
「ん。よかよ?」
「ほなら、今回のお詫びになんでもしたる。
なんでもええで? なにがええ?」
「……な、なんでも……」
「もちろん、セックスの体位とかでもええけど……どうする?」
ごくり、と喉を鳴らした千歳を、「現金やなー」とついからかった。
「うるさかよ! あれはしょんなか!
てか、白石はなんでんあげん自信満々なんばい!?」
「俺、普通に自信家やもん。
お前に愛されてる自信は常日頃から溢れとるで?
お前が俺に別れ話する筈ないしな。フルなら俺の方や」
「やめんねそういう縁起もない例え!」
「ごめんごめん」
けらけらと笑う白石を見て、ああ嘘でよかったとか、別れずに済んでよかったとかいろいろある。
でも、なによりやっぱり、綺麗だと思ってしまった。
「――――――――――――――――え? 何やソレ」
我ながら素っ頓狂な声を上げて、受話機相手に噛み付く。
夜の九時。
廊下の向こうで、TVの音がする。
「光! 五月蠅いで!」
「悪い兄貴。……で、なに?」
なんでそうなってん?
部屋に置いたままの、着替えやらの入った鞄。
詰め込んだお菓子の幾つかと、電話相手が見たいと言っていた漫画。
なんだけど。
「……いきなりなんで進路撤回してんの謙也くん」
『…いやそれがな? ……さっき言った通りの事情やったんやけど実際は。
まあ、大学からでええ?ってことにして。
あと、白石が』
「……………白石先輩が?」
なんか、嫌な予感もする。
『「ドイツ留学」話は千歳を苛めるためだけの嘘やったらしくて、あいつも附属行くんて。高校。やから、俺も附属行くわ…』
「………はぁ!?」
『うん、光、それ、普通の反応…』
「…ってちょお待ってや謙也くん。白石先輩の『ドイツ留学』を真に受けたんは千歳先輩だけ? 謙也くんらは嘘って知っとったん?」
『しらんしらん。俺らも謀られた。しかも千歳苛めるためだけに』
「あっっっっっっの…ドS部長…!」
「光! 五月蠅い!」
「ごめん兄貴。…………なに、俺と謙也くん悩み損?」
『…ちゅーか、お前と千歳が、な?
あと、俺は嘘やないからな?』
「わかってますて。あんたSやのうてMやもん」
『そこは否定させろ。…あ、そういうことやねん。遅くにごめんな。
明日より早いほうがええって思って』
「謙也くん」
『…?』
「明日は半ドンすね」
『? うん……………………、ああ! 明日、どっか行くか!?』
「彼氏がカノジョにデートの誘いを促されてどーすんですか。
じゃ、明日」
『…うん。おやすみ』
プツリと、切れたことを伝える電子音。
「光…? なに項垂れてん」
「……いや別になんでもあらへん……」
嫌がらせだ。絶対嫌がらせだ。あの変態元部長
(俺らの話をこれ幸いに足がかりにしたやろあの人は…!)
ああこれだからドSは。
「…………………愚痴に千歳先輩を付き合わせ……いやアカン。あの人それまた新しい苛めネタにするわ……」
また居間から、兄が不思議そうに呼んだ。
END
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