「うわ、謙也。よくそんなん食べられっとね」
冬本番のある日、コンビニに寄った連れが選んだものを見遣って、千歳は心底厭そうに言った。
「あー、真冬にアイスはよして欲しいわな。見とるこっちが寒い」
小石川が同意すると、謙也は「お前らに食えとか言ってないやろ」と反論した。確かにそうだが。とか言いつつ、もし奢るから食えと言われたら多分誰も拒否らない。いくら寒かろうが、そこは食欲旺盛な中学生だ。
「いや、アイスはよかけん…それ、気持ち悪くなか?」
千歳は前述を否定してアイスを指さす。「小豆バー」。小豆が沢山埋まった体のアイスだ。
「えー? 最初だけやって。俺も最初『げ』って思ったけど光に勧められてな」
「……」
「なに? 千歳。小豆嫌いなん?」
小石川の言葉に、千歳は首を横に振った。
「嫌いじゃなかよ。ただ、小豆バーだけいけん」
「なんで」
「こっち来たばっかの頃やったかな…。俺がそれ買うか悩んどったら、見とった白石が」
「千歳、それ買うん?」
「え?」
それは春といっても日の高い、暑い日だった。
アイスでも、と思ったが持っている予算的に買えるのはガ○ガリくんか小豆バー。
ガリ○リくんも嫌いじゃないが、小豆バーを食べたことがなかったので食べてみたい。
そう言うと、白石は事も無げに「なら買えばええやん」。
「…なんか、見た目が気持ち悪か」
「あー……」
「味は多分好みやけん、見た目が」
アイスの棚に視線を落としていた千歳の肩を白石が叩く。見遣ると、そこには綺麗な美貌の微笑み。
「小豆やって思うから悪いねん」
「…?」
「全ておたまじゃくしとでも思えばええ」
「………」
その場に持っていた小豆バーを落とした千歳を、白石は不思議そうに見上げた。
(ちなみに小豆バーはしかたなく買ったが千歳は断固として食べなかった)
「……それ以降、おたまじゃくしに見えてしかたなかけん、食べられん」
「うぇ…っ。あいつなんて乱暴な例えを」
「つか、フォローやないやろそれ絶対」
その日の千歳のように小豆バーを床に落としそうになりながら、謙也が「あいつやっぱホンマドSやな」とぼやく。
それから、ふとなにかに気付いたように手で「ちょっと待て」とした。
「…なあ、健二郎。千歳。俺、千歳と白石の付き合い始め…一ヶ月くらいはなんか白石が千歳に完全デレっちゅーか、立場が逆に記憶しとるんやけど、気のせい?」
その言葉に、小石川も顎に手を当てる。
「…ああ、確かに。付き合い始めはそうやった。白石の方が千歳に従って…つか、おとなしかったし。イニシアチブを明らかに千歳がとっとった」
「俺らの勘違い…やない、よなぁ…? 千歳?」
二人が振り向くと、そこには今にも灰になりそうな千歳の顔。
「……ああ、うん。確かに、…付き合い始めは…………」
「千歳? おい、しっかりせえ」
「あの頃は、白石も可愛くて……おとなしくてしおらしくて…………あん頃に戻りたか……」
「…え、なんでああなったん?」
「……タイムマシンかタイム○ーナーが欲しか……」
「千歳! しっかりせえ!」
それは、春真っ盛り。五月の始めに遡る。
当時の千歳にとって、部長、白石蔵ノ介の印象は『部長』以外になかった。
それは、よく出来た人格者だとは思う。真面目だし、お手本みたいに正しいし、立派な部長だ。
だから、余計できすぎていて、苦手だった。
同じ部活ならそれなりに一緒に出かけるし、付き合いもある。
でも、苦手だった。綺麗すぎて、苦手だった。
そんなある日だ。
風呂上がりに、テレビを見ようとした千歳は、ふと、寝台に妙なものがあることに気が付いた。
いかにも怪しい、金のランプ。
「…なんねこれ」
胡散臭いという顔をあからさまにして、千歳はそれを持ち上げた。気味が悪いから触りたくないが、退かさないと自分が眠れない位置にあるんだから仕方ない。
しかし、千歳が触れた瞬間、ランプは突然光った。
『願い事を一つ叶えてやろう』
と、言う声を聞いた時、千歳はその場に固まってから、まず頬をつねってみた。叩いてみる。だが、やはりランプは光っている。
(※この話は『進路シリーズ』です)
(え? なんねこれ? なんね、こん展開ば…)
『願い事を一つ叶えてやろう』
千歳はかなりリアリストでもあった。ジ○リが大好きだが、現実主義なとこも相応強かった。これが現実であるはずがない。
(願い事言わんと、夢、醒めんのかな…)
短絡的にそう思い、浮かんだのは、当時の千歳にすれば叶っても叶わなくてもどうでもいい願い。というか、叶わなくていい話。面倒くさいから、思いついただけ。
「じゃ、部長の白石蔵ノ介が、俺のこつ、好きになるように」
ランプは『わかった』と返事をして、その場に落ちた。
「……はいはい。別に期待しとらんばい…てか叶ったら困るったい」
投げやりにそう言いながらランプを拾い、邪魔にならないところに投げ捨てる。
本当にどうでもよかった。なんだか、夢も長い。
その夢は疲れて寝台に入るまで続いて、眠る際に「まさか夢じゃなかと…?」と考えたのがその日の最後の記憶だった。
実際、なんにも変わらない。やはり夢だ。
GWの真ん中。部活に行く途中の道は、住宅街で閑散としている。
そこで、ばったり白石と出くわした。
「あ、千歳。おはよう」
「おはよう」
白石はいつも通り、優しそうに微笑んで千歳の隣に並んだ。
だが、やっぱり苦手なものは苦手。
加えて、先日心にかなりのダメージを負わされた。故意でないとはいえ(小豆バー事件)。
(実は、ドSやったりして…)
そんなことを考えていた時だ。背後の角を曲がってきた車が速度を落とさずに傍を追い越そうとする。千歳は手を伸ばして、反応の遅れた白石を腕の中に抱き込み避けさせる。
逆にクラクションすら鳴らしていった車に溜息を吐き、腕の中を窺うと怪我はなさそうだ。
「白石、大丈夫と?」
「うん、ありがとう」
「なら、よかった」
いくら苦手でも、仲間としての愛情はある。事故にあったら純粋に心配だ。
そんなことを思っていると、腕の中で白石が不意に、か細く言った。らしくなく。
「…あの、千歳?」
「うん?」
「…離して、くれへん?」
「あ、ああ。すまん」
抱きしめたままだったと気づき、腕を解くと自分から弾かれたように離れた白石が、もう一度ありがとうと言った。だが、その顔は少女のように真っ赤だ。
「白石?」
「え、あ、なに?」
せわしなく千歳を見たあと、すぐ視線を足下に落とした白石は明らかに視線を逸らしている。頬も、耳も赤い。
(…え、なんね、こん反応)
正直、面食らった。不意に、あの変なランプを思い出す。
まさか、あれは本当に夢じゃなかったのか?
「…ちとせ?」
不安そうにやっと視線をあげた白石は、いつもと違い、頼りなく己の肩を抱いて、まるで小動物のように自分を上目遣いに見て、掠れた声で呼んだ。
かわいい、かも。
千歳は思いきりのよい人間で、ついでに色恋の勘は発達している。
白石があからさまに自分に好意があることは、すぐわかった。
「ち、…とせ?」
自分を伺う白石の肩を唐突に抱き込み、民家の壁に背中を押しつける。
「ちとせ…?」
「白石、もしかして、俺を…好きとや?」
「…っ…あ、」
極度に赤くなって顔を逸らす白石は、もう間違いない。その頬を撫でて顔を自分の方に向け、額があう程に顔を寄せる。
「…、…ぁ」
「好き?」
「………っ、迷惑、やから、忘れ…っ」
千歳の大きな手が身をよじった白石の首筋を撫でると、素直に反応する身体に笑みが零れる。あ、やっぱり、かわいい。
「忘れんよ」
「えっ…?」
あまりに頼りない掠れた声を、畳みかけるように続ける。
「俺も実は、白石んこつ好きやったと。…ばってん、部長やし、大変やけん、いきなりこぎゃん大男に告白されたら迷惑ばいって…黙っとった」
「め、いわくなんかやないっ…」
「なら、…俺が好き?」
「……」
これ以上ない程真っ赤になった白石は、こくりと確かに頷いてみせる。
「…好き」
そう、あまりにか細い声で、頼りない顔で、少女のように言うものだから、本気で可愛いと思った。
「俺も、好いとうよ…」
そう告げて唇を寄せると、拒まずに目を閉じた。重ねた唇は、確かに甘かった。
その後の付き合いは、予想以上に順調だった。
白石は千歳の言うことをやたら素直に聞いたし、なにか裏があるのかと思ってみても、白石のあまりの一杯一杯さに、これはないなと確信する。実際、ない。
付き合ってみれば、キスもセックスも自分が初めて。経験のなさ故の戸惑いも恥じらいも、その綺麗な顔や身体と相まって、非常にヨかった。
「あ、」
あるデートの日、かなり遅れてしまった千歳が待ち合わせ場所に顔を出すと、てっきりもういないと思った白石はまだそこにいた。
それどころか、顔を出した千歳を見て、怒りの欠片もない顔で微笑んで駆け寄ってくる。
「ごめんな」
「ううん」
何時間も遅れたのに、白石はただ千歳が来たことを喜んでいる。
「怒って、なか?」
「え? なんで? 千歳が誘ってくれただけで嬉しい。
待っとる間、千歳のこと考えてた。…それだけで幸せ」
拙ささえ感じる口調で、あまりに嬉しそうに言うから、きつく抱きしめてしまった。
「ごめん。もう、遅れん。ごめんな…」
正直、今まで、おもしろ半分だった。あの白石が自分に従順なのを楽しんでいた。
でも、待たされてなお、そんなに嬉しそうに笑う。いじらしいことを言う。
申し訳なくなって、…愛しくなった。
「白石……好いとうよ…」
その日、多分、初めて本気で『好きだ』と言った。
だが、白石に本気で惹かれて、惚れてから、徐々に胸を焦がす不安があった。
あれは、ランプの所為じゃないのか。
ランプの魔法で、ああなだけじゃないのか。
いつか、夢は醒めて、白石はいつものように自分を見るんじゃないのか。
怖くなった。白石を失うことを、恐れてしまった。
「千歳…千歳?」
「あ、ごめん…」
映画を見に来た帰り、ぼーっとしていた自分を呼ぶ声は心配そうで。
心から案じている。けれど、それは本物かと、疑って、余計辛い自分。
「白石」
「なに?」
俺は、なにが怖い?
そう思って、きつく白石を抱きしめた。
真っ赤になって自分を呼ぶ白石は、すぐおとなしく自分にすがりつく。
人目がある。普通、彼ならなにするって怒るだろう。
ああ、やっぱりこれは、違うんだ。
気付いた途端、痛む胸。
わかった。俺は、失いたくないんだ。白石を。
夢が覚めたって失いたくない。また、違う形でもいい。自分を見て微笑む彼に、傍にいて欲しい。
「……もう、…やめよう」
だから、そう言った。
逃げるように自宅に帰って、疲れたといわんばかりに寝台に倒れ込む。
泣きそうな顔をしていた。
でも、好きだから、手放した。また、最初からもう一度、今度こそ自分の力で好きだって言うから。
起きあがって、あのランプを処分しようと探す。
「……あれ?」
そう広くないアパートの部屋だ。全部探すのに時間はかからないし、物置も庭もないのだから、隠す場所なんか部屋にしかない。
だが、ない。ランプが。
「…捨ててなかし」
でもない。
「……」
ひたすら部屋を引っかき回した後、千歳はある仮説に行き着いた。
もしかして、
ランプは最初から、本当に夢だったのではないか。
タイミングがたまたま合っただけで、あの白石の告白は、白石の本心なのでは。
「…―――――――――――――!」
だとしたらなんということをしてしまったのだ。
真っ青になる千歳の耳に、インターフォンの音が届いた。
扉を開けると、その人物がやはり泣きそうな顔でいる。
「…白石」
「…迷惑や、思うけど…、理由だけでも…聞きたい」
白石の顔色も、青いを通り越して、白い。
ああ、傷付けたんだ。途方もない誤解で。
肩を抱くと、びくりと避けるように反応した。
悲しくなって、抱き寄せると、扉を閉めた。
「…ごめん。俺も、別れたくなか」
「…ほんまに?」
「うん」
胸が潰れそうな声で、白石は言った。涙に震えた声だ。
「俺のこと、面倒くさいって思っとらん?」
「思ってなか」
「…重いって」
「ない。俺は…白石を、好いとう」
「…っ…ちとせ…」
ぽろぽろと涙をこぼし、自分にすがりつく身体をきつく抱いて、背中を何度も撫でた。
震えている。
何度も何度も好きだと告げて、何度もキスを落とす。
徐々にその場に座り込んでしまった身体は、先ほどよりは顔色に赤みがあった。
「…白石」
こんなにも、悲しませた。
夢の話を、ちゃんとしよう。
こんなに悲しませて、なのに「お前に話せない」なんて言えない。
「…馬鹿でごめんな。俺、実は…」
「……ん? あれ? なんか、ええ話やで?」
コンビニを出て、千歳からなれそめ話を聞いていた謙也は、端の公園のブランコに乗りつつ、そう言う。小石川も、うんうんと頷いた。
「しっかし、驚きや…あいつ、マジでそんな素直やったんや…」
「マジデレやん…」
「……、俺は、あの日、話すべきやなかったばい」
「…ん?」
死人の面で千歳は語る。
あの日、ひどくても、事情は黙っておくべきだった。
「俺の事情を聞き終えた白石が、言うたとよ。
『つまり、俺の意志やないと思っとったのか?』って。まあ、頷いた。
…そしたらな?」
「…ごめん、白石。俺」
白石が俯いているのが、怖い。やはり、傷ついたんだ。
そうに決まっている。今まで自分が与えた時間をそんな風に思われていたら、誰だって。
「つまり、千歳はやっぱり、『いつも通り』の俺が一番エエんやな?」
「……はい?」
その声は掠れているなどというものとは遠い。しっかりした、いつもの自信たっぷりな、声。
いや、なにか若干、違う要素が入っている。例えるなら、あの『小豆バー』の話をした時のような。
「お前が喜ぶやろうと、好きやろうと思って、折角しおらしくしとったんに、そうかそうか」
「え? 白石?」
「ようわかったわ、ち・と・せ?」
顔を上げるどころか立ち上がった白石は、千歳を完全に見下ろす形。
その顔は、なんというか、潤んでいる。というか、恍惚?
「ほな、いつも通り、俺らし―――――――――――――く、愛させてもらうから♪
やっぱり、馴れないキャラは肩凝ったわ。よかった。お前がこっちが好きで 」
「………」
最早、あっちの方が好きです、なんて、言える顔ではなかった。
「て、わけでそっから現在のあいつに至るっばい……(泣)」
「…………千歳、お前、アホ!」
「アホ!」
「知っとうよ…っ」
あまりの残念さに、小石川と謙也は揃って「アホ」を連呼する。
千歳が馬鹿やらなければ、自分たちもあんなS白石を見ずに済んでいたのに。
「………もう、なんや……ええやん? 千歳がいたぶられんのは、自業自得で」
「そうやな。もう、同情はしないわ」
「いや、してくれ。俺が悪かったばい。やけん、俺は、俺は………」
冷えた公園に、千歳の情けない声が響く。
今回ばっかりは、謙也たちもフォロー出来なかった。
END
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