千歳の本音・白石の本音−進路シリーズREPLAY@


「千歳、お前、肥えた?」

 ある日の午後八時。
 千歳の家の寝室にて押し倒された白石は、場面に似つかわしくない言葉を吐いた。
 千歳がその言葉に、びくん、と震える。顔が引きつった。
「そげな、こつなかよ?」
「いーや、肥えた」
「身長伸びただけばい!」
「脂肪やろ」
「筋肉ばい!」
 数回、「脂肪」「筋肉」と言い合いをしたあと、白石が千歳の胸板をぐいと押して下から抜け出した。
 千歳は当然慌てて、その手を掴む。
「白石っ」
「ん?」
 立ち上がって、座ったままの千歳を見下ろす白石の目は笑っていない。
「…い、行かんでください」
「……どないしよっかな」
「白石!」
 自分の顎に手を当てて考え込んでから、白石はにっこりと笑う。
「痩せたら、シてええよ?」
「…何キロ?」
 と聞いてしまうあたり、千歳は白石に惚れきっている。
 白石は優雅に腕を組んで、千歳を見下ろした。
「俺の好み目分量?」
「……」
 意味の分からないというか、わかるがどのくらいかがわからない返答に声を失った千歳を見下ろして、白石は溜息をこっそり吐いた。




 およそ、三日前に遡るそれ。


 千歳と白石の元に、正確には元テニス部メンバーの前に現れたのは、一見男の子っぽい女の子。

「千歳先輩が好きです」

 と言う彼女は、どうやら白石と千歳の中を見抜いているらしい。
 その上で引き下がる気がないのは、なんというかあっぱれだ、と謙也たちが言った。
 二年生の彼女は、なにかと千歳の元に来て、千歳を構う。千歳がふらふら散歩すればついていく。なかなかフットワークが軽い。






「白石先輩って…ほんま千歳先輩好きなんですか?」
 駅のホームがたまたま一緒になって、電車を待つ時間に、ふと聞かれた。
「好きやよ?」
 今更隠す相手でもない。素直に答えた白石に、少女はむくれた。
「なら、もう」
「ちょい優しゅうせえて?」
「はい」
 白石はにっこりと笑った。千歳が好きなはずなのに、少女がうっかり赤くなる。
 どうやろう、と白石は呟く。聞こえるように。
 少女の傍に近寄って、その髪に優しく触れた。
「こない、触れたら壊れそな子やったら優しゅうするんやけど」
「あの…白石先輩っ?」
「…千歳はそやないし。…でも好きやよ?」
 少女の目を覗き込んで告白する。千歳に。だが、うっかり自分に告白したと錯覚しそうなそれ。少女はもう真っ赤だ。
 離れると「白石先輩て、いつもこないなことしはるんですか?」と言われる。
「せんよ。面倒ーやし。ただ、千歳好きな子は別?」
「…?」
「千歳好きって言うんは邪魔やし、せやったら、俺に惚れさせる。
 …落とす自信、あんで? 君」
 白石が止めに綺麗に微笑んでやると少女は真っ赤なまま絶句した。
 電車がホームに滑り込む直前に、「いつか女の子に刺されます」と言われたが、その声は若干既に白石に傾いていて、迫力がない。白石は笑って、おおきにと返した。





 でも、面倒。
「白石…?」
 急に黙った白石に、千歳が不安げに見上げてくる。
 呼んだ途端、白石は自分をはっきり見遣って、傍にしゃがみ込んだ。
 その白い手が、千歳の頬を撫でる。
「し…」
「千歳…」
 やけに熱っぽく自分を呼んだ白石が、自分の、千歳が脱がせかけたシャツの残りのボタンを外した。慌てて真っ赤になる千歳に構わずシャツを脱ぎ捨てると、白石は千歳のシャツに手をかけた。どもった声で自分を呼ぶ千歳に答えず、露わになった浅黒い肌に舌を這わせる。
「白石…っ!?」
「黙って」
「……」
 いつになく艶っぽい声と視線に黙らされて、千歳は息を呑んだ。
 白石の手が千歳の下肢に伸びて、無理矢理ズボンを下着ごと抜き取ると、筋肉のついた足のつま先をおもむろに舐めた。
「し…っ」
「黙って、言うた」
 千歳の唾をのみこむ音が頭上で聞こえる。あくまで優しく、挑発的に言うと、白石は千歳の下肢に顔を埋めて、舌をつま先から、順に上へと這わせた。
 ねっとりと唾液の絡んだ舌で足を愛撫すると、堪えきれないのか何度も名前を呼ばれる。
 白石は顔を起こすと、自分の着ていたズボンを足から抜き取った。
 全裸で千歳の身体にしなだれかかる。
「…欲しい?」
「…っ…」
 わざと問いかける声は、我ながら甘く溶けている。
 すぐ肩を掴まれて万年床に押し倒される。
「…千歳」
 余裕の顔で呼んで、首に甘えて手を伸ばす。
「いつも、こないにして欲しい?」
「……出来たら」
「千歳の、口でして欲しい?」
「…うん」
 白石の身体にお返しのように舌や手を這わせて、答える千歳の声はひどく熱くて必死だ。
 それに白石の唇が緩く微笑む。
「せやったら…余所見、一回もしたあかんで。
 俺以外の名前、呼ぶな」
 艶をたっぷり含んで強請ると、すぐ唇をキスで塞がれた。





 正直、実験だったりする。
 千歳は端から浮気なんかしない。あれは俺じゃないとダメだし。
 心配もしていない。
 牽制も、千歳への念押しも、実験。

「どこまで思い通りになるかなーて?」
「お前、相変わらずアレな…」
 あれから五日。昼食は中庭のベンチで取る。
 今日は珍しく謙也とだ。財前が休みらしい。
「千歳にフられるとかないんや?」
「ないない」
 そう答える白石ははっきりとした口調で、笑みを余裕たっぷりに浮かべている。
 自信満々という風情。
 ああ、本気でこいつ最強だ、と謙也は思った。
 全然、危ぶんでいない。
 ふと中庭の噴水の向こうを見遣ると、千歳とその彼女。
 白石の顔を横目で見たら、白石はにこにこと面白そうだ。

「名前、言いましたよね」
「うん、聞いた」
「なんで呼んでくれへんの?」
「やって彼女じゃなかもん」
「…」

 聞こえる彼女との会話は、ずっとこの調子だ。千歳、本当にひどい。
 指示したのは白石だが。
「…かわええなあ、千歳。あれ、本人必死やで?」
 ベンチで足を組んでそうほれぼれと呟く白石の頬は赤い。本気で見ほれている。
「…白石さん、そろそろやめたげて」
「千歳は女に甘いからな」
 あれ、本心は優しくしたいんやで、と白石は笑いながら言って立ち上がる。
 自分用に買ったジュースを片手に。

「そない、白石先輩が好きですか?」
「うん」
「なんで?」
「…言葉、返すけん、なしてあんた、そげに俺が好きと?」
「え」
「俺、たいがふらふらしとうし、勝手やし、ひどかよ」
 少女は困ったように眉根を寄せたあと、首を振った。
「そんなの私にしかわからんし」
「そのまま返してよか?」
「…」
「白石をどげん好きかっていうこつ、俺にしかわからんと。
 白石もわかってなかよ」
 千歳は自分のポケットから一つ、飴を取り出すと、少女の手を取ってそこに乗せた。
「ごめんな」
 一言、笑顔で謝ると、茫然とした少女に背中を向けてそこに近寄っていた白石の傍に立つ。
「白石」
「え?」
 白石からすれば、千歳の真剣さに思わず乱入しそこねていた。何故いきなりこっちを向くのかと当惑する。故にすぐ反応出来ない白石の膝裏と肩に手を回して、千歳はその身体を抱き上げた。姫抱きで。
「え……」
「白石、飯、一緒に食べったい」
「…わ、かったからおろせ!」
「ついたらな」
 どこに、と思うが千歳は答えない。
 白石はつい真っ赤になる己に気付いて、もてあましてしまった。滅多に、千歳に主導権を握らせないものだから。置き去りになっている少女を思い出して、白石は持っていたジュースを放り投げた。少女がびっくりして受け取る。
「ごめんな」
 千歳と同じ言葉で謝ると、彼女はぽかんとした後、微かに赤くなった。






 千歳が訪れたのは、彼の指定席である裏山だった。
 そんなに登らないうちの、緩い丘で千歳は足を止めると白石を降ろした。
 秋の裏山は、少し寒いが、夏の暑さがまだ残っている。丁度いい。
 少し赤い白石の頬を撫でて、にっこりと微笑む。
 なにか、悔しい。調子に乗せてしまったのだろうか。
「白石」
「なんや」
「シてよか?」
 あまりに爽やかな笑みで言うから、理解が遅れた。白石は真っ赤になって首を左右に振る。
「あかんに決まっとるやろ!」
「少し」
「少しやな…っ」
 拒む暇なく、千歳は白石の片足を取ると、靴をいきなり脱がせた。
 靴下まで抜き取られて、唐突に舌で舐められる。
 仕返しか、前の仕返しかと慌てる白石の身体を抱きしめると、何度も手で柔らかく白石の足を揉み込む。
「…やめ……ちょ」
「足でも感じられっと?」
「…そやな…いっ」
 確かに、感じはするが。それ以上に恥ずかしい。先日の自分を思い出す。
 ズボンの裾から少しだけ入った千歳の指が、足首を軽く愛撫する。
 ぴくり、と反応した白石を下から見上げて千歳は笑った。優しく。
「不安がらんでよかよ?」
「……は?」
「俺、白石と会ってから、白石以外にこげな手で触ったこつなかもん」
「……」
 白石は真っ赤な顔で考えたのち、千歳の頭を本気で殴った。
 呻いた癖に、千歳はへらりと笑う。
「お前、俺を誰や思って」
「白石様?」
「そうや。自惚れるんも」
「自惚れてなかよ。ただ、ほんなこつを言っとうだけ」
「三年に進級してからやろ」
「…思い返したら、二年の夏から彼女作ってなか」
「……」
「白石と初めて会った日から」
 二年の夏の大会。自覚はかなり遅かったけど。それこそ三年の五月まで、気付かなかったけど。でもきっと、いつか気付いた気持ち。好きだ。
 そう言って千歳はにこにこと笑う。白石をまた抱きしめた。
「こげに俺を悦ばす反応する身体、白石しかおらんしね。
 白石が俺に仕込んだんじゃなか? 他の身体じゃ、満足せんように」
 千歳の笑う声がする。どこかうっとりとした、熱を帯びた声。
 否定はしなかった。あながち嘘でもないし。
 白石は手を伸ばして、千歳の首に縋り付く。
 顔を見られたくない。
 瞳に滲む涙を、見られたらいけない。


 本気で、不安になんかなっていなかった。
 心配なんかしていなかった。

 だから、ああ、これは純粋に嬉しいのだ。


 そんなまえから、愛されていたと知ったから。






(自分が、同じ時に好きになっていたから、…嬉しかっただけ)






 口になんか、してやらないけど。






 END