『 俺だって、ショックじゃなかったら、あんな。 』






濁って殺めて

−進路シリーズSPINOFF-0
















 白石とのデートの約束。
 千歳はかなり楽しみにしていた。
 普段、たまにああだろうが、大抵は普通に優しい恋人だし。
 それに、今までいろいろ重なっていけなかったが、見たいと思っていたアニメ映画。
 白石以外には見たいなんてとても言えなくて。
 白石は馬鹿にせず、「行くか?」と言ってくれた。
 折しも、今日が放映最終日。
 千歳はとても楽しみにしていた。


「……白石?」


 待ち合わせの十分前。待ち合わせ場所に、彼の姿がない。
 珍しく彼の方が遅刻だろうか。
 携帯に電話をいれるが、そもそもコールがならず、ガイダンスが流れる。
『現在、電波の届かない場所に―――――――――――――』
 来ている最中だろうか。
 千歳は時刻を見て、軽く焦った。
 今日が放映最終日だ。
 昼の時刻のそれを見ようと思っていたから、あんまりもう、本数がない。
 だが、一時間、二時間…。三時間すぎても、白石は来なかった。
 連絡もない。


 なにかあったのかと、流石に映画のことなど頭から吹っ飛ぶ。


 白石の家に向かって走り出す。
 観る予定だった劇場を抜けて、商店街を通り、彼の家までの電車の走る駅に入って。
 そこで、千歳は足を止める。
 駅構内。白石と、見知らぬ男の取り合わせ。
 ナンパではない。明らかに、親しそうな笑み。
 白石は何度も男に話しかけて、笑っていた。







 あのあと、すぐ踵を返してその場を去った。
 劇場に戻って、一人でその映画を見た。
 つまらなかった。

 腹が立って、悲しくなった。

 これも、いつものイジメの一貫なんじゃないのか。

 そう考えたら、彼の笑顔の誘いすら、その一つに思えて。

 泣きたくなった。







「え? それ、大丈夫やったん?」
「うん、俺もかなり心配やったんやけど」
 翌日の学校。昼食を中庭のベンチでとる謙也の隣には白石。
 冬で、寒いが教室でする話ではないからだ。
「あと、千歳と連絡つかんくてな…」
「あー……」
 白石は、はぁ、と物憂げな溜息を吐いた。
 不可抗力だ。
 先日、白石と千歳は約束をしていた。
 映画の約束。
 だが、劇場に向かう途中、白石は明らかに体調の悪そうな男と出くわした。
 よく見ると、去年の三年生の先輩の一人。
 貧血だから、と心配させまいとする先輩に付き添って、病院に連れて行くと、かなりの高熱。
 先輩の家族が来るまでしばらく病院にいた白石は、当然千歳と連絡は取れなかった。
 駅までは、先輩と待ち合わせをしていた他の先輩が送ってくれたらしい。

 あれ以降、千歳が連絡を寄越さない。
 メールも、返事がない。

「……謙也」
「ん?」
「……俺、な」
「うん…」
 妙に神妙な様子の白石に、謙也も言葉を選ぶ。
「…俺、……」
 一瞬、ひどく辛そうな顔をした白石が、すぐハッとして、前を見た。
 そこに立っている、感情の読めない冷たい顔の、千歳。
「千歳…」
「白石、昨日…どげんしたとや」
 傍に、下駄を鳴らして近寄ってくる千歳が、見下ろしてくる視線は冷たい。
 その視線が、白石一人を見下ろしていることも、謙也にもわかる。
「…せ」
「ま、聞かんでもわかったい」
「…え?」
 先輩が、と説明しようとした白石を遮った千歳の声。相変わらず冷たいが、どこか嗤ったような声。白石の唇から、思わずいぶかしむ声が漏れる。
「また、『いじめ』のネタでも降ったとやろ?」
「……は?」
「また、俺んこつ、いじめたくなって、映画のこと知ってて誘ったんやなかと?」
「………、あ、のな……」
 いくらなんでも、話題くらい選ぶ、と空笑いが浮かぶ白石の言葉を、千歳は馬鹿にした。
「ふうん? 話題選ぶ?」
 嫌味たらしい、棘のある言葉。
「千歳…?」
「じゃ、受験のあれは、選んだ結果とや?」
 白石は言葉を失った。受験で、ドイツに行くと吐いた嘘。
 なにも言えなくなってしまう。確かに、あれは本当に嘘だった。
 千歳を泣かせるためだったし、本当に嘘だった。
 だから、どう言ったら、いいかもわからなかった。
「怖かね。白石」
「…」
「千歳、あんな…」
 否定する権利を奪われて、黙り込んでしまった白石に代わって、事情を知る謙也が立ち上がったが、千歳は存在ごと無視したように視線を寄越さない。
「……なあ、前から思っとったけん」
 千歳がぽつり、と言う。
「白石と付き合った時の、あれ」
 視線をゆっくり、白石に向けて。
「最初、しおらしかったんも、その後、俺ん家来て、泣いたこつも」
 千歳に別れようと言われて、彼の家に行ったことだ。別れたくなくて、泣いた。
「……全部、計画じゃなかね?」
「………」
 微笑んで、自分を見下ろし、言った千歳の顔。言葉に、頭をなにかで殴られた気がした。
「この状態に持ってくための。…嘘泣きまでするんやけん、こわか」
「……」
 千歳、と謙也が呼ぶ。それ以上はやめろ、と。

 わかっている。なにも、本気でそんなこと疑っていやしない。
 白石のアレは、本心だった。そのくらいわかっている。
 ただ、昨日のあれが、悲しくて。今日になったら、無性に苛立って。
 発散したくて。



「……ほら、やっぱりや……」



 白石の声が、千歳を現実に引っ張った。
 ひどく、震えた、絶望に潰れたような声。
「……絶対いつか…千歳に、…」
「白石…?」
 謙也の声が、彼を呼ぶ。俯いていた白石の顔が、千歳を見上げる。
 自分を見上げる彼の顔は、泣いていた。
 頬を伝う涙に、少し昔を一瞬で思い出した。
「…お前は、本気やないから…て、好きやないやろて……疑われる…気がしとった…」
 金縛りにあったように動けない千歳の前で、立ち上がった白石は胸元を押して千歳を退かすと、その場から走り去った。
「………」
「千歳。お前…!」
 おそらく本気で憤った謙也が、胸ぐらを掴んでくる。
「…どげんして……」
「……千歳?」
 謙也が見上げる千歳の顔。先ほどとは雲底の差の、後悔に溺れきった表情。
「…いつも、こげな…馬鹿」
 わかっている。嘘なんかじゃないって。
 一瞬で思い出したあの時の泣き顔も、今の泣き顔も。
 決して芝居で出来る顔じゃない。
 本気であの時も、悲しんでいたとわかっていた。いたのに。
 いつも、俺は間違って。
 間違ったのは、自分なくせに、それを、彼に背負わせて。


 ただ、腹が立っただけだったのに。


 千歳が、今にも泣きそうな顔を浮かべている。自分が言うことがないと悟ったのか、謙也は手を離した。
 彼らの始まりを、聞いていた。
 だから、余計、出来ることがなかった。








 俺はいつも、怖かった。

 いつか、本当に、千歳に「終わりにしよう」って言われるんじゃないかって。
 あの日から、付き合った日から、本当はずっと。
 怖くて、堪らなかったんだ。



『俺、普通に自信家やもん。
 お前に愛されてる自信は常日頃から溢れとるで?
 お前が俺に別れ話する筈ないしな。フルなら俺の方や』



 ―――――――――――――嘘やで。千歳。


 あんなん、嘘に決まっとるやん。
 ほんまは、怖い。いつも、怖い。
 いつか、お前が、あの日以上に本気で、俺を要らないというんじゃないか。
 …怖い。

 笑顔で武装してなきゃ、死んでしまう。

 強気でいなくちゃ、泣いてしまう。

 だから、いっそ開き直って、強気に振る舞って、いじめて。


 だって、怖いから。


 お前がどんな目にあっても、好きだと言ってくれる。

 それに、愛を実感していた。


『白石ちゃん、それ、実感するシチュエーションが激しく違うわ。
 普通、シナリオ考えてそこ実感する人おらへんから』


 しゃあないんです。シナリオ自分で考えてやらな、本気の事態やったら、俺は先に泣いて潰れてしまうから。
 自分が余裕なときに試さな、死んでしまうくらい、弱くて。




「…千歳が、好きで、…しゃあないから………」





 彼に愛されている保証が欲しかった。
 感じたかった。
 怖かったから。
 だから、試して、それで結果、こんなことになる。



 可笑しいくらい、馬鹿な自分。


 冬の寒い、風が全身にぶつかる。
 白石は、空を見上げて、息を吐く。
 白く、染まった。







「白石? 早退したみたいやけど」
 あのあと、ひどく後悔して、謝りたくなった。
 二組に行くと、謙也にそう言われた。
 謙也は溜息を吐いたあと、事情を話してくれた。
 昨日、一緒にいたのは先輩だ。先輩が倒れたから、と。
「……謙也、一組の先生に言うといて」
 自分の思い詰めた言葉に、謙也は「いつも勝手にさぼるのに」と笑う。場違いに。
「千歳」
 謙也の手が、自分の胸を軽く叩いた。
「あいつが、全然怖ないっていうんは、ないで、多分」
「…え?」
「お前との馴れ初め。
 お前は、お前の方は別れようて言うたんが、自分やから、本心やないってわかってて怖ないやろう。
 …白石は、今でも多分、怖いんやないか?
 お前が、ドイツの嘘の時、本気で怖かったみたいにな」
「…………、」
 うん、と頷くと、謙也はしっかりしろと励ました。
 わかっている。

 最初に、彼を傷付ける嘘を吐いたのは、自分なんだ。


 一生かかっても、キミを諦めたくない自分がいる。
 最初は、面白がって近づいて。
 なのに、こんなに溺れている。









『千歳千里、ばい。よろしくな、部長さん』



 初めて会った日。
 その声に、何故か泣きそうになってしまった。
 きっと、馬鹿にも一目惚れして、でも絶対に手に入らないと悔しかった。


『嘘泣きして…』


 全部、嘘やないと思うんや、千歳。
 俺、多分お前を引き留めるためなら、繋ぎ止めるためなら、嘘泣きでも、自殺の自演でもなんでもすると思うから。
 ただ、あまりに別れたくない気持ちが必死すぎるから、どこからどこまでが嘘か、もうわからんくて。
 全部、本気で泣いて、本気で強がってる。


 震えていたから。


 もし、お前があの時、「いいよ」っていっていたら、…死んでしまっていた。




『選んでくれるか?
 俺と別れるか、笑って見送ってくれるか』




 どっちに、言われたとしても、返事が「いいよ」だったら、死んでしまうから。
 ほんまはな?
 死ぬの、覚悟で聞いていた。
 自分が死ぬの、覚悟してお前を試した。




 階段を上る音がする。
 千歳のアパートの、部屋の前。
 座って、抱えた膝は、寒くて感触はもうない。
「白石!!!」
 血相を変えて焦った声が、耳に触れた。
 急に、暖かい温もりに全身を包まれる。
 一体、何時間、こんな真冬に、こんな場所にいたんだろう。
「…白石…っ! なしてこげなとこで…っ!」
「……」
 震える手を伸ばして、彼の首にすがりついた。
「……千歳、…や」
 ああ、千歳や。
 まだ、俺、…諦められてない。

 凍えきった身体を抱きしめる、腕に縋り付いて、泣きそうになっていた。
 嬉しくて。

「……千歳」






 千歳の部屋の、寝室。
 毛布に包まれた身体を、強く抱きしめる彼の腕の中。
 あまりに、心地よくて、眠りそうだった。
「……目ぇ閉じたら、死ねたら、ええって、ほんまはな? 思っとった」
「白石?」
 泣きそうな千歳の声が頭上でする。優しい大きな手が、頬を撫でる。
「…いつか、お前に殺されたかった。ほんまは、ずっと、…別れるくらいなら、その前に死んでしまいたかった」
「別れなか。絶対」
「…うん」
 必死に、強く、千歳が言い切った。愛を試したのか、本心なのか、俺は今はわからない。
「…自分の所為で、俺が死ぬん、嫌やろ?」
「…白石が死ぬこつが、嫌ばい!」
「…、なら」
 暖まった手を毛布から出して、彼の頬に伸ばした。
「一生、捨てたらあかんで。捨てたら、翌日、ニュースに載るから。
 次、会うときは、俺の葬式やから」
「…捨てなかよ!」
 千歳の頬に伸ばした手を当てると、震えているとわかった。
 彼が、俺の死に怯えていると知って、安堵して、愛を感じて、悦ぶ。
 そのまま、キスを仕掛けると、千歳も深くキスを返した。
 自分を抱く彼の手が、震えていることに、胸の奥が震える。

 嬉しくて、震える。

 あまりに、暗い、悦び。


 やっぱり、俺は一生、お前に非道いままだと思う。



 俺のためにお前が泣くことが、こんなに、嬉しい。





 死ぬときは、それで殺してくれないか。




 お前が俺に与える、この、



 ―――――――――――――暗い、優越感で。

















 あくまでスピンオフ。本編とは別次元です。

 2009/07/03