彼にかかれば普通に鈍器になる虎の巻を片手に、木手は甲斐の額を軽く小突いた。
「って…! んだよ木手!」
「キミは馬鹿ですか甲斐クン、なんでここで間違えるんですか」
「ここはこの公式っつったの木手じゃん!」
「それはこっち。これはこれ」
「わかんねー!」
「甲斐、図書館では静かに」
 町の図書館に集まっている三年生たちの群から飛び抜けた長身が、淡々とつっこんだ。
「…知念くんまで、ひどい」
「キミ全く落ち込んでないでしょ。鬱陶しいから真似やめなさい」
「凛! 木手までいじめるー!」
 俺の頭の悪さは俺の所為じゃないのにー!と平古場に泣きついた甲斐は、平古場のふ、という笑いに一蹴された。
 うってかわってこいつ殴らせろ、と平古場に詰め寄る甲斐を、田仁志が律儀に止めた。

 試験を間近に控えた三月のある日。
 三年生は受験の最後のつめに、勉強会。
 僕もいれて、と来た二年の新垣が、“大変だね甲斐くん”と暢気に笑う。
「こーいちぃ。お前は俺の味方だよな?」
「え? 僕はトモくんの味方。トモくんどう思う?」
 トモ、不知火のことだ。
 二人は幼馴染みである。幼馴染みというなら甲斐・平古場・田仁志と木手・知念もそうなのだが。
「甲斐が悪い。同情するな浩一」
「…っていうから同情しないね。ごめん甲斐くん」
「こーいちの馬鹿! 不知火の阿呆!」
 テーブルに突っ伏し始めた甲斐の頭を、鈍器である虎の巻で木手が容赦なく殴った。
 痛みに撃沈して静かになった甲斐を放置して、木手は必死に問題を解く田仁志の手元を覗き込んだ。
「ああ、田仁志クン。ここはこれ使った方がいいです」
「そうなのか?」
「ほら、ここがこうだから」
「ああ、サンキュ主将」
 苦手はあるが、飲み込みのいい田仁志はあまり苦労をしない。
 平古場は一科目を除いて成績はいつもよく、知念に至ってはいつも期末の順位は十位。
 つまりぎりぎりラインなのは甲斐だけなのだ。
 木手に関しては愚問である。文武両道という言葉が誰より似合う彼に、苦手科目があろうはずがない。
「そういやさー、こーいち。お前相談ってなに?」
 平古場は自分のノルマをこなすと、顔を上げた。
「え?」
「混ぜてって言った時、相談あるっつったじゃん」
「ああ、凛くん覚えてたんだ…。ずっと聞かれないから忘れてたんだと思った」
「違うって。単に終わる前に聞くと集中できんくなるだけ」
 我が道をどこまでも行く平古場は、それで少し、さっきまで新垣が気まずかったということを察してもなにもフォローしない。そういう人種だ。
 かといって冷たくもない。その証拠に、今ならのってやる、という態度。
「あのね、もうすぐホワイトデーだよね」
「あー…そうだな。なに? 困るほどもらうっけこーいちは」
 遠慮ない平古場に、不知火が軽い一撃。ひらりと交わされる。
「もらわないよ。もらうのは凛くんや甲斐くんに主将でしょ?」
「それは否定しません」
「うっわ永四郎嫌味」
「知念ももらうよな」
「そこそこ…」
「知念クン相手の子は、全員本命でしょうから、大変ですね」
「主将もだろ…」
「慧だってもらうじゃん」
「俺はみんな義理だし」
 田仁志は意外と一番女子に懐かれている。
 いつもクラスではその中心にいるのだ。
 ただ矢張りどこまでも“友達”のポジションなのだ、と言っている。
 傷つく様子はない。彼は当たり前のことを当たり前に言う。
「甲斐は?」
 知念の言葉に、まだ撃沈したままの甲斐を横目に。
「彼も意外とモテますね。義理と本命半々かな」
「さりげなく本音だ主将…」
「まあ、裕次郎は善い奴だしな。うちの部じゃ一番後輩に好かれてんの裕次郎じゃん?」
「まあな。面倒見が一番いい」
「俺たちに対して一番面倒見がいいのは、永四郎」
「それは間違ってない」
「…喜んでいいんですか? それ」
 全員に納得されて、木手は居心地が悪そうだ。
「で、なんだっけこーいち」
「あ、うん。…クラスの子にね、…クッキーの作り方、教えてくれって」
「頼まれたのか」
「こーいち菓子作り得意だもんな」
「それが困ったこと?」
「だって何人だと思う?」
「何人」
「十人。みんなモテるから」
 本命の子に手作り返したいんだって。と新垣。
 新垣の学年(というか学級)は家庭的な男子が多いのだろうか、と平古場は密かに気味悪がった。別に新垣は気味悪くないのだが。
「十人か、…そりゃ困る」
「二人くらいなら、家に招きゃいいけどなぁ」
「学校の調理場でも借りれば?」
「許可もらえなかった」
「ああ…」
 落ち込んだ新垣は、同級生の頼みを断るという選択肢はない。
 彼は友人にも先輩にも誠実だ。
「……」
 可愛い後輩の頼みである。放置も出来ない。甲斐と違って。
「料理教室、って近くにねえ?」
「あー…あったかなぁ」
「あれば、借りられるよな」
「調べてみっか? カフェでさ」
「じゃあ昼飯ついでにイントラカフェ行く?」
「そうだなぁ」
 比較的好意的な路線に向かい始めたメンバーを、止めたのは復活した甲斐の一言だった。
「あ、俺んちあるよ」
 撃沈していた癖に、話をちゃんと聞いているところが甲斐だ。
「ある?」
「俺の母ちゃん、料理教室の先生」
「え? そうなの?」
「知らなかった…」
「そりゃそうだ。始めたのつい最近」
「じゃあ、借りてもいい? 甲斐くん」
「いいよー。母ちゃんも二つ返事だろ。母ちゃんこーいち好きだから」
「ありがとう甲斐くん!」
 後輩の悩みは、甲斐のツテで一応の解決をみる。
「ああ、甲斐クン、だから料理上手なんですね」
 思い出したように木手。
「そだぜー?」
「それが勉強にも反映されればいいのに」
「木手…お前ほんと俺のこといじめたいの?」
 へこむよ、と呟く甲斐を、知念が宥める。
「甲斐」
「なんだよ」
「愛、だ」
「……は?」
 知念の一言に、甲斐は頭の上にクエスチョン。
「だから、愛だ。喜べ」
 そう言われて、意味がわからないながら、そんな愛いらないと甲斐。
 平古場が自身の金髪をいじりながら、そういえば裕次郎はよく男から愛されるよなぁと誤解されそうな一言。
「裕次郎を慕ってんの、うちの部の後輩ってことは男だろ? 全員」
「ああ、そうだな」
「確かに」
「俺は女の子に愛されたい!」
「熱弁するな、青春ドラマじゃあるまいし」
「お前らにはわかんない!」
「はーん。わかんないなぁ。俺モテるもん」
「凛の阿呆!」
「阿呆っていう方が阿呆」
「知念くんのなまはげ!」
「いや、背は高いけど顔が違います甲斐クン」
「そもそもなまはげは沖縄に上陸しないだろ」
「あれ、なまはげの生産地って宮城だっけ」
「いや秋田」
「しかも生産できるもんじゃねーし」
 と平古場。彼はいつもツッコミだ。
「てゆーか、どうなの。なまはげって罵り文句って」
「あれ? 言わない? 木手」
「言いません」
「おかしいなぁ…俺普通に言うし」
「それで甲斐はよくクラスメイトに自称秋田人って言われてたのか…」
 謎は解けた、と不知火。
 話の脱線はいつものこと。
 それが彼らの日常。
 甲斐を勉強に戻そうと、木手はもう一度虎の巻を構えた。




























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