囚われて、 知らないで、 優しくして。 征服ごっこ 小石川が、実家から送られてきた荷物の中の服を両手で広げて、数秒考え込んだあとあっさり「ま、ええか」と呟いたのを見たのは、昨日。 壁向きに、寝台の上で服を広げていた小石川の、自分よりは狭いが、一般的には大きな背中に遮られ、石田には彼がそう呟いた服がどんな柄かも見えなかった。 彼の実家は、電車で乗り換えナシ二駅。しかし、春休み、夏休みから冬休みにGWすら実家に帰らない小石川だ。実家の方が心配し、こうやって服を送ってくる光景は今までに何度も見た。去年の大晦日。彼が実家からの帰省希望に「みんなと新年迎えたいから!ほなな」だけで電話を切ってしまった姿を見た。流石に帰ってやったらどうだ、と石田は自分が彼と新年を迎えたい気持ちを堪えて言ってしまうほどの光景。小石川はさらっと「師範、俺と一緒に迎えたないんか」と言った。若干拗ねて。 それには、ああ、みんなじゃなく、自分と迎えたいからか、と嬉しくなってしまい、電話を切られた彼の家族を見なかったことにしたが。 翌日は日曜日。部活も引退したから、石田も小石川ものんびりする予定だ。 寮生仲間もほぼ全員、寮でのんびりするらしい。 「あれ、師範。小石川は?」 今日は「散歩」はしないのか、千歳は昼の十一時になってもリビングにいた。 「部屋やないか?」 「へ? みんなにゲーム誘われとったやろ」 千歳は椅子が四つ並ぶテーブルの前に腰掛けて、リビングの奥のテレビを指さした。そこには接続されたテレビゲーム。四人でやる格闘対戦ゲームらしい。 「ああ。せやから、コンタクトやのうて眼鏡してくるて。コンタクトでテレビ見とると痛いから」 「ああ。それで」 千歳は納得したのか、すぐ手元に広げていた新聞に視線を戻す。 混ざらないのか、という石田に千歳ではなくテレビの前に陣取った三人の寮生仲間が「千歳はすぐ負けるから」と笑って言う。 「うん、俺、あれ苦手ばい」 「そうなんか。儂もゲームは全般苦手やしな」 などと話している間に「師範?」と背後から声がした。小石川が廊下からリビングに顔を見せた。途端、石田の奥にいたテレビ前の、小石川を誘った仲間がドッと笑い出した。 「あ、やっぱり笑われるんや…」 わかっていた、という顔で少しだけ微妙な顔をした小石川が着ているのは、大きめのTシャツ。体格のいい彼が着れているということは、男物で間違いない。 が、胸元と背中に猫のイラストがプリントされた、モーブピンクのはっきりいってかわいいシャツ。しかも、猫の「もういらにゃい」という台詞つき。 受けるな、という方が無理。 千歳すら絶句したあと、吹き出してしまった。小石川とそれの取り合わせのおかしさに。 「小石川っ! おま…っかわええなあ!!」 「その図体で猫とか…もういらにゃいってなんや!」 「いや、それ言うてんのはシャツの猫」 小石川は予想済みなのか、淡々といつも通りに返答する。仲間はげらげらと涙目で「お前のキャラやないやろ!」と次々突っ込む。 「…また、出た。あいつの無精が」 「あ、白石」 いつの間にか千歳の隣に来ていた白石に、千歳は顔を向ける。 「無精?」 「親が送ってきたもんなら、着てまうんや。出かける時は流石に自分で選んだ服しか着ないし、あれが自分と取り合わせがおかしいっちゅうんもわかっとるはずや。ただ、面倒で着れるから、部屋着ならええか―――――――――が健二郎の思考や」 「…また難儀な」 そう呟いて、千歳ははた、と今更に気付いた。やっと笑いの収まった仲間に招かれてテレビ前のソファに座った小石川の姿をじーっと見つめる人間に。 「師範…」 石田は、小石川の姿に最初数秒凝視したあと、絶句したらしく、微動だにしないで小石川をがん見している。 「…あれ、やばくなか?」 「まあ、やばいな」 そう白石と千歳が呟いた瞬間、なにかの糸が切れたのか、石田は唐突に小石川に歩み寄ると、その頭を軽く殴った。 「…っ………師範?」 本当に軽くで、音もしなかった。小石川はただびっくりして石田を見上げている。 「着替えてこい」 「は? いやでも」 「ええから」 「………んー……、」 石田の言葉の意味はわからないが、様子の尋常なさには気付いたのか、小石川は怯んだあと、千歳を見遣った。 「千歳。なんかシャツ貸して」 「へ!?」 まさかそこで自分に振られるとは思っていなくて、油断していたので千歳は叫んでしまった。小石川がなんやその反応、傷付くで、と睨む。 「なして?」 「今、他のシャツ全部洗濯しとんねん。 洗濯機壊れたやろ?」 「…ああ」 昨日、寮の洗濯機のいくつかが壊れた。その時に中に入っていた衣類は、洗剤が落ちていないから、乾かすわけにもいかない。当然洗い直し。 小石川もその時使っていたのか。 (ああ、で、他のシャツがなかった、か…) 「わかった。着れそうなん見繕ってくっけん…」 「健二郎」 立ち上がりかけた千歳の言葉を石田が遮った。 「やっぱりそれでええ」 「へ?」 「人の服使うてまで脱ぐほど、おかしいわけやない」 「……そう」 急に前言を撤回した石田に、やや納得いかない顔をしたが、気圧されて小石川は頷いた。浮かせた腰をソファに沈める。 「そうそう。大丈夫やて! なにもオカシイってわけやないから」 さっき爆笑した一人がそう取りなす。 「お前等、さっき大爆笑しといて…」 「いや笑う意味ではおかしかったで? ただ、異常って意味のオカシイではないしな?」 「ああ…」 「お前かて、それ千歳が着てたらとりあえずウケるやろ? 可愛くて」 「…っ……」 「想像だけで笑うんじゃなか!」 一人に言われて、想像後ツボに入って笑い出した小石川に、千歳が心外だと憤慨する。 「いや、まあ、おかしいちゅうか、かわええわな」 「白石まで…」 「小石川も、なんちゅうか、かわええわ。視線離せへん」 「それ、俺やのうて猫やろ…」 ぶつぶつ言いながらコントローラーを握った小石川に、石田は視線を向けたままだった。 小石川が部屋に戻ると、石田は無表情で出迎えた。 石田はずっと、リビングにいたが、なにをするわけでもなくただこちらを見ていた。 自分が席を立ったのを見届けてさきに部屋に戻ったようだ。 「師範?」 やけにムスっとした空気に、小石川は不思議そうに見つめて、石田の傍に立った。 座ってはいなかった石田は、唐突に小石川を抱きしめる。 「…ほんまどないしてん」 「手」 「え?」 「手、上にあげろ」 「……なんで」 「ええから」 さっきから意味がわからない、がなんだか怖い。おとなしく手を上にあげると、いきなり石田の手でシャツを脱がされた。 「…え? ちょ、なに?」 流石についていけなくて(そもそも最初から)固まる小石川を、石田は無言で抱き上げる。 そのまま数歩歩いて、自分の寝台に寝かせた。 「…え、あの、師範」 「『銀』」 「…」 自分を押し倒してのし掛かってくる巨躯と、脱がされたシャツと、呼び名の限定。 疑いようがない。 「…しは、ちょ、なに真っ昼間っから盛っとんの!?」 「『銀』、や」 「……銀……」 無言で、身体に手を這わせる石田が怖くなって、小石川は怯えた顔で従った。 それに多少口の端を上げると、石田の手がベルトにかかった。慌てる小石川の手を封じて、脱がせてしまう。 『おま…っかわええなあ!!』 あの時、寮生仲間が言った。 わかっている。他意はない。 だが、彼に魅力を感じるのは、小石川が言うような女子だけではない。 小石川は女子にモテる自覚はあるが、男子には全くない。 自分を好きになるのも、可愛いとかいうのも、自分だけだと思っている。 自分に疎い。 そんなはずがない。 優しくて、真面目で誠実。 そのうえで、親しまれやすい人格がある。 明るく、大坂人らしい、構われ慕われ、絡まれなタイプ。 彼に好意を抱くのは、自分だけじゃない。 それをわかれと思う。わからないなら、無防備な姿を、自分以外にさらすな。 あの場で、止めたのは、嫉妬だ。 絶句はしたが、かわいいとは思った。 だから見せたくなかった。 千歳の服を借りると言う小石川に、他の男の服を着せるのが嫌で撤回した。 わかってくれとは言わない。 だから、おとなしく自分に囚われたままでいて欲しい。 「あれ?」 昼過ぎの二時。 リビングで再び見かけた小石川はあのシャツではなかった。普通の無地の紺色のシャツ。 「もう乾燥終わったと?」 「いや、元からあった」 「ああ、見つかったとか…」 隠れていたんが、と納得した千歳に、小石川は前の席に座ると、ふと「キャラってあるやん?」と言った。 「ああ」 「俺やお前は、あの手のはおかしいわけや」 「うん」 「遠山ならかわええな」 「そやな」 「お前って、信用ないよな」 「……?」 話が繋がっていない気がする。 眉をひそめた千歳に、小石川は笑った。 「…そういうのがあるわけや。キャラに合うてへんことはしない、出来ないっちゅう前提が」 「…小石川? 意味がわからんとよ?」 「時間かけて作った、その人間の当たり前の行動の枠からはみ出ないっちゅうか。 まあそらそやな。寮生なんか、三年間一緒やから余計、それは染みつく。刷り込み的な」 リビングには誰もいない。小石川と千歳だけ。 「師範の中の俺って、鈍くて疎くて、清純らしい。かわええタイプ」 そう言って千歳を見遣った小石川の顔は、おそらく石田すら見たことがない、艶を含んだ妖しい笑み。 「…黙っといてな? そのまんまのイメージ保ちたいから」 「……………」 千歳は一瞬の笑みで理解してしまった己を悔やんだ。ああ、馬鹿になりたかった。 軽く呻って、溜息を吐く。 「性悪」 「望むトコや」 征服していたいのは、自分も同じ。 抱かれたいから、わざと嫉妬させたなんて、あなたは思わないから。 2009/07/15 |