後編【涙であたためて】 「…………?」 文化祭前日。四組の生徒全員に配られたのは、もちろん喫茶店の衣装。 シンプルでカジュアルな衣服は立派に「私服」だし、皆の好みをしっかり反映させている。 しかし、自分の分を受け取った小石川は、男物であることを確認後、首を傾げた。 「どないした?」 女装組ではないクラスメイトの男子が覗き込んでくる。 「いや、なんやえっらいサイズでっかい…」 小石川の手の中にあるのは、白い無地のTシャツと組み合わせの黒い長袖開閉シャツ。それと、ジーパン。男物だと言った委員長は本当にそうしたらしい、が、サイズが普段着ているのより大分と大きい。 「ほんまや。なぁ西尾ー小石川って女装組やろ?」 「おま…それ質問違うぞ」 確かにそこも疑問だが、今気にしているのはサイズの大きさだ。小石川は即座に突っ込んだ。 「まあとりあえず着替えてから言うて。あ、小石川はこっち」 先に男子の出来を見るらしく、女子は女装組を手伝う様子だ。かなり身長の違う女子に手を引っ張られて小石川は首を傾げながら隣の教室に連れて行かれた。 「お前、ほんま女装やなー」 クラスに戻ってきた女装組の一人の格好を見て、クラスメイトがからかった。 身長が低く、肩幅もあまりない生徒なのでショートパンツが似合ってしまう。 ただ仕草を気をつけないと、すぐ男だとばれるな、とダメだしされていた。 「おーい、小石川終わったでー。あんたらこっち来ー」 委員長に呼ばれて、内心一番小石川がどうなるのか気になっていた男子は即座に反応して立ち上がった。 「あんたらは好きな女子の出来を見る男か…」 「いや、そやないんやけど、なんかいっちゃん気になるゆうか」 委員長に突っ込まれ、小石川の友人たちが苦笑する。 その顔は、おもしろ半分でも、そういう『目』でもなく、純粋な心配。 小石川はやっぱり、人徳やな、と西尾は思った。 文化祭当日。 様々な出し物と、見に来る大勢の客でにぎわう校舎。 小春は途中で財前を捕まえると、「謙也くんのとこ行きましょ!」と引っ張った。 財前も逆らう気はないらしく、素直に二組に向かう。 人混みを抜けて三年二組の教室にはいると、かなりの盛況ぶり。看板は「猫喫茶」。 「猫……」 財前は中のウェイターたちを見て、そう呟いた。 ウェイター&ウェイトレスは皆、猫耳に尻尾をつけていたからだ。 衣装は男女統一で、黒いシャツとズボン。それが逆に爽やかで、猫耳を余計目立たせる。 「お、光。小春」 「あら、謙也くん! まーかわいい!」 「お前も道連れや」 トレイ片手に小春たちの前に立った謙也は、財前の頭に余っていたらしい猫耳を装着してしまった。財前は嫌がる様子なく、自分の頭に手を当てる。 「きゃー謙也くんも光も可愛いっ!」 「あとで撮っとれや。もうすぐ休憩やねん」 「謙也くん。あの、あそこの目立った人は…」 財前がそう言って、奥のテーブルで接客をしているウェイトレスと思しき相手を指さした。思しき、というのもおかしい。男女統一の衣装だから。 そこに立っているのは、同じ黒の上下に猫耳。しかし、服がやたらとでかい。袖が余っている。シャツの裾も腰を隠している。 髪は後ろに一つに縛ったストレートロングの、はっきりいって美人。 所謂カッコイイ系のお姉さまと言ったとこの。 「あ、小春と財前」 その『お姉さま』は自分たちを振り返るとそう言い、いつも自分たちが知る「自信たっぷりで余裕たっぷり」な笑みを浮かべた。傍に歩いてきて、財前の猫耳を撫でる。 「お前、かわええなー」 「もしかして、白石先輩ですか」 「もしかせんでもな」 「いや〜! 蔵リンなんて格好!」 一人ハイテンションになる小春を余所に、白石は「これは女装に入るんかな?」と首をひねった。 「なんでもな、四組の委員長からがたいええ男を女装させるにはなにがええかアイデアもろたらしくて。もちろんただやなく、二組の売り上げ一部流す条件で」 休憩に入って、教室を出た白石はそう財前たちに説明した。 格好はそのままで、宣伝らしい。はっきり言って、目立っている。 財前だって、白石だろうとわかったのに、「美女」だと思ってしまったくらい。 長身でがたいのいい白石なのに、大きめのシャツで肩幅や袖が余っている所為で、小柄に見えるし、簡単なメイクとエクステで「女」の印象を強められている。かつ、元々の並はずれた綺麗さがあれば、「カッコイイ系のお姉さま」に見えてしまう。 仕草をわざとそう見せてもいるらしいし。 「…四組?」 小春が、ぽつりと呟いた。財前はそれにハッとする。 「…四組て、小石川先輩のクラスっすね」 かつ、白石は言った。「がたいのええ男を女装させるアイデア」と。 「ああ、うん、健二郎もな。俺、見たけどあれは予想以上やったわー」 「俺は親友二人が男にきゃーきゃー言われてて複雑やー……」 白石が先に、謙也があとから疲れて言った。 「小石川、あんた、これは萌えると思わん?」 前日、クラスメイトにお披露目をした時、委員長はそう言った。 癖のある猫っ毛のような、肩下までのウィッグに、簡単な化粧はファンデーションと薄い色のリップだけだ。 格好はサイズが妙に大きいだけのシャツの組み合わせとズボン。 どこから見ても女装じゃないと思うだけに、クラスメイトの反応が小石川は最初理解出来なかった。 クラスメイトたちにしたら、流石委員長、だ。 小石川は確かに元から素材はいい。 ただ、がたいの良さと男前な性格や身長から、それは「男としてのかっこよさ」だと思っていた。 しかし、袖や肩幅の余った服は身体を細く小さく見せるし、化粧とウィッグで引き立たせた顔立ちは中性的で、どこかの大学か町並みで見る、カッコイイ系の美貌のお姉さん。 本人が全くわかっていない無自覚な仕草が余計危なっかしい。というか、余った袖から出た手足が、なんかやばい。 「なにが?」 「そうやね。あんたの一番かわええと思う女の子思い浮かべて」 「…?」 「で、その子が自分が着てたでっかい服を着てて、手や足の裾が余ってぶかぶかな格好。 …萌えへん?」 そう委員長に訊かれて、小石川は考え込んだあと、軽くショックを受けた顔をした。 「…どないしよう。そら萌えるわ…」 「やろう!? 男物を着た女って結構クんねん!」 「……いや、俺は元から男でな」 即座にツッコミ返していた小石川には悪いが、今は女に見える。女装=スカートじゃないという委員長の言葉がよくわかった。 「ごめん小石川。せやけど、俺も彼女が自分の服着てたら萌える」 「俺も…」 小石川に聞こえないよう呟いたクラスメイトたちは、見殺しにしたようなものだが、似合っていないなら止めている。止めないということは、そういうことだ。 「あ」 四組に入るところで、謙也は見慣れた長身とぶつかった。 すぐ大丈夫かと優しく訊かれる。 しかし、見上げた顔と格好は、今まで見たことがない。 「美人さんですね。小石川先輩」 「おー、光。どないしたまたかわええ格好して」 「にゃーお、です」 さっきも既に見たが、やっぱり男子にきゃーきゃー言われている今の親友は複雑なのか、謙也はやる気なく「かわええなお前」と財前に突っ込む。 「なーぉ」 「鳴くな」 更に猫の鳴き真似をする後輩の頭を叩いた謙也は、それでも耳を取ろうとはしなかった。 それにしても目立つ。白石も小石川も。 見ているのは女子も多いが、明らかに男連中だ。 「ちなみに、白石先輩、千歳先輩には…」 「言うてへん。あいつびびらせたろ思てな」 にやりとあくどく笑った白石に「そのためにオッケーしたんか女装」と謙也がぼやいた。 「…健二郎は言うたん?」 「?」 疑問符を、無自覚な顔で返され、白石は「銀に言うてへんのや…」とため息を吐く。 「え? やって、女装やないしな」 「………」 あれだけ男に見られていたら、立派にそうだと思う。 確かに、男意識の強い小石川だし、自分の体格の良さはわかっているから、だからわからないのかもしれないが。 それに、今は普段コンタクトなのを、眼鏡。 余計知性的なお姉さんという雰囲気を出しているが、自覚ないに違いない。 「師範ー」 特別教室を使った甘味茶屋は盛況だ。 そこにやってきた長身に女子が騒いだ。千歳だ。だが格好は白スーツにサングラス。 石田は一瞬リアクションが遅れた。 「…? 一組はなんやったか」 「体育館使うた迷路。やけんこん格好はただの宣伝たいね」 くすくす笑って千歳はサングラスを外した。そこに見える表情は「苦笑」だ。 「休憩か?」 「まあな」 師範は?と訊かれ、儂もこれからや、と石田は答える。茶系の和服だ。 また似合っていると千歳も思う。 「今んとこ三年で一番盛況なのは二組と四組らしかよ?」 「白石はん、謙也はんと健二郎のクラスやな…」 「俺、まだ行けてなか。ばってん、白石と謙也、人気あっけんね…」 元から人気のある二人がいるクラスだから、集客がいいのはわかっているという千歳は不満そうだ。恋人に群がられて嬉しいはずもない。 「健二郎のとこも、面白い喫茶店て訊いたしな…」 「そうなん? あ」 千歳は白石の組の話しか聞いていないらしい。石田もそう言えば小石川の組の話しか知らない。正確には小石川は白石の組の出し物を話そうとしたが、その時に自分の理性が切れていたので遮ってしまった。思い出すと、その時の情事の様子からまた妙な気持ちにもなるし、またあの女子と一緒なのかと嫉妬もする。 千歳が言葉を切ったのが携帯にメールが来たからだと思い至って、携帯を覗き込んだまま固まっている千歳を見遣った。千歳は鬼のような顔でフリーズしていたかと思ったら、急に携帯の画面を石田に向けてきた。 「師範っ…これ!」 「千歳。お前、遅い」 石田が携帯をしっかり見る前に、背後から悲鳴がしたと思ったら、振り返るとそこに目立つ集団がいた。 猫耳をつけた謙也と財前、そして、どうみても「女」に見えるが、あれは白石と小石川だ。 「白石っ!? なんばしとっと!? そん格好!?」 「いや、俺からしたらお前がなんちゅー格好や」 「白石、寄るな。穢れるで」 千歳の動転した問いを切って捨てた白石を小石川が抱き込んで、千歳から庇った。瞬間、周囲から悲鳴が飛ぶ。しかし、野太い悲鳴だ。 「ほんまやで。お前、ちょお…これしてみ?」 周囲の悲鳴にうるさそうにしながら謙也が千歳に近寄って、そのサングラスをそっとかけた。 「……先輩、………あんた、あり得ないっすわ。日本圏外に出てってください」 「…それ、それひどか……」 日本人じゃない、と言いたげな財前のコメントに千歳は情けない顔で凹んだ。 謙也も同意見に近いのか、なにも言わない。 「あ、で休憩? 一緒になんか食い行こや」 小石川が白石を抱えたままそう笑って言う。千歳が我に返って白石を彼から奪い返した。 「白石! 頼む。そん格好ば…」 「千歳?」 千歳の腕に収まったまま、白石はにっこりと綺麗に微笑んだ。千歳の頬が一気に赤らむ。 「今日だけ見逃してや。今日、ええ子で「おすわり」出来てたら、…今晩、こん格好でヤらせたげる」 「…………………」 「ええ子で番犬、でける?」 千歳はしばらく真っ赤なまま固まっていたが、白石を唐突にぎゅーっと抱きしめて「約束たいよ!?」とどもった声で訊いた。白石は余裕たっぷりにうんうんと微笑んで頷く。 「調教師…」 財前がぽつりと呟いた。ちなみに先ほど、千歳の携帯に送られたのは現在の白石と小石川の姿の写メ。送信者は小春だ。 「……師範?」 小石川はその様子から、笑いながら視線を動かして、石田を見て、そう呟いた。 石田は視線を自分から逸らしていたが、すぐ呼びかけに気付いてこちらを見た。 「どこ行くんや? 飯」 「……」 「健二郎?」 「…うん」 そう答えたが、寂しさは顔に表れてしまった。石田の表情が一瞬曇る。 いつもなら、すぐ近寄って話しかけてくれる。呼んで、笑ってくれる。 どうしたんだろう。 適度に店を回って、ご飯を食べたあと、小石川がふと足を止めたのは眼鏡に小さな傷を見つけたからだ。 外してみると、視界が一気に曇る。 (気のせい…やないな。ちょお傷が) 「なあ、白石、師範…」 顔を上げて、小石川は戸惑った。眼鏡がなくとも、近場くらい見える。 だが視界に人影はない。 眼鏡をかけ直すと、はっきりした視界の数歩向こうで話している白石たちが見えてホッとする。 心細かったのだと気付いた。 自分では変化のない外見だと思うが、周囲からはやけに騒がれる。それが気持ち悪いかもしれない。 誰も知らない場所に残されたら、流石に。 「でも…」 遠くに見える石田は、こっちに気付いていない。普段なら、すぐ自分を捜して、気付いて、駆け寄ってくるのに。 ずっと、今日は視線を、自分から逸らしたまま。 もし、このままいなくなっても、気付かない? 胸に浮かんだのは、些細な誘惑。 試したくなった。いつものように。 気付いてくれるのか、探しに来てくれるのかを。石田を。 小石川は一歩下がると、その場を離れる。白石達はまだ気付いていないだろう。 やっぱり、眼鏡に傷があるな、と少し離れてから足を止めて眼鏡を外す。 でも替えは教室だ。かけ直して視線を上げると、丁度真正面の場所にこちらを見ている男が数人見えた。流石にあれはナンパかもしれない。気持ち悪いし、理由がさっぱりだが、今の自分が「女」に見えるらしいというのはやっと理解したところだったし。 どうしようと思った瞬間、肩を背後から掴まれた。びくん、と肩が跳ねる。 だが視界に見えた男たちは、途端慌てて視線をあっちから逸らした。 「……」 小石川が肩を掴む手を振り返る前に、肩を抱かれて振り返らされた。 「どこ行く気や」 「…」 そのまま肩を抱かれて、引っ張られたが、嫌じゃなかった。安心した。どうしようもなく。 そこにいるのは、石田だった。 気付いてくれた。探してくれた。 それだけで、ホッとした。 「……」 「健二郎。訊いとるか」 「訊いとる」 「ほな、どこ行く気やった」 少し、怒った石田の声。やっと、わかる。 石田は面白くなかったのだろう。自分を見る他の男が。 でも、人前で恋人扱い出来ない。見ていたらしてしまうから、視線を逸らした。 多分、そう。 「……どこにも」 「…?」 石田は初めていぶかしむように、こちらを見て足を止めた。 「師範、のおらんとこに、どこにも行かへん」 「なら」 「怒った?」 「…健二郎?」 「……ほんま言うたら怒る? 試した。師範が、俺のこと見ぃひんから」 肩を抱く手が、一瞬強くなった。視線は、外れない。 「いきなりおらんくなったら、探してくれる? 気付いてくれる?って。 せやけど、今気付いた。試したのに、俺は探してくれんかった時なんか、考えてなかった。気付いてもらえんかったら悲しいとか、全然。 …やって、銀が俺に、気付かん時、一回もないもん」 小石川は袖の余った手で、自分の右目を隠すように覆った。眼鏡がずれて音を立てる。 不意にその手を退かされた。正面から肩を掴まれ、唇に重なったのは、石田のそれだ。 ここは校庭で、店がたくさん出ていて、客がたくさんいる。 でも、重なる視線が強く、拒むなと訴える。だから素直に目を閉じた。 数秒でそれは離れたが、何十秒にも感じた。 「……師範、…嫉妬しすぎや。こんなとこで」 苦笑して言うと、石田は見たこともないような笑みで右と左を指す。 「ここは丁度死角や」 右と左には、丁度たこ焼きの店とジューススタンド。どっちも背を向けた形の配置で、人がいるのは背後と前だが、どちらからもお互いの頭で決定的な場所は見えない。 「………………」 小石川はしばらく間抜け面を晒してしまった。見ているのは石田だけだが。 だって、あの石田がそんな、計算してるなんて。 石田はおかしそうに笑うと、「打算のないような人間やと思うな」と言って、小石川の手を掴むと歩き出した。 「儂が訊きたいから訊いとるだけやしな」 「……?」 「お前はどうせ、最中はなんも考えとらんから」 「……………………」 自分の手を引く背中しか見えないが、石田はきっと笑っている。見たことないような顔で。 小石川は真っ赤になって、言葉を失った。 計算してたなんて思わなかった。シている最中、キスマークつけていいかの問いは無意味だと、なに訊いたって自分は頷くとわかっていたと、計算しているなんて。 だから、一杯一杯になる前には訊かない、と、そう言う声。 「…………ずるい、へんたい」 「お前限定でなら別にかまへん」 「ばか」 段々、なに言っても無駄な気がしてきた。勝てないことはわかっている。 惚れた日から、石田には勝てない。 惚れたもん負けって本当だ。 ちなみに、最終的な売り上げ一位は三年二組。 欲望に負けて許可出してしまった自分を千歳が後日呪っていた、という話。 2009/08/02 |