*幸村・忍足・白石たちが同じ高校に通っているというパラレル。寮設定で単発。
「なぁなぁー、寮でさ、今日ガサ入れするんやって。平気か?」
窓から入ってきてさらっと言った白石に、忍足の隣で昼飯のパンが粉っぽくて食べにくいと口に切れ端を含んで牛乳を飲み始めた(牛乳でパンを柔らかくしようという狙いだ)幸村が珍しいことに咽せた。同じ組になって早三ヶ月。
いつだって先を予知したような幸村が不意をつかれることなどないと思っていた忍足は、大変驚いた。白石が窓から侵入してきて発した言葉の内容より驚いた。
「お、おい、大丈夫か幸ちゃん…」
忍足は同じ学校になってから、幸村を“幸ちゃん”と呼び出した。独創的すぎるところのある幸村は“あ、それって俺は好かれてるのかな?”とコメントして受け入れて、その場に居合わせた柳生に“もう少しいろいろ気にしてください”と言われたらしい。
「……ご、ごめん…白石はいろんな意味でちょっとすごい」
咽せながらコメントした幸村が、そういえばちょっと前に“白石だけはなにするかわかんないなぁ”と言っていた気がする。
ということは白石の方がより独創的なのだろうか。
「ちゅーか、お前そこ外側の窓やぞ。どっから入ってくんや」
白石がやってきた窓は、少しずれれば下に真っ逆様の外側の窓で、断じて廊下側の窓ではない。確かに落下防止に多少の出っ張りがあるから、歩くことはできるが。
しかもここは四階である。彼には高所の恐怖というものがないらしい。
「あーすまん侑士。今俺の組の廊下、先輩たちが溜まってて通過できそうになくってな」
「だからってそこから来る阿呆がおるか」
「いるやろここに」
「……蔵ノ介。……俺、お前の綺麗な顔に似合わん偏屈きわまりない性格にはどうしようかて思う」
「そうか? そういえば財前もようそんなこというとったなぁ」
言いながら白石は窓枠に手をかけてひょいと教室に入ってきた。
クラス中がすでに白石に注目している。
「ちゅーか、で?」
「で?」
「で? やない。なんやガサ入れって」
「寮の抜き打ちチェック。タバコとか酒ないかの点検やない? さすがにクローゼットまではやらんとは思うけどな」
「いつ?」
幸村が復活して聞いた。彼は白石のおかしな行動につっこんでやる気は全くないらしい。
「今日の授業中。ちゅーか五限目に」
今は昼休みで、それもあと十分で終わる。
「そら、いろいろ隠しようもないやろ…。今言われても」
「なにいってるんや侑士。抜き打ちなんやからあらかじめ言う筈ないやろ」
「ほななんでお前知っとるんや」
「偶然聞いた」
あ、さよか。と忍足はそれ以上を聞かない。
偶然聞いてしまった経路にもよるが、白石はいろいろ本当に妙なところのあるやつなので、そんなことを聞いたが最後後悔しそうだった。
忍足は中学から東京に通っている。白石とは小学校時代の友人で、その後中学で従兄弟が同じ中学に進んだと聞いてそこからまだ交流が再開した仲だ。
だが、小学校時代から、思えば白石はそういう奴であった。
浜辺にポジションを取ってスケッチをした授業でも、海を描くという課題だったのに彼は海の中を泳ぐタコを描いて提出し、教師に真顔で“お前、まさか海に潜ったのか?”と聞かれたような奴だ。
そんな素直に真っ向球を返さない人間の相手をまともにすると疲れる。
これで部長が務まったというから、四天宝寺は不思議だ。
「白石はさ、後輩がいるところでは真面目だよね」
すっかり立ち直った幸村が、忍足の内心を呼んだように言った。
そういえば、彼が奇怪な行動をするのは主に同じ学年の奴らの前だけで、部活では極めて真面目な部員である。
「それ、それ以外は真面目やありませんって言うてる?」
「いや白石はいつだって真剣だと思ってるよ俺は。ただその真剣がテニス以外になると、他の人にはおかしくうつるんだよねって」
「……侑士、今の幸村のはほめ言葉?」
「多分、幸ちゃんは誉めてんやと思う…」
同じクラスなので、それくらいはわかるようになった。
そこでこちらは素直に廊下から来た柳が、白石を見て“通報通りだな”と言った。
「なに? 通報通りて」
柳くん、と言った白石に、柳は極めて淡々と。
「お前がまた暴走したから止めてきてくれと財前に出会い頭に頼まれた」
「…蔵ノ介、お前後輩になんちゅー迷惑かけとんねん」
「ちゅーか財前も自分で止めにくればええんに…」
「一応止められるだろう可能性のある事象をやっていた自覚はあったんだ」
「そらな。あそこ通る奴が当たり前になったら学校としてやばいやろ」
「……つまり自覚済みでやるお前が一番洒落にならんてことやないのか?」
「そうかぁ? 千歳あたりはあそこで寝てもおかしないけどな」
「や、千歳はやらん。お前と違って常識がある」
「……俺はないと言いたいんか侑士」
「ある自覚があるならやんなあんな阿呆なこと!」
「とにかく、俺は白石の暴走を無力化して財前を安心させる義務がある。落ち着いたならいくぞ白石。あと七分しかない」
「へーい。別に部活の時間でもええんに…」
「財前は五限が小テストだ」
「…あ、そら今いく必要があんな」
呟いた忍足が見送る先、おとなしく柳についていった白石はどんな顔で財前に謝るのか。そもそも謝るだろうか。悪いと思っているだろうか。
そこまで考えて、自分はとことん面倒くさいタイプが好きなんだな。と思った。
忍足が、自分は多分白石蔵ノ介が好きなんだろう、と気付いたのは中学時代だった。
全国大会で再会して、彼が小学校時代の少女のような面影はなく自分より明らかに強いプレイヤーなのだと気付いた時、側にいることに緊張を覚えた。
上手く話せているだろうか。白石は俺が変わったと思っただろうか。
理由はなんでもよく、とにかく白石を好きだと自覚したのは、そのどこか日本人離れした美貌の中に昔の彼らしい理屈を見た時だった。
姿が変わって、強くなって、でも彼は彼のまま周りを振り回しているのだろうと思った時、じゃあ自分が側にいなければならないという義務感にかられた。
小学校時代、彼の暴走を止められたのは自分だけだった。謙也には無理だった。
だから、相当彼の部員仲間は苦労しているだろう。同じ高校を受けるなら、自分が側にいて止めてやらないと、と。
しかし、高校に進学して、いざ彼を止めているのは九州から来た大男だった。
なんだ、自分の出る幕はない。彼の隣はもう決まっていたのだ、と思ったとき失恋していた。
それでも、白石のそういう性格が自分の前で露呈する度、ああこいつは自分がいないとだめだ、と思ってしまう。
諦めが悪いつもりはないのに、白石の隣にいる九州男児に白石から向けられる気持ちの重さで敵うとは全く思っていないのに。何故か、繰り返し俺は思う。
こいつは、俺がいないとあかん。
白石は、止めてくれる特別が既に側にいるのに、何故俺のところに来るのだろう。
いっそ素振りすら見せてくれないなら、俺も諦めがつくのに。
「だからなぁ、侑士は将来大阪帰るんやろ?」
寮の千歳と白石の部屋で、聞いてみると白石は暢気にそう言った。
千歳は今謙也たちにゲーム要員としてかり出されていていない。
「まあ、父さんとかの仕事が急に変わらん限りは」
「やからやない?」
白石は冷蔵庫から紅茶を取り出してひねる。
結局白石は財前に謝っていなかったらしい。部活の時、財前は“逆にお前もうちょい柔軟に生きろやって言われてしまいました。あの人はどこまでも人の正論っちゅーのが嫌いらしいですよ”と忍足に零した。
確かに、白石は正論を嫌う節がある。そんなあからさまに正しいことなんか聞きたくない。
それが喧嘩した時、忍足以外の相手に彼が言う口癖だった。
縛り付けるような鎖が嫌いなのだろう。そのくせ、彼は縛りたがっている。
「千歳は、高校卒業したら九州帰る言うしな。」
今隣にいる特別を、確かな正論で縛りたがっている。
「止めへんのか?」
「女やったなら止めるなりついてくなりするけどな。男やから。
側におれない相手を好きや言い続けるんは疲れんや」
そう言って彼は笑った。
「……俺は、千歳の代わりになるんかな」
「侑士がイヤやないならな」
イヤだとはいえなかった。
それが代わりでも、彼の隣の特別になることに躊躇いは、忍足にはない。
その程度には白石が好きだ。
自分なら、千歳以上に白石を理解出来る自信もあった。
その背中を、抱き寄せて囁く。
「ほな、予行演習しとく?」
なのに、いざ触れられると彼は困ったように笑う。
「笑えんから、今はいい」と。
千歳が彼の隣にいる限りは、自分は千歳の代わりにすらなれない。
彼を抱きしめることも許されない。
笑いながら、残酷なことを思った。
「さよか」
早く、高校を卒業したい。
早く、千歳なんか九州に帰ってしまえばいい。
「…ほな、あと一年我慢する」
「うん」
きっと白石は千歳を見送る時すら泣かないから、千歳がいなくなったら思い切り抱きしめて泣かせてやろう。
その日を今から楽しみにする忍足に、自分がひどいという自覚くらいはあった。
「あ、忍足。まだいたんか?」
扉をくぐって千歳が帰ってきた。やっと解放されたらしい。
白石はなんてことない態度でお帰りと笑う。彼は病的なほど笑うことが上手い。
「ほな、俺は帰るな。蔵ノ介、もう二度とあないなことすんなよ」
「保証はせんよ?」
「しろ。ほなおやすみ」
おやすみ、と白石の声が扉越しに聞こえたのか忍足は律儀にもう一度おやすみと言った。
「なんの話しちょった?」
「昼休みのや。財前にちゃんと謝らかったんかって」
「白石はほんまたまに馬鹿んなるね」
「俺の成績見て言ってるかお前」
馬鹿なんてお前以外に言われたことないと口角をあげたら振り向かされて強く抱きしめられた。
「また、いらんこと考えちょった?」
「……考えとらん」
「でも、俺は考えちょった」
「…なして?」
「忍足はよかね。白石を名前で呼べる。俺もそういうの、欲しか」
「……名前くらい、好きに呼べばええやろ」
「……白石」
急に真剣になって耳元に囁かれた。
「俺は、…お前を置いては帰らん。お前を手放す気はない」
「………」
「お前は、俺んもんばい」
うん、と心で頷いた。
千歳が言うなら、それが本当なんだろう。本当に彼はそうしてくれるだろう。
本気で親に俺を紹介して、駄目と言われたってその手を離さないでいてくれる。
そういう男だと知っていた。
「……千歳」
だけど、俺はそういう正論ほど、信じられない。正しいと繰り返されるほど、疑って疑って、千歳を裏切って侑士を頼る。
未来が現実にならない限り、俺は繰り返し言うのだろう。
「…そんな嘘言うのは、やめようや」
こうやって、千歳の誠実を信じない言葉を。
繰り返し。そして今日も彼を裏切って、そのくせ侑士とキス一つ出来ないくらいには、矢張り俺は千歳しか好きじゃないのだけれど。
「…嘘じゃなか。絶対。……………絶対、一緒に連れていって、幸せにする。
…信じられないなら、現実になるまで言う。どげんしたら、お前は俺を好きって言う?」
俺が信じられない未来という正論を、今日も千歳は繰り返す。
自分が九州に帰るつもりだと言ってから、俺が使わなくなった好きと言う言葉が欲しくて、彼は今日も俺を抱く。
拒む気はなく、素直に好きと言えば喜ぶことをわかっていたけれど。
喜んで欲しかったけれど。
「………阿呆やな、千歳は」
そんな言葉は、もういらんやろと。あくまで突き放す自分は、その言葉しかもう千歳を縛れないと諦めていた。
千歳は本気で、誠実に繰り返すのに。
俺はなにかが不安をもたらすかもわからないくせに、不安な顔で、今日も彼の欲しがらない言葉を繰り返す。
お前を特別だと思って。けれど俺はお前を恋人だと思ったことなどなかった。
いつだって、お前は壁一枚を隔てて遠い。
お前はいつもその壁を壊して俺を抱きしめて好きだと言うけれど。
俺にその壁は壊せない。
俺は、お前のように正論を信じられる子供には育たなかった。
お前はいつだって、宇宙から来た異邦人だった。
(俺は宇宙には飛び立てなかった)
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