予約は世界の終わりまで










『 俺は白石蔵ノ介以外欲しくありませんからくださいて 』




 いつだって、その言葉ばかりを振り返った。

 いつだって、支えにした。


 自分はあまりに弱くて。

 すぐ崩れそうになるから。


 いつだって、その言葉ばかりを振り返った。








 高校一年の、冬。
 とても、寒かったことを覚えている。
「白石」
 同じ方向が帰路で、自分の前で足を止めて振り返った千歳の、長い影は見えなかった。
 冬で、空は暗かったから。
 微笑む顔だけは、いつも通りだった。
「一緒に、暮らさなか?」
 千歳は以前と同じアパートで暮らしている。
 自分はなかなか、家を出るタイミングがなくて、そのまま。
「な?」
 千歳は笑っていた。けれど、その手が、震えていることに気付く。
 安心した。
 彼も、怖いのだ。

 自分だけじゃない。

「……うん」
 いつもと別人みたいに、頷くことが出来た。
 千歳は一瞬驚いた後、ひどく嬉しそうに微笑んで抱きしめてくれる。




 その腕の温もりを、忘れられない。
 冬の切り裂く寒さすら、損なえない暖かさ。






「わざわざ引っ越さんでもよかったのに…」
 ぶつぶつと呟いている自分の頭を、千歳が背後から撫でる。
 そこは、千歳と自分の新居だ。
 以前千歳が住んでいたアパートでは二人暮らしには狭く、広いマンションに引っ越した。
 家賃は自分の親と千歳の親の折半だ。
「狭かといろいろ困ったい」
「なんでや?」
 運ばれてきた自分と千歳の荷物を部屋に移動させる。
 部屋はリビングと、千歳と自分の部屋を一つずつ、寝室は一緒。
「白石、自分一人で考えたいこつあっとだろ? 俺はなかけん…。
 傍におったら、欲しくなる。圧迫したくはなか」
 物わかりいいことを、言う。千歳が悲しくなる。
 もうそんなの、いいのに。
 一人部屋なんか、いらないのに。

「…千歳がおらん」

 つい口走っていた言葉に、千歳は目を丸くして、その場に止まった。
 恥ずかしくなって白石は俯く。
 千歳は荷物を置いて、傍に近寄って、自分の持つ荷物をひょいと退かした。
 床に置く音がする。
「…白石、もう一回、…言うて」
「…嫌」
「蔵」
 低い声が、耳元で呼ぶ。すぐ、すがりつきたくなる。甘えたくなる。
 顔を上げて、泣き出す直前みたいな顔で、白石は言う。
「千歳がおらん。……一人部屋いらん。…一人は、…嫌や」
 千歳はすぐ、嬉しそうに笑って自分を抱きしめた。
 甘えたくなって、堪らなくなって、どうしようもない。
 ストッパーも、理性も飛んでしまっている。

 千歳が好きで、しかたない。






 学校の休みの日は、決まっている。
 千歳の部屋に入り浸って、千歳の腕の中、足の間に座り込んで、千歳の鼓動を聞いている。
 自分の部屋には、ほとんどいない。平日も。
 勉強の時、しかたなくいる。
 千歳の手が、髪を何度も撫でる。
 ぎゅうと、きつく抱きしめられても、拒まない。嫌じゃない。
「……ちとせ」
「ん?」
「…もっと撫でて」
 そう言う自分の顔は、きっと真っ赤だ。すごく、照れているはずだ。
「うん」
 千歳の手が背中を、肩を、至る所を撫でる。愛撫寸前のような感触に、身体が震えた。
「名前呼んで」
「白石」
「そっちやない」
「蔵」
「ぎゅうってして」
「はいはい」
 先ほど以上にきつく抱きしめられる。そのまま、身体を撫でる手は止まらない。
「…好き、言うて」
 心臓が、ひどく緊張する。そう強請る時はいつも。
 いつか、千歳は言わなくなる気がして。
 嫌だと、拒む気がして。
 そしたら、強請っていないのに、顎を掴まれてキスが重なった。
 優しい手が、何度も後ろ頭を撫でる。
 キスの合間、口移しに低い声が呼ぶ。
「蔵、我慢できん。…してよか?」
 それに、浮かぶ欲情と、少しの寂しさ。
「蔵、…愛しとう。好いとう。…もう我慢できん。
 お前が欲しか。お前だけ欲しか。…なぁ、俺のもんになって」
 キスの合間に、何度も声が呼ぶ。寂しさが消える。
 腕を千歳の背中に回すと、千歳が白石の身体を抱き上げて、耳にキスを落とす。
 千歳の顔を見ると、欲情に潤んだ中に、微かに怯えた色がある。

「蔵」

 呼ぶ声が、少し、震えている。
 不思議に思う。千歳が、何度も言う。

「もう我慢できん。…もうセーブできん。お前が困るから、ずっとあまり束縛せんよう、好きになりすぎんよう、我慢した。…もういけん。もう無理ばい。
 …なぁ、蔵。欲しい。ちょうだい。蔵のこつ、ちょうだい。
 一生を、ちょうだい?」

 抱き上げられたまま、何度もキスの合間に囁く真剣な声に、不謹慎にも笑いそうになる。
 だって、こんな無抵抗に身体を預けているのに。
 さっきだって、お前じゃなかったら甘えないのに。
 お前だけなのに。

 ああ、それでも、お前も怖かったのか。




「…くれてやるわ」



 だから、離すなやと、囁くとすぐ深いキスが落ちた。
 寝室に運ばれて、すぐ覆い被さる巨躯に手を伸ばした。
 骨が軋むほど抱きしめられる。
 耳元で、千歳の酔った声がした。幸福に、恍惚に酔った声。


「もう、……逃がさなか」









「白石!」
 休み時間。白石は選択科目を多く取っているので、大抵の生徒がもう授業のないこの時間、まだ移動がある。
「今日、帰り寄ってかへん?」
 友人の一人だ。そこそこ仲はイイ。
「どこに?」
「お好み焼き!」
「ああ……」
 それなら、ええ――――――――――――と白石が答える前に、白石と彼の視界を遮ったのは大きな腕。
 白石を自分の方に抱き寄せて、千歳は白石の両目を大きな手で塞いでしまった。
「いけんよ」
「……え?」
 びっくりしている友人に、千歳はとても人がいいとは言えない笑みを見せた。
「蔵の時間は、全部、俺のもんやけん」
「……」
「じゃ、な」
 ひらひら手を振って、千歳は白石の目をふさいだまま方向転換させる。肩を抱いて歩かせる。
 白石がくすくす笑う声がする。
「もう誘い乗ったりしたらいけんよ」
「うん」
「お前の時間は、俺が全部予約しとうから…」
 その声に、滲む、あの日と同じ恍惚。

 恍惚に、幸福に酔っているのは俺も同じ。

 お前の時間は、全て俺のものだ。



『俺は白石蔵ノ介以外欲しくありませんからくださいて』




 あげる。一生をあげる。
 瞳も、顔も、手も足もあげる。こころを、身体を、時間を。
 一生あげる。



 だから、お前の時間の全てをくれ。




 お前の全ては俺のモノ。俺の全てはお前のモノ。





 あの日の言葉が、ホントウになる。













 2009/07/07