責任とらせろ!









「おはよう、蔵」
「………」
 白石は自分のクラスに来るなり、脱力した。
 原因は、我がモノ顔で他人のクラス(二組)に居座っている一組の同級生。
 でかい。下駄の、三月に熊本から来た転校生。
「千歳、そこ俺の席やぞ」
「やって、蔵の席ば座ったら俺が蔵と話せんけん」
 校門で会って一緒に教室まで来た謙也が指摘するが、千歳はさらっと笑顔で答える。謙也は「俺の人権は!?」と朝からテンションが高い。
 白石は無言で長いため息を吐くと、鞄を千歳の座っている謙也の席の斜め横の自分の机に引っかけて、そのまますたすた教室を出ていった。
「しょんなかねー。また逃げっと」
 肩をすくめて立ち上がった千歳に、謙也は小声で顔を近づけ囁く。
「お前、ほんまなんなん?」
「ん?」
「マジで?」
「マジで」
 千歳はにっこりと微笑んだ。三月に四天宝寺に来た千歳が、白石を追いかけ回しているのはもう有名だ。他人には、意味不明な理由で。だから、他のヤツはまだ『悪戯か興味』で片づいている。が、テニス部員には、『恋心』だとバレきっている。
 一度小石川がラリーの片手間に訊いたところ、『エクスタシーにヤられたけん♪』とはっきりきっぱり答えて、その場の全員をフリーズさせた。(小石川含む)
「蔵んこつ、好いとうよ」
 千歳は微笑んでいう。悔しいくらい男前に。
 ある日唐突に『白石』から『蔵』と呼び変え、追いかけ回す。白石にきっかけはあったのかと訊くと、真っ青になった。
 なにかあったらしいが、謙也たちは知らない。
「白石のどこがええの? いや、ええヤツやしかっこええけど」
 謙也たちだって、定番すぎて迷惑なほどに、いっそ漫画のようにモテる白石を見てきている。モテる要素なんか一杯あるが。
「…エクスタシーが、よか♪」
「……」
 謙也は閉口した。そのまま白石を追って教室を出ていった千歳を見送ってしまう。
「……あれ、謙也、白石は?」
 千歳と入れ違いに、反対の扉から小石川が顔を出した。
「いなくなった。千歳がおったから」
「ああ」
 小石川は遠慮なく中に入ってくると、そう淡々と返事をした。
「朝から疲れてんな謙也」
「…筋金入りやなぁ、て千歳」
「ああ」
「…健二郎? やる気ないよなお前」
 最近、なにに関しても『白石と千歳』絡みなら小石川は二言目には『ああ』だ。やる気がない。
「やって、どうせあれは近い内掴まるし」
「…そう?」
「うん。強いて邪魔する理由はないし」
 小石川は本当に淡々と言う。本気らしい。
「千歳、『エクスタシーがいい』って。白石の」
 謙也の言葉に、小石川はふうんと言っただけだ。そのあと、ならええやん、と付け足す。
「丸ごと引っくるめて食ってもらえば」
「……」
 謙也は突っ込みたかったがやめた。小石川に。
 お前のその拘らなさはなんなんだと言いたいが、やめた。だってあっさり淡々と「両思いっぽいし」と言われたら、自分も黙ってしまうし。自分もちょっと、そう思うし。







「蔵〜」
 壁に囲まれた通称温室という中庭。白石をすぐ見つけて、千歳は大股で、木の傍に座る白石の傍に歩いてきた。下駄が鳴る。
「あっち行け」
「こっちば来る♪」
「…嫌がらせか!?」
「ミートボールの仇?」
 千歳はにこにこ笑ってそう煙に巻く。
「ほんまなんなん? 大体お前の弁当つまみ食いしたことないで?」
「ああ、これは違か」
 千歳は隣に座ると、白石の肩を強引に抱いた。
「蔵のエクスタシーを最初に訊いた時、食べる寸前でな? びっくりして落としてもうたばい」
「そんなん知るか」
「ばってん、蔵の所為」
 何故か肩を抱く手を振り払えない。千歳は頭を抱き寄せ、白石の白金の髪にキスをした。
 その髪に触れた感触に、白石は身体の芯が熱くなるのを感じる。
「…な? 責任、とって」
「……嫌やもん!」
「なして?」
「嫌やから!」
「なしてね?」
 千歳はびっくりするくらい、意地悪に微笑む。胸がどきどきするくらい卑怯な顔で。
 あの日、部室で押し倒されて告白された。なにもされなかったけど、あの日以降呼び名が『蔵』になった。突然、彼は悔しいくらいかっこよくなる。卑怯。
「俺と付き合えば、チャラばい。俺、家事得意やし、こうみえて約束は破らんよ。口も堅か。身体でかいし、…あとセックスばうまかよ?」
「…っへんたいっ! すけこまし! すけべ!」
「上等ばい。第一、蔵の方が、…エロか」
 白石をもっと引き寄せて、首筋に吸い付かれた。ちゅ、と音がするほど強く。低い声で囁きながら。
 耳まで真っ赤になった白石は意地で腕を振りほどくと、立ち上がり振り返って怒鳴った。
「そういうとこが、嫌!」
「ときめく、の間違い。蔵」
「その名前呼ぶな!」
 言うだけ言って、白石はその場を大股で離れる。
 千歳は追ってこなかったが、視線をずっと感じた。







 その日は授業でも、部活でも顔を見なかった。
 翌日も、その翌日も。
 流石に休みすぎだし、なにかあったんじゃないか。
 最後が最後だから、気になってしまう。
 部長だからと言い訳して、白石は学校が終わってすぐ千歳の住むアパートを訪れていた。

 古い形のインターフォンを押すが、全く返事がない。
 放浪癖は前の学校から評判だったし、どこかふらついている可能性もある。
 何度かインターフォンを鳴らして、返事がないので、帰ろうと思った。
 でも、気になる。
 本当はあのとき、一瞬覚悟した。


『その名前呼ぶな!』


 そう言ったあと、すぐ『じゃ、白石』って冷たく、言われる気がして。
 千歳は言わなかった。それに、馬鹿みたいにホッとしたんだ。
 ノブを掴んでみると、意外なことに開いてしまった。
「千歳…?」
 まさか、鍵をかけないで、出かけた?
 それとも、病気?
 おそるおそる中に入って、扉を閉める。
 廊下を歩いて、寝室らしい扉を開けた。途中通りかかったキッチンは火の気配がない。
 生活感がない。
 少し怖くなった。
 寝室の中は薄暗かった。が、寝台に横たわっている巨躯は間違いなく千歳だ。
 電気をつけて、荷物を置いてから、白石は傍にしゃがみ込んだ。
 肩を軽く揺らす。
「千歳?」
 呼びかけるが、千歳は目を開けない。妙に、肌が熱い気がする。
 熱があるのかもしれない。
「千歳?」
 怖くなる。あのあと、なにかあったんじゃないか。風邪をひいてしまったのかもしれない。
 なら、置いていってしまった自分が悪い。
 泣きそうになった白石の手を、不意に暖かい手が掴んだ。千歳の手。
 うっすらと目が開いている。
「千歳」
「…帰れ」
「…え」
「伝染るとよ。帰れ」
 掠れた声で言われる。あくまで心配してだけど、突き放されて心臓が痛んだ。
「嫌や」
「帰れ」
「嫌や!」
「……期待ば、させるな」
 千歳はか細い声で、そう最後に言った。いつもの余裕も自信もない声。
「こんくらい、…自分でどげんかする」と言う。情けない声。
 白石は正直、迷った。男となんて、だってどう考えても自分が女だし。
 でも、これだけ惹かれている。突き放されると、痛い。
 離れたいか、近づきたいか、なら、近づきたい。傍にいたい。
「してええから、面倒かけろ」
「……え?」
 千歳が見たこともないような、情けない顔で白石を見上げた。
「責任とるから、とらせろ言うてんねん!」
「…………」
 目をまん丸に見開いた千歳だったが、そのあと風邪の所為ではなく顔を真っ赤にしながらくすくすと笑い出した。
「逆ギレで告白しよった…」
「うっさいな」
「…好きくらい言うべきったい」
「責任とるから」
「…せやけん『好き』って」
 しつこく言う、横になったままの千歳の手を掴んで白石は微笑んだ。いつもの千歳みたいに自信たっぷりに。
「元気になったら、ヤっとる最中に顔見ながら、言うたる」
「………そん誘い方は卑怯…」
 更に真っ赤になった千歳の情けない声に、白石は「ざまあみろ」と思った。
 同じことを言わせてやれた。主導権は、最初からあげたりしてやらない。
 必死に、握っていればいい。簡単に余裕たっぷりに握ってられるなんて、思うなよ。







(………さて、啖呵きった以上、治ったらヤらんといかんよな。…どやって逃げよう)

 そんなことを考えてしまったのは、内緒。











 2009/08/22