白いシーツで怯えるなら

子供のように

罪は、男同士





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切ないくらい
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 木手と付き合う間柄になって、もう三ヶ月経つ。
 部活のない日の過ごし方は互いの家に集まって、思い思いに過ごす。
 その日も、俺も永四郎も別々の雑誌を読んでいて、たまに会話が成立するくらいだった。


 不意に、木手が言った。
「ところで知念クン」
「ん?」
 知念は本から顔を上げないで答えた。大抵、それで成立する。
「俺としてはそろそろしたいんですけど」
 木手も雑誌から顔を上げない。
 そのまま言われて、知念はひょいと窓を見た。
 先ほどからぱらつき始めた雨はかなり強くなっている。
「無理じゃないか?雨、止みそうにないし」
「ああ、雨降ってるの」
「うん。テニスするなら明日とか」
「そうですね」
 そのまま少し沈黙が落ちる。会話が終わったと思って、知念が開きっぱなしの雑誌に視線を戻そうとした時。
「で、そうじゃなくて、したいんですけどね」
「…だから、雨」
「俺、“テニスが”したいなんて言ってませんし」
「………? ああ、そうだったな。じゃあ、なんだ?」
 大抵テニスのことばかりで成立する会話ばかりだったので、それ以外の可能性を考えなかった。
 なんだろうと訊くと、ようやく木手は顔を上げて真っ直ぐ知念を見つめた。
「ですから、もう付き合って三ヶ月ですよね」
「そうだな」
「だから、したいんですけど」
「……なにを?」
「キミの鈍さには馴れたつもりなんですが、たまに負けます。こういう時」
「すまん」
 謝ると、木手はですからと言って、雑誌をベッドにおいた。
「はっきり言うと、セックス。キミとしたいんですけどね」
 ベッドに片肘をついた体勢で見上げられて言われて、一瞬理解が追いつかなかった。
 徐々に脳に届いた言葉に、思考が停止した気がした。
「……セックス?」
「そう」
「俺と」
「他の人として欲しいんですか?」
「いやイヤだ」
「だったら」
「………」
 木手が限りなく本気で言っているとわかって、直後には顔が真っ赤になるほど血が上った。
「……本気で?」
「本気ですけど」
「……俺とじゃ、間違いなく」
「女役は俺でしょ?わかってますよ」
 はっきりとしか言わない木手に、迷いは一切ないようで、抱く側の知念の方が焦ってしまう。
「……今日じゃないとイヤなのか」
「逆にキミはイヤなんですかとききたい」
「……イヤじゃ、ないけど」
「じゃあ、いいでしょ?」
「……いや、そうじゃなくて」
 まだ焦るようにどもる知念を見上げて、木手は初めて辛そうに瞳を揺らした。
「…………俺を抱くのは、そんなにイヤですか」
「そんなわけ…!」
 それだけは絶対ないと立ち上がった知念を、疑うような心細い目で見上げる瞳に、負ける。
 本当はずっと、抱きたかった。
 しなかったのは、まだ引退前、抱くことを覚えて歯止めが効かなくなったら木手を困らせるからと思って耐えていただけで。
「…………………」
 いいのか?とか、辛いぞとかそんな言葉が浮かばない。
 心細そうな彼を前にして、まどろっこしいことなど言えない。
 だから、見つめてはっきり告げた。

「欲しい」

 伝える。
 すると、彼は知念に気付かれないよう強く張りつめていた息を吐いた。
「よかった」と。
 その声が、らしくなく緊張に震えていて。
「…拒絶されたら…、死ぬほど悲しいんじゃないかと…少し考えました」
「拒絶なんて、する筈ない」
 少しムッとして言ったことを、すぐ後悔した。
 触れた彼の頬は冷たく、指先は緊張に酷く強ばっていて。
 ああ、怖かったのだ。
「…そんな、ことない」
 もう一度言った。今度は、真摯に。
 安堵に震えて、指先を酷く冷やした彼の身体を、解くように。
「……」
 知念の両手に頬を触れられて、見つめられた木手が、クスクスと笑ってこつりと額をそれと合わせた。
「…よかった」
 もう一度彼も言った。
 なんだか、修羅場にもならない、修羅場の空気だった気もした。
 自分たちには、甘すぎて、修羅場なんてきっとできっこないけど。
 俺たちは、そんなに長くお互いから離れられないし、冷たい言葉なんて吐けないから、一生出来る筈ないけど。
「……抱きたいよ。永四郎」
 直接的に、本心を言うと彼はくしゃりと笑った。
 泣きそうでもあったし、単純に嬉しそうでもあった。



 最初だから、負荷も大きいからと、一回だけだと決めたのに貪欲な思いはその後数回求めてしまった。
 辛そうにはした彼が、それでも拒まず、受け入れてくれることが幸福で。



 それが、当たり前になると思った。




「え」
 翌日、木手は学校を休んだ。
 風邪だという。
 見舞いに行こうと思ったが、委員会の用事に邪魔されて遅くなって、この時間では失礼だろうと行けずに終わった。
 見舞いに行った甲斐が、「結構しんどそうだった」とメールをくれた。

「…今日も休みなのか?」
 同じクラスの不知火に翌日、朝訊くと、自分を苦手にしている彼は壁に隠れながらああ、と答えた。
「あと一日は出てこれないんじゃないかって言ってたぞ」
 隠れるほど怯えるくせ、しっかりそう言ってくれるのだから信頼はされている。
 単純に、相性の問題だとか思うので、知念は今更不知火の態度を言及しなかった。

 早く用事が済んだので、その足で木手の家に向かった。
 空手道場の跡取りだが、親は普通の会社員なので家は大きめだが普通の一軒家だ。
 玄関をくぐると木手の母親が、あらと迎えてくれた。
「永四郎くん、会えますか?」
 言外に具合はよくなりましたか、と訊いた。
 母親は心配そうに、それがねと言った。
「昨日よりはマシみたいだけれど、…甲斐くんが来てくれた時は本当意識なかったもの。
 おばさん病院に連れていったほうがいいんじゃって思ったの。
 本人が嫌がるから、二階で寝てるけど。食事が受け付けられるのは幸いなのよね」
 それだけ酷いのか、と心配になった。
「せっかくだから、会ってきてあげて?ほとんど話は出来ないだろうけれどあの子、人が傍にいると少し安心した顔するのよ。無意識でしょうけど」
「はい」
 後でお茶もっていくわ、という母親に背中を向けて階段を上った。
 部屋の扉を一応ノックして、開けると少し籠もった、ムッとした二酸化炭素の匂いがした。
 窓が開けられている。
「………永四郎?」
 遠慮がちに呼びかける。
 寝台を覗いて、心臓が止まるかと思った。

 顔色が真っ青だった。
 高い熱を出しているのに。ぜえぜえと苦しそうに荒く呼吸を吐く唇は真っ白で血の気がなく、閉じられた瞳が引きつむられている。
 時折苦しげに寝返りを打っても楽にならないのだろう。
 苦しそうな呻きが小さく漏れて、思わず投げ出されているその手を握った。
 ひどく、熱かった。この体温で人間は生きていられるのかと恐ろしくなるほど、熱かった。
「…永四郎」
 怖くなった。怖くなって呼んだ。
「……っ……。…。ん」
 苦しみしか漏らさなかった唇が、不意に閉じられて再び開く。
「……ちね…クン…?」
 高い熱の所為で零れる汗に黒髪が額に張り付いている。
 横向きに寝ている身体の瞳がうっすらと開いて、ベッドの横に座っている知念をもうろうとした視線で見つめた。
「…かあさん?」
「…俺だ」
「ああ、…やっぱり」
 まぼろしでもみたのかと、と荒い呼吸で笑われた。
「無理して、話さなくていい」
「………寝てるだけって、つまらないんです…」
「休むのも、仕事だ」
「………知念クン、とうさんみたい…」
 くす、と笑った木手がすぐせき込んで、伝染るかもしれないからと言った。
「いや、そんなに弱くない」
「…俺が気になります」
「あれだけ苦しそうにされて、帰れるわけないだろ」
「……………」
「甲斐も、遅くまでいたんじゃないのか」
 昨日、と言えば肯定に小さく笑われた。
 その日は、夜の九時まで手を握っていた。
 いくら汗をかいても熱が逃げていかないのか、木手は眠りに落ちるたびに苦しそうに声を漏らしていて。
 意識がある時は平気そうに話す。
 だけど、意識がない時さえあれだけ苦しいなら意識が戻った時はどれだけ苦しいのかと考えて、酷く胸が苦しくなった。
 苦しいのは俺じゃないのに。
 せめて、苦しいと言葉にしてくれれば、なんだって訊いてやれたのに。






「長引くな」
 移動教室の時、一緒になった平古場がそう言った。
 甲斐がなにが、と言う。
「永四郎の風邪」
「ああ、あれ風邪?」
「さあ、でも本人がそう言ってんじゃん」
「……あいつのこういう時の理屈はうさんくせえからなぁ」
「それはある」
 思い出すのは、意識のない時の苦しそうな寝顔ばかりだ。
「知念も行ったんだろ、あいつ風邪だっつったの?」
「……あ、ああ。訊いてない」
「おいおい」
「そういや、熱って言えばさ同じクラスの奴が頭抱えてた」
「なんで」
 甲斐が平古場の言葉に首を傾げた。ふるなら詳しく話せ、と。
「なんか、初めてセックスしたんだと。そしたら彼女、身体が負荷に負けたかしたんだろ。
 抱かれる方って負荷が重いから。しばらく高い熱が続いたらしくて、付き合う自信がなくなったって」
「……そんくらいで冷める愛情ってイヤだな」
 甲斐の言葉はにべもなかったが、事実だった。
 そして、心臓が気付いたことに痛くなった。
「どした、知念」
「……」
 木手が熱を出したのは、抱かれた日のすぐ後だ。
 女ですら負荷が重いなら、本来受け入れられる仕組みではない男はどれほどの負荷がかかるのか。
 抱いた時、特に体調を崩している様子は全くなかった。
 何度も重ねたことならどうかわかったが、これが初めてだったから、わからない。
 本当に、自分の強いた行為による負荷に、負けてしまったのかもしれない。
「…知念? 顔、青い」
 平古場の言葉も、耳を通り過ぎていった。
 抱きたいと思ったことが間違っていたのか。好きだと思ったことか。
 わからなくなって、額に手を当てた。
 熱が自分にうつって、彼が楽になればいいと思った。




 翌日、見舞いに行った先で木手は起きあがって机に腰掛けていた。
 具合は、だいぶいいらしい。
「…寝てろ」
「でも、だいぶ作成出来なかったメニューが溜まってしまっていて。
 もう熱下がってますから」
 あれほど苦しんでいた人間とは思えない程涼しく言われた。
 額に手を当てると、まだじんわりと熱い。
「熱い」
「…八度までは下がりましたよ?」
「充分高い、寝ろ」
 腕を引いてベッドに座らせると逆らわなかったが、横にはならなかった。
「…寝てくれ」
「……今寝ると、キミは帰るでしょう?」
「起きるまでいるから」
「………」
 木手が見上げた視線のまま、そっと指を伸ばして、知念の唇に触れた。
 矢張り、熱い。
「……知念クン、知念クンの方が、病人みたいだ。顔色が悪い」
「……大丈夫だ」
「…なにか、思い詰めてるの?」
 前から木手に隠し事は出来ない自覚があったが、見破って欲しくなかった。
 けれど、安堵もした。
 それは、黙っていると、また抱いて欲しいと願われた時も。
 抱かなくて、不安に思われることもあるから。
「…俺の所為じゃないのか」
「…なにがですか」
「熱。俺が、抱いたから」
「………違いますよ。元々、体調を崩し気味で。
 季節の変わり目はそうなんです」
「……本当に言い切れるのか。俺みたいなのが抱いたら、相当負荷が重い筈だ」
「…………」
 木手は指を知念の唇から離して、そっと額を胸に押しつけた。
「……もう抱きたくない、って、聞こえるんですが」
「永四郎が、またあんなに苦しむなら…」
「俺はイヤです」
「……永四郎…」
「……俺を馬鹿にしてますか。負荷に負けるなんて、それは普通の日常に支障ない程度の鍛え方の人間の話です。俺はキミより鍛えてます。そう簡単に負けたりしません」
「でも、そういうのとは関係ない筈だ」
「本当に元から崩し気味だったんです。確かにそれがきっかけで負荷で熱の引き金にはなったかもしれませんけど、俺はイヤじゃない」
「………」
 寂しくなって、知念は木手を抱き締めた。
 どうして、伝わらないんだろう。
「なんで、それじゃ駄目なんですか。
 負荷がどれだけかかったって、熱で苦しんだって、…キミに触れて欲しいだけなのに」
「…頼むから、甘やかすな。俺は、無理をさせたくない」
「…」
 俯いた木手が、すがるように知念の服を掴んだ。
 その指が震えている。
「じゃあ、別れた方がいいんですか」
「…そんな、意味じゃ」
「だって、見てるだけじゃ寂しい」
 見上げて、見つめられて、心臓が苦しくなった。
 それは、決して不快なものではなく。
「…触れたいし、触れて欲しいし。
 抱かれている時、とても幸せだった。
 痛いとか、辛いより、とても安心した。
 俺は知念クンに抱かれているのが、心地いいんです。
 …幸せなのに、繋がっている時が、酷く気持ちいいのに。」
 そんな風に、言わないで、と零した声は酷く死にそうな程か細かった。
「…永四郎」
 彼は言ったじゃないか。拒絶されたら、死ぬ程悲しいと。
 なのに。
「…苦しんだって、傍にいたい。抱かれたい。
 性別が関係ないなんて言わないけれど、キミだから好きになったのに。
 …見ているだけは寂しいです。……」

 キミが触れる場所がなきゃ、苦しくて息なんか出来ない。

 胸板に額を押しつけるようにしがみつかれて、そう願われて。
 ああ、やっぱり、負けるしかない。
 その細い身体を抱き締めて、それならお前が苦しい時は、苦しいと素直に甘えてくれと願った。
「…あまえる?」
「苦しい時は、苦しいって言ってくれ。苦しんでる時まで、他人を気遣わなくていいんだ」
「……、そうしたら、また抱いてくれるんですか?」
「……お前が、苦しいのを我慢しないなら」
 本当は、苦しい思い自体させたくないけれど。
 あんな風に、心を痛めつけるくらいなら、精一杯好きだと言いたい。
 触れて、苦しみをわかりたい。
 だって、好きなんだ。
 そう伝えると、その瞳から涙がこぼれた。
 驚いて、抱き締める知念に、すがりついて言われた。
「……よかった」
「……永四郎」
「…面倒だって、思われてなくて。…思われていて、よかった」
「…俺は、永四郎以外を好きにはならない」
「……触れて教えてください。好きだって、身体で教えて。
 見ているだけは寂しいから、ずっと、抱いて欲しい………」
 必死に願う唇を塞いで、熱い口内を貪った。
 好きだ、と合間に伝えると心底幸福そうに微笑まれた。
 それで、負けた。
 それならいくらでも触れて教えるから、一人で泣かなくていい。
 好きだ。
 本当に、誰より思っている。
 キミが負荷に負けるなら、俺がずっと傍にいて手に触れているから。
 いつか抱いた翌日、笑って会えればいい。
 どうしたって、本当は抱きたい気持ちがあるんだから。
 キミが望むんだから。
 いつか、笑って会える日が来ればいい。
 それまでは、ただ眠るキミの傍で切ない思いで愛を伝うよ。

 切ないくらい、キミが欲しいから。