キミが連れ出してくれた光の中。



 だから、笑顔を見せて、抱きしめて。










SOS






 独りで眠っていると、今でも、懲りずに溢れる不安があった。

“橘はわざとばい”“千歳なんてもう”“あいつら仲が悪かった”…。

 あの頃、散々聞いた黒く、暗く囁く声。
 大坂に来て、無縁になったはずの声。
 それでも、暗闇の中、俺の足を止めるものの名前を知っている。

 俺の身動きを封じる、ものを俺は知っていた。







 久々に顔を出した部活は、後輩たちの声で溢れている。
「お前も来るなんて珍しいやん」
 千歳を見つけた謙也がそう言って、駆け寄ってくる。
「たまには」
「たまにな。お前、四天宝寺のルールブックに載るしな」
「?」
 傍にいた一氏が笑って、「ようあるやろ」と言う。
「修学旅行とかで、『昔こんな生徒がいたので、同じことはしないように』みたいに、事例を出して禁止事項を注意」
「ああ」
「来年から、うちのルールブックにお前のことが載るで。
『大会途中に退部するような部員はレギュラー志願しないように』とかな」
「……耳が痛か」
 肩をすくめて、困った表情をした千歳は、その後も謙也たちの『熱が40度あるんに修学旅行いった先輩おるんやて』などと四天宝寺の歴史(?)を話している。
「…そういえば、白石は?」
「あいつは……、今頃掴まってんちゃうん?」
「…………あ」
 そこで千歳はやっと、日付を思い出す。

 VD(バレンタイン)だ。

「…もみくちゃにされてそうっちゃね」
「されとるんやて」
「あそこにも事例が」
 と一氏が指さした場所。コートの傍で、「財前くーん!」という黄色い悲鳴と「部活中や!」という現部長の声。
「謙也とユウジは?」
「…お前、それ聞くか?」
「……万一ってこつもあるばい?」
 地雷だったかと焦りつつ、千歳は社交辞令の笑みを浮かべた。
「三つしかもろてへんわ」
「……………」
 謙也のから笑いに、千歳の笑みも固まる。地雷だった。
「…ちゅーても、謙也は断った結果やし」
 一氏がその場の空気に気付かないのか、そう言う。
「断った…本命を?」
「あ、うん」
 なるほど。と、千歳はその現部長を見遣る。財前のためか。
 ということは、
「謙也、モテるったいね」
「は?」
 義理チョコが三つだけなんて。
 そう言うと謙也は若干顔を赤くして、ぼそぼそと「まあな…」と呟いた。
「…千歳は?」
「俺はさっきまで裏山で昼寝。誰にも見つからんけん」
「…まあそこまで登ってくフットワーク軽い子もなかなかおらんな」
 そんなことを雑談していると、千歳の胸元が振動した。
 取り出してみると、携帯。フリップを開くと、メール受信の文字。白石からだ。
「なんやろ」
 メールにカーソルを合わせて、開くを押す。

『たすけて(千歳限定)』

 覗き込んだ謙也と、千歳は固まった。フリーズだ。
「…、白石!?」
 一気に顔色を変えて校舎の方に走り出した千歳を見送って、謙也は肩をすくめた。
「お前は行かへんの?」
「やって、限定されたらなー?」
 そういう謙也の顔は、にやけていた。







 急いで走る中、千歳の思考は「なにがあったか」をひたすら検索していた。
 誰かに喧嘩を売られたのか、誰かに襲われたのか?
 白石なんだ。どれでもありうる。
「白石!」
 三年二組の教室に駆け込むと、机に突っ伏していた身体が顔を上げた。
「千歳。…助かった」
「白石…大丈夫とや!?」
 傍に駆け寄り、その額に手を当てる。熱はない。顔色は悪いが。
 他の要因かも。
「……ちと、せ」
 途中、白石が上擦った声で呼んだので、なんだと覗き込んだ。
「……手、が」
 その頬は、赤い。自分の手は、白石の額と、白石の手を握っていた。
「あっ」
 慌てて離すと、一瞬白石は悲しそうな顔をする。嫌がっていると思ったのに。
「……どぎゃん、したと」
「……チョコ攻撃がうるさいから」
 白石は立ち上がると、机の横に置いてあった紙袋を手に持った。
「…チョコ避けや」
「……ほんなこつ?」
「うん」
 でも、そういう白石の顔は、あまりよくない色で。
「…しらいし…?」
 髪に手を伸ばそうとして、千歳はぴくりと指を止めた。
「…ちとせ?」
 自分を見上げる白い顔。赤くて、でも、心の中に悪い声が住んでる。


“自惚れるな”“勘違うな”“お前は誰だ”


 って、俺を非難する。
 伸ばした手を引っ込めると、白石はひどく辛そうな顔をした。
 それに、もっと辛くなる、自分。
 でも、声がうるさかった。

 お前は誰だって、責める声。

 千歳だ。九州二翼。橘に目を壊された人間。お前は潰されそうになったんだって。

 悪く言うのは、昔の故郷の誰か?

 …俺?


(…白石は、違うのに)


「…帰ろう」
 支えるように肩を抱くと、おとなしくする白石は、俯いている。

 心の中で、声がする。さっきと違う。

 廊下に出たとき、遠くでこちらに向かってきて、ざわめきたつ姿が見えた。
 女子だ。数人。多い。
 白石狙いだろう。
「……千歳。お前、帰ってええから」
「そ…」
 反射的に否定しようとして、見遣った顔は青白かった。
 手が、冷たい。

 心の中で声がする。さっきと違う声。


 守りたい。笑って欲しい。逃げるな。


 心の中で、いつだって俺の足を止める、悪い声より、うるさく響く。


「ごめん白石」
 そう一言謝って、白石の身体を抱き上げた。
「へ…?」
「貧血かなにかばい。それで俺を呼んだんじゃなか」
「…ぁ」
 傍に来て、顔を見合わせる女子たちに微笑んで、千歳は言う。
「ドクターストップ。大好きな白石にしんどいこつ、我慢させてまでチョコあげたいような子、まさかおらんたい?」
 女子たちは慌ててこくこく頷いた。白石の顔色の悪さは見えているらしい。
 満足そうに笑って千歳はその場を、彼を抱えて通り過ぎた。女子達の「白石先輩、お大事に」という声が遠くなる。

 腕の中で、おとなしくしていた身体は、不意にぽつりと言う。

「…触るん、嫌やったんやないの」
「……、触れたかよ。俺は。………好きやから」
 そう言って、ぽんぽんと首筋を撫でると、白石はぽかんとした後すぐ、自分にしがみついて胸元に顔を埋めた。
 少し、泣くような小さな声と裏腹に、自分の服を掴む手は、離れない。
「…好いとうよ、白石」
 不安に足を止めて、告げずにいたから、何度でも言うから。
 その手は、離さないで。




「千歳」
 送っていった自宅の前で、大分顔色のよくなった白石が礼を言った。
「別によか」
「……」
 微笑むと、赤くなって白石は言葉を探す。
「……返事、な?」
「あ、うん」
 心臓がどくりと鳴った。のに、間抜けな返事しか出なかった自分を呪う。
「……」
 何度も口を閉じ、開いてを繰り返した白石は、千歳の服を掴むと、前のめりになった千歳の唇に軽くキスをした。

「名前で呼んで、千歳」

 全身に響いたその声に、千歳は赤くなったあと吹き出して、笑顔でその身体を抱きしめる。意地っ張りだと思う。それすら愛しい。
「……」
 顔を寄せて、自分からもキス。

「……好いとう。…蔵」





 もう、悪い声はしない。








「あいつら、くっついた、に千円」
「俺、二千円」
「…誰もくっつかなかった、に賭けないんやったら意味ないやないですか」
 そのころのテニス部部室。財前はそう言いつつ、自分も『くっついた』に賭けていた。








 2009/06/06