好きって言って!












 白石とは同室だ。
 寝室も一緒。隣のベッド。
 そのおいしい状況で、しかも先日から晴れて恋人同士。

 ぎしり、と寝台が軋んだ。
 千歳に覆い被さられて、白石はムッとする。
 今は眠い。
 しかも、人の両手に指を絡めてシーツに縫いつけて、こいつ、なに考えてる。

「蔵……」

 熱っぽい声が呼ぶ。瞳にも熱がある。
 それは、予感はしていた。
 そのうち押し倒されるんだろうな、と。
 でも、
「セックスしてよか…?」

 熱く言った瞬間、千歳は喉からなにかを吐くように呻いた。
 白石の自由になる足が、千歳の鳩尾を思い切り蹴ったのだ。
 すぐ自由になった手で、顔を力一杯殴られる。

「お前、ほんまいっぺん、死んで来い!」

 そう叫んで、白石はまだ呻く千歳の下から抜け出すと、振り返らずに寝室を後にした。

 その日は一日戻ってこなかった。多分、誰かの部屋に泊まったのだ。



 …晴れて恋人同士、のはずである。
 筈、なのは、自分がまだ、彼に言っていないから。

「好き」だと。







 寝不足でふらふらになりながら、千歳は学校への短い通学路を歩く。
 といっても、寮から学校。数百メートルの道のりだ。
 学校の敷地内の舗装された道を通る生徒たちが、至るところで挨拶をする声がする。
 千歳は背後から走ってきた靴音がしたと思った瞬間、後頭部をばしん、と殴られた。
 呻きながら振り返ると、そこには金髪の同級生、忍足謙也の姿。
 謙也は千歳を殴った手を傍に立っていた小石川と打ち合わせる。それに容易に予想が付いた。だって、その交代、みたいな手は。身構えた千歳に構わず「交代」した手で小石川が遠慮なく千歳の頭をごすっ、と殴った。
「……〜〜〜〜〜〜!」
「自業自得」
「以下同文」
 殴るだけ殴り、言うだけ言って二人は歩き出した。千歳を置き去りにして、生徒たちの朝の喧噪の中に消える。
 小石川は長身だが、結構この学校の生徒は長身が多く、すぐ隠れてしまう。
「……いたか」
 情けない声で呟きながら、千歳は多分白石から聞いたんだろうな、と思う。
 あの二人は自称他称共に白石の親友兼保護者だ。
「おい、止まってんじゃねえよ歩く四天宝寺の危険物」
 背後でまた、声がした。偉そうなのがデフォルトな、強気な声。
 振り返ると、やはり跡部だった。
「……おはよ。てか、危険物?」
「お前だお前。四天宝寺の危険物。
 いや、今はうちの危険物か」
 はっきりきっぱり言う跡部の顔は、笑っているが目が笑っていない。さりげなく不機嫌だ。
「…危険物、じゃなかよ」
「危険物じゃねえなら、エロ辞書だな。そういう単語にラインマーカー引いてあって、端っこ折ってある辞書」
「…どっちも違か!」
「今後一切、白石を押し倒さねえなら撤回してやるよ」
 些か不機嫌な声で跡部にはっきり言われて、千歳は言葉をなくした。やはり、知っていた。
「あと、三年間最後まで在部してたら危険物も撤回してやる」
 跡部は腕を組んで言うと、人混みをかき分けるようにして千歳の傍を通り過ぎた。
 一度、振り返って、挑戦的に笑う。
「ああ、もう一個。白石にきちんと告ったら、撤回、だ」
 そう言い放って、今度こそ生徒達の群に消えた。
「……てか、ここ、公衆の面前やろ…」
 今更なことを言ってみるが、説得力がない。
 人前構わず、白石に「そういう」視線を向けていたのは、自分だ。

「……危険物」

 千歳の声は、情けなかった。とても。







 昼食は買い弁か、食堂だ。
 今回は買い弁当で、屋上で食事だった。白石と、謙也、小石川。
 遠くで食事をとっているのは、幸村と真田と柳。
 会話は互いに聞こえない。
「ほんま信じられへん」
 白石がそう言うのは、今日何回目だろう。
 もっとも、千歳が先走ったとは、誰も白石からは聞いていない。千歳の顔の平手のあとで悟ったのだ。
「白石は甘いわ。平手やのうて、拳でいったらよかったんに」
「既に鳩尾に蹴りを見舞ったあとやったしな」
「鳩尾? 股間やのうて」
 まずそこに疑問の友人に、白石は内心こいつらいい性格しとるよなと思う。
 唐揚げ弁当の中のしょうがを箸でつまんで口に運びながら、「不能になったら困るし」と白石は言った。
「お前が千歳に突っ込んだら?」
「…いや、うーん……それでもええけど」
 小石川にそういう意味やない、と白石は返した。本当にいい性格の友人だ。
「別にいきなり押し倒されようがええねん」
「好きって言われてれば、でしょ」
 背後から急に声がした。白石は思わず口の中で咀嚼していなかったご飯をそのままのみこんでしまう。軽く涙目になりながら振り返ると、予想通り幸村の姿。
「うん。でも、先に名乗ってな?」
 わかるけど。と生理的な涙を拭っていうと、わかるならいいじゃないと幸村。
 仁王立ちの格好をやめて、傍にしゃがみ込んで彼は白石の唐揚げを一つ、強請ってから指でつまみ上げた。
「まだ言ってないんだ。あのヘタレ」
「ヘタレ言われたら千歳も終わりやな」
「だってそうじゃない。好き言わないで抱くなんて、どんだけヘタレなの?」
「まだやけどな。未遂」
「うん」
 幸村は微笑んで頷き、「だからエロ辞書なんだよ」と誰かの口調を真似た。
「え?」
「エロ辞書。そういう単語にラインマーカー引いた悪戯辞書?
 そんな意味かな? 自分でやったって意味の」
「いわんとするところはわかる」
「千歳はがっつきすぎだよね。たった二文字でいいのにさ」
 にこにこと音がしそうに笑う幸村の言葉に、白石は笑った。少し、寂しげに。

 たった二文字でいい。
 聞かせて欲しい。







 放課後の廊下は、授業の後すぐ帰る生徒の波が過ぎると、途端静かになる。
 白石のクラスの前の壁に寄りかかって千歳は彼が出てくるのを待っていた。
「千歳?」
 呼ばれて、すぐ落胆する。違う声。見遣ると、手塚がいる。
「待っているのか?」
 白石を、とはわかるらしい。否定する理由もなく千歳は頷く。
「……言ってないのか」
 誰経由か知らないが、聞いたのだろう。手塚にまで言われて、千歳は軽くへこむ。
「言った方がいいぞ」
「わかっとう」
 傍を通り過ぎながら、手塚は軽く口の端を上げる。
「俺みたいな口べたじゃないんだ。言えない、という言い訳もない」
 どこか意地悪に。高校にあがってから、手塚は前よりは笑う、とは聞いたが。
「千歳は、間が抜けている」
 言うだけ言って、鞄の中身を揺らすと手塚はさっさと歩いていった。
 千歳は茫然とする。言い方がソフトだが、あれは、十中八九。

「…手塚の癖に……!」

(俺にヘタレて言いよった…)


「…なにがや」
 そのタイミングで教室から顔を出した白石の手には、日誌。日直だからだ。
「…いや」
 なんでもないと否定しながら、咳払いをしてしまう。これでは図星の合図だ。
「おまえ…ほんま今日おかしいな」
「……いや、うん、割と、前から」
「自覚あるんか、それはそれで問題や」
「……」
 なんか、今日はもう誰にも勝てない気がしてきた。
 黄昏る千歳の腕を引っ張って、白石は帰ろうと言う。自分を見て笑った。


『たった二文字でいいのにさ』


 昼休み。屋上に丁度来た自分に幸村が言った。ウインクつきで。
 白石たちは気付かなかったけど。

 言えるなら、とっくに言ってる。

「……千歳にそこまで期待しとらんし」
 白石はそう言いながら、寂しげに微笑んだ。千歳の手を離すと、日誌を持っている手で自分の指を軽く撫でる。伝染った自分の体温をなぞるように。
 すぐ、千歳はその手を掴んで、何度も触れた。
「…なに?」
 見上げて、微笑む白石が、愛しくて、大事だった。大事なんだ。
「…俺が触っちゃる」
 だから、そんな触れ方を自分でしないで。
「うん」
 白石は頷く。それにあわせて、少し伸びた後ろ髪が、白石の肩を撫でた。
「…俺が、抱きしめったい」
「うん」
「…俺が」
 いろいろ周りがうるさくて、正直腹立つ。けど、一番に腹が立つのは、言えなかった自分。
「…俺が」
 白石の手を握って、顔を見つめた。うっすらと赤い、桜色の頬。
「…」
 手を握っていると、熱が本当に伝染ったみたいに、熱かった。
 抱きしめたいのを堪える。目を見て言わなきゃ意味がない。
 その頭を、そっと辿るように撫でて、額にキスをした。
 瞳を見て、告げた。

「好いとう、言うから」

 瞬間、白石はぽかんとして、すぐ嬉しそうに微笑む。
「ごめん、二文字じゃなかったばい」
「…え? なに、そんなん…」
 急に謝った自分に、白石がおかしそうに言って、くすくすと笑う。
 何度も髪を撫でてから、白石の腕を引っ張って抱きしめた。
「…それでええから、もう一回」
「……愛しとう」
「…」
 嬉しそうに腕の中で笑う白石の振動が伝わる。暖かい。
 うれしいのは、自分かもしれない。




「……あの、俺、今日、シたかけん」
 抱きしめたままおずおずと千歳が言うと、白石はじと目で下から見上げてきた。
「…結局それか」
 と、溜息を吐いて。













 2009/07/11