パノラマスピカ

◆パノラマスピカ◆










 お互い執着心の薄い方だと思う。


 それが互いに、楽なスタンスで居られる理由だと思っていた。





 恋は戦争、と誰が言ったか言わないか。


 今日ばかりは、それを切に思い知る日。





「…相変わらず……すげぇな……」
「もーここまで来ると何もコメントできん」
「侑士…、紙袋あるか?」
「毎度のことやし、あるよ」
「頼む、一つ」
「今日ばかりはお安くない御用やな」
「…悪い、大まかな被害は侑士と跡部位かと」
 高くくってました。
「昼休みジュース一本」
「おごらせて頂きます」
「よっしゃ」
「サンキュ侑士」

 朝っぱらか何を会話しているかと言えば、下駄箱の中のモノの扱い。
 そのキャラクターと容姿で、一年の時から学年問わずモテていた忍足の下駄箱がチョコで一杯になっているのは見慣れたモノだが。
 それなりに貰うとは言え跡部達程苦労しない向日は、下駄箱に入っていても五個くらいだろうと考えていた。
 現実は大幅に違っていたが。
 何せ、二人ともテニス部である。

「これは跡部が見物だな」
「樺地も被害被りそうやな」
「渡してってか」
 思い浮かべてはくくっと笑いを零し、向日はチョコの入った紙袋と鞄を抱え直す。
「あ、あの忍足君」
「噂をすれば」
 真っ赤になって、綺麗にラッピングされたチョコの箱を手渡しに来る女子生徒。
 まだ教室に入っても居ないのに、彼女が初めてではない。
「気持ちに答えるつもりはあらへんで?」
「それでもいいんです」
 なんて会話もお互いよく聞く。

(健気だねぇ…今だけは)

 心の中でぽつり一言。バレンタインは戦争である。武器持った状態の女を甘く見てはいけない。
 ようやく教室の前に辿り着く。
 ダブルスのペアではあるが組は違うからここで一旦お別れだ。
「じゃ、頑張れ」
「岳人もな」
 顔を合わせて笑い合う。矢先に忍足のクラスの女子が。
「忍足くーんはい義理チョコー!」
「忍足君はいあげるー」
「おおきにー」
 とかってなる。
 同クラスの女子は他クラスよりもおふざけと義理の調子が強い。
 本命は渡しにくいからとも言う。
 義理だし、ふざけて十円チョコ十個とか渡す女子もいるのでその辺は気前よく受け取って自分の席に袋を降ろすと、斜め後ろの席にばらばらと置かれたチョコが目に入った。
 宍戸の席だ。本人は居ないが鞄がかけてあるので席を外しているだけだろう。
「なんや本命チョコっぽいもんが多いなぁ」
「あ、それ私が来たときにはもうあったよ」
「置きチョコかいな」
 下駄箱入れといてもええのに。
 椅子を退きながらそんな事を胸中で呟いて、忍足が閉じた窓硝子越しに空を眺めていると、靴音と椅子の退く音がして、直後に“はよ”という声が後ろからした。
 椅子を下げて身体の向きを横にし、振り返って。
「おはよーさん」
 と言ってやってから、また何だか増えてるチョコの量に眼を瞬いた。
「増えとるな」
「下駄箱」
「俺もや」
「お前よかマシだな」
「せやけど持ってかえんの大変やろ」
「あー…、まぁまだ鞄に入る範囲だからな。俺は紙袋まで行かねぇし」
「いつも一歩手前で止まりよるし?」
「うるせぇ」
 もう原(※教師)来るぞはよ前向けと促され、笑いながらも忍足はそのまま向き直った。増えるとええなーなんて発言をかましつつ。
「あ、なあ忍足」
 横から他のクラスメートが掛けてきた声に、何だと振り返れば。
 一枚の小さな、紙を渡された。
 可愛らしい字で、“昼休みに三階の踊り場で待っています”。





「好きだぞ」
 そう言って、告白してきたのは向日の方だ。





「侑士ー、帰るぞー!」
 がらりと教室のドアを引き開けて、勢いよく入って来た彼の手に、チョコが山になった紙袋。お互い様だが、忍足の方がやはり多い。
 黄昏の中で、忍足はそれにおーと手を上げて応えたが、椅子からは立たない。
 眉を寄せる向日に、“悪い”と謝って。
 それで向こうも理解したらしい。

「――――――――――――――――…また?」
「また」
「いい加減にしなよ侑士」
「せやかて、健気に“一週間だけでいいんです付き合ってください”って言われてしもたら」
「その手にのってもう何回目だっつってんの。
 だから向こうもつけあがるんだろ?」
 腕を組んで、心なし不機嫌に見下ろしてくる少年の顔は、日差しで少し、見難くなっていた。
「えーやん。お手て繋いで一緒に帰るくらいのお付き合いやし。
 な?」
「…………勝手にすーればー?」
「おう!」
「阿呆」
 心底呆れた声。
 それを訊くのももう何度目だろう。

 けれど決して、向日が止めた試しはないのだ。
(軽く拗ねて、翌日にはもう)
 普段通りで。

 お互い執着心が薄いんだろう。

 チョコを自分が受け取っても、向日はただ女の凄さに呆れている。

 多分、その方が楽だ。





「好きだぞ」
 そう言って、告白したのは自分だった。





「………重い」
 忍足や跡部ほどではなくとも、向日もモテはする。
 しかもその他におふざけに渡してくる女子もいるから、大変だった。
 チョコは嫌いじゃない。好きだし、嬉しいんだけど。重い。
 帰り道を腕が吊りそうになりながら、歩く。
「………ったくあわよくば侑士に持たせてやろうと思ったのに」
 当てが外れた。
 いつもより大股で歩く。校門を潜った頃赤茶けていた空は、とうに暗い。
 手の平が痺れてくる。分けて、持って帰れば良かったのだけど。
「……馬鹿ゆーし!」
 一声、苛立ち紛れに叫んで、それからつい、ため息を吐いた。

(チョコは別に、しょーがない)

 あげたい奴はあげたいんだから貰えばいいし、好きでない限りチョコなんか貰ったって気が動くわけでもないから、嫉妬もしない。
 お互い様だし。

 でもいい加減、“健気な女子”の期間限定お付き合いに、ノるのは止めて欲しい。
 お手軽な嫉妬ではないし、それで付き合って彼がそっちを好きになるってのは有り得ないし。
(奴はあれでドライだから、顔だけ女はまず使い捨ての印象しか持ってないしな…)
 でも、自分は恋人以前に相棒だ。
 レギュラーから落ちれば即解散とはいえ、それは結構な綱だ。
 愛されている自信はある(でなければあいつがYesと言うはずがない)。
 他の女に目移りされない程度の自信も然り。
 しかし、嫉妬されている自信はからきしだ。それはいいんだけど。
 男だから。対等だから。女みたいに、依存するような事じゃない。


 だけどあいつが女と付き合う度、放っておかれて嫌なんだ。



「っ―――――――――――――――ってぇ!」
 よそ見のし過ぎだ。
 曲がり角で注意もせずに歩いて、反対側から来た人間の腕にラリアットを喰らってしまう。転ける事は免れたが、持っていた紙袋からチョコが零れて散らばってしまった。

「げっ…!」
「あ、ごめん」

 謝る前にそっちに気がいって、慌てて散らばった包みをかき集める。
 衝突相手も手伝ってくれて、何とか車に轢かれる事にはならなかった。
 それから、謝罪も無しな事実に気が付いて、向日は慌てて頭を下げる。

「っごめん! あと手伝いサンキュ!」
 恥ずかしさも手伝って、少々まとまりない口調で言うが、相手には伝わったらしい。
 苦笑混じりに、“いいよ”と返される。
 安堵して、それからようやく、まじまじと相手を見上げるに至った。
「…………高」
 かなり高い。暗がりで見えにくいが、かなりの身長だ。しかもそれなりに顔が良い。
 それなりに見栄えするタイプじゃないだろうかと思いながら見つめていたら、あまりに不躾だったらしい。

「…なんか付いてる?」
「あ、いや別にそんなんじゃない! 悪い」
「ならいいけど。
 家こっちの方なんだね、向日君」
「え、あぁ――――――――――――――――……………………」

「……そんな異常な顔しなくてもさ」
 名指しで、しかも家の方向まで言われて、向日はかなり驚いた。
 しかも見覚えなんて全くない相手だ。けれどそこで、相手が着ているのが見覚えある学生服だと気付く。
「………え、あ?」
「あ、今コンタクトだからわかんないか。
 ほら、関東初戦で当たっただろう? 青学の」
「あ、あぁ!? 誰?」
「……ダブルス1」
「…………………………………………………………………“超高速サーブ”?」
「ああ」
「………、うっそだ…。なにお前詐欺顔」
「詐欺って言われたのは初めてだけど」
「だっておま…っ! そっちの部長の年齢詐称とタメ張るぞ!?」
「言っておくよ手塚に」
「詐欺だ詐欺男!」
「なんでそんなテンション高いかねぇ…」
 正反対のテンションで話していても、噛み合わない会話が続くのみで、“詐欺詐欺”と言い倒してはいたが、向日も直ぐにそれに飽きる。
 脱力気味に構えて、そろそろ痺れてきた腕を休めるために紙袋を脇に置く。
「………はぁ、また無駄な体力が」
「あ、自覚有るんだ」
「違うわい! お前と話してんのが!」
「それは話の流れで判るよ?」
「じゃあなんだよ自覚って!」
「だから、俺と話してるのが“無駄な消費”って自覚あって話してるんだと思ったんだけど」
 口の端を上げて、殊更わざとらしく吐かれた台詞に、向日は返す言葉も思いつかない。
 なんでこう、青学は特殊な奴ばかりなんだ。まるで会話が意味を成さない。
「……お前、何したいの?」
「君こそ、何したくて俺と話してるのさ」
「…………会話テンションがおかしいと言われた事はないのか?」
「寧ろ頭の中の構造について興味持たれるよ」
「本気で中学生?」
「手塚向きの問いかけだなぁ」
「駄目だ通じねぇ…」
「口に出てるし」

 本当に相手を負かす台詞が思いつかなくて、向日はため息を思いっきり吐くと、意味もなく足をコンクリートに擦り付けて足音を立てる。
 だが途中、がきっとかいう変な音を聴いて、思わず足が止まった。
 恐る恐る足元を見てギョッとする。

 眼鏡だ。

 黒縁の眼鏡がある。(しかも割れとる!)
 その上に自分の足=自分が壊したって事で。
 しかも何だかこの眼鏡は。

「………………あぅ」
 意味の成さない言葉を吐いて、どうしようかと相手を見上げる。
 ちょっとだけ、“あーあ”みたいな顔をしている。間違いない。奴のだ。
「……………ご、ごめ」
「いや、落としてたのに気付かなかった俺も俺だし」
 鞄、開いてたのかもしかして。
「…でもな、あのこういうのはなぁなぁにすんのはよくないと思」
「いや別にいいけど」
「でもなんかちょっと俺のプライド的にな」
「なら弁償する?」
「…し、します」
「それはご苦労様」
 何だか疲れてばかりいると思考の外で思ったり、なんでこいつこんなに他人事なんだろうとかとも思ったのだが、それはもう済んだからいい。
 とりあえず、暇ではなくなるので、それもいい。





 その週の休みに待ち合わせて、目印の時計の下に、自分にしては早く行ったのに。
 彼はそれより更に早く居て、ちょっと拍子抜けた。

「…今、十分前なんだけど」
「時間前行動の人間だから」
 まぁ、運動部にそういう奴は多いけど。それでもルーズな奴も多いが。
「そんで?」
 軽く首を折って、向日は改めて乾を見上げる。自分が壊してしまったから今もコンタクトだ。確かに格好いいが、元を知っているので複雑だ。
「どこの眼鏡?」
「行きつけのあるから。こっち」
「へいへい」
 大人しくついてきますよ〜、とばかりに駆け足で追って、わざと追い抜くように歩いたら目があった時に笑われた。




「ねぇ、映画楽しかったね」
 満面の笑みでそう問い掛けてくる。
 普通に可愛らしくて、とても儚げな少女。
「そやな」
 なんて、笑って答えて。

 こういう付き合いは嫌じゃない。期間限定でも、付き合う相手は選んでいる。
 あまり髪もいじってなさそうな、初々しさの残る、嫉妬なんて考えにも及んでいないような子。嫉妬されるために、付き合うんじゃない。
 それなりに楽しいから、ギブアンドテイクのようなもんだと考えている。

 一応付き合っているはずの、向日は何も言わないから。
 拗ねるだけで、止めはしないから。

「あ、あの……」
 言いかけて、無意識に上目遣いで問い掛けてくる、やや拒絶されることに怯えた表情。
「…あそこ、寄っても…いい?」
 嫌ならいいからと、諦めを前提に置いて話し掛ける。
 それは悪いことではないと思う。男心をくすぐるだろうし、可愛らしいだろうし。
 好きな相手なら、純粋に“可愛い”と思えるのに。

 何処か諦めの入った問い。あいつとは無縁のような動作。
 けれど自分が誰かと付き合う度、“じゃあいいよ”と言うその動作は、それに似ていた。

「……忍足、くん?」
「あ、あーええよ? 何処でも付き合ったる」
「本当? 有り難う」
 手を繋ぐことだけで酷く喜ぶ。
 それだけやればいいなんて考えるなら、なんて簡単な事。
 示されたのは小さな雑貨屋。可愛らしいぬいぐるみや、日常品が飾られているのが見える。
 彼女に連れられて入って、――――――――――確かに向日が気に入りそうな店だったけれど――――――――初めて彼が居ることに気付いた。

 右側の硝子の側。ふざけた類似品みたいなモノの置かれた棚で、変な玩具を手にしては傍らにいる人間に見せて、笑っている。




「ほら見ろよこれ! この前跡部の車に乗った時にさぁ、前の車にこれがついててすっげ笑ったんだぜ」
「…跡部君、中学生だろ?」
「あ、違う。迎えの」
「ああ…」
 “俺はノってます”とかいう変な車用のシールをひらひらさせながら、訊いているだけで充分なように、向日は先程から喋りっぱなしだ。
 喋って体を動かしていないと気が済まない質だろうかとも、乾は思ったが楽しそうなのでわざわざ怒らせる必要もないと特には言わなかった。
「…ああ、じゃこれなんかプレゼントしたらウケ狙いだろ」
「あ――ぜってー嫌がらせだと思われっぞ」
「手塚にあげてみようか」
「よりによってそのセレクション!?」
「何言ってるんだ? 詰まらないリアクションの相手に贈ったって詰まらないだろう?」
「まーそりゃそーだけどもあいつ冗談通じんの?」
「こっちが思ってるよりはね」
「へードリフとか見る?」
「なんでそこでドリフに飛ぶのかわかんないな」
「見てそうな年代じゃないか」
「あいつ一応れっきとした14歳なんで」

 見えなくてもな、そう付け足してまた向日が“ひでぇ”とか笑う。
 それを追い越した視線が、ふと店の反対側でかちあった。
 また、知っている顔だ。
(忍足侑士、君。ありゃデートの最中かね)
 気付かない向日に向けられているわけではない。視線は乾の方をじっと向いている。
 そもそも乾を“乾 貞治”と認識しているのかも怪しいが、興味と敵意を取り違えるほど、乾は物知らずではない。一方のデート相手は向日にも気付いていないようだし。

「あ、」
 けれど、急に声を上げた向日にひとまず視線を戻すと、また何か変な貯金箱を持っている。頭のはげた、割って取り出すのものようだが。
「これ有る意味男への永遠の挑戦と取れないか?」
「とりあえず、髪気にしてる人に贈ったりしたら敵と見なされること受け合いだな」
「侑士に贈ってみよっかな」
「……髪薄いの?」
「いや、あいつはなんだかハゲには無縁な気がするのでせめてもの悔し紛れと“ハゲろ”という俺の飽くなき挑戦だ」
「……………壮大なんだか馬鹿っぽいんだか判断尽きかねるよ」
「何を言う。男は誕生日にウケを狙ってこそだぞ真に喜ばれるプレゼントは親と恋人だけが贈ればいいの」
 先程から言いたい放題の向日に、乾の直線上の視線の上で忍足がさりげなく向日に睨みを利かせていたので、乾は途中で吹き出しそうになる。
「恋人、って。まるで自分は違う言い方だ」
 くすと笑って、見下ろして言ってみる。
 一瞬でも反応するかと思いきや、向日はしれっとした表情で。
「あいつとはセフレの仲なのでウケ狙い可。むしろ希望」
 と抜かした。聞こえていたらしい。向こうで忍足が露骨なリアクションをかましている。

 乾自身あっさり言ったなと多少の感心もしていたのだが、自分の方に向けられた向日のその表情。何処か得意げで強気さえ含んだ色に、納得と、またもう一度感心の感情を抱く。
(彼に気付いていたわけね…成る程)

「君、は当然」
 言いながら指先で下を示す。
「俺的にいずれヤりかえしたい所存」
 ここまでくれば悪ノリもいいところだが、如何せん乾は吹き出しそうだ。向日は見えないからいいが、こっちは見えるので複雑だ。
 なんでこう自分は休日に街に出ると変な娯楽にぶち当たるのか。

「嫌いなんだ?」
 押さえ込んだ笑いに、滲み掛けた目を擦って問い掛けた。
 彼には背中しか見えないだろう。けれどコンタクト越しに、はっきり見えたのは強気で負けず嫌いな笑顔。

「――――――――――――――いーや」

 店の照明が、売り物のミラーボールと重なっておかしな風に光る。
 空はまだ明るいから、店内に薄暗さが落ちる。
 黒髪に、角度によって落ちる煌めき。

「大好きでムカつく」

「…ムカ?」
「だって、俺がいるのに人と付き合うってどう? って思わない訳じゃないんだけど別に嫉妬はうざいからいらないけど。ほっとかれんのは困る。
 でも俺あいつのテニス愛しちゃってるから好き」
 少しだけ、またぶり返す笑い。見なくても判れそうなので、乾は向日の表情だけを追う。
「………テニス止めたら?」
「好きだぞ。
 だって侑士―――――――――――――――、結局俺のこと好きなんだ」

 疑わない。嫉妬もしない。
 何処行ったって、侑士は俺に戻ってくる。
 ねぇゆーし?

「……俺、もしかしてのろけられ役?」
「いいじゃん。娯楽、だろ?」
 街道を歩きながら、ソフトクリーム片手にそんな事を笑って話す。
 かじって食う奴初めて見たなと思いながら、向日は意味もなく歩く道の前を見た。
 空がまだ青い。
「思い切り楽しんでたじゃん。眼鏡も弁償したしこれでチャラな」
「了解」
 足音二つ。
 合わせてくれる、乾の気遣いは嬉しいけれど。少しだけ対抗心燃やして速めてみる。
 また、笑う気配。
 手を取って、手の甲に口付ける。気障な仕草が合ってるなぁとは思ったが、面白がっているのも何となく判る。
「浮気?」
 訊いたら、掴んだ向日の手を握り直して。
「このくらいじゃ違うでしょ」
 と言った。

 浮気なんてしない。
 本当はあいつの方が嫉妬しやすいこと、ちゃんと判ってるんだ。