俺が、千歳千里を認識したのは、二年の夏。 全国大会の、三日目終了後のホテル。 正直言えば、前に認識は出来ていた。ただ、テニス以外の印象は、「不良?」で、それ以上でも以下でもなかった。 体温計と彼の気持ち その日は、引退することになった三年の先輩たちを一足早く泣かせることにみんな必死で、俺も混ざっていた。部長なんだから当たり前。 だが、ふと視界の隅に見慣れない長身が入った。見遣ると、その千歳がいた。 (あれ? このホテルやったっけ? 獅子楽って) そう思ったけど、盛り上がる同級生や先輩の邪魔は出来ず、疑問は保留になった。 そのまましばらく笑って話していると、千歳はいなくなっていた。多分、ここのホテルの誰かに用事だったんだろう。私服がまた、外見に合わない普通の服で、正直、ダサッとか思ったが、遠くにいたし、わざわざ言いに行くことでもないから堪えた。 「てか、先輩、お酒はあかんですよ」 「やらへんて。成績が取り消しになったら嫌やしな。冗談」 「わかっとります。一応です」 「蔵ノ介は真面目やなー」 こんな風に、年下扱いされるのも、最後か、と思うと寂しくなった。 先輩たちが引退したら、自分は一番上になる。部長だけど、頼れる人たちがいた。そんな場所じゃなくなる。別にどんとこいだけど。大丈夫だけど。頼っていたわけじゃないけど。でも、寂しい。 「あんた」 そんな俺の思考をぶったぎった声が頭上から降った瞬間、右肩の方から手を回され、左肩を掴まれた。つまり、手を身体の前に回されて、ホールドされた感じだ。 俺が、「は?」と思った瞬間、耳になにかが差し込まれて、すぐ離れた。 「って、獅子楽の」 先輩の声に、背後を見上げると、獅子楽の千歳だった。いなくなったんじゃないのか。 傍に、同じく橘。 橘は、むしろ俺達と同じ表情―――――――「なにしてんだこいつ」という顔をして千歳を見上げている。 「…やっぱり、あんた、熱あっとよ?」 「…へ?」 「ほら、38度5分」 千歳が持っていた体温計を見せられた。耳に当てたのはこれらしい。 確かに、その数字がある。 「なんか、顔色がおかしかって思ってたばい」 「え? お前、それわざわざ買いに出たと?」 「うん」 やっと理解したらしい橘が、「律儀たい」と突っ込む声も、自覚した途端気持ち悪くなってきてあまり頭に入らない。 「兎に角、病院連れてくか寝かした方がよかよ?」 「…あ、そやな! てか蔵ノ介! お前なんで気付かんの?」 「いや、なんか、…ハイ?」 「ええと、千歳。ありがとうな!」 謙也が通り過ぎ様に千歳に礼を言う声が聞こえた。そのまま俺は部屋に連れて行かれる。 千歳は振り返った視界の中で、外見に似合わない程穏やかに笑って「お大事に」と言った。 その半年後には、仲間になった千歳は度々、俺の体調を気遣った。 お前はいつも体温計常備なのか!?とツッコミたい程、俺の体調が悪い時、自然に(おそらくあの時と同じ体温計)それを耳に当てて、熱があると言う。 何故わかるのか。何故体温計を学校に常備しているのか。聞きたいことは山ほどあったが、有り難いのは事実で。 「体温の感覚が、わからんねんな。自分で」 自分で気づけない。というと「俺がわかるのは、他人やからね」と千歳は笑う。 千歳は眉尻を下げ、眼を細めて、口の端を緩めるようにして、柔らかく笑う。 暢気で長閑と言えばそれまでだが、優しい。 自分の体調は、俺もわからんよ。とフォローをいれる。 「白石のこつは、好いとうし、特に敏感」 ついでのように、告られたのは、夏の前。 保健室で、保健医はいなかった。 風に煽られて影を揺らすカーテンと、少し開いた窓と、薬の匂い。 しばらく、間抜け面を晒したのは不覚だが、あれは誰でも間が抜ける。 ああ、アホなんやな。やって、まだ学校ちゃう頃から、わざわざ体温計買ってくるやなんて。 「そらないやろ。白石」 「いや、実際言うてへんし」 千歳がどうやらサボりらしいと確認してから、白石に保健室に引っ張り込まれた謙也は最初こそ、親友の恋愛相談に乗り気だったが、少し話しただけで先の台詞。 別に、実際口に出したことない。 あれから、千歳とは付き合ってる。一緒に帰るし、あいつも俺が部長の仕事を終えるのを待っていてくれる。 一応順調。付き合って、三ヶ月は経った。 ただ、俺には盛大な悩みがある。 「…で、まあそれはええとして。悩みて?」 「………あー、……お前、さ…」 「うん」 「財前と付き合うて、何ヶ月でヤられた?」 腹をくくって聞いたら謙也は豪快にジュースを噴いた。あ、しまった。率直すぎた。 (とりあえず、謙也、保健室でコーヒー牛乳飲むな) 「な、なにを言い出すんや!」 「いや、普通どんくらいなんかな?て」 「…いや、普通? そんなん自分らでわかるんちゃうの?」 千歳は手が早そうだし。と言う謙也に内心舌打ちをした。ついでに、謙也が最初にいつヤられたか流れで聞き出そう思ったのに、意外に頭が悪くない。 謙也はそんなことに気付かず、はた、と顔を強ばらせた。 「…お前ら、まさか、」 「……、一線は、越えてへんで」 「嘘やろ!!!?」 絶叫か、という声量で叫んだ謙也に慌てて「しーっ!」と人差し指を立てる。 ここは保健室。二人きりになれる場所+千歳が来ない場所の条件で選んだのだ。だが、大声は禁止。保健委員特権である。ちなみに、扉の前に使用中と立てかけてある。 「あいつが、…三ヶ月も手ぇ出さへんヤツかぁ? 絶対出すて。絶対。保って半月。いや、一週間!」 千歳はなんだと思われているのか。 「…いや、まあ、実際は、…三日やったわけや」 「へ?」 「実際は、三日しか我慢せえへんかったよ? あいつは」 「…ん? 一線越えてへんのやろ?」 「うん」 「…で? 三日? キスか?」 「いや、付き合うて三日目に押し倒されて」 「…??? すまん、白石、意味がわからん」 「いややから」 混乱する、と言う謙也に順を追って説明する。 「まず、千歳は三日目で俺のこと抱こうとしたわけや」 「うん」 「せやけど、俺、そん時、微熱あってな?」 「…あー、で、千歳が我慢した?」 「うん。で、その後も、なんでか千歳が手を出そうとした時は大概、微熱やら風邪ひきかけで……最近、あいつ、押し倒す前に熱計るんよ。俺の。で、体温計見て止める」 「……お前、そないに体調崩しとん!?」 「いや、それで家に帰されて、家で計ると平熱なん。熱がない」 「……?」 なんとなく、理屈がわかっている。白石は丸椅子の、自分の開いた足と足の間の部分を持って、溜息を吐いた。 「多分な、俺、緊張と照れだけで熱が出るんや思う。で、解放されると下がんねん」 「…あー……でも、それを知らない千歳は、熱がある思って手を出せない?」 「うん。てか、信じひんのや。俺がそう言うても『無理せんでよか』って」 「…いや、まあ、普通照れたくらいで体温計に反映される程熱出すひとっておらんしな…普通の反応や」 腕を組んで、どうしたものかと考えるが、謙也だってわからない。 自分だって半信半疑だ。 体温ばっかりは、体温計以外の証明はない。体温計があると言うなら、普通そっちを信じる。そして加えて、白石は無理しいで、頑張り屋だ。 (どう考えても誰が考えても、白石がしたいから体調辛いん無理しとると思う…) 「謙也」 白石は謙也の胸中を知ってか知らずか、椅子を握っていた手を離し、謙也の右手を両手で握る。 「俺、どないしても千歳にして欲しいんや」 「……うん。そら、まあ、そうやな」 自分と財前なら、選択肢はあるが。白石と千歳じゃ、白石が抱かれる側以外の選択肢はない。 白石にある選択肢は、拒むか腹をくくるか。しかし、これはそれ以前だ。 「…はよせんと、千歳、俺に飽きて女に走る…いや、抱くだけの女ならもういてるかも…」 「いやいやいや! 大丈夫やて! それはない!」 白石が不安げに、謙也を上目遣いに見た。何度も頷いてやる。 あれに限ってない。あれは明らかに「白石美味そう」とか「可愛い」とかしか考えてない頭だ。 「……案外、白石の方が押し倒したら、我慢切れてそのままヤるんちゃう?」 「俺がそれを試す前に相談する思てんのか」 「…実験済みデシタか」 それでもアカンなら、どうしたもんか。 いやしかし、俺だって未だに緊張で熱が出るなんて、半信半疑だ。 千歳なんか、白石が大事でしかたないから、余計信じない。 (…どー…しよっかなこれは) 腕の中を見下ろすと、素直に収まったままの白石の顔とぶつかった。 安心しきって伏せられた瞼。猫のように肩に顎を乗せ、すり寄る身体。 しっかりしているのに、細くて、あまりに可愛い生き物。 その顎から頬、額を指でなぞると、心地よさそうに更にきつく千歳に抱きついてきた。 (ばってん…我慢) 押し倒したりしたら、また熱が出るんじゃないか。白石は「緊張の所為」なんて言うけど。明らかに心配させまいとついた嘘だ。正確には、熱がある時に限って自分がコトに及ぼうとするだけだ。 けれど、自分の腕の中、閉じこめた身体。白石が千歳を上目遣いに見上げて、「ちとせ」と呼ぶ。 「………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」 「ちとせ?」 我慢の限界だ。抱きたい。というかヤりたい。 こんな美味そうな身体を前にして我慢が続く人間がいるのか。いや、俺以外は我慢してくれないと俺が困る。だって、俺のものだ。 「……白石」 「ん?」 「…誰かと、その、シたこつあっと?」 「…………」 俺がなかなか手を出さないから。いやでも。 瞬きをした白石は、急に目つきを険しくして腕の中から抜け出す。 「白石」 「…帰る」 「え、ちょ…! 白石!」 背中を向け、立ち上がった身体を手を伸ばして捕まえ、きつく抱きしめる。白石の背中が自分の胸に当たる。振り返らない顔は、微かに青い。 「…白石? …、…白石」 「……俺が、浮気しとるとか思て、手ぇ出してくれんならしらん!」 「違う」 「なっ…」 反射で振り返った顔の、後ろ頭に手を固定して、唇を荒々しく塞いだ。 抵抗を示した手も、すぐおとなしくなって千歳の胸元の服を掴んだ。 「―――――――――――――…」 毛を逆立てた猫が機嫌を直して膝の上で丸まる見たいに、おとなしくなった白石を膝の上に乗せてついばむようなキスを何度もする。弛緩していく身体は、また千歳の身体にすり寄った。 「そげん意味じゃなかよ。…ごめん」 「……も、ええ」 「…初めて?」 「…ん」 「…なら、嬉しか」 「………」 白石が不意に伸び上がって、千歳の頬にキスをした。それだけで、我慢が効かなくなりそうだ。必死に堪えて、体温計に伸ばそうとした手を遮られた。 「ホンマにないから、」 「ばってん」 「ええから、…シて…抱いて」 「……――――」 上目遣いに必死に自分を見る顔、自分の胸元の服を握りしめる手。 「…俺、来て欲しい。…全部、千歳のもんにして……」 「……ッ…あ〜〜〜〜〜〜〜〜!」 そう言われて、こんな顔で見られて、我慢出来る男なんかいないだろう。 きつく抱きしめて、キスを落として、抱き上げた身体を寝台に降ろした。 俺が腹をくくったとわかったのか、腕の中で白石は幸せそうに見上げてくる。 「…」 反則だ。可愛すぎる。 「…責任、取りなっせ」 「……なんでもするし。…大好き」 甘く囀る唇を塞いで、服の中に手を這わせた。 殺し文句だ。降参した。 (ああ、でも、一生俺以外には言っちゃいけんよ。…あなたのものにして、なんて台詞は) それは一生、俺だけの殺し文句。 あの日から、惹かれていた。 楽しげに話す、白い横顔。その中に見える、寂しさと青白さ。 気付いたのは、本当に、惚れた欲目だ。 後日、ご機嫌な様子で登校してきた白石に後日談を聞いた謙也は、内心「結局、色仕掛けに負けたわけで…」と思ったが口に出さなかった。 ========================================================================================== なんか千歳にデレデレな白石と、お預け喰らう千歳を書きたくなって書いたらなんだこりゃ(笑) とりあえず、千歳しか見えてない白石と、白石しか見えてない千歳の話です。そんなんばっかかも。 2009/05/06 |