第三者の秘密とペンケースの中の宝物 「……………」 あの日は、千歳が来たばかりの頃で、文房具の品揃えのいい店を知らず、白石を頼った日だった。 千歳の最悪な出席率を渡邊から訊いていた白石は、疑い半分に「お前、うちではまともに授業出るつもりなんや…?」と訊いた。千歳は、目を泳がせながら、「うん」。説得力皆無。 それでも世話焼きでは天下一の白石蔵ノ介。丁寧に千歳の手の大きさも考慮してこれがいい、だの文房具の種類まで説明してはいたが、本屋兼の文房具店だったため千歳が本を見に行っている間に、白石は移動していた。 文房具の品揃えではここら一帯一だというこの店の、ある一カ所。 覗き込むと、これはお菓子のオマケか?という感じの花やら馬やら、車やらの形の小さななにか。 千歳が少し身を乗り出して、一個手に取ると、消しゴムだとわかった。 「…白石、こげん変なもん使うとや?」 「…いや、まさか」 「ならなに悩んどう?」 「………いや、ちょっと」 煮え切らない返事だ。 しかし、結局白石はそれをいくつか購入した。 千歳はクラスが違う上、やはりろくに授業に出なかったのでその後なにに使ったのか知らない。 六月の梅雨明けから、四天宝寺では合同授業の幅が増える。 今まで体育のみ隣のクラスと、だったりしたのが隣のクラスと合同なのが化学の実験や調理実習でもあったり。下級生との合同授業も出来る。ただし、下級生との合同授業は三年は受験があることから除外。一年・二年のみの授業だ。 その日、千歳の一組と白石・謙也の二組は化学の実験で合同だった。 千歳も白石にくどくど説教されたばっかりだったので、珍しく出ていて、出席率に賭けているクラスメイトはそれを知るや、白石に文句を言ったり(別の日の出席に賭けたヤツ)感謝したり(その日に賭けたヤツ他純粋に委員長など)。 実験は前半は実験の手順などをノートに書き込む作業だ。 「白石、謙也ー」 「おう、千歳」 自由に班を作れ、という段階で千歳が来たのですぐ理由はわかる。白石と謙也の班に入れてくれ、というのだろう。 「ここよか」 「ええで。謙也は?」 「ええに決まっとるやんか」 「サンキュ」 千歳にしたって、断られるなんて思ってもいない。礼儀だ。 教師が黒板に説明と同時に書きだした手順を見ながら生徒はノートに書き込み始める。 途中、謙也がはた、と千歳を見遣った。 「お前…なんで黒板しか見とらんねん」 千歳の顔は黒板を向いた姿勢で固定されたままだ。 全く下を、ノートを見ない。 しかし、ノートにペン先をついたシャーペンは休むことなく動いている。 「ああ、俺、右目よう見えなかろ? いちいち下見て前見て、って遠近掴むん辛くて疲れっばい。 やけん、黒板見たままノート見んで書く癖がついたったい」 「……え?」 それ、可能なのか?と謙也が千歳のノートを覗き込んだ。 会話のその間も休むことなく動く千歳の手が書く文字は、読めた代物ではない…筈が、しっかり読めるどころが、字は格段に上手い。白石ほどではないにしろ。 文字も普通、斜めになっていい筈なのに、なるべきなのに、ノートの線に沿って真っ直ぐ並んでいる。 「…なんでや!? 不公平や!?」 はっきり言って、真剣にノートを見て書いている自分より、上手い。 納得いかず突っ込んだ謙也を教師が注意する。 「忍足、なにが不公平や?」 「…あ、…えー」 「アホ…」 ぼそっと白石がツッコミをいれる。千歳にしか聞こえない。 「千歳くんの字が」 「…正直に言いよっばい…?」 普通言わないだろう。そんなのお前の字が下手だと一蹴されて終わりだろうに。 「上手なんが不公平なんです」 「どのへんが?」 「こいつ、黒板見たまんまノート全く見ないで書いとるんです。 なのに文字は真っ直ぐやし綺麗やし、しかも普段授業サボって文字書く作業なんか俺の三分の一もしてません」 教師と、傍の生徒が千歳のノートをじーっと覗き込んでから、教師が傍の白石に証人として訊いた。 「はい、ホンマに見とりませんよこいつ手元」 「ほお、そりゃすごい。千歳、内申ポイント足しといたる」 「……ぇ?」 謙也が俺は!?と手を挙げて「お前の手柄やないから」と一蹴された。 「…千歳、獅子楽の授業と一緒にしたらアカンで。うちお笑いと一芸に特化しとるもん」 「……あー」 やっと千歳も合点がいった。 そういえば、 「…そうやった。俺、来たばっかの始業式で、校長先生の話の最中、コケとるみんなの中で一人突っ立ったまんまでいたら全校生徒に怒られたばい。その後オサム先生にも怒られて、謙也と小春らに笑われて…」 校長先生の話の最中、四天宝寺では直立不動は厳禁だ。校長がボケる度にコケなければいけない。だが千歳は全くわからず、ただ突っ立って茫然としていて、顔も知らない下級生にまで突っ込まれたのだ。 ちなみに、その後出来るようになったかと言うと、進歩なし。未だにコケられない。 最近は、逆にソレを校長にいじられるようになった有様だ。 「……ほんにこの学校なんね? 同じ日本?」 「日本やっちゅーの」 ぼそぼそと返事をする白石はちゃんと手元を見ながら書いている。その字もなるほど、相当うまい。というか見本の字じゃないのか。 そういえば、あの消しゴムは使っていないな。と思った。しかし、なんだかやけくそじみて文字を書いている謙也を見ると、手元に散らばっている消しゴムは、あの時白石が購入していたおかしな消しゴム。 見るからに消しにくそうだ。 「……謙也、それ」 「ん?」 「そん消しゴム…」 白石が一人、ハッとして顔を上げた。 「ああ、俺のお気に入り。ええやろ」 気付かず謙也がさっきのことを忘れたように笑った。 ああ、白石にもらったヤツだからか、と千歳も納得する。 「なんね、白ぃぎ…っ…!」 白石、と千歳は言おうとしたが叶わなかった。 白石がシャーペンを手放すのも時間が惜しいというように、シャーペンを持ったままの手で千歳の口を塞いだからだ。しかも、シャーペンを持ったままだと途中で気付いて、手の平から手の甲に向きを変えたため、手の甲が唇にがつん、と当たった状態。いわば、軽く殴られたようなもの。 「………」 流石に、周囲の生徒も気付いてしーん、となる。 謙也も、唖然として白石を見た。 「……あ、いや、」 「…気にばせんで。俺ん顔の前に蜘蛛が落ちてきたんで…」 「あー…退治? いきおい余った?」 「う、うん。すみません」 半信半疑に訊いてきた生徒に白石が慌てて言う。教師も納得したのか、顔を洗って来なさい、と千歳に言ってくれた。 「はい、ちくっと行ってきます」 立ち上がった千歳が白石の襟首をがしっと掴む。 「あと、白石くんがトイレ行くそうなんで」 千歳はそう教師に言って白石が反論する前に、低く「ちょっと来んね!」ときつめに紡ぐ。 白石もそれ以上拒否も出来ず、従った。 「なんね、あれは」 別に蜘蛛なんていなかったが、一応なんとなく顔を洗ってしまいながら、千歳は白石を振り返った。白石がお詫びのつもりが、ハンカチを貸してくれる。 先刻の『蜘蛛』は咄嗟の(被害者なのに)千歳のフォローだ。千歳自身、何故白石に殴られたかわからない。なんとなく、あれ以上突っ込んだらいけないのだ、というのはわかるが。 謙也の、消しゴムについて。 「……あー、俺が買うたって、言わんで?」 「…? 白石があげたんじゃなかね?」 「…あげたっちゅーか、………すり替えた……」 後半彼らしくなくもごもご、と誤魔化したが聞こえた。千歳は耳がそもそもいい。 「……え? なして?」 「…あー、言わなアカン?」 「殴られた被害者ばい?」 「……うん」 顔を指さされて言われ、白石もそうやなと頷く。ダメか?と訊いたのは形式美か。 「…そん時、あの頃な、…おまじないが流行っててん」 「…おまじない」 あの頃、というと四月。 しかし、白石とおまじない。 …似合わない。 「……どげんおまじない?」 「……好きな奴のなにかを持っとると恋が叶うとかなんとか」 真顔で言われた。 好きな奴?とはて、となる。白石は謙也と付き合っているが。 「え? 四月ん時、付き合うてなかったと?」 「うん」 「……あー、で…」 おまじないか。と千歳も納得しかける。 白石に似合わないが、まあそういうこともあるだろう。 似合わないと言ったら本当に似合わないが。彼が神頼みをする必要があるのか。謙也なんか明らかに白石を好きなのに。自分が最初に会った時から。 それとも、案外本人はわからないというアレか? そこまで考えた千歳に、白石は「…と、いうのが謙也にバレた時のいいわけや」と真顔で続けた。 千歳の頭に?が飛ぶ。 「イイワケ…?」 「そや。ホンマは、謙也が自分の消しゴムの見わけがつくかついてないんか〜……っちゅーただの俺の実験(どきっぱり)」 そう言い切った白石を、不覚にも男前だと思ってしまった。 「……じ、じっけ……」 「うん。言うたらアカンやろ。いつ気付くかわからんのに。 あ、でも二ヶ月経って気付かないなら、もう気付かないか…」 「……白石、お前…」 なんだかんだいって、お笑い校に一番追従しているのはこいつじゃないのか?と今思った。 「てわけで、千歳も内緒な? 頼むわ」 そう言われて、何故か「うん」、と素直に頷いてしまった。 そのまま、促されるままに教室に戻る。 なんとなく理由はわかる。 それこそ、白石の言い訳だ。 白石は多分、単純に謙也に自分の買ったものを使って欲しかったんだろう。だが、そう素直に言えないのが彼だ。 謙也が知ったら、喜ぶのに、と少し残念に思う。 実験の終了後、それを待っていたかのように顔を出した渡邊に呼ばれていなくなった白石を見送った謙也の手元から、その消しゴムが落ちる。 気付かず傍を通った生徒が踏みそうになった瞬間、謙也が大声で、 「あっ。た…停止!」 「…へ?」 その生徒もまさか自分に言われたわけではないとは思っていても、つい止まってしまうのが人の習性。いや、この学校の生徒の習性。 踏む寸前で文字通り一時停止した生徒の足の下から、踏まれずに済んだ消しゴムを大事そうに拾って、謙也はついたゴミを払った。 「…お、忍足、俺いつまで一時停止?」 「あ、もうええで」 「……なんやったん…?」 その生徒の声に答えず、謙也はやけに大事そうに消しゴムをペンケースに仕舞う。 「やけに大事にしとうね」 気付いてないとはいえ。白石も嬉しいだろうがと心で付け足す。 すると、謙也が声を潜めて、周囲を伺ってから。 「…内緒やけど、白石のくれたもんやねん」 「…え?」 「あいつ、気付かれてへんて思っとるけどな。 俺もそうしとる。言ったらあいつ、照れ隠しに返せって絶対言うから」 「……なして?」 これも、理由、わかった。でも訊いてみる。 「好きな奴がくれたもんや。わかるに決まっとる」 詳しい判別方法は、多分謙也にしかわからない。わからなくていい。 「…ちぃと、羨ましかね」 「…恋が?」 意外にも謙也に意地悪に訊かれて、千歳はさあと誤魔化した。 別に欲しいわけじゃない。あげた相手や、持ち主に恋をしてるわけでも。 多分、強いていうならそう見わけて言い切れる、謙也の力が、分析上手な自分にとって、だろうと考えた。 実際、わからないけれども。 |