天才の領分








「せやから、誰が健二郎に鞍替えする言うた!!!」




 自分の名前が、怒鳴り声に混ざっていた気がして、小石川は目を覚ました。
 ぼやけた視界は、寝起きだからだが、それ以前に眼鏡をしてないからだ。
 ベッドサイドを手探りで探すと、傍から伸びた手が、目の前に眼鏡を差し出す。
 寮の部屋。自分は入った時から、石田と同室だし、この状況で石田以外いるはずもないから、彼だ。受け取って、かけると視界がはっきりした。小石川が横になった寝台の傍の床に石田の姿。
「怠いか?」
「…んー…怠い…んと、痛いな腰」
「すまん」
「…師範、セックスの後に謝る男はサイアクやぞ」
「……」
「…ごめん。謝ってええから。そんな困らんといて」
 真顔で考え込んでしまった石田に、小石川は冗談の相手が悪かったと慌てる。石田はすぐ、「いや、儂の悪いとこやし」と笑って言った。真っ直ぐにしか受け取れない自分の気性と性格を指して言うが、悔やんでいる口調ではない。彼は真っ当に自信もあるから、その上で優しいから、好きだ。
 横になったままの小石川の、裸の首筋に伸びた大きな手がそのままあがって髪を撫でてくる。
 くすぐったくて、気持ちよい。また眠ってしまいそうだ。
「大丈夫か?」
「…ん」
 体格がいくら、いい方だとはいえ、それ以上の体格がある自分を受け入れる小石川は、負担が相当かかる。最初の頃は、よく熱を出して伏せってばかりいた。
 気の抜けた声で返事をしていた小石川は、不意にはた、となって身を起こす。
 肩にかかっていたシーツが落ちて、際どいところまで裸体が露出する。
 視線をすー、と逸らして自分の着ていたジャケットを羽織らせた石田に普通に礼を言ってから、小石川は今更に赤くなった。
「師範…別に、ええやん。二人部屋やし。一応することシとる仲やのに」
「……またシたなったら困るしな」
「………うん」
 それ以上反論出来なくなって、小石川は空笑いで誤魔化した。
「…て、そやのうて、今さっき、なんなん?」
「今?」
 石田が逸らしていた視線を再度小石川に向ける。渡したジャケットはかなり肩幅が余ってぶかぶかな様子で小石川の身体に収まっている。腕の長さはまだ相応のようだが。
「今、俺、なんか俺の名前が怒鳴り声に混ざってた気がして目が覚めて」
「……ああ。…」
 妙な間で黙り込んだ恋人に、小石川は「その反応は、俺の気のせいではないてことか」と思う。
「…なんなん?」
「白石はんと、千歳はんがな…。謙也が止めたったから、大丈夫やが」
「……また喧嘩?」
「らしい」
「で、なんで俺?」
 自分が石田と付き合っているのは、彼らも周知のはずだが。
「……難しい話なんや」
「……」
 石田は、付き合いが深い相手だと、たまにごそっ、と説明の主語が抜けおちる。この関係になって知った。
 馴れたが納得いかない顔をした小石川は、「なにが?」と聞き直す。
「……難しいから」
「いや、説明を最初から端折らんで? 師範、はに…っ」
 言い募りかけた小石川の言葉が不明瞭になって途切れた。石田に鼻をつままれた所為だ。
「なに」
「…さっきから流しとったけど。一応ヤったあとに『師範』はない」
「……銀」
 よろしい、と鼻を解放された。石田は無言で無表情だ。元の造作が柔らかいから、柔らかい印象を受ける、が。
(微妙に拗ねとる…てか、怒っとる)
 しょうがないじゃないかと思う。付き合う前が長かった。
「で、なに?」
「……千歳はんがな、お前と白石が鞍替えするんやないか、て」
「……………………ハ?」
 我ながら、間抜けで素っ頓狂な声が出た。なんだそれは。
 白石は千歳と付き合っている。
「…なんでそんな話に」
「なんか、白石はんがようお前を頼るかららしい」
「……そら、千歳と俺やったら、俺やろ。自分で言うけどな。
 やって、千歳が実戦以外で役立つとは思わ………………師範、顔、ものっそう怖いで」
 不機嫌そうだ。よくわからないが、石田が珍しく不機嫌だ。とても不機嫌な声で言われる。
「『銀』」
「……銀、なんでそんな不機嫌なん?」
「……お前が鞍替えするやとか言われたらそらなるわ」
「………千歳の戯言デスよ?」
 参った、と手をホールドアップしてから、小石川は内心毒づいた。
 もちろん、千歳に。







 結局謙也に邪魔されて、苛々したまま千歳が寮のリビングの椅子に座っている。
 四つ足の椅子はどこにでもある木の椅子。リビングには、もう誰もいない。
 千歳が見る気もないテレビがついたままだ。
「こら千歳」
 背後から厳しい声がしたと思った途端、首を腕でホールドされて上向かされる。
 そのままぐぐぐ、と絞められた。
「いだっいだだだだだっ!」
「お前、さっきは人の名前出してくれておおきになぁ…!
 おかげで目が覚めてもうたっちゅうねんこんアホ!」
「いだっいたたた!」
 ぎりぎりぎり、と容赦なく首を絞める主は、千歳よりは低いが、この寮では三番目に身長が高い。小石川だ。
 やっと解放されて、千歳は呼吸を深く何度かしながら首をさする。
 背後を振り返ると、珍しく眼鏡の小石川がいる。彼はいつもコンタクトで、寝る時までコンタクトを外さない。朝、起床してコンタクトをつけるまでのほんの数十分だけ眼鏡。あまり眼鏡の意味がないと思ったことがあるが。本人いわく、寝起きの時とか、部屋から出ない時は必要。ちなみに、テニスの試合中も彼は眼鏡だ。コンタクトは外れたら困るから、らしい。追記、黒縁の四角い眼鏡だ。
 今は夜の八時。この時間に眼鏡ということは、寝ていた?
「いきなりひどか…」
「いきなりか? ほなら、いきなり人の名前、他人の喧嘩に出したお前なんやねん。
 手数料払うか?」
「…おまえ、たまに狭量ばい」
「うるさい」
 手を千歳の前でひらひらさせてから、小石川は見慣れたシャツとジーンズの格好で少し離れた場所に体勢を直す。
「そもそも、出したん白石」
「お前が言い出しっぺ」
「……」
 千歳がうぐ、と黙る。その通りらしい。
 小石川は本当に大坂気質で、ツッコミに関してはかなり手厳しい実力行使派だ。
 ツッコミに関してなら、容赦なく正拳突きも飛ばすに違いない(彼が空手やっていたという話は聞いたことなぞないが)。
「で、白石になんかしとらんやろな」
「……しとらん」
「未遂込みで」
 ずい、と顔を近づけられて、ぎろりと睨まれ、千歳は呻った。
「そもそもお前が悪か!」
「ハ?」
「小石川が白石と仲良かとこが悪か」
「……」
 小石川が半眼になった。かなり呆れている。次に来る攻撃が予想出来たが遅かった。千歳の頭上に容赦のないチョップがゴスッとたたき込まれる。
「ほならなにか。白石は口利かんようならんとお前の恋人やってけへんな。
 次言うたら顔面に一発いれるで」
「…ほんなこついれる前は宣言なしばいね…」
 絶対宣言なく殴ってくるに違いない、と千歳は軽く笑った。瞳が笑っていない。
「なにしたん?」
「……未遂…」
「せやから」
「………」
 黙ったままの千歳に痺れを切らしたのか、小石川が小さく舌打ちした。瞬間、千歳の首にまた腕が回って、同時に小石川の足が千歳の座る椅子の足に引っかけられた。
「……小石川、これは」
「三秒以内に答えんかったら、椅子ごと床に沈めるで。いーち、にー…」
「キスしようとしただけばい!!」
 流石に小石川の力で床に叩き付けられるのだけは勘弁だったのか、千歳が慌てて叫んだ。瞬間、頭にチョップどころじゃない拳が落ちた。
 呻く千歳を見下ろして、小石川は長い溜息。
「おまえ、アホか!」
「蔵に関してはアホばい! 上等ばい!」
「そんなつまらん悟り開くな!」
「蔵はつまらなくなかよ!」
「お前の心根がつまらんのじゃボケ!」
 もとより大坂人に千歳は口で勝てない。その最たる存在とも言える話術を持つ白石や小石川には負ける。白石相手なら心理戦かセックスに持ち込むが、小石川では無理だ。
「てか、お前…白石のなんね。いちいち。母親か」
「似たようなもんや」
「……これがボケやないんやからこわか」
「…人前でキスて、なんやねん……。秘めぇや」
 じと目で見下ろされて、千歳は軽く怯む。自分の落ち度はわかっているが、認めたくない。
「大体……っいだぁ!」
 しかし、説教の途中で小石川の方が絶叫した。
「いだっいだだだっ師は…師範…いたいマジいたい!」
 気付くとその背後に石田の身体がある。どうも首根っこを掴んで引っ張っているが、小石川は涙目だ。本気で痛いらしい。情けない声で悲鳴を上げている。服の首根っこを掴まれただけで?と千歳がいぶかしむが、不意に視界に入った小石川の腰骨に、石田の指が一本、ぐりぐりと指圧のように当てられている。+身体を引っ張るだから、あれは痛いのか。
「…」
「……は……あー痛い。……え、師範!?」
 小石川を解放すると、そのまますたすた、とリビングから立ち去ってしまった恋人に、小石川はぽかんとする。
「…え? 今のなに」
「…せやけん、恋人が『他のヤロー』と一緒なんが気にくわんのじゃなか?」
「……は?」
 小石川は間抜けな顔で千歳を見た。千歳が小石川をあんただ、と指さす。
 今頃、このリビングが自分と千歳の二人きりと気付いたのだろう。小石川が、「あ」と零した。
「…自分の恋路よか他人と?」
「…白石は別勘定なんや」
「……」
 千歳がものすごく嫌そうな顔をした。
 石田に対し、多少ひどかったのは認める。ただでさえ、一応情事のあとである。
 しかし、千歳は気に入らない。
「てか、そげんいたか? さっきん。まさか事後?」
「聞くくらいなら察しろ」
「…元気やね小石川…」
 起きてきて、わざわざツッコミに来る体力があることに感心する。
「…ああ、それで寝てた…」
「うるさいで」
「こぎゃん時間ば寝とる方がわるか言うたろ思っちょったけん、なしで」
「…言うてるやんか」
「……俺も、流石に、師範はこわかね」
 へらりと笑ってみせた千歳に、内心同感だったが、顔には出さない。わかっているはずだ。
「とにかく、お前、次にやってみろ」
「なんばすっと?」
「華月の舞台に一人で放置orS-1GPに俺とノミネートのどっちがええか選べ」
「……ごめんなさい。それは勘弁……」
 ボケもツッコミも出来ない千歳だ。普段空気を読まないからといって、羞恥心はある。
 即座に謝った千歳を見下ろし、小石川は溜息を吐いた。また、が、ないといい、と。






―――――――――――――『小石川ばっかり、白石はいつか裏切るんやなか』


 うるさい。
 頭の中を、昨日の千歳の声がリフレインする。
 こんなに好きなのに、どうして、届かないんだろう。
 悩み疲れたように白石は空を仰ぐ。同時に頬になにか冷たいものが押し当てられた。
 紙パックのジュース。コーヒー牛乳。
「…お、おおきに」
「いいえ」
 小春だ。にっこり、と女性のように微笑んで、白石の隣に腰を下ろした。
 屋上の、誰もいない空間。静かだ。
「ほんま、落ち込んどるのね」
「誰かに聞いたん?」
「健坊に愚痴られたのよ。俺を巻き込むな、て」
「…ああ」
 白石は空笑いを浮かべながらも、内心小石川に謝った。彼に全く罪はない。
「千歳くんはね、…ほんまのとこ聞きたい?」
「小春、ずるいで」
 じとりと睨むと、怖いわぁと大袈裟に手を挙げる。仕草も完成されきった女性のもので、もう真偽を考えることに意味はないと思えた。
「そない言い方されたら、気になる」
「まあね」
 小春は肩をすくめた。わざとだろうか。白石にはわからない。
「…あたし、蔵リンが千歳くんを好きになると思てへんかったから」
「…?」
「蔵リン。天才に苦手意識があったもの」
 小春に笑顔で指摘され、白石は黙り込んだ。事実だから。
「アタシだって、最初遠巻きにされたもの。そりゃ、蔵リンは人を嫌う子でも、まして差別する子でもなかったから、すぐ自分から寄ってきて話しかけてくれたし。
 でも、苦手でしょ」
「……悔しいなるだけやねん」
 白石は己は努力の秀才だ、という自負がある。
 人より数倍、出来る人間。
 ただ、天才には敵わない。足が竦む。そういう、天才に会うと。
 存在を、消される気がする。自分がいていい世界じゃないと。
 怖く、なる。

 だけど、同時に盲目ではない自信があった。

 自分は、ああいう『天才』にも負けない秀才だ、という。
 天才が努力しても、負けない存在だ。負けない強さが、自分の努力で得たものにある。
 自負している。
 事実、白石は天才の部類である千歳や、財前、小春には負け無しだ。

 だから、苦手意識は最初の一瞬なのだ。

『ああ、嫌やなぁ』と、一瞬思うだけ。
 そのあとは、その人自身の人格を見て好きになる。
 いいところを探すのは得意だった。
「……ただな、千歳、あんまエエとこないやん?」
「あら、はっきり言うのね」
「事実や」
 千歳の長所は挙げる場所が少ない。
 本当のことだ。
「…やのに、最初はなんて扱いづらい、面倒なヤツって思てたのに、…好きになったら、落ちたら、…もう、どこもみんな、エエ思う。好きになったら、盲目になりたなくても、なってまう」
「…まあ、恋はそうよね。ユウくんだってそうやし」
「ユウジはちゃんと、小春のええとこわかってる思う」
「アタシだってそこはわかっとるよ」
 クスクス笑って、小春は「話戻すとね?」と言いながら立ち上がる。空を見上げた。
「千歳くんやって、劣等感はあるのよ、て話。
 確かに、千歳くんは強いわね。天才の分類。
 …ただ、人格はあの子、天才やないから」
「…?」
「人に好かれるっちゅうか、人に尊敬されて、頼られる天才っちゅうのも、おると思うの。
 人格の天才。
 蔵リンなんかそう。
 人のために動くことや、人に優しいすることが、苦じゃない、本気でやれる子。
 本気で他人のこと思いやれる子。
 千歳くんは、そうやないもの」
「……」
「で、健坊も、そうやと思う。心が天才な子。
 嫉妬しちゃうのよ。どうやっても、勝てないから。
 で、特に健坊は、千歳くんが知らない八年間の時間、蔵リンと一緒。
 …千歳くん、そこんとこ、頭悪いわね」
 にっこりと笑った小春が、指で己の唇を撫でた。キスするように。ふざけて。
 わかっている。
「…うん」

 確かに、健二郎を頼ってしまう根元は、そこや。
 でも、恋人で、好きでたまらんくて。
 お前はもう、健二郎以上に特別やのに。

 なんで、わかってくれへんの。


 たまに、頭の悪い、千歳に泣きたくなる。






 その日の放課後だった。
 日直の仕事を終えて、職員室に行く途中、廊下で千歳と出くわす。
「……」
 気まずい。
「蔵。日直?」
 千歳は普通に話しかけてきた。
 油断出来ない。彼は、普通に笑っていても、いきなり押し倒したりしてくる。
 笑顔の天才ではあると思う。
「うん」
「なら、一緒に帰るったい。待っとく」
「…ああ」
 廊下に面した階段から下りてきた千歳は、白石と並んで進行方向に向かって歩き出したが、すぐ、足を止めた。
「千歳?」
 見上げると、なにやら険しい顔をしている。まずいかもしれない。
 ス、と千歳から離れようとした瞬間、腕を掴まれて傍の教室に連れ込まれた。
「え、や、なに…っ」
 壁に押さえつけられ、慌てて千歳の顔を見上げると、冷たい色がそこにあった。
 ぞっとする。
 背後から伸びた手が、シャツの裾から入り込んで胸の飾りを手探りで触れてくる。
「っ」
 唇が首筋に這わされ、空いた片手はズボンのベルトに伸ばされた。
「千歳っ!」
「蔵、しー」
「っ…ん」
 何事か問う前に、キスで唇を強引に塞がれる。


―――――――――――――「白石、大丈夫やと思うか?」


 隣の教室から、響いた声に、白石は硬直した。
 小石川の声。相づちを打つのは石田の声だ。
 他の声は聞こえないが、二人は間違いなく隣の教室にいる。
 わざとだ。
「…ち…ん…っ…んー…」
 嫌だ。絶対、彼らの傍でなんて。
 そう思っても、千歳の力は強く、抜け出せず手をはずせない。
 キスが離れてすぐ、千歳の指を口内に押し込まれる。
「ん…んん…っ」
 ベルトを外した片手が、制服のズボンの中に入り込んだ。
 手慣れた手つきの愛撫に、感じてしまうのに、どうしようもなく悲しくなった。
「………」
 目を必死に閉じて、堪えていた。白石は、不意に愛撫の手が止まるのを感じた。
 そろりと、目を開けると千歳が初めて不安そうに、見下ろしてくる。
 すぐ、彼は悲しそうな顔をして、白石を抱きしめた。泣きたいのはこっちなのに。
 抱きしめる千歳の身体がぼやける。そこで、やっと自分が泣いていると気付く。
 だって、怖くて、悲しかった。
 嫌だった。
「……ち……とせ」
「…ごめん」
「アホ……アホ……っ…俺、お前…好きやのに…」
「…すまん」
「…あ、あんなん、聞かれるん恥ずかしい……。お前、…にしか、聞かれたない」
「………、うん」
 最後の言葉に、千歳は一瞬瞬きをしてから、白石を更に強く抱きしめた。
 その顔は、どこか満足げに笑っていた。


「………」
 やっと泣きやんだ時、千歳は抱きしめていた手を離して、頬を撫でた。
 柔らかく微笑んだ。
「…」
 安心する。小石川の笑顔も、安心するけれど。
 千歳以上に、こんな安堵を与えてくれる人はいない。
 そう伝えると、千歳は嬉しそうに笑う。
 お前は、端から負けていないと伝えた。

 それは、努力の人間の方が好きだ。
 素直に、共感出来る。手助け出来る。
 でも、天才も、今は好きだ。


「……特別が欲しいならな、くれたってええんやし」
「…へ?」
 白石の服を整えて、帰ろうと手を伸ばした千歳の手を取りながらそう言った。
 顔は赤いかもしれない。
「……ちー、…とか呼んでやろか」
 言った傍からかなり恥ずかしくなって、顔を逸らしたくなった。
 だが、その前に固まった千歳が真っ赤になった。
 鼻を押さえて悶絶しているところを見ると、効いたらしい。
「……」
 白石は、悪戯を思いついた顔になって、にやりと笑う。千歳の傍に立って、耳元で囁く。
「は・や・く・帰ろ? ちー…」
 情事の時の声を思い出して、そう呼んでやると、骨が折れるほどきつく抱きしめられた。
「は、はやく帰るったい! 今日は寝かさなか!」
「消灯時間は守ってな」
「…電気は消すばい!」
 真っ赤な顔ではきはき答える千歳に、どうしても笑いを堪えられない。
 くすくす笑うと、千歳に赤い顔で見つめられた。








「……そろそろ俺等、帰って大丈夫か?」
 教室から出るに出られなくなった小石川がそう石田に問いかけた。うっかり将棋なんかやってた所為だ。
「多分な。あと、念のため五分待とか」
「そやな」
 頷いた小石川を見つめたあと、石田は重い息をいきなり吐いた。
「師範? なに?」
「…いや、なんでもないで」
「…嘘やろ」
 なんかある。なんかある。と怖がる小石川には悪いが言えない。
 流石に、昨日の今日でまた抱きたがったら、嫌がるだろうから。









 2009/07/04