白石に告白されたのは、一年の春だった。
 意味がわからなかったので、取り敢えず率直な感想を口にした。

「気持ち悪いんですけど」

 と。
 そうしたら、白石は「そっか」と笑って引き留めてごめん、と謝って終わりにした。
 それ以上を彼は言わなかったし、翌日の部活で彼はそんな感情をおくびにも出さなかった。
 いつも通りの態度。
 それなら、と財前もいつも通り、に従った。
 冗談だったのだろう。入部したての春、財前には彼が何でも出来る器用な人だと思っていたので、そう片付けた。




「え―――――――――――――!?」
 三年の教室を通りかかった時聞こえた絶叫は、間違いなく謙也のものだった。
 覗き込むと、謙也と向かい合って座る白石の姿。
 同じクラスだから、当たり前の構図だ。
「なんですか謙也くん…今の」
 財前は上級生の空間にも緊張しない人種だったので無遠慮に声をかけた。
「…あ、光! お前、お前も隣行くよな!?」
 隣―――――――――――――四天宝寺の生徒のほとんどが進む公立高校だ。
「謙也くん、俺まだ二年…」
「ええから!」
「…行く予定ですけど」
「やろ!? そこでまたみんなで全国って…」
 言って、謙也は白石を振り返る。
 彼は微笑したまま、ぺらりと紙を折り畳んだ。
「…なんで、……違う高校行くん」
 謙也の声は、もう白石を向いていて、財前を見ていなかった。
「…部長、違う学校なんですか?」
「うん」
「うん、やない。…やって、第一その学校」
 言いかけて、謙也はとにかく絶対認めない、と言い張った。
 白石は笑うばかりだった。


 今は、財前は白石が器用な人でないと知っている。
 むしろ器用にも、不器用にもなれなくて、下手にテニスが強くて、下手になんでも出来るから弱さを理解されない可哀相な人だと思う。
 だから、知った時、財前は後悔した。
 告白をした時、白石はきっと傷ついて、でも不器用じゃないから笑って。
 …器用でもないからなかったことに出来なかったはずだ。



「…財前は知らんかったよな」
 その日の放課後、白石はぽつりと言った。
「俺、お前が通ってるスクールによう行ってて、やから知っとった。
 入学前から。…やから、まあ、好きになったわけやな」
「……部長、傷付けられんのわかってて告白したんやないですか?」
「……俺は、そこそこ期待もしてしたで。そこまで自虐にはなれん」

 お友達くらいにはなれんやないかって。

「正直、お前とセックスとかしたいって意味で告白したんちゃうし」
「……」
 驚いた。告白って、そういう意味じゃないのか。
「部長って、お前には線引かれんのイヤやったし。やから、友だちになってくれって。
 そういうつもりやったから。誤解させたんやな、すまん」
「………」
 気まずくなって俯いた。
 今度こそ、後悔した。
 純粋な歩み寄りを、勝手に汚い想像で傷付けた。
 この人は友愛な感情で自分を好いてくれただけだ。
 性的な意味合いなどなかった。
 きっと、嘘ではない。嘘がつける、器用な人ではない。
「……高校」
「…ん?」
「高校、隣来てくださいよ」
 俯いて、それでも言った。
 願った。
「…また、一緒に全国、行きましょうよ。…そしたら、俺、あんたんこともう部長って呼ばへんから」

 友だち、なるから。

 白石はきょとんとして、それから笑った。
 とても嬉しそうに。
 ありがとう、と。

「でも、俺も隣行ったら、みんながきつい思いする」
「…なんでっ」
「…俺、…膝故障寸前なんやと」
 白石の声は、届いたのに、届かないふりをしたかった。
 あれはもう、暴力だった。白石にも、どうしようも出来ない不可能な暴力。
「…高校で、俺はテニスが出来ん。もう、出来ん。
 腕なら、利き手を変えればええ。俺はそう思っとる。
 けど、足は…どうにもならへんから」
 やから、俺が隣行って、テニスせんかったら。と白石は言う。
 テニスが出来る自分たちが辛い思いをするから、離れると。
「…………なんでですか」
「…財前も、優しいやろ? 俺のこと、無視できんやんか」
「…そうやのうて…なんで」

 なんで部長なんですか。

 なんで壊れる足が部長のもんなんですか。他の他人のもんじゃないんですか。たとえば喧嘩しか能がない奴らの足とか、明日死ぬ人間のもんとか、病気で寝たきりの人の足とか、ニュースで報道される犯罪者の足とかじゃないんですか。
 なんでですか。

 そう早口で俯いたまま矢次に言った。
 もう途中から泣きながらだった。
 白石は最後まで笑みながら聞いていて、それは残酷な考え方や、と優しく言った。

 道が途切れる。
 迫っている引退と、卒業。
 そこでわかれて、もう二度と結ばれないこの人との縁。



 ああ、なんであの春、自分はこの人の手を取らなかったんだろう。



 たった一年昔の自分が憎くて、悲しかった。
 微笑んでいるこの人から、テニスを奪わないでくれと、ただ願った。




 その願いが、あっさり叶えられたのは、翌年の四月だった。

 高校に進んだ先輩たち。
 謙也たちは隣に進んだ。白石だけ、テニス部のない高校に進んだ。
 それは、部員全ての知るところだった。
 だから、謙也たちが遊びに来ても財前たちは白石の話をしなかった。
 金太郎さえ、話すことを我慢していた。
 あの後輩は、我慢出来るんだ、そう思った。
 けれど四月の半ば、白石も顔を出しに来た。
 謙也たちと一緒に、謙也たちと同じ隣の制服を着て。

「……」
 言葉が、出ない。
 一言目が、見つからない。
 当たり前に、テニス部のある隣の制服を着た白石に、かける言葉。
 先に白石が、財前を含む部員たちに言った。
「今、テニス部の副部長やらされとるんや」と。
「…え、部長! テニスやって大丈夫なんですか!?」
 部員の一人がやっと、という風に問う。
「うん」
「…膝は?」
「あー、あれな」
 白石の肩を抱いた謙也が呆れ混じりに言った。
「他のヤツとカルテを間違えとったんや。医師が」と本当呆れた、という彼の口調は安堵が未だに滲んでいた。
「つまり、白石の膝は全く異常なしって話やねん。それが最近わかってな。
 白石受けた高校からとなり移ってきたん」
「…入学して一ヶ月経たずに転校するってなんやって話やな…」
 白石のほうが苦笑して仕方ないという顔。

 テニス、出来る。白石が。当たり前に、また、一緒に。

 そのことに一杯になった胸が、苦しかった。
 ただ、嬉しくて。
「あ、泣いてんのか光!?」
 態とらしく叫んだ謙也に、「うっさい謙也くん」と言ったが矢張り泣き声に滲んでしまった。
 ぼろぼろと泣く財前に、白石は困って、そっと抱き締めてくれた。

 友だちになろう。今度こそ。今度こそ、友だちになろう。

 そう、その後二人きりになって自分から告白した。
 白石はとても嬉しそうに微笑んで、うんと頷いた。




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 最初放課後のシーンで終わってたんですが、私が絶望的に報われない話が書けない人間だったので
 書き足しました(苦笑)
 でも誰かがテニスをやめる、という話は書いてみたい。