無口なふりをして ミルクも入れずに 飲んだコーヒー 少し苦くて 時計をもどして もう一度 あの日のキミと出会えたら もっとうまく気持ちを伝えられるだろう 誰よりもキミが好きだった 初めて恋をした人の あの言葉の意味を今もまだ 僕はずっと探してる 待ち合わせの席は今も 空いたままにしてあるけど ミルクなしじゃ やっぱり苦いかな… 誰よりもキミが好きだった 初めて恋をした人の あの言葉の意味はこれからも 僕ひとりで解いてゆく 「どげんしたと?」 頭を抱える武官に声をかけると、すがるように振り返られた。 千里は少しびっくりして引いてしまう。 「な、なに?」 「千里! お前なら大丈夫だ!」 「は?」 「殿下を捕まえてきてくれ!」 「…」 「蔵ノ介殿下を、次のパーティに間に合うよう捕まえてきてくれ!」 「ああ…また逃げちょっと? 蔵ノ介は」 「そうなんだ! もう御年16歳になられるのに誰に似られたのか…!」 「まあ、心当たりある場所探してみると」 「頼む!」 だからそのすがるような目はやめてくれ。 武官が走り去った先、千里は木漏れ日に目を細めて、中庭の一番高い木を見上げた。 「蔵、蔵ノ介。そこにおるとやろ?」 木を見上げたまま呼びかける。 返事がないことに溜息をついて、千里は木の枝に手をかけてひょいとよじ登る。 てっぺんに近い、枝の隅、その白金の髪を見つけて、安堵したように笑うと、見つかったと笑う彼が千里に手を伸ばした。 「蔵ノ介、俺が呼んだ時くらいば、返事せんといかんよ?」 「…ごめん。やって、千里、みんなの味方したやん?」 気まずそうにはにかむ顔が可愛くて、その柔らかい髪を撫でる。 「そげんわけなかね。味方しちょったらここにおるって教えとるよ」 「…うん。ありがと」 木の上から中庭、続く廊下を見下ろした。 「そげん、パーティがイヤと?」 「千里かて知っとるやん。あれは俺の結婚相手探しや。 …俺は王位を継げんって決まったやん」 「…ああ」 「それなんに、ただ結婚相手探しのパーティなんかイヤやろ」 「じゃ、ずっと逃げよーと?」 「……千里、意地悪や」 拗ねた顔が、すとん、と千里の胸元に頭を寄せた。 その髪を撫でると、気持ちよさそうにすり寄ってくる。 笑う顔を挟み込んで見上げさせる。視線が絡み合って、自然唇が重なった。 「……俺は、千里以外、好きやない」 「…俺も、蔵ノ介しか好いとらんよ」 「なら、なんで」 「形だけのパーティくらい出てよか。 ……約束しよーと。いつか絶対、蔵ノ介を連れてこの国ば出る。 お前を、俺だけのもんにする」 「………」 瞬きをした蔵ノ介は、そっと手を首に回して、しがみついた。 「…千里、…好き」 「俺もたい。…好いとう、蔵」 「絶対、ずっと、…一緒にいよな」 「うん。約束…ううん、誓っちゃる」 木の上、誰にも秘密のキス。秘密の指切り。 それでも、ずっと一緒にいると誓った。 あの日、世界の誰より幸福だった。 「苦い…」 「ちゃんと薬飲まんといかんよ」 「やって苦い」 「……」 寝台にふせった蔵ノ介が、たまに子供のようなことを言うので、千里は困ったようにその額に額を当てた。 「やっぱ、高かよ。ちゃんと飲まないかん。明日にはウィッチさま来ると」 「……千里まで、とうさまと同じようなこという」 「蔵ノ介がいつまでも熱出しとるんは、困るから」 はい、水、と手渡されて、それでも拒まずに飲むと、苦いというリアクション。 「そげん苦か?」 「苦い」 「ふうん…」 寝台に足を乗せる。え?と目を開いた蔵ノ介の顔に近づく。 意図を悟った彼が、赤く頬を染めて風邪うつる、という。 気にせず肩を掴むと、顔を傾けて唇を重ねた。 舌まで絡め取って、ああ、と頷く。 「確かに苦かね」 「…」 「どげんしたと?」 「……千里の意地悪」 「……?」 「キスなんかされたら、それ以上欲しいし」 「………」 強請られたことに気付いて、そっとその身体を抱き締める。 「今は、これで勘弁してな? 治ったら、ちゃんと抱いちゃるから」 「……ほんま?」 「うん。俺も、蔵ノ介に何日も触れずにおるんはきついと」 「…」 本当に?と伺う顔が可愛くて、額にキスを落とす。 そのまま瞳に、頬に落としてほんなこつと笑う。 「蔵ノ介に触れられない日が、十日も続いたら、俺ば死んでしまうたい。 蔵ノ介は俺を殺したか?」 「……」 驚いた顔は一瞬。すぐ伸ばされた手が、千里を引き寄せて抱きつく。 「…千里が欲しいって思ってくれるなら治す」 「そうして。…蔵、ほんなこつ可愛か」 「…俺、可愛いって言われんのイヤや」 「あ」 「けど、千里だけは、…嬉しい」 「…ほんなこつ、可愛か。…可愛か、蔵ノ介」 抱き寄せた身体は熱かったけど、ただ幸せで抱き締めていた。 「買い出し、それだけでよかと?」 聞いてきた妹に、よか、と答える。 千里は王子の幼馴染みだが、地位は低い。 こういう雑用も、よくあることだ。 「ミユキ、荷物もう一個俺が持つたい」 「お兄ちゃんが持ちすぎと」 「ミユキばこき使ったらあとで蔵ノ介にはりかかれるたい」 あの幼馴染みはこの妹を、自分の妹と可愛がっているし。 「ふうん?」 「なんば…? その意地悪か笑みは」 「じゃあ帰ったら殿下に言って、お兄ちゃん虐めてもらお!」 「ちょ、ミユキ待たんね!」 駆けだしていく妹をあわてて追おうとして、大きな荷物に視界を阻まれる。 人にぶつかって、咄嗟に謝ろうとしたら顔を見る前に笑われた。 「…そん、声」 「なに、ミユキに遊ばれてんや」 「く…!」 「呼ぶな。街の往来で」 そこに市民の私服で佇むのは、間違いなく王子のあの幼馴染みで。 「びっくりしたやろ。抜け出してきたん」 「………」 言葉のない千里を笑うと、蔵ノ介は荷物の一部をぱっぱっと持って、ちょっと見てこうやと腕を引いた。 「また大目玉たいよ…?」 強引に入らされた喫茶店で呟く。 「阿呆。そんなこと気にしとったらなかなか一緒におれんやん。 俺最近なんや忙しいし」 「…次期弟王としてやらされるのは仕方なかとよ」 「…そのころには、…俺、おらんのに?」 “一緒に、どこかへ行こう” 言葉が蘇って、千里はうれしさに苦笑するしかない。 「なんか飲む? おごるし」 「じゃ、珈琲」 「砂糖幾つもいれんなや」 甘党の千里を知っている彼がくぎを差す。 よかよ?と文句を言っているとすぐ、二つ珈琲が運ばれてきた。 「…」 「どげんしたと?」 じっと自分を見つめる幼馴染みに、つい問いかけた。 真面目な顔がふ、と微笑んで、いや、と呟く。 「……蔵ノ介?」 「………なあ、千里」 「?」 「俺、きっと一度忘れても、絶対思い出すわ」 「…」 「今日、精神学でやってたん。王族ん中には記憶が削れる魔法もあるて。 俺は、千里のことが削れたらイヤやって思った、けど。 今、お前の顔見てて、好きやなって思って、わかった」 翡翠の瞳を軽く伏せて、また真っ直ぐにそれは千里を映して細められる。 「…俺、お前のことだけは忘れても、絶対思い出すわ。 なくなった記憶がどれだけ、形が同じで迷っても。 絶対、沢山の花畑の花の中で、どんだけ枯れてても、 絶対、一輪のお前の花を見つけて、そんで、思い出すわ。 …好きやって」 告げた身体を、抱き締めてやりたくなって仕方ない。 照れ隠しに、その衝動を抑えて砂糖もミルクもいれ忘れて飲んだ珈琲は、少し苦かった。 でも、思ったより苦くなかったのは、あの甘い声の所為だ。 信じていいんだ。きっと。 誓っていいんだ。きっと。 俺達は、ずっと一緒にいる。 忘れても、きっとキミは俺を思いだしてくれるね。 店を出て、すぐ抱き締めたら、キミは一瞬驚いて、でもすぐに背中に手を回してくれた。 千里、と呼ぶ声。 好き、と告げられる真っ直ぐな声に。 人生が狂ってもいい。 ただ、世界で一番愛していた。 ただ、愛しくて堪らないから、一生傍にいさせてくれよ。 俺も、忘れてもキミを絶対思い出すよ。 沢山の薔薇の中からキミを、探し出してキスをする。 手を繋いで、幸福で一杯な胸で帰り道を歩いた。 王宮の兵士たちは探しているだろうけど。 邪魔されたくない。 この、今の幸福だけは。 誰も。 誰にも。 時計をもどして、もう一度、あの頃に戻れるなら 「千里?」 「あ、ああ、どげんしたと?」 「資料、お前に渡せって。仮にも弟王をパシらせるやなんて、なんやねん」 「しかたなかよ。蔵ノ介は今暇やけん」 「なんや、お前もあっちの味方か」 「まあ」 向かいに座った顔も、あの頃と、全然変わってない。 「謙也は?」 「庭で遊んどる」 「そっか」 忘れても思い出すよ、とキミはあの日笑ったから。 待つよ。 どれだけ経っても。 キミが、俺を捜してくれる日を、待っている。 「あれ? 千里、珈琲ブラックで飲むっけ?」 「……」 苦笑した。 「覚えてなか? あの日、俺ブラックで飲んでたけん」 ないことをわかっていて聞いた。 案の定、蔵ノ介はえ?という顔で考え込む。 それ以上、迷わせたくなくて立ち上がった。 俺、これ持っていく、と部屋を後にする千里を追って、彼が笑った。 「あ、そや。ほら、ミユキにお前が置いてかれた買い出しの時? 俺と一緒に行った喫茶店」 心臓がはねた。 「あれ、でもなんでお前ブラックで飲んだんやろ……。 ……」 続いた言葉に、喜びと、喪失を半分。 「あ、でも」 それでもキミは笑うから。 それでもキミが笑うから。 「いつか、絶対思い出すわ。 他の誰かのことやない。千里のことやもん。 絶対、思い出すよ」 そう紡いだ言葉に、そっと細い身体を抱き締めた。 彼は少し驚いて、どうしたん?と伺う。 あの頃のように、背中に手を回してはくれないけれど。 でも、キミは思い出すと言ってくれる。 笑ってくれるから、待つよ。 そして、その日が来て、キミが愛をボクにもう一度告げたら、 思い切り泣いて、キミを驚かせようか。 時計をもどして もう一度 あの頃に戻れるなら だけど、回った時計の針は二度と逆さまには回らないから。 だから、あの日のように砂糖もミルクもない珈琲を飲んで、キミが思い出す日を待っている。 あの頃のような、キミの笑顔を。 時計をもどさなくても もう一度。 |