全ては世の夢。

差し出された手に気付いたらきっと。








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吊り橋の楽園U−さよならソリティア−
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 深い霧の向こう。
 森を抜けた先の、吊り橋の夢。
 その夢を、繰り返し、見る。
 千歳が、いる。

 吊り橋の向こう岸。
 俺じゃない、俺と並んでいる。
 その度、俺は泣きたくなった。

「…」

 千歳、と呼べない。
 霧が、深くなる。
 千歳が、見えなくなっていく。


 ―――――――――――――急げ。


 警報が、鳴る。
 霧が深くなって、千歳の姿が完全に見えなくなったら、きっと。






 千歳がいなくなって一年が過ぎた夏。
 九州に帰っていた千歳の友人の橘から、電話が来た。
 千歳が、目を覚まさないという。
 彼は些細なことで風邪を引いた。それが肺炎にまで悪化して、幸い助かったが。
 意識が、戻らないのだという。
 もう、その状態で一週間が経つと。
 千歳を切ったのは、俺だった。
 それでも、好きな気持ちに嘘はつけない。
 謙也に促されるままに、九州、熊本行きの飛行機に乗った。
 飛行機が九州について、電車に乗り換えた。揺れる、電車はあの吊り橋のきしみに、似ていた。






「…千歳」
 深い霧。
 声など、届かないんじゃないかという不安。
 だが声に気付いて、千歳は向こう岸で振り返った。
「…なんば、しとっと?」
 その声の、冷たさに胸が痛くなった。
「…千歳、なんで、そないとこおるん。…それ、俺やないやんか」
「…そうたいね」
「わかっとるならなんで」
「…けど、俺はこの白石がよか」
「…千歳?」
「この白石は、俺を拒絶せん。好き言うてくれる。抱き締めさせてくれる。
 …傍におってくれると。…俺は、もう、お前に拒絶されるこつ、疲れた」
「……」
 わかっている。
 いつか、お前が愛想尽かすだろう。
 けれど、こんな形で世界ごと見限れなんて言ってない。
「……仕方、ないやんか」
「なにが、仕方なか?」





 千歳との関係に気付いた同級生が、雑言を吐いたのは今年の春だった。
 九州の友人に取るには多い頻度の連絡に、“あ、もしかしてデキてんのか?”と。
 千歳の九州行きは、ショックだったけれど、それで千歳を諦めるつもりは俺にはなかった。
 千歳は高校を出たら大阪に就職する。また傍にいると約束してくれたから。

 千歳も好きものやな、お前が好きものなんか?みんなに言ってやろか!

 げらげら笑う同級生を、くだらないと一蹴すればよかった。
 けれど、許せなかった。
 汚すな。
 罵倒するな。そんな汚い口で、言葉で。
 あんなにも優しい人を、汚すな。

 手は出さなかったものの、そいつらと口論になった俺は教師に呼び出されて真意をただされた。
 千歳くんの学校にも、聞かなければならないね。
 そう言われて、心臓が一気に鼓動を鳴らした。
 嘘だと。
 そんなことはあるはずない。
 俺達は友だちです。ただ、部長やったからあいつが心配だっただけです。
 絶対、そんな関係やありません。
 そう、否定した。
 教師は信じてくれた。そう、と。
 白石くんは責任感強いもんなぁ。心配なるわなぁ。邪推なんかするあの子らが悪かったんやねえ。怒ったんも、そんな風に千歳くんが思われたんがイヤやったんやな?
 その言葉に、はいと答える以外に、方法はなく。
 それきり、俺は千歳と連絡を絶った。
 お前は、やることが極端だ、と渡邊に言われた。
 仕方ないんです。
 俺は、結局千歳がいなければ生きていけやしない程、あいつが好きなんやから。
 中途半端に親しくなんか出来ない。
 いっそ一緒に住む程傍にいるか。―――――――――――――切るか。
 どっちかしかなかった。
 いつか、俺との関係であいつが責められる。
 あいつの未来が潰れる。
 そのことをおそれて、俺はあいつを切った。
 それなのに、結局心配になって俺はあいつに会いに向かっている。
 部長だから、と今ですらそんな嘘で覆って。
 心は、心配で仕方ないのに。
 泣き出したいほど、怖い癖に。



 やって、好きなんや。



 思えば、俺と千歳は、全くと言っていい程似ていなかった。
 性格から、プレイスタイルから、なにからなにまで。

 俺が基本を外れるプレイを嫌うのと逆に、あいつは目のハンデを凌駕するため破天荒なプレイを行っていたし。
 お前は俺のおかんかと、同級生に言われる程世話焼きで、「部長の責任感の強さはうざいのと紙一重」と財前に言われるほどそれも強く、部長としてといつだって意識して、誰かに、誰かの所為にしないようにと立っていた俺と。
 千歳は違っていた。
 千歳は、一年と一緒にいることを好んだ。
 可愛いものが好きだ、というだけではない。
 ただ、可愛い一年生に強請られて「学校来なきゃ駄目やで」という言葉に頷く。
 それは、学校に来なければいけないという責任を、罪もない一年生に背負わせて、従ったから来たんだ、という顔。
 そんないつだってそこから巣立っていくカッコウのような姿であいつは四天宝寺にいた。
 いつだって傍観者気取りの楽な姿で。
 そんな様から、あいつと俺は、違い過ぎた。
 だから、俺はあいつに惹かれたし、あいつも俺に惹かれてくれた。
 好きだと交わし会って、抱き合って、想いが通じ合って。
 それで、終いにすればよかった。





「……油断してたんや。…バレっこない。お前とずっと、付き合っていけるって」
「……」
「…けど、俺は…俺のために、お前が傷つくんなんか、…イヤやねん。
 お前の未来は、輝かしいもので埋まってる。
 そこに、俺はおったら、あかん…」
「…そげんこつ、言いたいだけなら、早くいなくなってくれんね?」
「…千歳」
「…そげんきれい事言って、結局俺の手ば離す白石なんば、もう、…うんざりと」
「……千歳」
 違う。そうじゃない。
 俺は。

 ぎくりとした。

 まずい。
 霧が、どんどん深くなっていく。
 吊り橋に勝手に傷が入って、落ちそうになるようにロープが切れていく。
 早く、早く行かないと。
 早く連れ戻さないと、俺まで帰って来れなくなる。
「千歳! 早くこっち戻って来るんや!」
「…いやたい、一人で戻らんね」
「…お前、わかってんか! このままやとお前は…!」
「…俺は、そいでよか」
「…千歳……ッ」
 軋む吊り橋。それに隔たる、俺とお前の距離。
「白石は、ご立派たい」
「…?」
「いつでもそげん、正義並べて、正しかこと言って。
 ……けど、俺達のことは初めから社会にとって間違っとるこつわかって、白石も始めたんじゃなかと?
 それを、…俺の未来の所為にされて、切るんは、…関心せんね。
 自分を正当化したいだけやなか? …ほんなこつ立派たいね。
 白石は、俺よりその大層な“正義”の方が、大事とやろ?
 そげん正義面したヤツ、俺が欲しがると思っちょるから白石はこっちに来れんね」
「…ちが」
「なにが違うと? 自分は安全なことおりたいから、だけん俺を心配しても吊り橋には足ば伸ばさん。俺と一緒に落ちるこつ怖いから。そこで、正しかこという。
 …全部俺の所為にしてな」
「ちがう…ちがう!」

 違う―――――――――――――なにが?

 本当は、理解ってたんやないのか?
 わかってたんやないのか白石蔵ノ介?
 お前は、正義を盾に、自分を正しいと信じて千歳の所為にしただけやと。
 お前が、千歳を切る理由に正義を利用しただけだと。
 ―――――――――――――汚いと罵ったあいつらを丁度いいと、理由にしたんじゃないのか。

「違う! もううんざりや! やってそうやろ…。
 お前の所為に出来なくなったら俺はお終いや!!!」
「…ほら、本音はそれたい」
「……」
 首を必死で横に振った。
 違う。
 なにが?
「…もうよか。俺は、…」
「ま…待ってくれ! 千歳…千歳!!」




「っ」
「白石。どないしてん…」
 目が覚めると、電車がホームに滑り込むところだった。
 謙也が心配そうに伺ってくる。
「ずっとうなされとったで?」
「…あ。ああ」
「…ほら、降りる駅や。はよ、会いに行ってやらな」
「……ああ」

 知っている。
 本当は知っていた。
 汚いのは、俺だ。
 けれど、千歳。
 お前を、俺は。


 本当に、本当に好きだったんだ…。



 病室の点滴を繋がれた、眠る姿。
 少し、やせた。
「呼んでも、起きてくれんね…」
 妹だという少女が、涙混じりに言った。
 わかっている。
 俺が、汚いからだ。
 千歳を、追いつめた。
 好きや。
 好きだよ。
 お前が。

 俺が、呼んでもし起きてくれるなら。

 ずっと傍にいるから。

 もう、正義なんて盾にしないから。

 もう、逃げないから。

 愛してるって、もう一度言わせてくれよ。



 俺は怖がっただけなんだ。
 お前の真っ直ぐな愛情に、初めて向けられる真摯な心に。
 潰されそうになった気がして、お前の眼差しが怖くて。
 ―――――――――――――それが、俺がそれを欲しているから胸が苦しいんだって。
 嬉しくて堪らないから苦しいんだって気付かないまま。
 怖がって拒絶した。

 もう、怖がらないから。
 だから、起きてくれ。
 吊り橋が切れそうだろうが、落ちそうだろうが構わない。
 お前が来ないなら、俺がそっちに行く。
 だから、もう一度呼んでくれ。
 白石、と。
 もう一度、俺に笑ってくれ。

 もう一度、


「千歳…」


 愛していると、言わせてくれよ。





 ぎしりと、揺れる吊り橋は今にも落ちそうだった。
 ロープは、もう切れる寸前だ。
 それでも立ち止まれなくて、俺は必死に歩いた。
「…なんば、しとっとね」
 千歳が初めてのように、驚愕を向けた。
「…お前を、連れ戻すんや。決まってるやろ」
「…その前に落ちると…早く、戻らんね」
「…イヤや」
「…白石?」
「…お前が、戻りたくないなら、…俺も一緒に連れてけや」
「……白石、なに、言うとると」
「…やっとわかったんや。俺は、…お前の傍におりたい。
 死んでもいい。一緒に、おりたい。お前に笑って欲しい。
 抱き締めて欲しい。抱いて欲しい。名前、呼んで欲しい。

 お前を、…もう一度愛してるって、俺に言わせてくれや………」
「…白石」
「…千歳」
 吊り橋を渡って、もうすぐ向こう岸につく。
 手を伸ばして、願った。
「…大好きや」
 微笑んで、ただそう伝えた。
 ぶつん、と大きな音。
 ロープが切れて、崖に真っ逆様に落ちる。
 ああ、駄目やった。
 お前と一緒にそっちにいてやることもできん。お前を連れ戻すこともできんかった。
 それでも、届いただろうか。
 愛している。
 その言葉だけは、…届いただろうか。


「白石!!!」

 腕を掴む感触に、一瞬理解が遅れた。
 落下する俺の身体を、千歳が掴んでいる。
 そのまま抱き締める身体に、信じられない思いで、呼んだ。
「…千歳、なにしてん…。お前まで、落ちてるやんか…!」
「…もうよか。お前が本物の白石なら、一緒に落ちてよか。
 ……白石」
「千歳」
 目が合って、手を繋いで、唇を重ねた。
 もう一度、思いが通じ合うなら。
 これが、最後でいい。
 もう、絶対に切ったりしないから。


 お前、阿呆や。心中するほど、まだ好きでいてくれんのか。

 そげん言うもんじゃなか、だけん、…ほんなこつ、愛しとうよ。





 あれは、あの吊り橋は、きっと、あの世への道だった。

「…白石」
 呼ぶ声に、意識が浮上した。
 すぐに理解は出来なかった。
 何故、自分が病室のベッドに寝ているのだろう。
「大丈夫か!?」
「…謙也?」
「…よかった。今度はお前がいきなり倒れるんやもん」
「…倒れた?」
「そうや。千歳を呼んで、…そんで、千歳が起きた途端、お前の方が糸切れたようにばたんって…」
「…」
 今、なんて言った?
「千歳が!?」
 思わず起きあがって謙也に問う前に、気付く。
 自分の服を必死に掴む腕は、逞しくて大きい。
 ベッドの横に椅子を置いて、座った姿勢で眠る彼の。
「…千歳、起きた途端お前の心配して、お前の傍離れないんや。
 ずっとそこで眠っとって。離れたくないって。
 …よっぽど、白石に会いたかったんやな」
 自分の服を掴む手に、そっと手を重ねて願った。
 早く、起きてくれ。
 そうしたら、伝えるよ。
 今度こそ、愛するよ。

 だから、もう一度俺に、愛しているって言わせてくれ。


「…千歳」
 幸福に満たされた胸で、眠る耳元に囁く。
「…好きやで」

 あれは、確かにあの世への夢だった。

 あの吊り橋の向こう岸は、あの世だった。

 あの世へ続く、吊り橋の境夢。

 だけど、もうあの夢は現れない。

 きっと、俺達はあの吊り橋に嫌われてしまった。

 だから、次のお迎えは遠い未来だろう。

 あの世への、続く吊り橋。あの世への境夢。


 俺達が訪れるにはまだ遠い、あの世への吊り橋。






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 千歳サイド(吊り橋の楽園T)だけで切ろうと思ったけどやっぱり報われない話で終わるのイヤで書いた続き。
 吊り橋の楽園T(千歳サイド)での白石は、あくまで千歳の願望が生んだ白石です。本物じゃありません。
 白石の夢とも繋がっていません。
 でも吊り橋の楽園U(これ)で白石が見た千歳は、眠り続けることを選び夢の中で生きることを選んでしまった本物の千歳で
 白石と千歳の夢は繋がっています。だから夢で千歳が白石に言った言葉は全部本心。
 だけど、白石の言葉が通じて現実に帰ってきて、倒れた白石を見て、焦るわけですよ。
 彼だけ帰って来れなかったんじゃないか!って。
 だからへろへろの身体でも白石から離れない。
 でも、どんな電波の話でしょうね、これ。

















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