葛籠らせん

【否再編】
最終話−【タダイマ】





『千歳さん! 全員救出出来ました!』
 夢を覚ますように、耳で響いた声。
 眼前に立った白石が、それが聞こえたのだろう。顔を憤りに染めて千歳を見上げた。
「蔵、違う」
「なにが違う…? 俺を油断させるためやろ。
 全部!」
「違う!」
 叫んで鉈を振るった手から逃れて、千歳は傍の教室にあったバットを手に取った。
 既視感を覚えたが、気にする場合ではない。
 身を翻した千歳を追う足音。
 階段を上って、千歳は足を止めた。
「しくじったな千歳。この先は屋根や」
 背後の声に、急いで下駄を履くと屋根の上に飛び出した。
 背後から歩いてくる白石は、月に照らされていて。
 ああ、こんな時ですら彼は美しいのかと思った。
「千歳、…死ね」
 低く吐いて、眼球だけ印象の強い色で見下ろして、白石がすぐ鉈を振るった。
 上段からのそれをバットで受け止め、背後に下がる。
 何度か繰り返したそれの合間を縫って、千歳が鉈を弾いた。
 すぐ足で白石の足下をすくうが、一瞬早く彼が跳躍した所為で当たらない。
 また振り下ろされた鉈にバットが間に合わない。咄嗟に下駄の片方を脱いで、その靴底で受け止めた。
「これ鉄下駄やけん、切れなかよ」
「知っとるわ、わざわざ言うなや殺すぞ」
「蔵、矛盾しとうよ」
 つい、笑って返した。
「…そうやな」
 きょとん、とした白石が、同じように微笑んだ。



『意外やな。いっつも真っ先アウト常連人間』
『うるさかよ。年がら年中人操ってなんもせん女王様』
『お前、操られる最たるヤツやないんか…?』
『アウトになるんは俺ん所為じゃなかもん』
『それ言外に自分が弱いて言うてんやん』
『蔵こそ俺がいっつも操られてばっかと思うとったら大間違いばい!
 勝負!』


 あれは、いつの世界だった?
 楽しかった。
 あれが、コピーの記憶?
 嘘?

 そんなわけ、ないって思っていいのか?

 なぁ、千歳。


 振り下ろした鉈が、バットを千歳の手から弾いた。

 瞬間しゃがんだ千歳の手が、白石の足を掴む。
 体勢を崩して、千歳の上に倒れ込んだ身体。手が意地でも離すまいと握った鉈をその顔に振り下ろそうとした。
「蔵が、振り下ろしたら蔵も死ぬばい」
 仰向けに倒れたまま千歳が笑った。
 気付く。自分の足が、千歳の身体から放せない。
 いつの間にか、携帯の長いイヤホンコードで固定されている。
「罠か…」
「うん」
「ずるいわ、千歳」
「うん…」
 振り上げた鉈が、からんと落ちて、屋根を転がって落ちた。
「……」
 声に鳴らず笑った白石を、起きあがった千歳が抱きしめた。
「……て」
「ん?」
「…きいて…」
「なん?」
 ずっと、胸の中で騒いでいたんだ。
 ずっと、胸の中で叫んでいたんだ。
「……千歳、たすけて………」
「…うん」
 そっと抱かれる背中。暖かい温もりに、やっと涙が溢れる。
「……なんで、いつも間違えるんやろう…。なんで、いつも繰り返すんやろう。
 ごめん。ごめんは俺や。
 ごめん。ごめん千歳」
「…俺も間違えた。蔵だけは、悪くなか。俺も、みんな、悪い」
「……っ」
 その広い背中に手を回した。より強く抱きしめられる。
 額に降ったキスが、そっと濡れた瞼に押しつけられた。
「……千歳」
「ん?」
 空を、ゆっくりと舞ってくる小さな光。
「……離れたない」
「離れんよ」
「もう、違う世界なんか嫌や。
 お前と、…もう、離れたない。千歳。千歳。ごめん」
「蔵……?」
 悲痛に泣きじゃくる身体の輪郭が、ぼやけていく。
 何故だと千歳は思って、手を伸ばした。
「ごめん。千歳。ごめん。
 助けて。もう、嫌や。千歳。
 …ごめん。千歳」
「蔵!?」
 伸ばした手の先から、消えていくその温もり。
 降るのは、雪?
 違う。
「千歳。ごめん。千歳」
「蔵…」
 必死に手を伸ばして抱きしめた傍で、消える笑顔。
「大好き、俺の方がずっと。
 …ちと  せ    わら っ  て  はな  れ   た     な  い」
「蔵…!」

「 だ  いすき    ち  と    せ      ごめ   ん   …」








 がたん、と車輪がなにかに乗り上げた音で目が覚めた。

 どこか、長閑な景色を走るバス。
 ここは、ああ、雛見沢だ。
「もうすぐ降りる場所ですよ。そこの人」
 傍で声がして、寝起きの所為で緩慢な動きで千歳は振り返る。
 一番後ろの座席の、横に座る少年。
「…ああ」
 なんだろう。
 頭の奥がしびれていて、…寝ていた所為だ。
 …寝ていた?

 ―――――――――――――寝ていた? 誰が?

 何かを恐れるように、顔色を変えた千歳を、隣に座る財前が見遣って、悲しげに笑った。
「……」
 そんな、はず。

 千歳が血の気を失ったまま、座席から立ち上がった。
 がたんという音に、バスの運転手が振り返らないまま「危ないで」と注意する。
 千歳はポケットから携帯を取りだし、日付を見る。
 …ここに、越してきた日の日付。

 その時、バスが停まった。
 最早、なにも見えないようにバスから降りた千歳を運転手が「お金!」と呼び止める。
 振り返りも、止まりもしない背中。財前が、「俺が払います」と運転手を止めた。




 嘘だと、今からでもいい。
 言ってくれ。

 誰か、嘘だって言ってくれ。

 こんな、こんな―――――――――――――これは夢だ。

 こんな、…のってないだろう?

 学校に血相を変えて走ってきた千歳を迎えた白石が、瞳を揺らして見上げ、掠れた声で言った。
「…こういう、ことやねん」
「………」
「オヤシロさまの祟りは……、俺達は、…これを繰り返す。
 何度も、何度も……あの時間を………あんな悪夢を…何度も、何度も…心がすりきれても…逃げられへん」
「……白石…。…蔵」
「……雛見沢から、ここから―――――――――――――逃げられへん。
 誰も。
 来るモノを拒まなくても、オヤシロさまは逃げるもんを絶対許さへん。
 知ってんやろ。前の前の世界で…雛見沢から逃げて、お前、どうなった?」

 嘘だって、言って。

 違うのか?
 もう、もう、遅いのか。
 白石が一度俯くように顔を下に向けかけ、すぐあげた。
 千歳とはっきり、しっかり視線を合わせる。
 そして、微笑んだ。
 それは、あまりに悲しい笑顔。

「…ごめんな。…ごめん。お前を…逃がせなかった。
 なんしても…逃がしたりたかった」
「…蔵」
「こっから…お前だけは……。
 ごめん…ごめん…ごめん…逃がしてやれなかった…ごめん千歳…巻き込んだ。
 …お前を……ごめんなさい……!」
 最早、堪えることも出来ず泣きじゃくる身体を抱きしめた。
「…俺が、俺がお前のとこ…九州行ったらなかったら……お前だけは…!
 こんな…こん……ごめん…ごめんなさい……」
 もういい、とも、大丈夫、とも、お前の所為じゃない、とも。
 言えない。
 だって、そんな気休めの言葉で助けられる程、この悪夢の傷は安いのか?
 癒せない。
 そんな、簡単な言葉じゃなにも。何一つ。
 だから、抱きしめるしかなくて。
 それ以上に、ただ愛しくて抱きしめていたかった。

 腕の中で、ただただ自分を責めて泣く身体に、キスを落とす。

 きっとまた、繰り返す。
 同じ場所を、同じシーンを。

 誰が満足するまで?
 オヤシロさま?

 このひぐらしのなく頃を、ずっと、何度も。




 キミを愛していた。

 君に会いたかった。

 だから、追ってきたんだ。


 それでも、後悔していないって言ったらキミは馬鹿にするだろうか。

 怒るだろうか。疑うだろうか。

 でも、ごめん。

 本当なんだ。

 何度繰り返し、何度絶望しても。

 キミを失わずに、傍に、こうして抱きしめていられるのなら、本当の意味の後悔なんかしないんだ。

 キミに、ずっと俺の望んだ通り微笑んでいてくれというのは、傲慢だろう。

 でも、そう繰り返し願う。

 出会う全ての運命。出会う全てのキミが微笑んでいてくれますよう。




 いつか、このひぐらしのなく頃から、抜け出せるまで。





 いつかの世界でキミを殺めた。

 いつかの世界でキミを抱いた。

 いつかの世界で、キミと出会う。



 どこかの世界で、キミが笑うまで。









 Endless end...