DIPED-ディペット-U







 眠る顔は、もう綺麗な大人の顔。
 けれど、まだ幼さのある、子供。

 伸ばした手で、蔵ノ介の髪を撫でた。





 大好きな、大好きなたった一人の。



 俺の世界は、お前だけ。





 愛しているから、…抱かないんだ。









 第三話【純愛恋歌−B見くびるなよ】







「もう、今日だなー…」
 首領官邸。
 越前は電子カレンダーを片手に、何度も見た日付をもう一度見遣った。
 明日には成立する法律。千歳にとっての期限は今日まで。
「出してないんだろーな…手」
 発破かける気で言ったことだ。
 でも、その後の千歳の行動は多分二種類。
 千歳のことなんか詳しく知らないが、予想はつく。

 手を出すか、逆に手を出す己を律するか。

「…多分後者だよね…あれは」
 誰かがもう一回、馬鹿にでもしない限り。








 橘が顔を出したのは、朝の早い時間だ。
 ウサギは寝台で眠っている。
「…それが、結論か」
「ああ」
 千歳の熱が下がったことを確認してから、橘は開口一番そう聞いた。
 千歳の言葉に、眉を顰める。

 愛しているから。

「俺の世界は蔵ノ介だけばい。失ったら、生きていけん。
 …俺は抱かん。…今のまま、綺麗なとこしか」
 慈しむところしか、見せたくない。
「…一個聞くぞ」
 橘の声のトーンが下がった。千歳は、何故だろうと顔を上げる。
「蔵ノ介は、お前に好きだって言ったんだよな?」
「…」
「恋愛で好きだって、言ったんだよな?」
「…ああ」
 睨み付ける彼の視線が、ワケもなく痛い。
「お前はそれに応えたんだよな」
「ああ」
「…千歳」
 橘はため息を吐くと、立ち上がった。座っている千歳を見下ろす視線は、きつい。怒っている。
「お前、あんまり蔵ノ介を見くびるなよ」
「…え?」
「お前、蔵ノ介を断然愛しているのが、自分の方だと思ってないか?
 お前の愛情の方が、倍くらい大きいって自惚れてないか?」
「そげなこつっ…」
「見くびるのも大概にしてやれ。
 蔵ノ介は、言ったんじゃないのか」
 橘が一度、寝台で眠る蔵ノ介の顔を見遣った。すぐ、千歳に視線を戻す。
「お前は、前の飼い主じゃないって。
 お前が好きだって。
 …その愛情が、お前より小さいなんて、なんでお前が断言出来る」




 おなじことしてもおなじやない。せんりは、だいすき。




「蔵ノ介は、お前を本気で好きだよ。
 幼いとか、わかってないって馬鹿にするな。
 きっと、怖くても痛くても堪えるくらいに、以上に…お前が好きだよ」
「………」
 そんなわけないと、否定できない。
 初めて出会った時に、自分に抱きついてきた。
 怖がっていたのに。
 人を怖がっていたのに。
「愛してるなら、見くびるな。
 お前が思ってるより、そいつは大人で、…強いはずだ」







 世界でたった一人の、世界の全て。
 だから怖くて、失いたくない。
 彼が微笑むだけで幸せで、泣いたら死ぬほどに苦しい。
 いつの間にか、愛していた。

 本当に?


 本当に、触れても、嫌いなんて言わない?





「せんり?」
 ウサギの呼ぶ声で我に返った。
 時刻を見ると、夜の九時。
 あと、三時間しかない。
「せんり?」
「ああ、なんでも…」
 なくないのに、誤魔化すのか?
 誰より大事な彼からも。
 寝台から起きあがって、ウサギはぽすっと千歳の腕の中に座り込んだ。
「なんでもなかよ」

 怖い。

 なんて言ったらいい。

 好きすぎて、愛しすぎて、だから怖い。
 お前の愛情を信じられないくらいに、失うのが怖い。

「…せんり」
 自分を呼ぶ声に、千歳は顔を上げた。視線が合う。そこにいるのは、いつも知っている、あどけない顔じゃなかった。
「おれ、せんり好きやで」
「知っとうよ」
「せんりは知ってるけどわかってへん」
「…?」
「おれがどんくらいせんり好きか、わかってへん」
 千歳が初めて見る顔。凛々しい、気高さすら感じる、大人の男の顔。
「きっぺい言っとった。せんりはおれをみくびっとる。
 おれもそう思う。せんりは、おれをばかにしとる」
 まさか聞いていたのか。あの時。
「そ…」
「おれ、なんもしらん子供ちゃうで。
 せんりより子供でも、子供ちゃうで。
 …せんりがおれを好きっていみ、わかっとるで。
 …せんりがしたいことが、いたくてこわいって、前のかいぬしがしたことよりこわいってわかっとるで」
 言葉は相変わらず拙い。けれど、自分を見つめる表情が大人びて、真剣で、だから思い知る。彼は、自分の腕に収まっていた、あの幼子じゃない。もう。
「おれ、何回もいうた。せんりがすることなら、こわくない。
 前のかいぬしとおなじやない。
 せんりはだいすき。
 …せんりのすることなら、…すき。
 せんりのためにがまんして、言ってない。おれがしたい。
 おれはせんりすきやから」
 自分の腕の中に座って、必死に愛を告げる人が、自分の全てだった。
 大事に守りたかった。
 千歳が腕で抱きしめると、素直に抱きしめられてくれるウサギは、自分を見上げて優しく微笑む。
「おれは、せんりがせかいのすべて」
「…知っとう」
「やから、せんりのせかいも、おれがすべてにして」
 その言葉に、弾かれたように千歳はウサギを見つめた。
 自分を見るのは、綺麗で優しい微笑みだ。
「おれはせんりをだれにもあげたない。
 …せんりばっかりおれをすきなんて、ばかにしたらゆるさん。
 おれはせんりがちゃんとすき。
 …みくびらんでや」
「…」



 世界でたった一人の、世界の全て。
 だから怖くて、失いたくない。
 彼が微笑むだけで幸せで、泣いたら死ぬほどに苦しい。
 いつの間にか、愛していた。

 本当に?


 本当に、触れても、嫌いなんて言わない?



「俺がするこつ、受け入れてくれっと?」
「うん」
「こわかよ」
「うん」
「それでも俺は、蔵が好きやから…」
「わかっとる」
 蔵ノ介はそう言って微笑む。自分の腕の中で。
「俺の世界は、もう蔵ノ介だけばい…」
 そう告げると、ウサギは笑った。とても、幸せそうに。





「…っ…」
 辛うじてシャツ一枚が腕に引っかかっただけの身体は、何度も見ていた。
 ただ、欲を持って触れたのは、あの一回だけだった。
 涙に濡れた目で、震えた声で自分を見上げて、手を伸ばす彼を抱きしめると、耳元で囁いた。
「…よかね?」
「…ん」
「我慢、せんでな。声」
 腰骨を掴んで、ぐいと身を進めると、悲鳴のような声が蔵ノ介の口から零れた。
 涙が零れる瞳にキスをして、唇に落とす。
 手が、背中に伸ばされて、きつく掴んできた。
「…いたか?」
 動きを止めて、優しく問うと彼は涙目で、青ざめた顔で笑った。
「いたい…と、うれしい?」
「…俺も」
 微笑んでそう返すと、千歳はもう一度キスをした。
 身体を抱きしめて、そのあとはあまり記憶にない。
 ただ、彼の身体と、声だけが頭に焼き付いていた。






 時計はその日の朝を示している。
 寝台でくったりとして眠るウサギはまだ目を覚まさない。
 千歳の手を握ったまま、時折千歳の名前を呼んで、嬉しそうに笑う。
 それに、ただ幸せになった。


 プルルルルルルル…


 余韻を断ち切るような音に、千歳は眉を顰める。
 嫌そうな顔で、机に置いてあった電話をとった。
「はい?」

『おはよ』

 橘だ。まだどこか呆れた声。出してないと思って怒っている。
「………出したとよ?」

『そうなのか!?』

「そうって…たきつけたん誰ばい…」
 正確には最後の砦はウサギ本人が崩したが。

『いや、まあ。…そういやニュース見たか?』

「見てなか。蔵が嫌がっけん、起きるし」

『…まあいいか。これからは我慢するなよ』

「いや、…しばらく我慢やろ? 法律が」

 橘は受話器の向こうで固まったような気配を寄越した。ついで、大爆笑。

『お前、謀られただろ』

「は?」

『今日発表された法律はたしかに二十歳以下のキメラへの性的行為の禁止だよ。
 ただし、合意のない場合だ』

「……は?」

『つまり、キメラ本人の合意がある行為は、刑罰対象じゃないんだ。
 お前は平気って話だな』



「……………………」




 今、頭の中にあの大統領の声が浮かんだ。
「だって、そうでも言わないと、あんた一生抱かないだろ?」って。
「……あ……っ………」

 思い切り怒鳴りたかったが、寝ているウサギが傍にいる。
 千歳は必死に堪えた。

 感謝すべきところは確かにある。あるが、やっぱり、相性がだめだ。




 ウサギが千歳の手を握ったまま、名前を呼ぶ。
 好きと、幸せそうに。
「…ああ、はいはい。…好いとーよ。…もう、負けとるよ」
 そう呟く自分の声も、幸せそうだったに違いない。













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