VenuS





 赤い夢に墜としてあげる 墜ちて、堕ちて見えなくなって。

 けれど、主導権は誰のもの。







『とにかくあのクラスは滅茶苦茶なんです』
 赴任してすぐ、クラスを請け負う担任になるとは思っていなかった。
 自分の出自も出自だし、と軽く疑ったものだがそのクラスを見て、ああと納得した。
 自分が受け持ったクラスというのは、相当な不良クラスだった。


「……」
 その二組の教室に足を踏み入れて、千歳は肩をすくめた。
 誰もいないということは、来てないのか、あるいは。
 すぐ背筋を走った感覚に、千歳は振り向き様に持っていた出席簿で飛んできたソレを叩き落とした。
「…」
 がしゃん、と床に転がって割れたのはどこから持ってきたのやら、アルコールランプ。しかも火がついていた。
「…また、手の込んでないオーソドックスなもんを」
 我が身を襲った事態をそう分析した千歳が半眼のまま前を見遣ると、投げた姿勢のまま「叩き落とされた!」と固まる一年生。
「わ、」
「こら一年!」
 逃げようとしたその小さい首をひっつかんで、千歳は視線を合わせたが首は離さない。
「いつもいつも、三年のクラスにお邪魔しとるんはいけんて言うたばい?
 こん耳は飾りかねぇ?」
「ワワワワイ悪ないもんっ」
「誰が悪かと?」
「………」
 ここで誰でも好きに名前をあげて転嫁すればいいのに、出来ずに黙り込む辺り、根はいい子だというのはわかるのだが。
「兎に角、遠山…」
 腰を据えて説教しようと姿勢を直した瞬間、千歳の頭にどしゃっ、となにかが大量に降った。
「今や金ちゃん!」
「お、おう!」
 脱兎のごとく逃げる一年生と、先導した三年の誰か(声で目星つく)に構う暇は流石にない。
 頭の上にこんもり乗って、乗り切らずぼとぼと落ちてくるのは、雑巾。
 ご丁寧に濡れたものだ。
「………なにか、あの子らは根本が普通の不良と違うばい」
 そう千歳がぼやいてしまったのは、その雑巾が昨日の学校で言われた『一人一枚家で縫って持ってくること。朝、担任に提出』と言われていたタオルで作ったお手軽雑巾だからだ。一枚一枚あからさまに出来が違うところを見ると、一人一人本気で昨日自宅で縫ったのだ。で、朝(一応)、担任に提出。(今)
 多分、確実に人数分ある。
「……なんなんやろうねぇ」
 とりあえず、渇かして職員室に持っていこうと千歳は立ち上がった。





 校舎の奥、空き教室棟まで来て一年と先導した三年が背後を念入りに振り返る。
「よし、おらん」
 右から数えて三番目の教室の戸を開くと、そこにクラスメイトたちが揃っていた。
「おかえり金ちゃん、またなにしてきたん?」
「んーと、」
「どうせ大したことしとりませんよ。遠山アホっすもん」
「光、金太郎さんは素直って言うんよ?」
「小春の言うとおり!」
 がやがやと騒ぐクラスメイトたちの中心の机に座っていた青年が、ひょいと立ち上がって構わず手を広げた。
「おいで、金ちゃん」
「白石っ!」
 ぱっと顔を明るくして腕に飛びこんだ遠山の髪をひとしきり撫でてやって、白石は優しく訊く。
「なにしたん?」
「んーとな、アルコールランプを頭に投げた」
「もちろん、火はついてないやんな?」
「ううん」
 流石に他のクラスメイトがざわっと騒いだ。気にせず、白石はことさら優しく髪を撫でて、から、視線を合わせてその可愛い顔をじろりと睨む。
「金太郎?」
「…っ」
 白石の呼び方が『金ちゃん』ではなく『金太郎』になったときは危険信号だと遠山も学んでいる。身を竦ませた遠山ににこり、と白石は微笑んだ。
「金太郎? アルコールは燃えんねんで?」
「う、うん」
「髪について、燃えたら全身燃えるかもしれんわなぁ」
「せやけどあいつ、ばしってたたき落として」
「結果論はどうでもええ。…金太郎は、『人殺し』になりたいんかな?」
「な、なりたない! なりたない!」
「次、同じことやったら『白石』て呼んだらアカン。遊びに来るんもアカン。
 …わかった?」
 こくこくこく、と首振り人形のように頷く遠山の頭をいい子だと撫でて立ち上がると、先導してきた生徒が肩を叩いた。
「せやけど、実際あいつなにもんやねん?
 なにしてもびびらへんしやり返してはこーへんけど、なんか馴れてない?」
「ただもんやないんは事実やな」
「でも、教師としちゃイレギュラーやろ。一度も俺らに『真面目に授業出ろ』とは言わへんしな」
「新米やから危ない生徒には広く浅く触らぬ神に祟りなし…ってわけやない、な。
 あれは」
 ぽつり、呟いた白石に微か反応して、謙也がそれを見た。




「お、またか」
 職員室に戻ると、同期ではないが年の近い男性教諭に迎えられた。
「とりあえず、今日提出の雑巾三十枚です。乾かしてから渡します」
 千歳の腕にこんもりと山になったそれに、男は頭を掻いた。
「あの組はいつもやなぁ。手に負えない癖、真面目に提出物出したり登校時間は守ったり」
「俺もそこば気になっとります…」
 不良で片付けるには、些か風変わりだ。
「頭をどうにかすればおとなしゅうなるかもしれんけど」
「…ああ」
 頭。
 っていうと、あれだ。
 あの連中の中で目立って綺麗な、あの生徒。

 白石。

「でも気ぃつけてくれや。なんか最近、二組の奴ら他校ともめとるらしくて」
「他校? どこです?」
「一駅向こうの……えーと…、本庄中の」
 出された名前には覚えがある。千歳自身、絡まれたことが数回あった。
 不穏な噂には事欠かない。
「気をつけときます」





 一日の雑務を終えて、校舎を出る。
 千歳は車で来ているので、車を停めてある駐車場の方向に足を向けた時、いつも入れてある場所に鍵がないと気付く。
「あれ…」
 どこやったか、と軽く慌てた瞬間、なにかが頭に向かって飛んできた。見ずに手で受け止めると、ちゃら、という金属音。その鍵だ。
「ワスレモノ。落ちとりましたけど」
 それを投げた姿勢を直し、笑う声と姿。
「…白石」

「へえ、センセ。こんなええ車乗ってんの」
 一人かと訊くと、一人と答える。帰らないのかと訊いたら、定期を忘れた、と返った。
 仕方なく助手席に乗せて、アクセルを踏み込んだ時に、そんな可愛げを出したような言葉。
「親のプレゼント。自分の金じゃなか」
「実家、金持ちなん?」
「企業秘密」
 そう素っ気なく答えるとくすくすと笑う。その横顔の作りや、長い指。手足の長さも、充分成長した男のもの。笑う顔がそれでも幼く見えるのは、この年齢特有のものだ。
「で?」
「なに?」
「なにじゃなか。お前さんみたいな頭よか人間が忘れものなんかすっとや?」
「…、頭ようても忘れ物くらいするで?」
「タイミングよく、鍵ばスって?」
 前の道路から視線を離さず言った千歳に、きょとんとした後、白石はくすくすとまた笑い出した。
「気ぃついとったん? 危ない人やなー。それでなお送ってやるん?」
「夜の街に放置して火遊びされるよりマシばい」
「…火遊び、ね」
 小さく、笑みだけ浮かべた白石が急に千歳の肩に手を乗せた。運転の邪魔だ、と言うのも構わず、妙に甘えた声を出した。
「先生、車、どっか停めて」
「…なんね?」
「先生。停めて?」
「降りっと?」
「ううん。せやけど停めて?」
「……却下」
 邪魔、と手を振り払うと逆に払った手の指に指を絡ませてきた。彼のしている包帯の感触がする。
「せんせー。とーめーて?」
 猫なで声で上機嫌に言う白石に、しょうがないと白旗をあげるように車線変更して車を丁度見えた、潰れて誰もいないスーパーの駐車場に停める。
「これでよか? 一体…」
 なに、と問おうとして振り向いた瞬間、のし掛かって来た身体の重みと唇に触れる柔らかい感触に、軽く目を見開いた。
 びく、と震えた指を持ち上げて、その肩を掴んで押し返す。
「教師をからかうもんじゃなか」
「からかってへん」
「立派にからかっとうよ」
 退け、と睨むが白石は完全に千歳の膝に乗ってしまって動かない。どころか腕を首に回してきた。
 そうするとまるでひどく手慣れた娼婦のようで、どくりと熱の集まる感触をすぐ無視する。
「先生、初めて会うた日に言うたやんな? 『子供の遊びはやめろ』て」
「…ああ、言うたばいね、そげんこつ」
「なら、」
 すっと、その白い指が千歳の唇をなぞる。
「先生が教えて?」
「……?」
「大人の遊び、……先生、俺に教えて?」
「……」
 言葉を失った千歳に、戯れのようにもう一度キスを仕掛けて、間近で笑う声がする。
「教えて、センセ? 身体に…」
 そっと、もう一度また重ねたキス。瞬間、白石の頭部に差し込まれた千歳の手が、白石を強く引き寄せて千歳から深く唇を重ねた。
 墜とす自信はあったが、予想より激しいキスに本気で翻弄されて視界が霞んだ頃、ようやく解放される。
 唾液の伝った唇を指で拭われ、白石の肩にかけられていたジャケットを千歳は助手席に落とした。
「……?」
 あんなジャケット、自分は羽織っていない。キスの合間に、千歳が羽織らせた?
 何故、墜ちたならそんな余裕ないはず。
 そこまで考えた瞬間、後部座席の硝子越しに遠ざかっていく数人の学生の背中。
 おそらく、先ほどまさにこの車の傍を通りかかった筈だ。

 本庄の制服。

 気付いた瞬間、頭がカッとなった。
「白石」
 呼び止める千歳に構わず、車から飛び降りる。
 振り返らず駆け出すと、しばらく背中を追う視線を感じたがやがて感じなくなった。

 …助けられた。

 あそこで、あいつらに『俺』って気付かれたら喧嘩になってた。
 だから、ジャケット被せてキスなんかして、女に見えるような真似して、隠したんだ。
 千歳自身が巻き込まれたくなかっただけかもしれない。でも、

「……むかつく…っ」

 吐き捨てると、なお悔しくなった。







 翌日、学校に行く道で謙也に出くわした。
「謙也」
「おはよ、…元気ないなぁ」
「そか。気のせいやで」
「…」
 納得いかないという顔をした謙也は、急に立ち止まる。つられて立ち止まった白石と視線を合わせると、真剣な顔をした。
「もう、あいつに近づくな」
「謙也?」
「あいつ、なんかようないわ」
 まさか、昨日のことを知っているわけではないだろうに。
 胸に刺さって、少し痛い。
「……白石」
 呼ぶ声に、自然、力が抜ける。丁度、電車の通る陸橋の下。
 影だ。近寄る顔に目を閉じかけた時、視界の隅に映ったモノに、ハッとして左手を謙也の頭に伸ばした。
 がつん、と鈍い音が響く。
「白石!」
 振り下ろされた鉄パイプが狙った謙也の頭を庇った左手に、鈍い痛みが走る。
 振り返った先に立つのは、十人を越す同じ制服の男。
「…本庄の…」
「白石、逃げるで!」
 謙也に無事な方の右手を引かれて、走り出す。
 逃げたくないが、流石に数が勝ち目がない。
 おまけに、多分左手を痛めた。
 陸橋を抜けて、しばらく走った先に見えた線路。
 踏み切りの警鐘が鳴っているところだった。まだ遮断機は下りていない。
 止まらず突っ込んだ謙也に引っ張られて足を踏み入れた瞬間、背後から両手の脇に手を差し入れられ、強引に背後に引きずられた。
「っ…白石!」
 気付いた謙也が戻ろうとした矢先、踏み切りの反対側まで抜けた謙也の前で遮断機が完全に下りる。
 その間を走った電車に阻まれて、白石の元に行こうにも行けない。
 電車が過ぎた後には、そこに誰もいない。




「…っ」
「五人目」
 あの後、なんとか手を振り払ったが、こんなところに連れ込まれてしまった。
 廃ビルのような場所の駐車場。
「こいつホンマ、さっきのんで左手痛めてんか!?」
「相変わらず化け物やな」
 正直、痛めた利き手は本気で痛いが、気遣っていたらやられる。五人は倒したが、まだ半分以上残っている。
(…謙也)
 痛みに焼き切れたような思考で呼んだ刹那、背後で砂利を踏む音がした。
 ハッと振り返る暇なく、振るわれた鉄の棒が頭を強く殴った。
「…っっ…!」
 まともに立ち止まることも出来ず、その場に倒れた白石の頭上で「ナイス」とかいう声が聞こえる。
 頭が痛くて、それ以上になにか麻痺していくようにしびれて、アカンとか全然考えられない。
 倒れて動けない白石に鉄の棒がもう一度振り下ろされたが、瞬間割って入った人間の腕によって阻まれた。
「…ぁ……謙……」
 謙也だ。そう思って呼んだ視界に、微かに映るのは、その金髪ではなく、見覚えのある長身。
「…………ち……」

 そこまで呼べたのが、限界だった。




 浮遊するように定まらない意識の中で、誰かが自分を抱き上げたとわかった。
 うっすらと瞳を開くと、自分を運ぶ人間と目があった。
「……せ…ん……せ」
「もうちっと堪えられっと? すぐ病院連れてくけん」
「……、…で」
 なんで、と問う声に、千歳はただ困ったように笑う。
「担任やけん」
 その言葉に、少し寂しい気になったのは、きっと頭が今打っておかしいからだと思いこんだ。
 けれど、意識を手放す前、車に横たえられた身体を撫でた手が頬にかかった。
「…せ」
 んせ、と呼ぶ前に、唇は重なった。
 なんで、と問う余裕はなく、意識はなくなった。





 しばらく自宅療養となった白石が学校に復帰した朝。
 校門で千歳に出くわした。
「…はよございます」
「おはよ」
 あの日のことなどなかったように、千歳はにこりと笑う。
 むかつく、やっぱり。
「先生。あれ、なんですか。てかなんで校門おるんですか」
「当番」
「片方しか答えてません」
 ムキになって近寄った白石の、まだ包帯の残る頭にそっと伸びた指が触れる。
「跡」
「…ぇ」
 つい、身構えてしまった己を叱咤して、聞き返すと千歳は「傷跡、残る?」と訊いた。
(…跡、か。びっくりさせんなや…)
「イエ。なんにも残らないらしいんで」
「…そか。よかった」
 つい身を退いてその手から逃れようとする。その前に千歳の指が髪から降りて、白石の唇を、親指でなぞった。
(……え、なに? なにその手!? てかそんなあからさまに手慣れた手で…)
「白石」
「……は、い」
「…て、もしかしてキス…」
 くい、と親指でなぞったまま顎を軽くもたれて、近づいた顔に内心悲鳴が出そうになる。
「っ…せ、ここ…」
 制止しながらも目を咄嗟に閉じた瞬間、千歳の頭の傍で音がした。
 目を開けると、千歳の頭にはノートの束(ご丁寧に一つにまとめたもの)。
「宿題。出したんで白石返してもらいます」
 言うなり、投げた主に腕を引っ張られて引きずっていかれる。
 謙也と千歳を交互に見ながら、つい吹き出した白石を引きずる謙也がいぶかしんだ。
「なんでもない」



「とりあえず、宿題。…どうやってバラしたらよかでしょう…」
 その後の職員室、ガムテープで縛られたノートの束を手に、途方に暮れた千歳を同僚が同情して見上げた。




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 夜魅様40999リクエスト。ごくせんパロディ。
 いかんせん、千歳を熱血にするのは無理あった…。(むしろ見たくない)
 白石たちが中途半端に真面目なのは、多分リーダーが白石だから(笑)
 白石は不良になっても基本、真面目そう。根が真面目だから。
 でも正直、不良風に学ラン着崩した白石を想像したらやばかった…。やばいオーラかフェロモン出てます。
 千歳が中途半端に不道徳な教師に。(でもやっぱり千歳は根本が教師に向かない…。多分向かない。子供好きで優しいとこ面倒見いいとこはあってるでしょうが…根本が多分無理)
 ちなみにリクは「千歳+謙也×白石」だったんですが、一話完結の短編で謙蔵要素まで拾えませんでした…申し訳在りません。長編になおしていいなら直します。てかむしろ書きたい長編版。
(確実に禁断愛に行くけど…)
 ちなみにキャスティングは、
 千歳→あらゆることにおいて新米教師そのものだが何故か喧嘩だけただ者ではない教師。
 白石→不良クラスの頭(ボス)。授業までしっかりサボる癖、登校回数自体は皆勤賞レベル+やたら頭のいい真面目な不良。(謎な不良だな…)
 謙也→不良クラスの一員。ボス白石の友人で並ぶほど喧嘩が強い。
 小石川→同上。でも根はやはり真面目。煙草は吸わない副番長。
 財前→二年生の癖に、白石と謙也に憧れて自分のクラスをサボって三年二組とつるむ後輩。
 遠山→一年生。白石に憧れて以下同文。しかし、つるむというよりお母さん(白石)の世話になってる子猫。
 小春&ユウジ→謙也と同じく。ユウジは不良らしい不良だがボスの命令なので宿題もやる。
 石田→同上。しかし学校内に弟子の多い(真面目な)通称「師範」。
 …オサムちゃんはいない方が多分いい。こんな感じ。

 2009/03/01