笑わないで












「えー、俺は、首と耳かな…」

 朝、謙也が部室に入った時、中には部長の白石と、副部長の小石川しかいなかった。
 二人とも、着替え途中なのか、白石は上着だけ制服のシャツで、小石川は制服のズボンに上半身は裸だった。
「おはようー。なんの話?」
「お、おはよ謙也」
「おはよう」
 白石と小石川が気付いて、笑って挨拶を返してくれる。うちの部長・副部長コンビは愛想がいい。中身は、置いておいて。
「なに話とったん?」
「んー、あれ、白石がなんやったっけ?」
 謙也の乱入で頭から飛んだのか、小石川はもう一度白石に聞く。
「首と耳」
「二つなんか」
「めっさ大変やで」
「あはは」
「健二郎は?」
 二人はとりあえず、会話を終わらせようというのか、気になったことを解消しようなのかはわからないが、謙也を置き去りにしてしまう。
 この二人は揃うと、結構ひどい。内面が。だから、外面“だけは”いいのだ。

(まあ、元が二人とも優しいから、そないひどいことせえへんけどな…)

「俺は、肩と…脇腹」
「お前も二カ所やん」
「一カ所は違ったんやぞ」
「…え? なに、開発されたん? あの師範が?」
「うん。てか、白石もやないんか」
 小石川の意地悪な笑みと問いかけに、白石は黙ったあとこくりと頷いた。小石川がそれに遠慮なく笑う。
「なんの話か聞いてええ?」
「あ、そうや、謙也も受け身側やんな?」
「ん?」
 小石川が急に謙也を振り向いて、そう聞いた。
「やから、セックスん時、受け身側やろ?て」
「……は、はぁあああああっ!?」
「あの反応はそやな」
「な」
 あっさり納得する二人に否定は出来ない。勘も洞察力も優れた白石と小石川にここまで露骨な反応を見せておいて、否定は意味がない。
「……なんの話や、その方向でええから」
 でも悔しいので負け惜しみに真っ向からは認めない。小石川は気にせず笑う。
「せやからな、自分の性感帯ってどこや?て話しとるん。相手おって、受け身やないとわからんし」
「…おま…えら、…朝っぱらからなに」
「言い出しっぺは……どっちやったっけ?」
「え? あれ?」
 白石だ、と言おうとして小石川はわからなくなったようだ。白石も首を傾げる。
「…あ、千歳や」
「ちとせ?」
 この場にいないじゃないか。
「あいつが、さっきメールで」
 結構際どいメール送ってきてな、と白石。あいつか。千歳この野郎。
 声に出ていたらしい。背後、開きっぱなしの扉の向こうから千歳が「俺がなんね」と問いかけた。
「千歳、おはよう」
 普通に挨拶するんかい白石。
「おはよう蔵」
 お前もか千歳。
「おはよう千歳。珍しくはやいな」
 健二郎もか。
 ああ、うちの中で一番真面目で品行方正だった白石と小石川が。
「…お、…前の所為や千歳!」
「は?」
「お前の所為で白石と小石川がホモに!」
「………」
 千歳は絶句している。小石川が背後で、「師範は…?」と呟く。
「銀は勘定外なんやろ。銀やから。千歳やないから。人徳あるから」
「ああ」
「そこ、失礼なこと言いよっとね」
 勝手に納得した部長・副部長コンビに、千歳は突っ込んだ。珍しく。
「てか、謙也も。それ光が聞いたら怒るっばい」
「え? やって…光は…お前やないしなぁ」
「その通りですわ」
 千歳は自分の背後からした後輩の声にびくう!と驚いた。背後には、千歳に比べたら小さな後輩。
「千歳先輩と一緒にされたないですわー。石田先輩なんか余計混ぜたらあかんですわ。
 あんた、顔に貼っとかないと」
「なにを?」
「『混ぜるな危険』」
 その後輩の台詞と、言い方に小石川と白石、謙也が揃って吹き出した。
 千歳一人が微妙な、孤独な顔で固まる。
「ああ、あと、『取り扱い注意』と『脱走禁止』も貼っときましょ。部長」
「てか書いとこうや顔に! 財前ナイス! グッジョブや! 花丸や!」
「今回の花丸は嬉しっすわ」
 財前や白石の失礼な物言いにも、もう千歳は反論できない。そもそも関西人に反論出来る弁はないのだ。それが二人以上揃った時点で勝ち目はない。
 そこに遅れて、石田と遠山がやってきた。






 その日の夜、七時。
 夕飯は済んだ。先ほど食堂で取った。小石川と石田は寮生で同室である。
 しかし、部屋に戻るなり、こっちに背中向けて座禅組んでる石田はどうしたらいいのやら。
 部屋には寝台が二つ。右端と左端に。自分は右端のベッドだ。
 石田は左端の寝台の上でその姿勢。
「…師範ー、ベッドの上やと足痛くならん?」
 無言。表情はわからない。背中だし。
「…師範ー……、テレビ見に行こや」
 テレビはリビングだ。
 やはり無言。
「……師範………なぁ、どないしたん」
 そういえば、今日は一日ずっとそんな調子だ。部活中は普通だったが、休憩など探しても遠山と話していたりで、会話していない。
「……」
 まさか、あれだろうか。付き合ってもう三ヶ月くらいだし。
「…師範、まさか……俺に飽きた?」

 ゴンッ!

 とすごい音がした。石田が背後にぶっ倒れて床に頭をぶつけたのだ。
「師範!?」
「……それはない。そんなわけあらへん」
 痛みに多少震えた声が、抱き起こしに側にしゃがんだ小石川に向けられる。
「…ほな、なに…てか、ほんま大丈夫か?」
「石頭の部類やから」
 そうだろうか。一回、頭をぶつけた時、呻いていたのは石田だった。自分がけろっとしていたはずだ。
 空笑いしか浮かばない小石川に、石田は改めて向き直ると、じろっと睨んできた。
「…んー…わからん。ごめん」
 これは一応、嫉妬の分類なのだろうか。石田の嫉妬の発露はかなりわかりづらくて、些細なことで地雷を踏んづけても、踏んづけたとわかりづらいのだ。千歳みたく発露がわかりやすいならいいのに、と思うが、千歳は好きになれない。石田だから好きになった。千歳は、仲間としては好きだ。
「……今朝話しとったやろ」
「今朝?」
「白石はんと」
「…千歳が『取り扱い注意』?」
 そう言うと、石田は頭を押さえて呻った。違うと言いたげだ。
「……………あ、えー謙也を」
「その前」
「………性感帯?」
 石田がこくりと頷く。小石川は気付くのがいつも遅い。というか、それが嫉妬に引っかかると思っていない。普段から、自分は攻め側の立場の意識が強いのか、受け身の意識に欠けている。
「……え? あれ、なんか問題あった?」
 わかってもこんなことを言う。
 あるやろうと言うと、首を傾げた。
「え? やって白石やで?」
「白石はんでもや」
「千歳とかやないんやから」
「…」
 石田が無言で睨むと、小石川は多少怯えたようだが、やはりわかっていない。
「…やって、白石やし」
 白石だから、と繰り返す。
「お前、白石はんのなんや?」
「友だち?」
「立場意識的なものや」
「……母親?」
 か、父親。あれは俺の息子。と真顔で言う。
 そこで、石田は考えるのを止めた。ぐいと小石川の手を引っ張って腕の中に抱き込んだ。
「……え、と、ごめんなさい」
「……もうええ」
「……でも、白石はあれ、別勘定やからあの…」
「…黙っとれ」
「……はい」

 小学校が同じだから。
 白石と小石川には、妙な絆がある。妙な信頼感。阿吽の呼吸。
 それが、気に入らない時もある。
 白石だって、男だ。
 それを、意識して欲しい。

 小石川には、何度言っても、無駄だとわかっていても。

 あまりに無防備に、笑わないで欲しい。


















 2009/07/04