悪い男




「光」

 明けない夜に悲鳴を上げて、照らす光にただ焦がれた。




 俺の好きな人は、完璧だった。
 綺麗で、賢く、優しく、正しく強い。
 だから好きになった、なんて陳腐な理由だけど本当だ。
 手に入れた今だって、こんなに焦がれている。

「部長」

 寝台からもそりと起きあがった白石が、呼んだ声に「ん?」と視線を上げた。
 財前に視線を合わせた白石に、「帰ります?」と訊く。
「んー、そやなぁ」
 時計を見て、白石は悩むそぶりを見せる。時刻は夜の七時。ここは財前の家だ。
「帰るわ。ごめんな遅くまで」
 柔らかく微笑んだ白石の裸の身体を抱きしめ、股に手を這わせる。掠れた声で抵抗を示した白石に「引き留めたん俺でしょ」と囁いた。
 そのまま中心に伸ばした手の甲がつねられて財前は顔をしかめた。
「調子のんな。親御さんももう帰ってきよるやろ」
「今、かなり遠慮なかったでしょ…」
 相当痛んだ手をさすって恨みがましい視線を向けると、当たり前やと言いたげな視線。
「セックスする時に言うたやろ」
「…言いましたね」
 そもそもは、白石が「中学生には早い」と拒むのを、「もう子供やない」と俺が押し切った。
 その時から、白石にことある毎に言われる。

「もう子供やありませんって主張したんやから、子供扱いせえへんでええんやろ?」

 と、得意げに自信たっぷりに微笑んで。
 今更「年下なんやから優しくして」なんて言えるわけない。このひと、ずるい。
「部長、俺がそういう切り札をあんたに握られんの謀って、最初拒否ったでしょ?」
「なんや、今更気ぃついたん?」
「…ずるい」
 本当に余裕たっぷりに笑われて、唇を尖らせるとまた笑われた。
 それでもシャツを肩に羽織りながら、白石がそんな自分を見て髪を撫でてくれる。
 甘やかすとしか言いようのない手つきに、彼の「大人への扱い」が一貫していないことも知っている。
 ちゃんと年下として、後輩として変わらず甘やかされている。子供らしく弱音を吐けば必ず甘やかされた。
 ただ、なにしろ勘の聡いこのひと。甘やかされたくてわざとやった表情や言葉には全く反応せず、容赦ない攻撃が返る。
 甘やかされるのは、本心からの幼さが露呈した場合。
 どんなにささやかでもよくて、虫に驚いた時ですら優しく胸に抱かれた。
「部長」
「ん?」
 下も着替えようとした白石を止めて、用意していた台詞を使う。
「今日、誰もおらんのです」
「え? 一人ってことか?」
「はい」
 多分、この人は俺の浮かべる表情が「わざと」だってわかる。でも、
「兄貴がいつもおったから、一人は…イヤっすわ」
「………」
 白石は仕方なさそうに肩をすくめて、くしゃりと髪を撫でた。
「この甘えたは……」
「おってくれます?」
「…わかった。泊まったる」
 でも、この人は過保護。世話焼きな人だ。
 例え本人が全く脅えていなくったって、「子供が家に一人」という状況さえ本当なら見逃せない人。俺を完全に大人として見ているならまだしも、子供扱いもする「後輩」の非常時に一人帰ったり出来ないひと。
「よかった」
「お前は……。まあええ。けど、俺、おっても料理くらいしか出来へんよ」
「ええんです。部長がおるだけで」
「お前、たまに安いくらい甘えた」
 ぽん、と髪を撫でられる。そのまま首筋に唇を埋め、裸のままの腰を抱いた。
「こら、服着させろ」
「もう一回しましょうよ…」
「腹減ったやろ」
「部長が食べたい」
「帰るで?」
 脅すように言った白石と視線を合わせ、微笑む。
「部長、ほんまに俺を置いてったり出来へん癖に」
「………ほんまこいつは」
 溜息を吐く。なのに、仕方なく俺の好きにさせる。本当に、甘い人。
「部長」
 不意にその身体から離れて、机の引き出しからあるものを取り出した。
「お願いがあるんです」
「…お願い?」
「はい。俺、この前テスト全教科満点やったんです」
「…それ、俺が祝うことやない気がする。っちゅーかお前はいつやってそうやろ」
「まあまあ。一年からのまとめて祝いってことで」
「……まあ、そういう方向で進めてもらうとして。なにや?」
 白石の手を無言で取り、手の平にぽんとそれを置いた。
「……ピアッサー」
「はい」
「……待て。俺にお前の耳の穴をもう一個増やせとかいう…………?」
「いやぁ、流石にもう一個は…」
 真逆に誤解した白石に首を振って財前は否定し、白石の形のいい耳に触れる。
「ここに」
「……俺は、ピアスはあけへんで」
「あけてください。一個でええから」
「イヤや」
「お願いします」
 財前が限りなく本気だと伝わったのか、白石は怪訝な顔をした。
「なんや。やけに拘って」
「部長……肌、白いっすから」
「…は?」
 訳の分からない顔をした白石のはだけたままの胸元の肌を手で辿り、そっと押し倒す。
 こちらの意図がわからずおとなしくベッドに横たわった白石にのし掛かって、その白い肌に舌を這わせた。
 つう、と辿り一カ所を深く吸うとすぐ赤くなる。その傍にも遠くにも、もう赤い花が咲いている。
「こうして、あんた繋ぎ止める印、いくらでもほんまは残せる。
 せやけど、その中に一個、俺のやない印があっても、わからんかもしれん」
 無抵抗に横たわっていた白石がぴくり、と眉を動かした。
「俺が信用出来んて…?」
「してます。でも怖い。もう、あんた俺の部長やなくなる。
 俺もあんたも忙しくなる。こんな風に、毎日傍におれん。
 ……あんたを欲しがる男が一杯いる。知ってる。やから怖い。
 あんたが、悪い男に連れていかれるんはイヤです」
 やっと、やっと手に入れたひと。誰にも触られたくない花。けれど、
「…。アホか」
 嘆息した白石は、けれどすぐ財前の後頭部に触れて胸元に抱き寄せてくれた。
「……誰のもんにもならんわ」
「嘘や」
「…お前な」
「やから、印つけて。誰にも明らかに、俺のって印」
 指でその耳に触れて、自分とは違う穴一つないそれを舌で舐めた。
 少し身を震わせた白石は、一度息を吐くと、しかたないという風に身体を抱いてくれた。
「……わかった」
「え」
「え、やない。お前が言うたんやろ」
「……はい」
 快諾されるなんて想像してなかったから、びっくりした顔をする財前の額をこづいて白石は笑う。
「やから、そない顔せんでええ」
「……ほんまですね?」
 顔に出てたか、とやっと気付いた財前に「ああ」と彼は念を押すように頷いた。






 彼が部を引退するのを待って、自分の家に呼び出した。
「はい、これ」
「……? ピアッサーちゃうけど…薬?」
 手に乗せられた錠剤に、白石が不思議そうに自分を見上げた。
「俺的には、あんたに痛い思いさせたないんで。飲んでください」
「…イヤやで。得体の知れない薬とか」
 あからさまに嫌がった顔をする白石に、「睡眠薬です」と言う。
「効いた頃に穴あけると、全然痛みがないらしっすわ」
「…おまえ、なんでんなこと知っとんねん。で、持っとんねん」
「兄貴の友だちに訊いて、もらいました。そんな強いヤツじゃないですわ」
「……」
 はぁ、と白石が溜息を吐く。が、強いて本気で拒む理由もなく傍にあった持参したペットボトルの水であっさり飲み干した。
「…どないした?」
「いや、毎度あっさりしてますよね…って。少し疑いません?」
「怪しい薬かって? ああ、安心せえ。もしそんなんやったらお前と速攻別れるっちゅー手札がある」
「…泣きますそんなん」
「…いや、ホンマに泣きそうになるな。冗談や。お前はそんなこと絶対せんって信頼」
 ぐしゃりと、少し乱暴に髪を撫でられて、でも嬉しい。
「どんくらいで効くん?」
「あんた、そういうの詳しいと思いましたけど」
「いや、個人差もあるやろし」
「こういうん初めて飲むひとやったらすぐ効きますよ。三十分もすれば」
「…ふうん」
 その間にも氷で冷やしていた耳朶はすっかり冷えて、もうあまり感覚もなさそうだ。
「………そういえば、やっぱり赤いん?」
「ピアス?」
「うん」
「いえ、青いんで」
「へえ意外」
「あんたのイメージっすわ。青い、綺麗な色」
「……光栄やな」
 綺麗に微笑んだ白石の頭を抱くように寄せて、その耳にそっと触れる。
 もう時間も経った。
「………わかります?」
「……全然」
 そう言いながら、少しは感覚もあるのだろう。ぴくん、と反応する身体を宥めるよう抱いて、かちんと押した器具を落とした。
「………やった?」
「はい。痛みます?」
「……いや、変な……感じはするけど、……痛みっちゅー痛みはない」
「よかった」
「…びびられるけど、明日」
「それはその時っすわ」
 他人事やと思って。そんな声が響く。
 段々眠くなってきている彼が、相づちを返さなくなるのは早かったけれど。
 その耳に埋まった青を見つめて、小さく微笑んだ。





「……白石。お前、なに、それ」
「え?」
 翌日、廊下で出会った謙也が素早く気付いて一言。
「み、みみっ」
「あー……気分転換」
「な、わけあるか! なんや、悩みか! 白石!」
 真っ青になって肩を掴んでくる謙也には悪いが、本当のことは言えない。

『あんたが悪い男に連れていかれるん、怖い』

 俺だって、怖い。
 お前が、連れていかれるのは。

 休み時間にメールを打って送った。

「お前の耳にも、俺の印作らせて」

 返事を待たず、席を立った。
 今日は、帰りにあいつを連れてピアスでも選びに行くか。

 『悪い男』は、俺なんやから。