![]() アナタの隣のだーくねす 第二話 ウサギと狼 翌日、謙也の家から買い物に出かけた白石は、憂鬱を隠せない溜息をはあ、と吐いた。 「……腰、痛い…」 しくしくと泣きたい。あれから結局また泣かされて、合計一昨日から何回ヤられたのか。 「……一、二…三………六回………痛いはずや」 悲しいことに散々慣らされた身体は(謙也風に言えば躾た)無理をすればなんとか動ける。故に一人、買い物に出てきたのだ。あのまま家にいたらまた隙をつかれてヤられてしまう。それだけは阻止しなければ。 「…初めての時は一回ですら動けんようなっとったんに……ハァ」 目当てのものを買って戻る途中、そういえば携帯が静かだと思う。 謙也のことだ。気付いて散々メールやら電話をかけてきそうなのに。 謙也が爆睡している隙に出てきたから、途中で起きて気付いてメールか電話…。 そこまで思って、白石は背筋に走る言いようのない悪寒にハッとする。 「……なんやろう、わからんけど」 とりあえず、逃げた方がいい気がする。 そう思ったが早いか、悪寒がしない方向にダッシュした白石は眼前に見えたドラックストアに足を踏み入れる。 暖房の効いた店内。これだけ広く、客も多いならまず見つからない。 「…て、俺、なんで今、謙也に追っかけられとることを前提にしてんのや?」 あいつの姿を見たわけでも、電話があったわけでもないのに。 しかし、無性に悪寒がして仕方ないのだ。 こう、例えるならライオンに狙われた草食動物のような。 思考から引っ張るように、店に電子の鐘の音が響いた。客の来店音だ。 なにげなく入口を振り返って、白石は固まった。背筋を冷たい汗が流れる。 「みーっけた……」 「…け、んや」 そこにいたのは、間違いなく自分の恋人。しかも、にこにこと笑う顔に青筋なんか浮かんでいるからとても怖い。 「悪い子やなぁ…俺が寝とる間に逃げるやなんて…躾がまだ足りへんみたいや」 「…っ…………か、書き置き……して」 「ああ? ジュース、買いに行ってくる? …ほな、 「………」 「買い物、済んどるみたいやん?」 白石が既に下げている買い物袋にはコンビニのマーク。それを指差しクスクス笑う謙也が、ひたすら怖い。傍を通った子供がびくう!と反応して親の方に逃げた。 「……………」 「はよ帰ろ。白石。……今日は―――――――でも使おか?」 「放送禁止用語を往来で使うなー!!!」 有りっ丈の声量で叫んで、白石は謙也が塞いでいない方の通路に逃げ込む。 そのまま出口の方に向かった視界に、腕が伸びる。間一髪逃れた白石の視界には、やはり怖い笑みを浮かべる謙也。 「なんで…」 こんな広いドラックストアで、的確に場所がわかるのだ。入り口や出口はいくつもある。ここはその一つなのに。 じり、と近づく謙也から一歩後退って逃げた白石は持っていた袋から一本ペットボトルを掴むと謙也に向かって投げつけた。そのまま振り返らず出口から外に出る。 「甘い!」 しかしそんな攻撃など心の声で事前に察知済み。簡単に避けた謙也だったが、周囲の視線に気付いて、咄嗟に頭を下げ、ペットボトルを回収してから後を追った。 「心が読まれとるんは…っ……承知の上やっ…!」 痛む腰では少し走っただけでも息があがる。切れ切れになりながら誰も聞いていないのに喋ってしまうのは予想以上に自分が怯えているからだ。怖いと饒舌になる。 謙也がいくら自分に鬼畜でドSだろうが、元の人の良さも健在。店内であんなことをすれば、残された謙也は少しなりとも周囲の客に謝らなければならない。ペットボトルの回収も必須。なら、多少のロスは期待できる。(確信犯) 必死に走る白石の視界に、ふと見覚えのある車が映った。 傍のコンビニから出てきて、その車に戻る男にも覚えがある。 「センセ!」 「お、お、白石? お前、どないしてん? そない走って」 「ええから隣乗せて! 急いどんねん!」 「は?」 「命の危機や! 教え子の命くらい助けてくれてええやろ!」 「……………わ、わかったから乗れや」 あまりに白石が必死というか、涙目で訴えるので渡邊もただごとではないと察したのか、助手席に乗せてくれた。白石が急かすのですぐ発進したセダンの中で、渡邊は隣の教え子を見遣って「なにがあったん? 暴力団でも追ってきたか」と聞いてみる。普段一番沈着冷静で怖いモノ知らずな教え子が、命を狙われたスプラッタかホラー映画の主役のような形相で怯えていれば聞きたくもなる。 「……大魔王から逃げてんねん」 「はぁ?」 なんだそれは、と素っ頓狂な相づちを渡邊が返してもしかたない。 白石はあまり深く語らず、窓を見ている視界に映ったでかい店の姿に「ここで降りる」と言った。「悩み事なら頼れや」と一応それだけ言って渡邊は降ろしてくれたが、それは一応命の危機がないことを理解しているからだろう。本気で命を狙っている輩に追われているなら、必ず察して保護してくれる人だ。まあ、中学生がどうやったら命を狙われるのか、あんまりそんな機会はないが。 降りた場所から数十メートル。そこは最近出来た大きなショッピングモールだ。 自宅近くまでのバスもある。 休日問わず人であふれかえる、三階建てのとてつもなく広いショッピングモールに逃げるなんて流石にひどい気はしたが、しかたないのだ。今日の謙也は怖すぎた。 「ごめんな謙也………」 一応呟いてから、店内に足を踏み入れ、どこに入るかと視線を動かす。 「映画館かなー…映画上映中ならまず見つかっても…」 そうぼやいた時、肩をぽんぽん、と叩かれた。落とし物でもしたか?と全く警戒せず白石が振り返ると、そこにはとびきりの笑顔の忍足謙也の姿。 「……………」 「みー…っけた」 「っっっ!!!!!」 疲れからではなく、怒りのあまり声が途切れたとわかる謙也に、条件反射で蹴りをいれてしまい、呻いている間にその場を離れた。 いくら心を読めても、心で考える暇もない条件反射の蹴りは流石に交わせなかったらしいが。 「…け、け、…蹴ってしもた…っ! まずさ二乗倍やっ! 捕まったらただやすまん、てかなんでわかんねん!!」 音楽ショップの前を走り抜けた時、聞き知った声が白石を呼んだ。 「え? お前なにしとん? 汗だくやん」 「…け、健二郎〜!」 思わず全力で抱きついてしまう。びっくりしたまま受け止めてくれた小石川から離れると、きょとんとした顔が再度「なにしとん?」と聞いた。神様に見える。 「…じ、実はな?」 説明しようとした時、その小石川の肩が誰かに叩かれた。 「ん?」 「よ、健二郎」 その声の主、そして姿は間違えようもない、謙也だ。 「あれ、謙也。あ、二人で来とったん? あ、白石が迷ったんや。白石、よかったな。謙也いたで」 にっこりと、百%善意の笑みを向けられて白石は後退った。 小石川にとても悪いが、今の心境を当てはめるなら、「こいつはアカン。役にたたん」だ。 「健二郎、白石捕まえといてや」 「へ? うん」 よくわからないまま疑いもせず白石に伸ばした手が、げし、と靴に踏んづけられた。正確には、白石の脱いで手に持った靴に振り払われた。 「健二郎のあほぉ!」 「???? え、なに?」 「『あほぉ』って…可愛えなぁ。…ほんま、可愛えけどちょおやりすぎやで……蔵ちゃん?」 「へ?」 今、すごい耳慣れない呼び名を聞いたような、と小石川が謙也を振り返った時にはそこに誰もいなかった。 あの場所で流石に小石川を蹴る真似は出来ないとはいえ、無駄に手順を増やした気がする。靴を脱いで履くのは手間以外のなんでもない。 映画館に飛び込み、適当にチケットを買って劇場に入る。 運悪く相当にがらがらな劇場だ。しかし上映は始まっていて、暗い。 椅子が並ぶ、奥の通路の隅。あそこにしゃがんで隠れていれば、少なくとも上映終了までは見つからない。 身をかがめてそこに座り込み、随分ぬるくなった、投げていない方のペットボトルの口を開けて一口含んだ。 「油断大敵油断禁物…みっけたで白石」 「っ!!!!?」 驚きのあまり飲み込んでいなかったジュースを噴いてしまう。ごほごほとせき込む白石を、椅子との間に閉じこめて、立ちふさがると謙也はそのおとがいをぐい、とひどい力で掴んで見下ろした。 「ほら、ごめんなさいは?」 「……け、……なんで……」 「ご・め・ん・な・さ・いは?」 「………………」 あまりの恐怖に、言葉なんて出ない。ごくり、と喉がつばを飲み込んだために上下するだけ。 「あんなぁ? 白石? 今、自分の心は俺に筒抜けやねんで?」 「………」 「やから、お前の声はどこに、どない遠くおっても聞こえるんよ…? ここに来ようと思ってオサムちゃん捕まえたこととか、映画館に入ったことも、場所も、…声が聞こえてんねん、わかるわ」 そんなのって、はっきり言って反則だ。犯罪だ。 それすら聞こえたのだろう。突然唇を塞がれ、びくりと身体が震えた。その手からペットボトルを取り上げ、零れないように置くと、謙也は白石の身体を壁に押しつけいきなり下半身にズボン越しに触れてきた。 「けっ……!」 「我慢。声。……しゃあないから、ここで可愛がったる。それで百分の一だけチャラ」 「そ、たったそれだけ!?」 「当たり前やろ」 ファスナーを下げられ、潜り込み直に触れる手に声が上擦る。抵抗しようとしても服を掴むだけであまりに無力だ。 「俺から逃げるやなんて、いっちゃん悪いことやで? それをしっかり、身体に躾とかんといかんからなぁ…」 「…っや」 もうダメだ、と白石が思った時背後からその頭が叩かれた。 「…?」 振り返ると、そこにはなんとも言い難い顔をした千歳の姿。 「こら、謙也。いくらなんでもこげんとこで啼かせるんじゃなか」 青姦より性質悪い、という千歳は一人だった。 「ええとこやったのに…お前一人か。なんでわかった」 劇場から出た謙也が白石の腰にしっかり腕を回して、隣の千歳に聞いた。 白石はもう逃げる体力も気力もなく、腰を抱く手にも異論を唱えず、ぐったりとした顔だ。 「最初、オサム先生に電話ばもろて…んで、小石川にさっき会った」 「…そっか。惜しいなぁ」 「どこがね…。今ん白石、…なんか、あれ……、散々猫に遊ばれて動けなくなった鼠みたいばい」 言った途端、ぱしん、と頭を謙也に叩かれた。 「可愛え白石を衛生害獣呼ばわりするたぁええ度胸やなお前」 「…いや、そぎゃん意味じゃなかよ…?」 実は謙也の心は結構狭いのでは、と千歳が思った時遠くの道から財前が顔を見せて駆け寄る。 「先輩! 謙也くん見つかったんですね」 「あ、お前ら一緒におったん?」 「当たり前ばい」 「…………」 フォローするならもっと優しく追いつめて欲しい、と白石が生気の抜けた頭で思った。 そのままの流れで、ショッピングモールの中にあるスターバックスに入った。 完全に気力のダウンした白石の分を謙也が買ってきて、席に落ち着く。 「で、お前らはなんか変わったことあったか?」 「特にないっすわ」 「光はない…か」 「ないっすわ。三人だけみたいです」 断言する財前に、千歳はうーん、と悩んだ。 (光の不思議は間違いなく、常にいる足音と気配やけん、あの後も家の中ですらあったし…。そして俺には聞こえんし。そろそろ教えてやるべきたい。 ばってん、そげなこつしたら、怯えて俺に抱きつく可愛い光を見る役得がなくなるったい) あるいみ最低なことを思いつつ、千歳は隣の恋人をちらりと見遣る。 「先輩?」 視線に気付いたのか、財前は千歳を見上げてそんな胸中など全く知らない、疑ってもいない不思議そうな顔で見上げる。 「…!」 (いけん! こげん可愛い光を無意味に怯えさせててよかと!? 俺! それこそ恋人失格ばい! てか、まんまそれ謙也じゃなかね!!) 「おいこら千歳、今お前、心ん中で俺の悪口言うたやろ?」 「俺の心まで読めるようになっとうや謙也!?」 とてつもなく低い謙也の声に思わずびびって、素直に吐露した千歳を、は、と笑って謙也は言う。 「わかるわけないやろ。 ただなんか妙に心ん中でおちょくられてる感じがしただけや」 「お前…それ怖い」 げっそりしたまま反射で突っ込んだ白石は、にっこりと自分に向かって微笑んだ謙也に矛先が自分を向いてしまったことを知る。過剰に怯んだ白石の頬を愛撫のような手つきで撫で、謙也は椅子に白石の身体を押さえつけた。 「…ここ、店…っ」 「白石が悪いんやろ? ほら、今、心で俺を性悪言うた…」 「ひゃあっ!?」 店の中で耳朶を噛まれ、びくんと反応した白石を千歳も財前も助けられない。 鬼畜謙也とはお互い初対面である。千歳は一応さっき見ていたが、面と向かって見てはいない。 耐性がなくて、どう止めたらいいかわからないのだ。 「けん……待って」 「ほな、俺のことどう思っとる? 素直に。 この可愛い口で今言うて?」 唇をそっと指で撫でられ、白石はあまりの羞恥に顔を真っ赤にしたが、拒めば余計恥ずかしくなるのは予想出来る。 「…だい、すき」 「ん。ようでけました。 俺も好き。白石、もっと言って♪」 「…好き……もうやめてぇや」 「はいはい、あとは…家でな?」 最後だけとても真っ黒なボイスで囁かれ、白石はしばらくフリーズしたあと、かくんと首を折ってソファに突っ伏し動かなくなった。 「ああっ…白石がとうとう落ちてしまったたい……謙也、いじめすぎばい」 「千歳、お前、光が全力で自分から逃げ続けて、やっと捕まえたらどうする?」 にやにやと笑った謙也に問われて、千歳も固まった。 「………」 しない、とは断言出来ない。いや、むしろ共感出来る気がとてもす――――――。 「先輩………」 「! ひ、ひかっ…」 「…サイアクや」 「いやっ! 俺は」 「両方サイアクや」 そこにはどうやら心配で追ってきたらしい小石川。 「俺からしたら、千歳かて鬼畜やっちゅーの」 「え!?」 過剰に否定したがる千歳を見て、彼は立ったままつらつらと言う。 「俺らは謙也はもう諦めとるけどな。千歳は放置したら鬼畜化するんがわかっとるから、お前の相談に乗るようにしてんねん。そういうことやから、ナるなや?」 忠告をするだけして、カフェラテを頼んでいなくなった小石川を見送り、その場に妙な沈黙が落ちた。 ⇔NEXT |