![]() アナタの隣のだーくねす 第三話 これも一つの誕生日 ショッピングモールからの帰り道。 白石は完全に落ちていて、謙也に支えられるがままによろよろと歩いている。 それを奇異か珍しい目で見ていると、千歳が振り返って財前を呼んだ。 「どげんしたと?」 「いえ……」 「……言いたいこつはわかるばい、俺も」 あの無敵の元部長をあそこまで追いつめる謙也は正直怖い。 しかし、小石川に面と向かって「謙也と同類」扱いされた千歳も、ちょっと怖い。 謙也の話は対岸の火事だが、千歳はそうもいかない。 「……光?」 千歳から少し、すす…と離れた財前に千歳があからさまにいぶかしんだ。 「いえ」 「………気に、なっとうや?」 足を止めた千歳は、だが自分から距離を縮めることなく自分を見る。その顔は、「くきゅう…」とか弱い声で鳴いて拾う相手を捜す捨て犬のようで、財前は罪悪感で一杯になる。 「…俺、確かに同類かもしれんのは否定ばせん。ばってん、光を泣かせたくなか。 俺に怯える光見るこつは、死ぬほど悲しかよ。…信じてもらえんのは、悲しかね……」 「…っ」 更に子犬のような目で悲しそうに俯いた千歳に、胸がズキュンとなにかで射抜かれたような気がした。 「違います! 千歳先輩は優しいし大好きです! あの…」 「…光」 途端、ぱあっと明るくなった千歳の表情に財前はもういいかと思ってしまった。千歳が謙也と同類でもいいじゃないか。謙也みたいに実行に移さないんだから。と。 そこまで思った瞬間、背中を手で叩かれて、財前は振り返った。そこは川原の道で、夕日の落ちるそこには誰もいない。前を見る。不思議そうな千歳と、気付いて戻ってきた謙也と白石。 だが、また肩を叩く手の感触が、背後から。 「!」 振り返るが、やはりなにもいない。 「……」 「ひかる?」 「先輩っ!」 もしかしてこれ、と慌てた財前が千歳に駆け寄ろうとした瞬間、足が土手から滑って下の川に身体が傾ぐ。 「え…」 「光!」 スローモーションに、こちらに駆け寄る千歳の姿が見えた。それが一瞬なにかの影で隠されたと思った瞬間、財前の身体はなにかに掴まれ、千歳の胸に突き飛ばされている。 「……え、あ」 「光っ…」 受け止めてくれた千歳の腕の中でぽかんとする財前の視界を白石が横切る。土手を降りていく彼が「謙也!」と叫んだ。そこで財前はやっと、自分の身体をさっき掴んで、千歳の方に助けたのが謙也だったと気付いた。 「謙也!?」 千歳が財前の無事を確認してから見遣った川は浅瀬だったようで、謙也はすぐあがってきた。財前を助けた勢いで自分が川に落ちたようだ。 全身は流石にびしょびしょに濡れてしまっているが怪我をした様子はない。 「……光! 無事か。よかった」 自分を見上げてそう安堵する謙也を見て、「ああ、やっぱり」と思った。謙也は謙也のままで、人の良さは全く変わっていない。ただ、そういう側面があるだけだ。それをわかっているからこそ、白石も。 その謙也の正面に立つ白石の肩は震えていて、不思議そうに見遣った謙也を睨む。 「……白石?」 「………アホ…っ」 そのまま濡れているのも構わず謙也にぎゅっとしがみつき、小さく震える肩と一緒に喉から声が漏れる。 聞かなくても、今はわかる。心で、「心配した」と「なにかあったらどうしようかって」と「なんでこない馬鹿やんねん」と泣く、心配しきった声。 「…ごめんな。大丈夫やから」 「……謙也の馬鹿。好き。やから無茶すんな」 「うんうん、しないしない。もっと言って?」 「好き。めっっちゃ好き。大好き。俺の」 「…役得ってこういうんやなぁ…」 「あれ、いい話に見えてましたけど…段々謙也くん自身が台無しにしてません?」 土手の上で聞こえている財前が千歳に問う。千歳も頷いた。 「あのままいいこつだけ言っとればよかのに…謙也は」 白石がただでさえ情緒不安定なとこ、川に落ちた恋人になにかの糸が切れて素直に「好き」を連呼してくれるようになったからって、自分から強請ったら流石にムード台無しである。しかし、今、いろんな意味で一杯一杯な白石はわからないらしい。謙也にぎゅーっと抱きついたままだった。 「あれ、白石。もうとられたと?」 翌日、よく晴れた日。卒業式。 式直後、見た白石の第二ボタンはなくて、千歳はついそう聞いてしまった。 「いや、謙也が欲しがったから…」 「先にあげたとか…」 「千歳も第二は保護しとった方がエエで? お前、大坂の子の押しに弱いやろ?」 「え? ばってん、あげても別によ」 「財前が泣くで。お前の第二もらえんかったら」 白石の言葉に千歳は慌てて第二を外して保護しようと手をボタンにかけた。「ハサミ使うか?」と傍を通った小石川が糸切りばさみをくれた。礼を言って受け取った千歳の横で白石がいぶかしげに彼を見上げる。 「健二郎。お前、用意ええな?」 「いや、さっき師範がもみくちゃにされてな。可哀想やからこれで切って、適当に渡せって。無理矢理引きちぎられんのは怖いやろ」 「あー…銀もモテるから…」 そう言いながら、小石川のボタンももうない。お互い様か、と千歳を見遣るとやっとはずせたらしく、取った第二をそっとポケットにしまっていた。 「あ、白石。四月の始め、あけとけや」 「ん? なんかあったか?」 「お前の誕生日祝いをやんで。全員参加や。 都合いろいろつかんやつもおるから、四月の始めな」 「ああ…ありがとう。ん? 謙也はええの?」 謙也の誕生日は今日だが。 「あれはお前と二人きりの時間の方がええやろう? やから、お前と二人きりにしてやるんがプレゼント」 と、言う小石川は確かに、なにか諦観している顔だ。 「ほな、もらってくで」 「おう」 突如現れた謙也が白石の腕を引っ張っていくのを、小石川はその表情のまま見送った。 白石だけがどこから現れたのだと、びっくり顔。 「謙也…」 「ほな、オサムちゃん泣かせてから帰るか…っくしゅ!」 「…謙也?」 「…いや」 なんでもない、と言う謙也の顔はどことなく赤い。まさか。昨日、川に落ちたし。三月の川はまだ寒い。 慌てて白石が保健室に引っ張っていく。熱を計るとしっかり38度あった。 清涼飲料水を買って、急いで謙也の家に戻る。あの後、すぐ帰宅させてもらって看病のために白石も謙也宅に来た。どのみち泊まる予定はまだまだあるから同じだ。謙也の家はしばらく誰もいないという。ちなみに自分の家も。謙也と自分の親は仲がよく、一緒に旅行に行ったらしい。子供の卒業式に揃ってなんて薄情な気はしたが、謙也から「俺らの関係しっとんねんあれは」と説明され、気を利かされたと理解した。 「大丈夫か?」 「んー…なんとか」 謙也は寝台に起きあがって、白石が手渡したお粥をもごもごと口に含む。 「あ、なんか飲む。冷蔵庫に入れて持ってこんかった」 「飲む…」 「…」 大丈夫かと、緩慢な様子の謙也の額と自分の額をあわせる。熱い。 「……白石」 急に真剣な声で呼ばれ、白石は我に返った。熱っぽい謙也の視線が間近で見つめてくる。 「な、なんか飲むか?」 「ああ…冷蔵庫になんか」 すぐ取りに行った白石が、戻ってきて謙也に水滴の浮いたペットボトルを手渡すために寝台に片膝を乗せた瞬間、手が引っ張られて視界は逆さまになっていた。 「……け、んや?」 途端に跳ね上がった心拍数を隠そうとしても今の謙也には無駄なこと。 全てお見通しの顔で謙也は微笑み、身体の下に押し倒した白石を見下ろす。 「セックス、しよや。俺、今は白石を食べたい。食わせて?」 「……や、か、風邪……気持ち悪いやろ…?」 微かな抵抗という風に口にした白石の言葉を笑顔で殺して、その自分より赤くなった頬を自分の唾液で濡らした指ですっとなぞった。いつもよりぬるい体液にびくりと顕著に反応した白石の唇に、その指を突っ込む。 「ほら、間接ディープキス」 「……っ」 「いややなぁ。俺だって大好物を補食するだけの体力くらい常に温存しとくで?」 その笑顔の言葉に、白石は真っ赤なまま絶句する。 (俺、補食動物……!!!!!?) 「……白石かて、期待しとるやん。ほら、聞こえる」 「…っ」 読まれてしまう胸中に、更に赤くなりながら解放された口でやっと拒絶を口にする。 「…や、やって、最中…に、謙也が……気持ち悪うなったら」 「自分に吐かれるんが嫌なんや?」 「っ!」 心を的確に読めている癖に、わざと的はずれな予想をする謙也を白石が傷ついた瞳で睨んだ。涙が浮かんでいて、怖くもないが、 「…ええわ、その目。ぞくぞくすんで白石…。…やっぱお前、いじめんの最高やわ。可愛え目ぇしよって…」 「…謙也……」 「わかっとるて。体調は心配やけど、本当の理由はちゃうやんな?」 「わかっとんなら……」 「イーヤや。…その口で、ほら、言って?」 「……意地悪っ…」 「本望や」 にこりと綺麗に微笑む謙也にのし掛かられていては動けない。腹をくくったのか、白石がおずおずと謙也の服を掴んできた。恥ずかしい台詞を言わされる時、彼はそうやって自分の服のどこかを掴む癖がある。 「ええ子ええ子。躾た甲斐あんなぁ」 「…う」 「ほら、続き」 「……ヤ、ヤっとる時……」 真っ赤な目を謙也からそらし、白石がか細い声で言葉にする。 「……散々焦らされた後、挿……れる直前でお前…動けんくなって放置された…ら嫌…やし」 「はい、よう言えたな」 「〜〜〜〜〜〜〜!」 ご褒美にキスを落とされ、涙で赤くなった目尻をなぞって笑いかける。とても人がいいとは言えない笑みで。 「…安心せえ。言うたやろ? そんくらいの体力は残す、て。 せやから、今回は腹上位な? 自分で可愛く動いてや」 「っっっっっ!」 その後反論の余地なく泣かされた白石が、次に目覚めたのは夕方だった。 「………あれ」 掠れた声で周囲を見渡す。日の落ちてきたとわかる部屋の暗さ。寝台に一人寝ていた自分の身体はシャツ一枚で、始末は謙也がしてくれたのだとしても。 何故、病人の謙也がベッドで寝ていないのか。 「あ、起きたかー」 そう思った時、扉を開けて廊下から、風呂にまで入ったのか着替えた格好にタオルをかけて謙也が入ってきた。 「お前っ…熱ある時に風呂入るなって俺が何度言っ…」 思わず寝台から起きあがった白石だが、途端に眩暈がして身体が傾いだ。すぐ受け止めた謙也の腕の中、何故こんなに怠いのかと思う。 「あー、風邪伝染ったんやなー俺のが。俺は熱さがっとったわ」 「……かもしれへん」 にこにこと笑う謙也に熱で怠い頭では疑問も抱けず、緩慢に頷く白石の髪を撫でて謙也は冷えた清涼飲料水を手渡してくれた。 「俺、なんかお粥作ってみよか?」 「…うん、おなかはすいとる」 「わかった」 そう、まるで「清涼飲料水が白石に必要になる」とわかっていたような自然さに、今の白石は気づけない。 『―――――――――――――で、白石が風邪ひいたとか。 謙也、自重しとくばい。伝染すなんて可哀想ばいよ』 電話口、事情を聞いた千歳の声に鍋の下のコンロのスイッチを入れながら謙也はほがらかに笑った。 「むしろ自重したらあかんかったからなぁ」 『? どぎゃん意味な?』 「白石に風邪伝染して、熱出させて、俺が元気になるためにセックスしたんやもん。 そやなかったら怠いんにしたりせえへんわ」 にっこり、と微笑むと千歳にも伝わったのかしばらくの沈黙の後、大声。 「迷惑な! お前、白石が大事じゃなかね!?」 千歳宅。千歳のベッドで本を読んでいた財前が、恋人があげた大声に何事だと傍に寄った。 千歳も察して、財前に聞こえるよう携帯のマイクを調節する。 『大事やで』 「だったらなして風邪ひかせる真似しとうや」 『大事すぎて、監禁したなるんやわ』 次に響いた電波で薄くなってなお伝わる黒さに財前と千歳はびくり、と身を震わせてしまった。 何故だろう。離れているのに、今すごい怖かった。 『白石の親はしばらく留守や。俺もな。 そしたら、風邪治るまで白石は朝から晩まで合法的に俺の部屋に閉じこめとけんねん。 俺とだけ話して、俺とだけ接しとればええ。…理想やろ? 彼女できたら、一回は。監禁とかすんの…俺は白石に限ってだけやけど』 「……」 「……」 『俺、白石を独り占めにして愛するためやったら手段選ばんし、選ぶ必要もないて思てん』 怖―――――――――――――!!!!!!!(千歳&財前) 『あ、そろそろお粥でけたから、もう切るわな。ほな』 ぷつ、と鳴った電子音が通話の終了を示す。 しかし、千歳は携帯を耳に当てたまま、財前はそれに耳を寄せたままの姿勢でしばらく停止している。 「……なんなんでしょう。あの、最近めっきり隠さんくなった謙也さんの独占欲は」 「元からやろねぇ…ただ、俺らが目にせんで済んどっただけばい」 「でしょうね」 「…てか、光、今『謙也さん』って言うたと?」 やっと姿勢を直して向き直って聞いた千歳に、財前も姿勢を直してから「ああ」と頷く。 「なんか、あの謙也くんには『謙也さん』って呼ばなアカン気になったんすわ」 「……よう、わかるばい」 携帯をベッドに放り投げた千歳は諦観しきれない顔で返事をした。 ⇔NEXT |