(…ちぃ、はよ帰ってこんかな)
千歳がいないと、一時間がもの凄く長い。
一人は、寂しい。
多分、それだけじゃない。
橘がいたって、謙也がいたって、侑士だってアカン。
千歳がいないなら、寂しいまま。
「……こんな好きになって」
自立したら、とか、ホンマに冗談やない。
橘は千歳が泣くっていうけど、その前に俺が泣く。
一時間千歳がいないだけで死ぬほど寂しい。
一週間離れただけで、きっと死ぬ。寂しくて死ぬ。
「…俺はホンマのウサギかっちゅーねん」
部屋の外から、不意に音がした。
「ちぃ?」
帰って来たのだろうか。部屋を出ると、姿は見えないが玄関の方で物音がした。
「ちぃ?」
インターホンを前にして、謙也は改めて屋敷のでかさを見上げた。
「…前はよう見とらんかったもんなぁ」
「やな。…おるかな」
「あの人どう見たかて白石馬鹿やん。おるやろ」
「言えてる」
その時、道の角から飛び出した車が急スピンで傍に停まって、すぐ凄い速度で向こうに見えなくなった。
「危なっ…今のここの?」
「…おい、謙也。今のに乗ってた…」
侑士がまさか、と青ざめて肩を叩いた時、眼前に別の車が矢張り凄い勢いで停止した。
「あ! キミら」
「あ、千歳…さん」
千歳だ。すぐ橘も降りてくる。
「仕事やったんですか」
「いや、千歳の父親に呼ばれて…筈が…社長が呼んでないっていうから、…蔵ノ介になにかあったんじゃないかって千歳が」
説明する橘に構わず、千歳が門をくぐる。
「蔵…いや、なんか変なもん見てなかよね?」
「あの、今…変な車がここ出てって」
「え? 侑士、あれ…」
やっと意味を悟った謙也に、侑士が一度頷いて千歳を見上げる。
「蔵ノ介が乗っとったみたいやったけど…意識多分なかった」
その言葉に、千歳が顔色を変えて手を振り上げたのをあっさり橘が止めて笑う。
「桔平?」
「壁殴るのはやめとけ。発散ならこれから乗り込むとこでしろ」
「……、…ばってん、今の居所はしらん」
殴らないから放せ、とふりほどいた千歳の手から腕を離して、橘が屋敷の中を見る。
「多分、『一家惨殺事件の生き残りの預けられた施設』→『引き取った主』→『その屋敷』→『その警備と間取り』…て具合で調べたか。
多分、屋敷に向こうの密通者がいたんじゃないか?」
「だけんなんでそげん冷静なんね?」
「いやいや、俺も馬鹿じゃない。
向こうを調べ出した時点で俺も同じ仕掛けは打ったさ」
「……向こう?」
聞き返した侑士と謙也に、橘は肩を叩くと付き合うかと軽く言った。
「……よう寝とるやん。効いとるなクスリ」
ホテルの大きな一室。カウチに寝かされた白石の両手に縛られた鎖を引っ張って、傍の青年が「でも喧嘩強いっぽかったですよ」と一言。
「俺、一発喰らったし」
「お前が弱いんやん」
ピアスの多い黒髪の青年の頭をわしわしと撫でて、集まっている男たちが笑った。
「来るんですか? ホンマに」
「別に来なくたってええ。俺らは『白石家』の生き残りを始末出来ればええ」
「でも殺さずにおるっていうんは、出来れば『千歳』の社長令息も始末したいから、と…」
「そういうこと」
「…あの、俺、入る前の話なんでしらんのですけど、…『白石家』と『千歳』てなんか関係が?」
一人がないない、全然ないと手を振った。
「無関係。『白石』はただの一般家庭や。大手企業の『千歳』に関係はないし、『千歳』の令息が引き取ったんも偶然やろ。でも『千歳』はウチのライバル会社やし、…利用せん手はないしなぁ」
「…どっちみち、この人は不運やった、と」
「そういうことや」
はぁ、と気のない様子で答えた青年は矢張り撫でられた。
「? 誰の携帯」
「あ、すんません。俺の」
「切っとけや」
「カノジョなんでメールだけ返してええスか」
「一回だけな」
ども、と頷いてメールを打ち出した青年の手元を誰も見ていない。そのメール作成画面に打ち込まれているのが、現在地のホテルの住所だと誰も気付かなかった。
「まあ、つまり『白石家』の惨殺事件は薬剤師の父親がきっかけだ」
高速を走る車の中で、橘がざっと広げた書類を見せた。
付き合うと侑士も謙也も言ったので連れて来ている。
「そもそも調べなかった筈がないんでな。より深く調べられたきっかけはナイショだが」
「はぁ」
二人に言えないきっかけは、白石の夜の変貌にあった。
事件直前の脅しと交換条件。たかが中学生の男だ。白石の容貌が並はずれているのは事実だが、調べた範囲で彼の姉も妹も似たレベルなのはわかっている。
なら、男の彼をわざわざ指名せず、姉でも一度犯して写真かなにかで強請った方がいいし、それが普通だ。
だから千歳も橘も引っかかりを感じた。惨殺事件の方との関連も考えた。
事件だけで調べるには警察以上の情報は出なかったが、そちらを見ると異なる。
「白石の父親は、ある日取引先の製薬会社の秘密を知ることになった。
いわば、あの事件はその会社の口封じだ」
「く……その会社の秘密て」
「麻薬だ麻薬。ドラッグの販売。
父親はそれを知って、警察に密告する矢先に、あの事件」
白石がたまたまいなかったのは本当偶然だろうな。
「そのころ父親は過剰に周囲を気にしてたりして、警察に連絡も取り付けてたって言うから間違いない」
「……、それが、…あんたらは調べがついてた…?」
「いやいや、ついてなかった。
調べてもその会社に関わることは全部トカゲのしっぽ切りみたいに切られてな」
「…ほな、…ってそれ蔵ノ介の居場所わからんのとちゃうん?
どこ向かってんこの車!」
思わず怒鳴った侑士が、千歳に聞こうとしてやめた。彼も橘をじーっと睨んでいる。
多分、あれは彼も知らない様子だ。
「…睨むな千歳。わかったよ話す」
そうしないと話進まないしな。と橘が鞄から取り出した携帯を侑士の方に放り投げた。
「…なにこれ?」
「まあ持っておけ。
で、俺がお前の会社のライバル系列の会社の担当だろ?」
「あ、…ああ」
「そこに産業スパイでもいれとけとは社長に言われてて、数年前にいい人材拾ったからそうしたんだが、これがまた予想以上にいい仕事してな」
くるっと橘がもう一つ持っていた携帯をこちらに向ける。
「そいつがよこしたメール。白石の現在地だ」
「…………っえ…ええっ!?
なんね? その会社がそいつら!?」
「そういうことだ。偶然も続くと続くもんだな」
屋敷に着く前にそいつから『今の会社の上司が子供さらって来たんですけど、この人橘さんが言うてた子供ちゃいますか』て連絡があって。
「……………ええ仕事しとるんはあんたやないんか」
「そういえば昔っから桔平はようテニス部に喧嘩ふっかけてきた連中の万引き現場偶然見て写真撮って脅したりとかしとったばい…」
「引きが強いんだろうな、偶然の」
窓の風景が急に変わる。
高速を降りたのだ。
「お前ら、その携帯の短縮ダイヤルわかるか?」
「…1,2,3…のこれら?」
「俺らがホテル入って十分後に1と3だけ押せ」
「……え? なに、これまたなんかどっかに繋がってん?」
青ざめる謙也に、押せばわかると橘が笑った。
メールにあったホテルの階の部屋の前に立って、見張りがいないのを確認すると先走りそうな千歳を制して橘が時計を見遣る。
「てか、…あれはなんね?」
侑士に渡した携帯のことだ。
「ああ、スイッチ」
「…す?」
「押したボタンの数字の階に設置したあるモノに届くラブコールだな」
「…ある、もの?」
「ああ―――――――――――――」
橘が頷いた瞬間、轟音が上の階と下の階で響いた。
「あ、十分だな。行くぞ」
「あるモノってこれとか…よう理解ったばい」
扉を強引に蹴破ると、轟音に何事だと騒いでいた中の人間が一斉にこちらを見た。
すぐ囲んでくる姿に、背中合わせに立つと千歳は奥のカウチに意識のないまま倒れた身体を見遣って眉を歪めた。
「蔵ノ介――――――――――離してくれんね?」
「『千歳』の…おい、早くねえか!?」
「ちゅーか、なんでここが…」
「おい、今のお前らがなにかやったんか!?」
「さあな。そもそも今来たばっかりでなにかやったもないだろ?
場所自体知らなかったんだぜ?」
その割りに態度に怯みのない橘を疑うなと言う方が無理だ。
おい、と促されて青年の一人が意識のない白石を抱えて、その首にナイフを押し当てる。
「おとなしくすればいいんだろ? それに危害を加えないでくれ」
両手を上げた橘に、千歳は視線を一度交わしただけで同じようにした。
それに拍子抜けしたのか、周囲が一瞬妙な沈黙を持つ。
「ただ、一つ聞いていいか?」
「なんや」
「蔵ノ介が姉妹盾にされて身体差し出してたこつ……お前らになんか関わりあっと?」
「ありますよ」
「お、おい」
ええやないですか、と白石にナイフを押し当てている青年が笑う。
どうせなにも出来んし、と。
「…せやな。
薬剤師の父親が知ったらアカンこと知った所為、てくらいは知ってんやろ」
「ああ」
「最初、穏便に行こうと思ったわけや。
家族皆殺しなんてイヤやしな。やったら親父だけ死んでもらえへんかって。
そしたら、子供がええクスリやし」
「…なんでん? 姉妹が他におったとに」
「俺らもそのつもりで下っ端に言ったんやけど、そいつらが勝手にこいつに趣旨替えしただけや。
姉貴らより好みやったんやろ」
結果、人質に使えませんでしたけど、と青年。
「親に泣きつかなかったからなこのガキが。
で、親父に匂わせようと考えてる間に親父がチクる決意しちまったんで、しゃあないな、と」
「…………、か」
ぽつり、呟いた千歳に説明していた男がなにを言ったのだと視線を向ける。
それを見下ろして、千歳が口の端をあげる。
「――――――――たいが、くだらなか」
「は?」
その一瞬視線を合わせた千歳と橘が唐突に周囲の男達を蹴り倒した。
「っ!? お、おい人質が!」
「それのどこが人質だ?」
橘が笑って顎で示した先、白石の鎖を外した青年が銃を向けているのは橘たちではなく、男たち。
「財前、お前!?」
「すんません。俺の上司、そこの人なんですわ」
傍の一人を掌底で吹っ飛ばした橘が場違いに携帯を取り出す。
その無防備な身体に襲いかかった人間は、千歳の蹴りで壁まで飛ばされた。
「忍足、2のスイッチ押せ。
千歳、財前!」
言うなり橘が携帯を捨てて耳を押さえる仕草をする。
上手く白石を腕に抱えた財前と、千歳が従って同じように目を閉じた矢先、そのフロアを大きな爆音が揺るがした。
―――――――――もう、会えないような夢を見た。
「らのすけ…。蔵ノ介!」
呼ぶ声にハッとして手を宙に伸ばした。空を掴むと思った手は、よく知る浅黒い大きな腕に包まれて。
「ちと…っ…………せ…?」
「怪我、なかね?」
視界には、いつも通り笑う千歳の顔。
身体はしっかりその腕の中に包まれていて、周囲を慌てて見渡すと携帯でどこかに連絡をしている橘と見知らぬ青年と、床に伸びている複数の男達。
「……………え、と?」
「まあ、詳しい説明は後で。
取り敢えず、黒幕は掴んだし敵討ちも出来るでしょ」
答えたのは何故か千歳ではなく見知らぬ青年。
「あ、ご挨拶遅れまして。
橘さんの部下の、財前光言います。よろしく」
「…はぁ」
生返事を返すしかない白石の身体がひょいと抱え上げられる。千歳だ。
「ちと……ちぃ!」
「…なんで呼び直すばい?」
「いや、………」
ちゅーか、これはなんやねん!と説明を求めた白石に、「スタングレネードっちゅー音と光だけで人間を昏倒させる爆弾らしいで」と部屋に入ってきた侑士が説明して、手を振った。
「元々貸しきりだったからなここ。先に財前に設置頼んだんだよ」
橘の言葉と共に、パトカーのサイレンが鳴った。
「千歳―――――――――――――。新入社員リスト、」
橘に渡された書類を受け取って、千歳はそれをじーっと眺める。
「白石の名前なら上から二十番目だ」
「ああ」
「…他のヤツも見ろよ社長…」
白石家の一連の犯人が捕まってから、七年が経っている。
社長の後を継いだばかりの千歳が、今年ここに就職する白石を待っていなかった筈はない。
「…しかし、毎日家で会ってる癖に」
「うるさかよ桔平」
「…そのために俺を追い出しておいて酷い言いぐさを」
「お前がいろって言う俺と蔵、無視して馬に蹴られるとか言うて出てったんじゃなかね」
「まあそうともいう」
「……」
千歳? と急に静かになった千歳に橘がいぶかしがって覗き込む。
千歳は手元のリストを眺めて、
「…こいつら、…落としたらいけん?」
指さした場所には『忍足侑士』『忍足謙也』の名前。
「いや、もう採用してるからな?」
言うと思ったが!
「…じゃ、リストラかなんか」
「明らかに有能っぽい若いのを切れるか!」
橘に叩かれた勢いで机に額を打った千歳がいたか、と呟いた。
大声のくしゃみが一階フロアに響く。
初仕事の後、初の休憩に来ていた新入社員のうちの二人のものだ。
「…どないしたん? 謙也と侑士揃ってくしゃみして」
「「誰かに噂された。多分千歳」」
「…そうかぁ?」
半信半疑の白石に、侑士と謙也は握り拳で、
「絶対あいつや! しかも内容は『こいつら落としてよか?』とか『リストラ』とか言った内容に決まっとる!」
「謙也に座布団三十枚」
「……いやぁ、それはないと…思う」
「白石は美化されてんねんあれが!」
「してへんし! …ち………」
言いかけて、口ごもる白石の頭を侑士が撫でる。
「お前、未だに『千歳』て呼ばれへんの?」
「……ずっと『ちぃ』やったし」
「流石に社長を『ちぃ』はまずいで?」
「…。うん」
「そこの三人」
急に呼ばれてびくう!と反応した三人の期待(?)を裏切ってそこにいたのは橘でも千歳でもない。
「…あ、お前、あの時あそこにおったピアスの」
「先輩なんやけど、敬語は?」
「……『先輩』」
よし、と頷いた財前が白石だけ指で招いて上の階へのエレベーターを示す。
「…はい?」
「社長命令。俺パシリ。
上のテラスで昼飯一緒に、て。ああ、俺は行きません。橘先輩も下でとるそうです」
「……そ、れて」
「まあ、…食べられるんは昼飯だけやから安心して行って来い」
間違ってもあんたまで食われへんから、と言われて白石が咄嗟に振り返ったが、侑士たちも手を振るばかりで助けはどうやらいなかった。
最上階のテラスはいわば、社長の個人部屋と言い換えていい。
そんなことくらい自分でもわかるわけで。
そこに座った長身に手を振られて、おとなしく傍まで行ってから特別扱いはしないよう言おうとして引っ張られた腕に思わず倒れ込んでしまう。
「…っ…ちぃ!?」
「こら」
気付けば千歳の膝に乗っている状態だ。咄嗟に離れようとした身体が抱きしめられて、すぐ深くキスをされた。ここは会社だとか、それすら絡められた舌に奪われていく。
「……『千歳』、か『千里』、て呼びなっせ?」
解放されてから、息の荒いところに言われて首を緩く左右に振った。
「なんね? もう自立しとうに」
「そやけど。…結局あの家から出ないままやし」
「出たかったとか?」
「そやない! …けど……ちぃと……………並んで……おかしないくらいにはなら……」
んと、と言えずぽすりとその胸にもたれかかると、すぐ嬉しそうに頭を撫でられた。
「……思ってんのに、……一緒におるとどうでもええし。
……アホ」
「お前に関してはアホでよか」
「……………なあ」
「ん?」
「…なんで俺やったん?」
白石の髪に指を通して撫でていると、不意に聞かれた。
「なん?」
「施設から、引き取った…」
それか、と目を細めた。
「…理由はなかね。あの日、忍足の二人に話した以上の理由は」
「嘘や!」
「…蔵?」
「…俺の家族の仇が、…自分の会社の」
俯いて発しかけた言葉はすぐ強くキスされて消えた。
そのまま椅子に押し倒されてのし掛かった大きな身体が、そっと白石の頬を撫でた。
「そげん風なこつ、言ったら流石に優しくおれんとよ?」
「……やって、ちぃがそんな筈ないてわかってても怖かったんや」
「そんな筈なか。…安心してよかよ」
髪を撫でる手にも、なお不安そうに見上げる瞳にふ、と笑ってやる。
「強いていうならそればい」
「…?」
「…そげん、眼、かな…。
空気とか、表情とか態度とか関係なく、瞳に惹かれた。
手放したなくなったんばい。たった一瞬で囚われた」
「…ち」
抱き起こされて腕の中に閉じこめられる。
「だけん、…一生離さなか」
告げられて、背中を痛いほど抱かれてキスを落とされる。
思わず甘えるように伸ばした腕に、自分でも抵抗なんか形だけ、照れ隠しとわかっている。
「……俺のモンばい」
「知ってたん?」
「…?」
キスのために傾けた顔を戻して、伺う千歳に白石が初めて不敵に笑ってみせた。
「俺はあんたのもんやって――――――――とっくにあげたんやって」
いつ知ったん?と笑う顔。
本当に、囚われている。
つられるように笑って、千歳が身体を抱き上げると見下ろす体勢の白石にキス。
「社長命令なら聞く?」
「…そんなん利かへん。俺はあんたがおらな死ぬ動物やで。なにが利くか当てろや」
「…じゃ、俺のお願い。
…呼んで。…蔵ノ介」
一瞬だけ朱に染まった顔が、一度そっぽを向いた後向き直って額にキスを落としながら言う。
「…千歳」
THE END
EP-[橘の引っ越したワケ]