弓矢が風に舞って、人を殺めた。

 腕が振るった刀が、首を切り落としていく。

 海の向こうから来た武器が、人々を殺していく世界。

 炎と、悲鳴と、死と、迫害の声。


 ひっそりと、小さな蔵はそこに建っていた。

 彼が生まれた時から、決して開かず、赤子は母を知らず、温もりを知らずに。

 蔵の中で育った幼子は、外を知らない。

 小さな蔵の、火で照らされる狭い世界が全て。

 人の子であり、けれど幼子はあやかしに近しい子だった。

 あやかしを見る、あやかしの声を聞く異端。

 だからこそ、世界から弾かれ、疎まれ、迫害された子は蔵の外を知らない。

 十五歳になったことすら、わからない子はけれど一人ではなかった。





 手を繋ごう。

 絶対に離さないと約束する。

 キミを世界に見失わないように、指と指を絡めて約束をした。

 何度でも、手を繋いで一緒に歩こう。

 キミが人の子でも、俺があやかしでも、交わらない存在であっても。

 君の手だけは離さないと、誓ったのに。




仇花
一章-神の愛し子

第一話−【小さな箱庭の幸い】








 小さな、小さな村の奥の蔵。
 時代は江戸。徳川の治める治世も、終わりに近い世の中。
 その外界から切り離された、小さな蔵が彼の世界の全て。

「蔵」

 呼ばれて、顔をあげた少年が傍に立っていた青年に顔をほころばせた。
「千歳! もう帰って来たん?」
 ぴょん、とその巨躯にしがみついた細い、簡素な白い着物一枚の身体を抱きしめて、千歳と呼ばれた青年が笑う。
「今日はそげん遠くまで行ってなかしね。寒くなかった? 外はもう冬ばい」
「光が暖めてくれてた」
「………毎度思っとうけど、お前、『雪女』の力の使い方間違えとーばい」
 少年を抱きしめたまま言った千歳の傍に、天井から小さな吹雪と共に唐衣の少年が降り立った。
「別にいいでしょ? 雪を司る一族なんやから。
 外の冷気を操ってこの中に入らんようにしても」
「……だからって里の同族が聞いたら泣くばい?」
「千歳さんかて同族が聞いたら泣くでしょーよ。
 一つ目でなんぼな一つ目入道が、人間の子供を怯えさせんように人間から目玉もう一個もらってきたなんて」
「…喧嘩売っとう?」
「受けて立ちますよ」
 思わず本気で構えた二人の頭が、瞬間外からではなく中に吹いた突風で叩かれる。
「ええ加減にせえ!」という怒声付きで。
「喧嘩は結構! やけど蔵を巻き込むな!」
「…謙也」
 喧嘩を止めた主を呼んで、から千歳と光は視線を遥か天井まで伸ばして、呆れた。
「謙也くん…喧嘩止めるんなら、…頭をこっちによこしてからにしてください」
 そういう光の視線の先、謙也という青年の身体は三人から若干離れた床の上に立っていたが、その首から上が異常に伸びて、頭が遥か天井の方に行っていると予想出来た。
「あー……悪い悪い。今、外見てた」
 しゅるしゅるしゅる、と縮んだ首がはまって、謙也の頭がやっと肩のすぐ上に鎮座する。
「今、丁度この蔵見てはった人がおったら腰抜かしたんちゃいます?
 …で、なんかありました?」
「ないない。ここ田舎やもん。
 城も近くにないし、近寄る人間からしておらんやん?」
「それはよかばってん、…俺が聞いた話、祓い人が最近政府に雇われて、あちこちのあやかしが減っとうて」
「……そのうちここに来たりせなええんですけど」
「……、なぁ」
 ずっと黙っていた少年――――蔵が口をやっと利いた。
 目の前の怪事に驚いたわけではない。少年にはこれが生まれた時から当たり前のモノ。今更驚く筈もない。
「どないな話? …千歳や光や謙也も、いなくなるって意味?」
 不安げに揺れる翡翠の瞳に気付いて、千歳が笑みを作ると頭を撫でた。
「いなくならんよ。ずっと蔵と一緒におる」
「そうそう。蔵のこと置いてったりせんですよ」
「ただ引っ越しはするかもな」
 三人に言われて、安堵に綻んだ顔を謙也の手が撫でた。

 自分たちは、人ではない。

 妖怪とかつて呼ばれていた、人外のモノ。
 あやかしと呼ばれる、闇に生きる魔。
 人に忌まれ、人を忌む、人を喰らう害なすモノ。
 けれど、それは昔の話。
 今はあやかしのほとんどが人里を離れ暮らし、人に害をなさない。
 人を餌としないのだ。
 だが、人からの認識は違う。
 矢張り、忌むべき異形のまま、人を襲う妖魔のまま。
 人の多くは『祓い人』と呼ばれるあやかし専門の狩人を雇い、あやかしを追い払う。
 今の世、人に害をなして祓い人に滅ぼされるあやかしの方が少ない。
 あやかしの多くは、ひっそりと山や湖に暮らし、人の暮らしに介入しない。けれど、なにしろ人は疑い深く、恐怖心に弱い生き物。噂が微かに流れただけで追われ、住処を失うあやかしの今の多さ。住処の湖が人の生活で汚れ、住めなくなって死ぬあやかし。山を焼かれ、追われるあやかしの多さは、今の世の強者があやかしと人、どちらであるかを明確に示す。
 最早、あやかしは地の統治者ではない。地から追われる、淘汰されるモノ。

 けれど、千歳たちの前にある日現れた、人から忌まれた『人』の幼子。
 白金の髪と翡翠の瞳の子は、あやかしに毒されたのだと親から捨てられ、この蔵に閉じこめられて、親の顔も愛も知らない。
 その子が、けれど戯れに覗いた自分たちに怯えず、笑って手を伸ばしたから。
 それに、昔のかつての人とのあり方のような喜びを見いだしてか、それともその子が持つ魂の清浄さに惹かれてか、ずっと、この子の傍にいることにした。
 人を知らない子に、言葉を教え、知識を教え、世界を教えて、愛情を与えられたらと守った。
 あれから月日は流れて、子はもう幼子ではない少年。
 蔵から出たこともなく、走ったことすらない足は頼りなく、細い腕は手折れそうで、けれどそれに彼の罪はない。
 彼が弱いなら、自分たちが守る。
 自分たちは人ではないから。



「そういえば、千歳さんってなんで一つ目のみんなから離れて来たんですか?
 今は同族同士、集まっとるんが普通でしょ」
 夜も遅く、千歳の膝を枕に眠ってしまった蔵の髪を撫でながら、千歳は光の言葉に「ここに来た時?」と聞いた。光が頷く。
「理由はなかばってん、…たまたまふらっと…俺、昔っからそういう放浪癖ばあったけん」
「徘徊癖やないんか」
「謙也ひどか…。まあそう言ってもよかばってん…」
 ええんか!と謙也が突っ込むのを意に介さず、千歳は理由はなか、だけん、と笑う。
「結果、蔵に会えたけん、よかこつ」
「……まあ、そうやけど」
「謙也は?」
「俺は元々一人でおったし」
 ろくろ首は普通、人里離れた家に住み、宿を求めた旅人を喰らうものだが謙也は違ったらしい。
「ちゅーか、ろくろ首って元々斬首で死んだ人間がなるんやで? 知っとった?
 俺もその口やし」
「え? なんかしたんスか?」
「光、お前な…。
 いや、なんもしとらん。ただ、住んでた村に来た地主が納税を払えない村民を見せしめに…」
「大体わかったばい。もうよか」
「そう」
「…俺は、一応理由あった気がします」
 あるんか?と聞かれて光がはい、と頷いてから、
「…綺麗さっぱり忘れましたけど」
「それは理由て言わん!」
「…謙也、蔵が起きる」
「あ、ごめん…」
 眠るその髪を、そっと千歳の手がもう一度撫でた。
 苦しみも、悲しみも味あわせたくなかった。
 こんなに異形の自分たちに、笑顔を向けてくれたたった一人の、幼い子。
 自分たちが手を離したら、彼は一人だ。人なのに、人に疎まれ、またこんな蔵の中に独りぼっちで、死ぬまで。
 だから、傍にいると誓った。



 それが既に彼岸の願いだと、まだ誰も知らなかった。







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