戦争

ACT:10[バックドラフト−Misericorde(九州編)/1]





 あの日から、どこか優しい白石に、甘えている。依存している。
 ずるずると、抜け出せなかった。
「千歳」
 居間のソファに座っていると、頭上から声がかかった。
 顔を上げると、小石川がいる。
「なんね」
「…、」
 彼は少し、迷ったように視線を彷徨わせた。周囲を確認するように。
「少し、お前…いや、最近変やろ」
「…そう、やね?」
「変や。白石が、妙にお前に優しい」
「……白石が心変わりしたとか、考えなか?」
「ないな」
 きっぱり断言した小石川に、彼に聞こえないほどの声で「厳しか」と嘆いた。
「え?」
「…ううん」
 一言そう返し、立ち上がる。
「話すことはなか。今は」
「千歳」
 部屋に戻ろうとする背中に、小石川は低く、鋭く言った。
「お前の範疇に収まることなら黙っててかまわん。…収まらないことは、吐き出した方がええ。お前のためだけやないで」

 わかっている。

「…うん」
 それでも答えず、その場を離れる千歳の背中に刺さる視線。
 俺の範疇に収まることじゃない。わかっている。
 本当は、小石川に話すべきこと。
 でも、言いたくない。
 何故?



「…姫さ」
 部屋の扉を開けると、何故か真っ暗だった。
「姫さん?」
 カーテンもきっちり引かれていて、電気もついていない。
 だが、そこに白石がいた。
 どうも、テレビを見ているらしい。
 テレビの前に、適度な距離を取って座っている。
 テレビは各人の部屋にもある。大抵、ゲームに活用されるが。
「姫さん…? 目、悪く…」
 なにを見ているのかと、画面を覗き込んで千歳は思わずその場に尻餅をついた。
 口から零れた短い悲鳴を拾って、白石が「びびりすぎやで」と冷静な一言。
「………………こ、れは」
「ホラー映画。こう、真っ暗にして見ると臨場感あるやん?」
「…………逆に怖か」
「それがええんやんか」
「(いや、お前が…)」
 千歳が覗き込んだ瞬間が、どうやら一番怖いシーンだったらしく、白石はもうあまり熱心に見ていないようだ。
「…姫さん」
「ん?」
「………」
 なにを、言う気なんだろう。自分は。
 謝罪? それとも、許しを乞う?

 何故、小石川に告げられなかったんだろう。

「……千歳」
「…」
「…お前、雑誌見るか?」
「…は、…あー、見る時も」
 急になにを言い出すのかと思った。
 少し拍子抜けする。
 画面から視線を動かさない白石の瞳や頬は、テレビの明かりに照らされている。
 そこだけ、リアルみたいに。時があるみたいに。

(じゃあ、俺は、止まっている?)

「俺、雑誌の占いて嫌いやねん」
「ああ…あるばいね」
「たまに偶然、開いてる途中で見てまうと、で、嫌な結果やったりすると、余計嫌や」
「でも、ああいう雑誌のは不特定多数の相手やけん、あんまり信憑性はなかよね?」
「そらな」
「……」
 話が、続くようで、続かない。
 白石の意志一つで、あっさり途切れて途絶える声だ。
 怖くなった。
「で、なんかよかもん見たと?」
 慌てて話を繋ごうとする千歳を振り返らず、白石は落ちたテンションの声で話す。
 彼の声は、いつだって落ち着いた声。
「『誰かを裏切る』」
「…え?」
「て、あった。四月」
「…、そう。ありえなかよ。ほら、やっぱり信憑性なかね」
 初めて、白石は振り返って、テレビの明かりだけに照らされた横顔で千歳を向く。

「………………そう」



 たった一言。なのに、その時の白石の声と、凍り付いた人形のような表情が、忘れられない。



 正直、恐怖を感じた。






 戦争休止期間が終わってすぐの日だった。
 みんなで花火大会に行くことになって、途中、ショップに寄ると新曲がいくつか並んでいた。
「聞くと?」
 一緒に出かけていた千歳が、そう白石に聞いた。
 頷いて、イヤホンを耳にかける。
 小石川や謙也も一緒で、彼らもなにか見ているようだ。
 流れる歌の詩に、白石はそっと遠くに立つ小石川の背中を見遣った。

『 キミの傍で共に散ろう 』

 その詩に、真っ先に見たのが彼であったことに、安堵すらした。
 千歳を甘やかす自分。千歳がなにに落ち込んでいるのか、ほとんどわかっている自分。
 なのに、小石川にうち明けない自分。

 占いに過剰反応したのは、その所為か。

 裏切っているのは、コレ? 小石川を? …誰を?

 向かいの棚を見ていた千歳が、不意に白石の顔を見て笑う。
「………―――――――――――――」
 だって、言えない。
 言えない。
 言ってしまったら、自分はもう、

 気付いてしまった、理由。小石川にうち明けられない理由。
「姫さん?」
 慌てて傍に近寄る千歳の手を払い、駆け出した白石を彼が追う。




 星に願う。

 叶うなら、何度でも。

 キミが、笑ってくれますように。

 キミが、俺の傍で笑っていられますように。

 キミが、もうなににも脅かされませんように。

 キミの心からの幸福を祈る。


 だから、何度だって告げよう。

「大丈夫」だって、笑おう。

「愛している」と告げよう。



 キミが本当の笑顔になるまで、何度でも。



 キミが笑うまで、何度でも、星に願おう。





 頭の中で、さっき聞いていた詩がリフレインする。
 髪が汗で張り付いて、邪魔だった。
 あっさり追いついた千歳は手を掴んで、離さない。夜道の、歩道。
「姫さん、…俺も、同じ理由かもしれんよ?」
 逃げ出した理由を話すと、千歳はそう言った。自嘲を浮かべて。
「俺の腹に溜め込んでるうちは、姫さんが俺に優しい。
 誰かに話して、みんなの問題になったら悩まずに済んで…俺はお払い箱たい。姫さんに」
「……そうか」
 そんな、大袈裟なことじゃない。
 でも、少しは思っていた。弱って、自分に甘える千歳は、かわいい。
 みんなの『問題』にしてしまったら彼は他人にも甘えて、俺は。

『お払い箱たい』

 ああ。そういうことか。

 何気なく流していた、声や言葉や笑顔。

 今まで、疑って逃げていたツケのように、流れ込んできた気持ち。
 千歳はずっと、出会った時から俺を見て、優しく笑っていた。

 だから、裏切りたい。

 健二郎なんて嫌だから。千歳を裏切ってしまいたい。
 この手を、離して。

「姫さん」
 千歳の声に、視線が上に引っ張られた。
「やめよう。これ」
「…………?」
「もう、話そう。みんなに…………」
 依存も、甘やかしも、もう終わり。
「桔平のこつ」




『知ってるか? 密閉空間で鎮火した炎が、空気が入った途端再燃する。
 人の心もそうだろ。誰も邪魔しないから、静かになっていたのに、一言聞いただけで揺さぶられる』




 ああ、そうだ。そうだ。桔平。

 この恋は、最初から綱渡りだった。


 みんなとは、花火大会の公園で会えるだろう。






 戦争休止期間の、三日目の出来事は、秘密だったんだ。
 俺と白石の。


『九州に帰って来い。千歳』


 突然、会いにきた旧友はまるで見計らったように駅のホームにいた。

「そうしたら、俺がお前の親父さんに掛け合う。許可も得てる。
 …また、一緒に戦おう。
 …そうしたら、大坂将軍は殺さないと約束する」





 白石の意志で途絶える会話。
 なら、繋いでいる手。コレは、俺の意志で途切れるもの?










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