戦争

ACT:11[桜ノ宮戦線T−Misericorde(九州編)/2]





 浴衣を着ていったら、千歳は開口一番「かわいい」と笑った。
 少し、おかしいなって思った。
 いつもなら、「綺麗」なのに。

「あ、りんご飴」
 夜を照らす提灯と、露店の明かり。そこかしこに出来る人の波。
 夜店は好きだった。非日常なその明かりに、魅入られていられたから。多分、非日常が好きだった。でも、今、それはなにを指すのか、不明瞭だ。戦? 夜の国?

(千歳?)

 露店に並ぶそれを千歳は頼んで二つ買い、白石に一個手渡した。
 藍色の浴衣を着た千歳は、正直同い年には見えない。
 ずっと、落ち込んでいた千歳。今日は、楽しそうで、だから余計不安になった。



『今からでも、帰ってこい』



 そうすれば、大坂将軍の命は狙わないよ――――――――そう言った、彼の過去の副将軍。

(過去の? ほんまに千歳にとって、それは過去?)

「姫さん?」
 白石の顔を覗き込んで、口元を綻ばせる千歳の顔は提灯の明かりで赤い。
「…んでも、ない」
「…そぎゃん、顔してなかよ?」
「……っ」
 言いそうになる。
 零したらいけない。疑ってるってことだから。
 言ったらいけない。疑う言葉だから。
 でも、怖い。
「…花火、向こうでも見えっとやろ? ちぃと離れよ」
 千歳が空いた方の手を掴んで、走り出した。
 振り返らない頭の、下の背中。
 切なくなる。背中を向けられたら、もう戻らないつもりじゃないか。
「ち、とせ」
「あ、ここ」
 露店も少なくなった傍の公園で、千歳はやっと立ち止まった。
 繋がれたままの手は、俺の意志じゃない。だから怖い。
 千歳が離したら、離れてしまう。
 離さないように、自分から掴んだら千歳は驚いた顔をした。
「どぎゃんした?」
「…………帰る、んか」
「……、」
 頭上から落ちる沈黙。怖い。早く否定して。
「俺は、死んだりせえへん」
「…姫…」
「殺されたりせえへん。誰にも。
 せやから、帰るな。お前はもう大坂の人間や。
 九州に帰ったら、いつか大坂と戦うんやで?
 お前、俺に剣向けるんか?」
「……姫さん?」
 きつく、白石が掴んだままの手。自分を見上げる顔は、ひどく必死で、純粋すぎた。
「……姫さん? あんま、誤解するようなこといわんとくばい」
「なにがや」
「誤解、する。自惚れる」
「自惚れてええ」
 断言されて、千歳の呼吸が止まる。
「兎に角、俺は、馬鹿やから。
 特別な誰か一人のことしか、考えられなくなるから。
 …健二郎を、好きになるのは、楽やった。不安にならないから。
 俺が頭一杯にしなくても、傍におってくれるから。
 やって、特別な誰かがいなくなったら、死んでまう」
「……」
「居場所がない今だけ傍にいてや。
 ………俺は、お前が」



『……白石が心変わりしたとか、考えなか?』



 刹那、空で咲いた夜の花に、声は掻き消されて、千歳の耳に届かなかった。
 ぱらぱら、と名残の音が響く。
 白石の手を、きつく握る。止まりそうな呼吸で、呼んだ。
「…もう、一回、言うて」
「……もう、言ったらへん」
「頼む……白石」
 白石は手を振りほどこうとしたけれど、千歳の握力が強くて敵わなかった。

 だって、思っていた。
 絶対、千歳はいなくなる。

 千歳を信じなかったのは、裏切るとか以前に、それが怖かったからだ。

 誰も連れていかないで。
 彼の手を取らないで。
 呼ばないで。振り返らせないで。

「…俺は健二郎が、好きや」
 続く打ち上げ花火で、耳が痛い。千歳は無言のままだ。
「…健二郎が…………」
 好きだから。呼ばないで、千歳。
 嘘や。呼んで。
 千歳の手が肩を掴み、引き寄せる。
 躊躇いなく唇を奪われても、拒まず、すがりつかずに手を降ろした。


 誰も、千歳を奪わないで。



 小石川が好きだと言う。その彼の顔は、自分を見ていた。
 自分だけをその翡翠に映して、自分を引き留めた。
 自分を、求めた。
 優しくて、狡くて、不誠実。

 他の男を好きだと言葉にしながら、視線で俺を好きだと言った。

 好きだ。失える筈がない。
 だから、それなら、本当に約束をして。

「…帰らんよ。…帰らん。桔平が言っとうは、理想論たい。
 お前が総代将軍である以上、九州が相手じゃなくとも、どこと戦っても一番に狙われる。
 傍で守れんなら…そんなん意味なかね」





 千歳が飲み物を買ってくると、傍を一度離れた時があった。
 取り出した携帯には、伺うメールがいくつか。
「……謙也?」
 謙也の携帯に着信を入れると、すぐ出た彼も祭りに来ているらしい。にぎやかなお囃子が聞こえる。
「財前にも、言うとけ」
『なにを?』
「千歳がもし、九州に戻るようなら」
 携帯をきつく握る。
 間違っていても、求めた公正さに遠くても。
 その視線が睨むのは、遥か遠い星。

「――――――――――お前らで、殺せ」

 一瞬、息を呑んだ気配。だが、彼もすぐ返事をした。
 頷きながら、謙也は「いらんと思う」と笑った。
 知っている。わかっている。


 俺は、馬鹿だから、特別なヤツ以外のことなんか、考えられないんだ。







「白石、千歳!」
 打ち上げ花火が終わる頃、見つけたのか謙也が土産片手に駆け寄ってきた。
「お。謙也。大量たい」
「まあな」
「謙也、射的上手いもんな」
「へへ」
 二人に褒められて、上機嫌に笑った謙也は声を潜めた。「気付いとるか?」と。
「ついてるわ」
「……」
「連絡はしたで」
「…なら、誘われてみよか。そもそも、そうせな退かんやろうし」
「その必要はない」と低い声が響いた。三人が感じる殺気の中心。夜店も少ない公園の外灯の下に佇んでいる。
「…桔平。やり方、汚なったばい」
 千歳の台詞に、謙也は彼が「現九州将軍」だと知る。
 足音が周囲で鳴る。味方ではない。多くの、おそらく九州兵。
「武器も持っとらん相手に、昼の世界でこの様とは…質悪いであんた」
「人んとこの将軍を籠絡したヤツに言われたくないよ」
 全員の手には、各々の刃だ。加えてこちらは武器もなく、三人だけ。
「千歳。返事を聞きたい」
「返事?」
 とぼけて笑う千歳を、橘はあくまで真剣に見つめる。憎むといってもいい、視線だ。
「俺達の元に帰ってくるか、否か。帰ってくるなら、大坂将軍とそこの兵士は助ける」
 ずきん、と胸が痛んだ。

『 イカナイデ 』

 白石の胸中に気付いたのか、謙也が片手に霊力を集める。その視線が注がれ、狙われたのは橘ではなく、千歳の背中。

 ―――――――――――――九州に戻るようなら、殺せ。

 殺気を消して、待つ謙也と、視線をただ注ぐ白石の前で、千歳は白石の腕に後ろ手に触れ、背中に庇った。
「断る」
「…なに?」
「俺は、帰らん。二度と。俺の居場所は、ここばい。俺は大坂の兵士たい。
 俺は、白石の傍にいて、白石を守る!」
「…っ」
 小さく白石が上げてしまった声は、哀しみじゃない。胸に混ざるのは、安堵。
 謙也は「やっぱりな」と笑い、手から霊力の光を消した。
「そもそもやられっぱなしや思うな?」
 千歳の一歩後ろで笑った謙也が、頭上で指を大きく鳴らす。その場の静寂を破った音は、バイクの走行音。闇を割ってきた影は橘たち九州兵と、白石達の間で停まる。ライトが点いていない十数台のバイクが闇の上に見える。
「無免許運転―――――――――――――やないで。おおきに。先輩」
 その場に足を降ろした数十人は、小石川たち現役の大坂軍。それをその場に運んだバイクたちの運転手が手を振って答えた。
「ここは大坂のホームグラウンドや。そこかしこにおる『先輩(元霊兵)』っちゅー味方がおること忘れんな?」
「知っている。が、夜の国に入れば同じことだ」
 所詮『先輩』は夜の国の兵士ではない、と切って捨てた橘の合図で、その場の九州兵が唱えだしたのは夜の国を出現させる言の葉。
 遠距離ならまだしも、この間近で唱えられた夜の国の戦の宣言は断ることは出来ない。
「健二郎、銀、謙也! 反呼の謳や!」
「…、わかった!」
「千歳、ほんのちょっと、俺のこと守れ!」
 白石の命令に、少し迷ったそぶりを見せた謙也たちもすぐ頷く。小石川達に渡された武器に霊力を込め、千歳は構える。
 『反呼』は本来、相手からの開戦の申し入れを断る言葉だ。だが、この距離で、しかも将軍四人で形成された『呼』の謳を三人だけで拒むのは不可能。
(ただし、ほんの少しの時間稼ぎにはなる)
「…―――――――――――――」
「特殊能力か!」
 白石が謳い出した、『反呼』とは全く違う、言葉すら日本の言葉ではない謳に橘は剣を構え、斬り込む。その視界に両刃剣を構えた千歳が割り込んだ。
 中央で切り結んだ二人の間に閃光が散る。
「悪かね桔平。行かせんばい」
「…千歳!」
 その場に響く三種の謳。一瞬、白石の声が途切れる。手を空に掲げ、彼はそこに指で十字を切る。
「来い、三日月!」
 白石が切った通りの場所に展開した閃光の十字架から、幾筋もの光の矢が放たれ、数十人の九州兵を射抜く。
「―――――――――――――…っ!」
 瞬間、全員の視界は光に消え、次に開いた時、そこは完全な夜の世界。
 夜の国の完全武装の互いだが、橘や残る九州兵は咄嗟に味方を見渡した。
(いない―――――――――――――大坂将軍の特殊能力を喰らった二十人近くが)
「殺してへんで?」
 二刃の剣を構えた白石が笑いを含んで言う。得意げに。
「ただし、しばらく使えへんがな」
「どういう意味だ」
「俺の特殊能力の一つ目は、夜の国では使えへん。昼の世界でのみ発動する。
 喰らった兵士のペナルティは、二年間の夜の国からの強制退去や」
「…」
「てなわけで、あんまし使い勝手はようない」
 そもそも、昼の世界で滅多に遭わないからな、と最後に白石は付け足す。
「それはこちらの失敗か。しかたない」
 橘は剣を構えると、それが大剣に変化する。千歳から聞いた九州の無敵化は、武器の変幻自在と光速化。この距離は、無敵化のスイッチが入る。
「…、姫さん?」
 場違いに、白石が黒麒麟化しないことをいぶかしんだ千歳だが、大坂の全員同じ様子だ。
「どうも、鹿獅子が黒麒麟化を抑えてくれとるらしいな。他の無敵能力はそのままに、精神の殺戮特化だけをなくした、っぽい。せやから、安心せえ」
「……」
 前を向き、安堵に笑んだ千歳は再度武器を構えると、橘に向き直った。
「謙也、小石川、財前。姫さんを頼んだ!」
「言われんでも守るわ」
「その通り」
 憎まれ口のような返事をした財前たちの声を背中に、千歳は地面を蹴った。










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