戦争

ACT:13[一件落着、のち、台風−Misericorde(九州編)/終幕]





 夢を、久しぶりに見た。
 長いこと、夢は見なかった。

『ほな、行ってくるな』

 眠る、俺の髪を撫でた大きな手。
 優しい、声。
 そのまま立ち上がって、遠ざかっていく背中。

 待って。アカン。行ったら、行ったらアカン。


「待っ……!」


 飛び起きると、そこは寮の自分の部屋の、寝台だった。
 静かな窓の外は、物音がしない。明るいから、昼。
「起きたと」
 心配そうに、傍についていたらしい千歳が笑って、髪を撫でる。
「今、髪…撫でてた?」
「…ん? うん」
「………」
「?」
 不思議そうな顔を千歳はした。「嫌やったと?」と聞く。
「…紛らわしいこと、すんな」
「え、あ…ごめん」
 あからさまに意気消沈した千歳に、やってしまったと気付くが取り返せない。
 そのまま俯いた白石の傍に立って、千歳は体調を聞いた。
「…? 悪くはないで? てか、あれから」
「あの…あそこ行ったあと、すぐ昼の世界に戻って。やけん、姫さんが目ぇ覚まさんけん、みんな心配しちょったよ。報せてくる」
「……、」
 なにか、言いたいことがある筈だった。でも、浮かばない。真っ白になったみたいな頭。
「……うん」
 千歳は微かに笑い、扉を開けていなくなった。





「白石が起きたんか。よかった!」
 速攻部屋に行った小石川を横目に、謙也は千歳の傍、居間のソファで見上げて笑う。
「どないしたん? その割りにへこんで」
「…あー」
 あの告白は、どうとったらいいか、計りかねてる。
 俺にも、想いが傾いている。でも、調子に乗って触れたら、引っかかれて、突き放されて。
「そういや、千歳と白石がいたって城?」
「あ、ああ?」
「あれ、桜ノ宮かもしれん」
「桜ノ宮?」
 聞き返した千歳に謙也は説明した。三十年前の話。その血縁者の話。
「俺は血縁やし。当時の霊兵はおとんの兄さんやから。
 ただ、なんで桜ノ宮に白石が招かれたかが…」
「……天下人?」
「…まだ、国の数は二十はあるで?」
「そうやね…」
 謙也が椅子から立ち上がって、寮の長い廊下の向こう側――――――――隔離区域を窓から見遣った。
「あれから一週間やろ? 怪我は治ったやろ。ここに残っとるんは、九州将軍やったヤツだけか…」
 あれから、九州の敗残兵は九州に戻った。中には大坂軍に居着くものも出た。敗残兵が味方になるケースは多く、大坂もあまり留意していない。
 ただ、隔離区域に一人残った九州将軍、橘だけがなんの意志も見せない。
「……もう一回、行ってくる」
「そうか」
 千歳も数度、橘の元を訪れていた。返ってくるのは、無言だけだ。いつも。




 暗い、部屋だった。明かりはある。つければいいのに、橘はつけない。
「…」
 部屋に足を踏み入れた千歳を見て、橘は無言をまた通すかと思ったが、畳に手を突き立ち上がると視線を合わせた。
「さっき、大坂将軍が来た」
「…姫さんが?」
 瞬きをして、驚く千歳の瞳が、不意に橘の手に吸い寄せられた。




『どうやって、千歳を籠絡した』

 そう聞いた橘に、白石は最初目立って反論もしなかった。
「しらんわ。気付いたら、裏切ってたんや」
「心当たりはないのか?」
「全然」
「身体を使ったとか」
 そう聞かれた瞬間、白石は今更に思い出したように顔を上げた。

 ああ、そうだ。そんなことを、した。

「……国のために、男に足まで開くのか」
「…それ言うたら、千歳かて、同じや」
「…」
「あんたが言うたんちゃうん? 国のために男を抱けとか」
「…、…お互い様だよ。どっちが汚いとか、非道だとか、言い合うのも馬鹿らしい。
 国の政治なんか、そんなもんだ」
 それでも言ってしまった橘もわかっている。国の重鎮で王で、でも、自分たちはまだ子供。
「…嫌いなんや」
 夢を見た。久しぶりに、夢を見た。
 しばらくの後、口を開いた白石を見遣った橘の顔。なにを言い出すのかという顔。
「九州将軍は…」
「あいつは、駒か」
「…嫌いやったんや!」
 驚いた橘の隙を狙うように、その服を掴んで首を絞めた。
「…あの人を殺した国は、九州やった。死体さえ戻らなかった。お別れすら出来なかった。
 九州は嫌いや。…千歳は、…せやから俺は信じひんかったのに」
 殺す力すらこめられない。千歳が、悲しむ。
「……そうか。五年前、夜の国で落命した大坂将軍…、彼は、お前の兄か?」
 帰ってこなかった。亡骸すら。お別れすら出来なかった。
 彼だけが握る、繋ぐ手は嫌い。自分も繋がなきゃ、離れてしまう。自分の意志が届かない。
「滅ぼしたかった。…国がなくなれば、千歳は俺から離れたりせえへん…」
 橘の手が白石の腕を服の上から掴む。少し籠もった力は、すぐ解けた。
「…離れたり、しないだろ。もう。…もう」




「殺そうと、したんだがな」
「っ!」
 途端顔色を変えて橘に掴みかかった千歳は、すぐ、それが嘘だと気付いた。
「……桔平?」
 自分の身体に、なにをするわけでもなく、しがみついた彼の身体。
「…国がなくなることが、こんな痛いもんだと、知らなかった」
「……」
 元から、霊兵の家で生まれたわけじゃない。千歳とは違う。
 だから、知っていても知らない世界だった。
 滅んでも、国の人間は安住を約束されるし、生活は変わらない。
 ただ、敗戦はその後二十年間の国の消滅を指す。二十年以内に天下が決まれば、永久に消える。聞いた時は、ルールの一つにしか思わなかった。
 千歳の身体にただしがみついたまま、零れる嗚咽をかみ殺した。

 国がもう、ない。

 地図の上で消えただけの話だって、昔なら笑ったのに。

 悔しい。悔しくて、悔しくて、堪らなく悲しい。

「…なんで、お前は平気なんだ」
「平気じゃ、なかよ」
「わかってる、そんなこと」
「…それでも、俺は決めて、裏切った」
「…ごめん」
「桔平は、なに一つ悪くなか」
「…ごめん」

 お前に刃を向けた自分。

「…ごめん」

 お前をたった一人、大坂に行かせた自分。

( ごめん )

 守ってもやらなかった癖に、憎んだ自分。

「…ありがとう。桔平。……生きてて、くれた」

 そう言って、頭を抱いてくれた大きな手を、守ろうと思った。
 もう、敵でいるのは、辛いから。
「……、参軍希望をしてくるか」
 涙を拭い、千歳を軽く突き放してからそう言った。
「へ?」
「俺も、大坂軍に入る。お前の味方だよ。少しは喜べ」
「……」
 笑って言うと、間抜けな顔の千歳がいた。

 精々付き合ってやる。もし、天下を取るというのなら。
 俺だってそれを目指した、ただの一般兵士だったんだ。









 部屋に戻ってきた千歳が、白石に気付いて柔らかく微笑んだ。
 傍に寄って、手を伸ばしかけて止まる。千歳がすぐ察して、手を掴んだ。
「なんね?」
「……、……」
 言葉が見あたらない。知ってしまった? 自分が言ったこと。
 千歳は子供をあやすように笑って、白石を胸に抱き寄せた。
「…なにが、『紛らわしい』?」
「……、離れんで」
「答え」
「……千歳まで連れてかれたら……もう、」
 橘から聞いた。白石の兄の話。
 心の中で問いかける。

( 『小石川まで連れてかれたら』…じゃなかと……? )

 抱きしめて、髪を撫でて、額にそっとキスをする。
 問いかけなかった。わかってしまったような、気がして。







 何度も、馬鹿みたいに願っていた。

 連れて行かないで。千歳まで、連れて行かないで。

 兄のように、連れて行ってしまわないで。









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