戦争

ACT:14[バーチュアルウィット@−冷たい桜/1]






 その日は新体制になって、初の作戦会議のようなものを行った。
 後から入った元九州軍の生徒も多い。彼らは四天宝寺に入学手続きをとり、この寮に入ってきた。
 今はまだ、「営利的な名誉」以外の参軍理由のない彼らだが、力になるなら、大坂側も詳しい忠誠までは問わない。
 戦国時代ではない。いちいちそんなことまで問うていたら、戦力拡大は不可能だ。
「あと…二つ? 勝ったら、いよいよ東京やんな」
「やな」
 大坂の陣地は、あと二つ東に勝ち進めば東京と当たる。
 あの一件もあり、過敏になる大坂兵士は多い。
「あー、一個、いいか?」
 謙也たちの会話に挙手つきで割り込んだのは、新たに入った旧九州国将軍の橘だ。
「ん?」
「それって、特殊能力攻撃の警戒か?」
「ああ。まあそうやな」
「だったら、総代将軍以外の幹部の保護術的なものを探した方がいいだろ。
 うちにもあったし…調べてみる」
「…白石はええん?」
「桔平、言いたいことはわかっとうよ?」
 白石はこの時点で、三国の国神を宿している。まず、特殊能力の通じる存在ではない。危惧はそこについてはいらない。
「あー、うん。わかってる。ただ、総代将軍の警護は固めないとダメだろう?
 三体の国神の話は多分もう伝わってる。確実に潰しに来られる。
 だから、まず周囲を守る副将軍らのスキルアップも必要だろって」
「ああ。そやな…」
「国神の力は裂けへんから、古術の中にないかな…」
「大坂の古術は、大坂陣地を出たら効かないから、あまりあてに出来ないんじゃないか?」
「…」
 ばっさり斬って捨てた橘に、謙也はしばらく黙る。周囲も黙って見遣った。
 橘は全く気にしていない。
「ん?」
「いや、論議しとるんだか、しとらんのだか…て」
「してるしてる。ただ、無駄だってわかることを訂正しなかったらまずいだろ。
 ほいほい流してたらしょうがない」
 まあそれもそうだが。
「ただその…、東京軍の次峰将軍?の術はアリかもな」
「え?」
「呪いだろ? 呪いは地区関係ないし。
 呪いの中にないか? 逆に自分の身を守るような術。『呪い』は『まじない』とも言うしな」
 そういう力のヤツがいるなら、国神の簡単な補佐で倍あがるだろ、という橘の言葉は立証の価値はある。
 千歳に聞くと、橘はなんでも一般兵士から実力で副将軍に出世したタイプで、そういう知識と機転は自分より上だと言った。






 学校の廊下を歩く靴音が、夕方の校舎に響く。
 教師側との会議のあと、渡邊に特に用事はなく、学生寮を一度見ていくかという気分だった。
「……用事か?」
 廊下の隅、待ち伏せていた体の元九州将軍にそうおどけて問いかける。
 同じ元九州将軍でも千歳ならある程度、笑って返すのに、橘は冷静に、口の端を軽くあげただけで「まあ」と返すだけだった。
 頭を掻いて、傍に軽く近寄った渡邊を見上げてくる。
「あなたが、大坂将軍……白石の、お目付役だって聞いたので」
 呼び名を訂正した橘は、馴染んだようでまだ馴染みきっていないのだろう。敢えて突っ込まなかった。
「若様がなんや? あいつのことなら、小石川らに聞いた方が」
「現役の兵士は知らないですよ。多分」
「……」
 長くなりそうな話だ。渡邊はポケットから取り出した煙草を一つ取って口に銜える。橘は一瞬顔をしかめただけで、注意はしなかった。
「白石は…、あれは本当に大坂将軍ですか?」
「……なに言うとるんや? 白麒麟が主と認めとる。間違いなく…」
「言い方が悪かった。…彼は、本当に大坂の王の血筋ですか」
 そう声を発した瞬間、渡邊の表情が凍ったのを、橘はゆっくりと見る。
「やっぱり、白石は…あれはまさか」
 どこから出したのか不思議になるほど、いつの間にか渡邊の手に握られていた刃が首筋に当たっている。怯えない橘に、「誰から聞いたか、洗いざらい話せ」と低い声が降る。
「…千歳の、親父さんに」
「旧九州国王か」
「彼に聞いたのは、大坂の王の子は、娘二人、息子一人ってことです。
 …白石が言っていた。『兄がいた』。
 これじゃ、『息子二人』になる」






「あれは即戦力やな」
 会議の後、白石の部屋を訪れた小石川が本を片手に言った。橘のことだ。彼は合理的なので、すぐ橘を見込んだらしい。
 橘発案の術を調べているらしく、読みながらだ。何冊目?と白石が訊くと、四と単語を投げ捨てる声。小石川の白い夏物のカーディガンは緩めで肩が余った風に見える。黒いズボンを履いた足は時折、床をなぞるように動いた。手持ちぶさたのように。
 千歳はめずらしく来ない。
 小石川と二人きりになるのは、いつ以来だろう。


 その横顔に、胸は高鳴るのに。


(…もう)


「白石?」
 小石川が唐突に不思議そうにして、本から顔を上げた。
 白石の方を見る。白石が着ている夏物のパーカーは、白でそういえば小石川とお揃いで買った。
「え?」
「ぼーっとして。どないした」
「…いや」
 なんでもない、と口にした。途端、胸が痛む。
 抑えるように胸に手を押し当てた白石の傍に立って、小石川はなにか言いたげにしたが、すぐ持っていた本を白石の座る寝台に放った。
「健二郎?」
 小石川を見上げると、見たことがないような、不安そうな顔をしていた。
 そんな、心細そうな、捨て子みたいな顔は、知らない。
「…」
 声が出なかった。手首を掴まれて、寝台に押し倒されたのに。
 小石川の足が自分の足を割って寝台に沈む。
 一瞬すら、身構えることはなかった。何度も何度も、彼なら許せて、嬉しかった行為。
 なのに、見上げる小石川の顔は、やっぱり不安そうな、捨て子のような、顔。
「…悪い」
 そう唐突に謝って、小石川は身体を離すと、寝台から離れた。
「健二郎?」
 軽く肘を寝台について起きあがり、白石が呼ぶ。振り返った小石川は、今度はあまりに綺麗に微笑んでいた。
「なに」
 なに、じゃないのに。
 そうじゃないのに。
「…なんでもない」
「そう」
 なんでもないとしか、白石には言えなかった。そんな明らかに、目に見えるほどに、痛がっているのを隠した、完璧な笑顔。
 彼の優しさは、自己犠牲的なものだと、自分が一番知っていた。
 小石川は何事もなかったように本を拾うと、部屋を後にした。軽口を叩いて。
 何事もなかったように、完璧に、それが逆に嘘臭いくらいな、笑み。

 彼は多分、もっと前から気付いていた。


(もう、自分が、俺の中で『一番』やないこと…)


 なのに、はっきり、『そう』言ってやれなかった。







 寮内の自販機はいくつかあるが、小石川の好きな銘柄は隔離棟の近くにしかない。
 必然、人気がない。電気も暗い。
 小銭を入れる音がやけに響く。

 ため息を吐く。
 気付いていた。結構、前に。
 白石が、もう、俺を見てないこと。
 でもだから、なにも出来なかった。

 拳を叩き付けると、妙な音がした。自販機のコーヒーのボタンの上を殴ったらしいが、機械の表面が凹んだような妙な音と、機械のエラーみたいな音。
「…あ、やってもうた」
 呟いて、でもその声も、笑うにしては、情けない声だ。
 無理矢理笑ってるみたいな。
 顔を押さえて自販機に寄りかかる。罅が入った表面。修理に出さないといけない。
「…なんか死にたなる」
「やめとけ。全員が泣く」
「…」
 小石川は耳を疑った。聞き慣れた声は、白石じゃない。でも、好きな響き。
 顔を上げて見遣った隣に、謙也がいた。静かな顔で。
「…なんで」
「お前が白石の部屋から出てく時の顔見て、ああフラれたんかなと」
「…」
 小石川はそこで、泣きそうな顔で笑った。ヤケではない、柔らかい笑み。
「…わかっとった?」
「俺も、伊達に白石見てきてへん。…千歳に傾いてるんは、わかっとった。
 それでも、お前が我慢してたから、言わなかった」
「我慢なんて、大層なもんやない。俺は」
 だから、なにも出来なかったんだ。
 わかっている。
「俺は、結局あいつが怖くて。あいつと一生一緒におるのが、怖くて嫌で死にそうで。
 …死んでいきそうで嫌で、…千歳に傾いたのいいことに、…手ぇ離して楽になっただけや」
 好きで、好きで堪らなくて、だからずっと、嫌で嫌で嫌だった。
 白石が、嫌だった。
「もうやめぇ。健二郎」
 謙也がはっきり言って、小石川の頭をぐいと引き寄せた。自分の、低い肩に埋める。
 涙が伝う小石川の顔を隠して、背中を撫でた。
「…もうやめぇ。お前は今日まで頑張ったわ。もう、やめてええ。…俺が許す」
「……」
「もう、やめろ、健二郎」
「…っ」
 謙也の身体をきつく抱きしめた。そうしないと叫んでしまいそうだった。
 白石を、好きでいるのを、やめろ。そう謙也が言う。許すと言う。
 半端な覚悟で、好きだったんじゃない。甘く胸がうずいたことも、触れた愛しさも、裏切られた哀しみも間違いなく本物の恋だった。
 でも、終わったと、安堵する自分も、本物だった。



「ごめん」



 白石。ごめん。
 お前が、千歳を好きになるの、おかしくなかった。
 やって、千歳は知らないもの。俺達みたいに。
 俺達みたいに、お前を嫌じゃないんだから。
 惹かれたって、しかたない。



 …最後まで一緒にいる。そんな陳腐な約束をした。
 先に、破ったのは、お前だけど。でもずっと俺も破っていた。








「……桜ノ宮?」
 橘の声がした。廊下の向こう。
 話し相手は渡邊のようだった。
 立ち去ればよかった。すぐに。
「白石が、大坂の血筋じゃないの、本当なんですか…」
 そういう声が、した。




 千歳は訊きたくなくて、その場を離れた。
 意味がわからない。大坂の血筋じゃない? 白石が?
 でも彼は白麒麟に認められている。
 橘は言っていた。現役兵士は知らない。
 白石も?

「…姫さん、入っとよ?」

 気付くと、白石の部屋の前に立っていた。
 扉を叩くが、返事がない。
 不安になる。何故かわからない。
 ノブを回すと簡単に開いた。
 中を見て、千歳は言葉を失う。


 部屋一面に広がるのは、鮮血の絨毯。


 赤い血の水たまり。
 中央に仰向けに倒れているのは、白石だ。
 目は開いたまま、虚ろだ。
 傍に立っている、刀を持った男が顔を上げた。血に濡れた頬。

「…小石川」

 そこにいたのは、大坂の副将軍だ。
 自分の目は狂っていない。
 狂っている方が、マシだ。









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