![]() 桜ノ宮戦争 ACT:3[裏切り・前編-黒麒麟降臨-] 小石川健二郎。 大坂の国の中央軍、四天宝寺中の三年。 テニス部副部長兼、大坂軍、副将軍。 早生まれで十四歳。身長は知らないがそこそこ高い(白石や忍足より高い)。 武器は長刀。 そして、将軍、白石蔵ノ介の恋人。 というのが、今、千歳が知る恋敵の情報。 戦のない夜、寮のリビングで呻って紙とにらめっこしている千歳をほとんどは見ないふりで通り過ぎる。その方が今は有り難い。 白石とは同室。部屋では考えられない。なら、他の場所で長考するしかない。 あの時は若干いい感じというか、白石も自分を見直した感じに見えた。 なら少しでも信じてみようかという気持ちが白石にあるうちに、この気持ちをどう本心だと伝えるか。 しかし、いかんせん敵(小石川)が手強すぎる。 テニスの腕と武芸の腕では勝っているが、白石からの信頼と白石の頭の占拠率にかけては圧倒的不利。 なら、 「…………」 そこで、千歳は初めて背後に人の気配を感じた。 振り返ると、そのくだんの人物が戦慄した顔で固まっていた。 「…なんやお前、その…俺のプロフ書いた紙……。 お前、実は男なら誰でもええんか!?」 「んなわけなかろぉっ!!!!」 千歳に無関心なふりの寮生たちも、流石の副部長の絶叫に揃ってこちらを見た。 その中心の千歳と小石川はお互いあまりのことに涙目だ。 「俺はただ自分の恋敵として調べとっただけばい!」 「ああそーかそーかそらよかったあー気持ち悪かった!」 「こっちん台詞ばい!」 「言うとくけど、俺をいくら調べたって、お前絶対白石に好きになってもらえんで? はよ九州帰れや九州兵」 誤解とわかるや否や冷静な面でそう言い残し、小石川はその場を後にする。 言い返したいが、言い返せる要素が現在全く見あたらないため千歳は悔し紛れに小石川の背中に向かって親指を立てるに留めた(というかそれ以上出来ない)。 「…ほんにむかつくばい」 しかし、時間も時間だ。そろそろ部屋に戻らないといけない。 戻っても白石はとっくに寝ているだろう。彼は自分の戻りを待たず寝てしまう。 一種無関心だが、無警戒でもある。 今日も寝ていた。 その背中を向けられた、寝息をたてる姿を見る度、寂しくなるのと同時に少し、嬉しくなる。 この部屋は他の部屋と離れている。 夜の国以外では、鎧もない。 だから、自分が殺す気ならば寝ている隙に殺せる。 だから、彼も同室になった後しばらく自分が眠るまで寝たふりをしながら、警戒心を強く張っているのが気配で伝わった。 けれど、あれ以降はこれ。 (少し、…は信頼ばされとう) 少なくとも、白石はもう、自分が白石を殺そうとはしていない、殺さないと信じてくれているのだ。 小石川たちは知らない。自分だけの秘密。自分の口元が柔らかい笑みを刻むのを千歳は自覚する。 それが、今は胸を暖めた。 けれど、平和な夜はたった四日で終わった。 ある日の夕方、四天宝寺に在籍する生徒の数人が暴走トラックに撥ねられそうになったのだ。 当然霊兵の、それも特に前線を任される強い兵。 トラックに運転手はなく、霊力操作だとわかった。それは今、大坂が陣地争いをしている四国の妨害工作。 夜の国の戦は、陣地を争う二国の片方、どちらかが戦争開始の報せを発し、相手が受けることで成立する。平和な夜はいわば休戦期間だ。どちらにも戦意のない状態が続けば続く。 四国陣地はあと一歩で攻め落とせるところまで来ていた。 夜の国のそれぞれの兵数と位置は前の夜に終了した位置、数で続きが開始される。 大坂が四国の奥、陣地を包囲した時点で前の戦が終了しており、次は四国の陣地を落とすことで終わる最終ターン。 その状態で長く戦が起こらないままであれば、自動で包囲した側の勝利になる。 四国からの報せがなく、自分たちの合図を相手が受けないということは自動に決まる負けを――――――――将軍の犠牲を出さない敗退を認めた、と大坂は思っていた。 「…怪我は?」 「全員、運良く打ち身で済んだ」 「そっか」 寮のリビングで雑誌を片手に、雑誌から目を離さずにいる白石に小石川が怪我の具合を報告した。 その場に全員集まっているのは、全員が同じ意志であるのと同時に、将軍の合図を待っているから。 白石が時計を見上げて、立ち上がった。 「謙也、財前」 「はい」 「ん」 名指しされた二人の返事に、一言告げる様は将軍以外の何者でもない。 今回の妨害は、あってはならないもの。 「降伏は絶対訊くな。将軍を殺すことで終わらせる。 ついてきぃ」 「はい」 「わかった」 他国の勢力兵士ではあるが、千歳も理解は及ぶ。 夜の国の死は、現実の死ではない。 夜の国の死は、夜の国からの一定期間の退去。夜の国の死亡は大抵が、一年の夜の国からの退去―――――――――――すなわち一時的に霊兵でなくなることを示す。 「健二郎、銀、小春、ユウジ。…なるべく、多く殺せ。将軍は俺に任せてくれ」 呼ばれた全員が同じ音で応えた。 だからこそ、現実の死は、本当の死。 今回の妨害は、現実の死を狙ったものだ。だからこそ、誰も許すことは出来ない。 戦争開始は相手の了解があってこそ。だが、包囲が完了している時のみ、包囲側だけの意志で夜の国を出現させる手段がある。 代償は、総代将軍の「スイッチ」をその戦のみ、終了まで常にオンの状態にすることを将軍が了承すること。 「千歳、お前、絶対白石に近づくな」 小石川が唐突に言った。どういうことだと振り返る。 「お前も将軍なら知っとるやろ? 総代将軍の無敵化のスイッチの話は」 「ああ」 総代将軍には「スイッチ」と呼ばれるものがある。スイッチのオフ状態が常態。 オン状態を無敵化といい、国によってその特化する能力は異なる。 千歳は九州将軍だから、オン状態になったことはそれはある。 それを通常、○○化と言う。国によって異なるから、同じ言葉では示せない。 九州は光速化と変化。千歳の無敵能力は光速移動の力と、武器の変幻自在化だった。 大坂の無敵化がなにかは知らないが。 通常のスイッチのオン条件は数種類。 @自分の陣地に敵が侵入した場合 A味方が一定数を下回った場合 B全ての味方から一定距離以上離れた場合 C敵の将軍と一定距離まで近づいた時 それらがスイッチの入る条件。 そして、夜の国の死は平等ではない。 ただの兵士は一定期間の退去。 将軍の名を持つ、次峰将軍、中将、副将軍は夜の国で死ねば、一生夜の国に行けなくなる。無霊人になることだ。 そして、包囲された場合に戦なく、将軍の死を代償とせずに負けを認めるルールがある理由は、総代将軍の夜の国の死=現実の死だからだ。 これらの複数、いやかなりの数の夜の国のルールは、誰が決めたものでもない。 最初の霊兵の時代から、それが法律としてあったもの。 だからこそ、今の霊兵たちは噂する。 夜の国には自分たち以外に、誰か、なにものかがいる。ルールを決めた神のような存在がいるのではないか、と。そのルールはあまりに、ゲームじみていて。 新しく霊兵になる後輩に、説明する時にいつも思う。これは、ゲームだ。 ルールを、作った誰かがいるゲームだ。売っているテレビゲームのルールは、売った会社が作っている。なら、夜の国のルールを決めた、夜の国を作った何かがいる。 これは、死のあるゲームだ。 すぐ視界は切り替わる。 月と緑の満ちた世界が映った。 眼前に建つのは四国勢の最後の砦といえる陣地。強制的に夜の国に引きずり出された敵軍が慌てて構える中、踵を返す姿が見えた。敵の総代将軍。 「逃げる…か。こっちの無敵化を知っとって逃げるなら、端から妨害せなよかったんや」 そう、どこか虚ろな感慨で呟いた小石川が片手で千歳の腕を掴んだ。 「行くな」 「…ばってん、忍足と財前だけじゃ」 「それ以外は、死ぬ。わかっとんな! 全員、将軍から離れぇ! 陣地から動くな!」 副将軍たる彼の命令に、不思議なほどに全員が従い白石から離れる。 何故だと目を瞑った千歳の視界で、白石のスイッチが入ったという目に見える変化が起きた。 「大坂の無敵化は、通称、黒麒麟化」 「…黒」 白石のまとう衣が漆黒に変化し、両手に持っていた二本の刀が一本の長い剣に変化した。 剣の刃は、喰らえば即死という形。殺傷力が、高いのが見てわかる。 すぐ地面を蹴って走り出した白石の後を、謙也と財前が追う。 速度が尋常でないのはわかった。自分と同じ能力かと思うが、それを否定したのは白石の手が振るった剣が、持ち手を残して切り離され、繋がった鎖で操られて周囲を縦横無尽に切り裂いたからだ。 その不規則で凶悪な刃の通る道には、当然傍を防御する財前と謙也の姿もある。 「な…」 「大坂の国神は白麒麟。それが狂った様を黒麒麟っちゅう。 黒麒麟化は、あらゆる能力の特化と共に精神を殺戮のみに特化させる。 今の白石に、敵味方の区別はつかん。目に映る全てを虐殺するからこそ、味方は近づいたらアカンねん」 今のあいつに、理性や愛情、真っ当な感情はない。あるのは、『殺戮』の文字だけ。 白石の振るった刃は一度で十を越す数を殺めていく。 傍を走る謙也の背後に、戻る刃が向かった。 「謙也には、韋駄天がある」 瞬間、消えたと錯覚する速度で動いた謙也が白石の刃を交わし、そのままの姿勢で敵に三本の弓矢を放った。全て命中する。 「光速移動の能力であいつは白石の攻撃を確実に交わせる。あと、後方支援型の弓矢が武器や。やから、あいつは避けながら、白石の補佐が出来る。 光にはそんなんはないが、たまに訊くやろ。国神の鎧や剣の強度を上回る強度を持つ武器を持つ希な霊兵」 小石川が丁寧に説明するのは、千歳の乱入を封じるためだ。 そんな不本意な殺害は、白石が望まないから。 その傍を走る財前は確かにそんな光速な移動能力はないとわかる。手に持つのは巨大な大剣。 白石の刃が自分の方を向いたのを見て、財前は敵を切り裂いた自分の剣を自身の身体の傍で構える。財前の身体を裂く筈の白石の刃をその剣は受け止めて弾いた。防御が済んだのを見て、すぐ彼はその剣で傍の敵の首を落とす。 「俺達の武器は白石の武器に劣って、武器ごと殺される。お前の武器もそうや。黒麒麟化したあいつの武器の殺傷能力はおそらく、それだけなら全国一。 それを防ぐだけなら防げる強度を持つのは、光だけや」 財前は時に敵を切り、時に自分に向かう白石の刃を防ぐことで。 謙也は自分に向かう攻撃を光速移動能力で交わしながら一歩後ろから弓で補佐することで白石の傍で戦うことが出来る。 確かに、自分ですら、あれは避けられない。あんな、一切の加減もない、誰かも問わない無差別殺戮の刃は、交わせない。 自分自身も無敵化のスイッチが入っていなければ、戦えない。そして、自分のスイッチは九州の陣地でなければ入らない。今の千歳に無敵化の権利はない。 それでも、自分は、いや自分含む知る総代将軍に、精神が抑制されるような無敵化を訊いたことはなかった。だからこそ、衝撃を受けた。 今の白石に感情がないことは、わかる。純粋な殺意以外の感情がないことは、見ただけでわかる。でも、そんなもの、自分は知らない。 白石の間合いに敵の総代将軍が逃げ切れず入った。それに反撃した将軍と、補佐した敵兵士の一撃が防げず白石の足を大きく抉った。 防ぐ役は謙也と財前であって、白石にその意志はない。己の防御に無頓着な攻撃を今の白石はする。一瞬勝ち誇ったかに見えた敵兵士が首から上を失って倒れた。 白石の足も、刃も止まらない。 「無駄や。千歳。 今の白石はなにも感じひん。痛覚も理性もない。 傷みを感じないなら、今のヤツを動かすのは身体の肉やのうて国神の力。 国神が操る限り、足が潰れても腕が潰れても、瞳を失ってもあいつは武器を振るうし振るえる。 あいつの今の腕、足、瞳は身体やない。国神や」 「…そっ………」 そんな話、そう言いかけて千歳はなにか言うのをやめた。 小石川も、そんな言い方をしたい筈はない。目の前で白石の腕や足が事実潰されたような傷を負う。傍に駆け寄って守りたい筈で、けれど彼は副将軍だ。 そんな真似をすれば、謙也たちのように白石からの攻撃を防ぐ力のない小石川は敵ではなく白石によって殺され、霊兵でなくなる。永遠に。 それを正気に返ったあと、白石がどれほど悲しむかを理解するから、彼は見守る立場を堪える。 近寄ってはいけない。大事なら。 己の血に濡れた白石の腕が振るった一撃が、敵の将軍の顔面を貫いた。 大坂の全員が安堵の表情を浮かべた。これで白石に正気が戻る。 瞬く間にまとう衣服が白に変わった白石が身体の力を失って傾いた。当たり前だ。彼の足は大きくえぐれている。腹部にも傷がある。走る力も立つ力もあるわけがない。 スイッチの切れた白石を察して、地面に倒れる前に謙也がその地点に回り込んだ。 受け止める寸前、ハッとした千歳が叫ぶ。 「 「え…」 己を名で呼んだ千歳に、一瞬謙也が何かと周囲に意識を巡らせる。千歳がこの状況で自分に投げかけるものが、周囲への注意以外にないとはわかった。 「…!?」 刹那、空を裂いて降った弓が無防備なままの白石の背中に突き刺さる。 「白石!」 謙也と小石川の絶叫を訊いたのかはわからない。白石は一度、目を見開いただけで力無く謙也の腕に倒れ込んだ。 すぐ、夜の国は消えて、四天宝寺の寮内に景色が戻る。 「白石!!!」 けれど、総代将軍の死は現実の死。総代将軍の傷も現実に持ち越される。 背中に刺さった弓が消えて、その背中には血の跡もない。 けれど謙也の腕の中。意識のない白石の手と足は血に濡れていた。 →NEXT |