戦争

ACT:4[裏切り・後編-それでも確かな愛の形-]




 白石と千歳の部屋には、今は少ない味方しかいない。
 傷の多くを治療する霊力は白石自身のものだ。強い高速自然治癒能力。そうでなければ長い戦を戦えない。
 寝台に横たわる白石の背中、包帯を手に、自然治癒では補えない傷を処置していた石田の手が止まった。
 その場の全員が、同じ思いだ。
 矢の刺さっただろう箇所。傷はない。
 だが、そこに刻まれた、桜のような紋様。紫の刻印。
「…なんやねん、これ」



 部屋の外で待つ千歳が、傍で中を窺う大坂の兵たちを微かに見た。
 不安だ。心配な筈だ。愛する将軍が無事なのかと、誰もが。
 けれど、多勢で傍にいても役になど立たないから。
 千歳も、出来ることはない。だから、外にいろという小石川の言葉に従った。
 部屋の扉が中から開く。謙也が出てきた。
「忍足先輩! 部長は!」
「まだわからん。千歳」
「え」
「来い」
 周囲の生徒の当惑は痛いほど伝わる。だが、拒む筈がない。拒める筈がない。
 従って中に入った千歳は、背後で閉じる扉の音を聞きながら視線を寝台に向けて、言葉を失った。
「お前、わかるか?」
 小石川が問う。
 左手の手首、右手の腕と肩、左足と腹に巻かれた包帯。
 その裸の背中に刻まれた紋様。
「俺を、呼んだんは、俺がわかるかも…って思ったからとや?」
「健二郎が、あの時、お前が白石を狙った弓矢に気付いたのは偶然やないんやないか、て」
 それは敵意か、疑いかもしれない。
 それでも、彼のために惜しむものなどなかった。
「……待ってくれ。…こん紋様…桜…………」
 どこかで訊いた。見た…?
 桜。じゃない、桜の一種。
「…これ、ソメイヨシノ…。……あ、東京の紋ばい!」
「…東京の!?」
「東京軍の紋様はソメイヨシノばい。あん弓は東京軍の攻撃かもしれん。
 実際、東京軍は多くを制圧して陣地も広か」
「…そうやな。あの時、俺達のおった夜の国の傍の陣地にいても不思議はない…が」
「……ばってん、紫…。ソメイヨシノはこげん色じゃなかし」
 あれはなにかの力だ。普通の弓矢はあの距離では届かない。東京軍はそれでもかなり遠くにいたはずだ。
 なら、武器ではない弓であるはず。
 苦しげに身をよじった白石の表情を、傷の痛みだと思っていた。
 気付いたのは、もう直感としか言いようがない。
 背後を千歳は振り返った。何故か、誰にも説明出来ない。直感だ。
 そこの机に置かれた鏡。白石の姿を映す位置に置かれているその鏡面が紫に汚れている。
「……、呪い……」
 呟いて、千歳はすぐその鏡を床に叩き付けて割った。
「呪い!?」
「ほら、よく…はないかもしらんけん、訊くことなか?
 ムラサキ鏡って都市伝説。二十歳まで覚えとうと死ぬ。
 あれは都市伝説っていうよか、呪いばい。昔、殺したい相手にかける鏡の呪い。
 そして、こん紋様の色と、白石が映った鏡の色。
 …あれは、白石を殺すための弓で間違いなか」
「…白石、死ぬんか?」
 冗談はやめてくれと千歳を見上げる謙也に、千歳は首を左右に振った。
「すぐじゃなか。そんなすぐ殺せるほど、呪いは便利じゃなかね。
 東京軍の誰かの力ばい。ばってん、便利なら東京軍はもうとっくに天下ばい」
 確か、訊いた。映すたびに年を取る。呪いの鏡。
「…二十歳」
「え? 二十歳までは…無事ってことか?」
「そうじゃなか。
 身体の年齢は進まん。普通に一日ずつ進む。
 ばってん、鏡に映る度、一年進む。呪いだけ。
 今、一回映った。白石は十五歳やけん、今、呪いは十六歳。
 …あと、四回鏡に映ったら、死ぬ。…多分、そういう呪いがかけられとう」
 意識のない白石以外、言葉をなくして青ざめる。
 それを導き出した千歳も同じだ。
 あの時、弓矢に気付いたのも、矢張り直感以外のなにものでもない。

 無敵化は、無敵ではない。
 あらゆる強さを得る。代わりに、なにかをなくす。
 白石の黒麒麟化のように、心を。
 自分も、無敵化の時、なにかを失っていたように思うし、無敵では決してなかった。
 無敵化は、諸刃の刃。
 敵を殺す最良の力を得ると同時、身を守る力を失う。
 強くなる代価に、自分の命を失いやすくなるのが、無敵化。
 だからこそ、強制的な夜の国の出現の代償に、なりえるのだ。





 その日から三日経たず、次の戦の開始合図があった。
 相手は兵庫。兵庫を落とせば、次の相手は千歳が率いる九州になる。
 断ることも出来た。まだ最初の戦だ。包囲されてもいないから、強制で夜の国は出現しない。
 だが、副将軍の小石川の命令でそれに応えることになった。
 兵庫を目当てにしているわけではない。全員がこの戦に臨むことで知りたいのは、東京軍の出方だ。
 東京軍の出方を知るのに、東京軍が相手の時では遅い。強豪である九州でも危ない。
 圧倒的優勢になれる兵庫相手が最適だった。
「おい、千歳」
「ん?」
 普通に反応してから、千歳ははた、となった。
 声をかけたのは謙也だ。自分を無視せず、『九州兵』ではなく名前で呼んだ。
 雨でも降るんだろうか。
「…あー、……」
「あ、そうやったばい。言うこつがあった」
「え?」
 言いよどむ謙也に、千歳の方が笑んで話があったと言う。
「この前、慌てたとはいえ、忍足んこつ、名前呼び捨てにしもたけん…ごめんな?」

謙也(・・)!』

「……あー…、ああ…別にええ。そんなん」
「そか、よかった」
 屈託なく笑う千歳に、謙也の方が毒気を抜かれる。
 言いたいことは、特になかった。
 ただ、この戦。深手を負っている将軍の白石は出ない。その守りとして、自分も残りたいが、ルール上無理だ。財前が残ることになっている。
 小石川の命令で、千歳も残ることになっていた。それは疑いもあったから、裏切る可能性のある千歳を、今戦場に出せないという意味もあって。
 けれど、

「…なんでもない」
「なんねそれ」
 口ではそう言いつつ、千歳は笑った。別にいいよ、と言いたげに。
 静かだった寮のリビングが、一瞬ざわめいた。
 謙也と千歳が見ると、奥の方に立つのは寝ていた筈の白石。
「お前…っ! 寝て…」
「これ、どういうことや。健二郎」
「どうもこうもない。お前抜きで出る」
「そんなん無理や!」
 確かに、将軍抜きの戦は普通訊かない。
 だが、ルール上可能でもある。
 総代将軍抜きの戦の条件は、総代将軍以外の三将軍全員の出陣と死亡条件変更。
「俺がおらな、お前ら死んだらこっちでも死ぬんやで!?」
 総代将軍がいない場合、副将軍・中将・次峰将軍の死は本来の退去で済まず、現実の死になる。
「相手は兵庫や。そんなんあるわけない」
「またなにか邪魔があるかもしれんやろ!
 認めへん。俺も出る」
「その足と手でか? 無理言うな」
「無理やない。俺がおれば、お前らは安全なんや。これは将軍命令や!」
「姫さん…っ」
 その間も、立っている足は揺らいで壁に手をつかざるを得ない姿。流石に衝撃を受けて駆け寄ろうとした千歳より早く、傍に立った小石川の手がその頬を遠慮なく殴った。
 そのままよろけて言葉なく床に倒れそうになった白石を、やっと傍に駆け寄れた千歳が受け止める。
「訊く義理はない。ええか白石? 役立たずの将軍は邪魔や。いらんて意味やねん。
 黙っておとなしいしとり」
 冷水のような小石川の言葉に、白石は青ざめた顔で彼を見上げたが自分の言う事がむちゃくちゃなのは理解していたようで、黙って俯いただけで反論はなかった。
 微かにざわめいた他の兵も小石川の合図に従って頷く。
 一瞬後には、白石と千歳、財前以外は寮にいなかった。





 人がいない寮は静かだ。リビングから響くテレビの音も、それを見て騒ぐ人間の声もない。
 廊下を歩く、足音もない。
 鏡を徹底的に排除した部屋で、寝台に腰掛けたまま黙っている白石を見て、千歳は宥めるような笑みを浮かべる。今まで財前と部屋の前で話していて、少しの間任されることになった。
 彼も、少しは自分を認めているのか、あるいは仕方ないだけか。
「沈むこつはなかよ」
「…なにを証拠に」
 ぽん、と白石の髪を撫でると、千歳は微笑んだ。
「小石川の言いたかったこつは、俺にもわかったい」
「………」
「そうやねぇ。『お前が自分の命より俺達が大事なように俺達はお前が大事なんや。お前を捨てごまにして、誰が嬉しい。守ると言ったんや。守らせてくれ』…てとこじゃなかね」
 千歳の口から零れた聞き慣れない関西弁に、白石は瞬きをした後、やっと微笑を唇に浮かべて肩から力を抜く。
「アホ。お前の関西弁なんかきしょいわ…」
「…馴れなかねぇ。俺も」
「………千歳。……お前、」
「…ん?」
 優しく促し、背中を痛まないよう撫でてやる。
 白石は迷った後、細い声で訊いた。
「…ホンマに……なんか?」
「え?」
「…本気で、好き言うてん…?」
 それは、あの日から保留のままだった問い。
 千歳はそっと白石の髪を一筋、指で挟んで梳いて、その指で湿布を貼った頬を撫でる。
「…姫さんの信じたい方でよかよ。俺は、信じてもらう権利がまだなか」
「…それ、答えやない」
「…やって、しょんなかろ? 俺がいくら、好きって言って、ほんなこつ、姫さんが好きやけんそうしとうって言ったって、お前たちに『作戦』にされちまう。
 …信じてもらえるなら、俺も…最初から本気って言っとう」
「………」
 嘆くでもなく、静かに優しく紡ぐ千歳の表情は優しくて、手は優しく髪を撫でた。

『政略の愛なんて、嘘でも優しく触れられるもの』

 頭の中で渡邊が言った。じゃあ、この優しい瞳も手も、言葉も、嘘?
 …胸が痛む程、優しい空気で自分に訴えるのに。

 白石の手が持ち上がり、千歳の、頬に触れる手を掴んで自分の頬をより強く覆わせる。

『好きだ』と、訴えるのに。

「……姫、さん?」
 しどろもどろな空気で千歳が言う。その声に瞼を開けると、真っ赤になった千歳と目があった。
 自然、白石は頬が緩んで笑みを向けてしまう。余計、彼が赤くなる。
 面白さと、少しの胸のうずきすら感じた時、扉がノックされた。慌てて千歳が離れる。
 また財前だろうか。扉から出る前、千歳が用心、と白石の全身にシーツをまきつけて包んでから、頭を一度撫でた。
 すぐ扉の向こうに消える。
「……やねん」
 なんやねん。そう呟き、千歳が触れた頭をシーツ越しに撫でた。
 その場の甘い空気に似合わない気配を、感じられたのはそれが夜の国の空気だったからだ。戦場の死の空気。
 ハッとして振り返ると、壁に空間の切れ目。夜の国出現の瞬間に見えるそれだ。
 すぐにそれは消えた。なんだ今の、と思う間なく身体が痙攣した。
「…っぁ……っ!?」

「…、姫、さん?」

 扉の外には誰もいない。
 見回した後、すぐ扉を開けて足を踏み入れた矢先、床に倒れている身体が目に入る。
 その周囲に、何故か部屋から全て出した筈の、鏡が四つ。全て紫に汚れている。
「姫さん!!?」
 全ての鏡を壊し、千歳は倒れた身体を抱き起こす。
「姫さん…っ!」
 呼びかけても土気色になった頬は反応を見せず、瞼は開かない。
 千歳の腕の中で徐々に冷えていくとわかる身体。
 どうしたらいい。呪いを破る力。なにか。
「…………」
 わかっていた。
 目を揺らして、千歳は一度閉じる。
 わかっていた。どう足掻いても自分は九州の人間だ。
 九州の、将軍だ。
 わかっている。
 彼らを、裏切れる筈は、なかった。
 瞳を開けた時、そこに迷いはない。
「…来い、鹿獅子」
 白石を抱きしめたまま、声にする。瞬間、眼前に降り立った九州の国神。
「鹿獅子。頼みがある。…大坂将軍の鎧になってくれ」
 獣は毛を揺らし、顔を少し近づけた。

 それは、九州の大坂への陥落を示すか?

 国神の声に首を左右に振った。
「そげんこつは、出来ん」

 ならばどうする。国神を他国将軍の鎧にするには、国の滅亡以外に術はない。

「九州は元々複数の国からなる。お前は熊本の国神から九州の国神になった。
 九州の他の国の元国神に、国神の座を譲ってくれ」

 …国神の座を捨てろ?

「ただでとは言わん。お前が鎧になるんは大坂の将軍ばい。
 そこに俺の命も織り込まれる。お前は俺の鎧やけん。
 大坂将軍と俺が死んだら、魂ば喰らっていけばよか。将軍二人喰らっとれば、その後簡単に国神に戻れっとやろ」

 それは、…お前が、九州将軍を、九州を捨てることには変わりがないな。承知か。

「承知済みばい。…従ってくれるか…」
 鹿獅子は一瞬の間の後、頷いた。構わない、と。

 千里。お前の将軍としての最後の権利だ。次の九州将軍は誰を選ぶ。

「…橘桔平」
 答えた刹那、世界が輝いたように錯覚した。
 白石を包んだ鹿獅子の光が消えて、すぐその頬を撫でる。
 呼吸も、体温も安定している。安堵に息を吐いて、千歳は抱きしめると一言呟いた。
 ごめん。





 遠く九州の地。
 空を舞った烏にその日戦のなかった九州、獅子楽の生徒は顔を上げたあと「烏か」と興味をなくす。
 だが、徐々に巨大になる烏は、動物ではない。気付いた九州国、副将軍・橘桔平のあげた視界に漆黒の巨大な烏が舞い降りた。
「…?」

 我は新たな九州の国神、八咫烏。お前が今の総代将軍だ。

「……おい、国神は鹿獅子だ。将軍は、…」
 言葉を辛うじて絞り出した橘と、傍の仲間が顔を見合わせる。

 その千里は将軍と国を捨て、鹿獅子に国神の座を捨て大坂将軍の鎧となるよう頼んだ。
 千里の最後の権利として、お前が将軍に指名された。従え。

 言うだけ言い、八咫烏は橘を覆って光となり消える。
「……千歳が、…九州を……捨てた……」





 それは、間違いなく裏切り。
 国を滅ぼすことは出来ず、けれど愛した人間を見殺しに出来ず選んだ道。
 けれど、それでも確かな、愛の形。








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