戦争

ACT:6[銀色のエチュード]




「そろそろ戦争休止期間やなー」
 夜の国の兵士はみな学生だ。
 故に、全ての戦争休止期間が一年に数回存在する。
 その多くは試験期間だ。
 四天宝寺も中間試験が近い。そろそろ夜の国の戦争休止期間に入る。
「白石があんなんやし、このまま休止期間入ってくれたらええねんけど」
「やな」
 寮の居間、頭をかきむしってテキストとにらめっこする謙也に相づちを打つのは一氏だ。
「あーっ…ユウジ、頼むわ。教えてやぁ」
「謙也の課題やろ。流石にそれは聞けへんな」
「ユウジ〜!」
 にやにやと意地悪く笑う一氏と騒いでいると、居間に姿を見せた長身が覗き込んできた。
「なんばしとっと?」
「千歳」
 千歳は、あれ以降自分たちの仲間としてここにいる。
 最初は、申し訳なさもあってうまく接することは出来なかった。




 ずっと、九州兵と呼び、敵と疑ってきた。
 そんな彼が、命がけで助けてくれた、自分たちの将軍。
 ある夜、千歳が何故攻撃などをすぐ察知出来たかを渡邊が聞いていた時だ。

「…て、聞かれても…。なんとなくわかるだけたい」
「だけ、はないやろ。東京の紋様に、あの呪いの効果やら来た方角やら…前に教え込まれたんやないんか?」
 千歳は頬を掻いて、椅子に座る白石と眼を合わせてからへらりと笑った。
「俺、ここの姫さんみたく真面目やなかったばい。やけん、政治とかいろいろな勉強ばよくさぼっとって……だけん知らん。
 ばってん、あの時もいつも頭にぱっと浮かぶばい」
「…なんも知らんのにか?」
「うん」
「予備知識も全くなしに?」
「うん」
「……謙也の特殊能力っていくつかわかるか?」
「…二つ?」
 指を二本立てて答えた千歳に、全員が顔を見合わせてから千歳を指さした。
「それがお前の特殊能力ちゃうんか」
 全員を代弁した渡邊に、千歳が首を傾げる。
「そういう、一瞬で特殊能力がなにかとか、幾つあるとか、どっから来るとか、各国の情報とか。一発で見抜く分析能力!」
「………これ、そうなん?」
「とか本人が暢気に言うな。お前、九州で入り用になったことなかったん?」
「たまにあったかもしれんけん…みんな偶々で済ませよるから」
 特殊能力も把握しとらんて、将軍やのに、元やけど、と居間に集まった兵士たちの呆れたツッコミを余所に、白石が千歳を見上げた。椅子からの視線で、距離はいつもより長い。
「姫さん?」
「…一個、ええ?」
「うん? うん」
「お前、この後どないするん?」
「……、身の振り方?」
「他にあるん?」
 千歳は考え込んで、またへらっと笑う。「深く考えられん」と。
「そこまで考えてなかったけん」
「考えろ」
「暇がなかよ。あんたが危なかった」
「……」
「…ばってん、ここおれれば一番やけん…」
 千歳の言葉を遮ったのは、渡邊が携帯を折り畳んだ音だ。軽い音なのに、やけに響いた。
「千歳。若様。お前ら。
 これは白石の父と他の元霊兵ら、俺含むの意見や。っていってもお前らも同じ意見やろうって思てる。

 千歳を、今日付けで正式な大坂軍の兵士として迎える。
 元九州将軍という肩書きは関係なく、ヤツはうちの将軍を救った恩人。
 そう見て、仲間として接しろ」
 その言葉に、異論を唱える兵士はいなかった。白石も、小石川も。
 千歳一人が「へ?」という顔をする。
「千歳。嫌なら出てっても止めへん。
 ただ、俺達もお前に相応の敬意と信頼を払う。
 お前が望むなら、俺達はお前を迎えて、お前の仲間になる。
 好きにせえ」
「………や」
 ぽつり、と零したあと、千歳は参ったように笑ったが、それは照れくさそうな色だった。
「…そこまでうまく行くとか思っちょらんかったけん、びっくりして。
 …あ、俺…は、ここにおりたか。
 …よかったら、おらせて欲しい」
「了解。そうお上にも伝える」
「それに、多分九州との戦は俺がおった方がよかね。
 俺がおらんと姫さんが狙われるっばい。俺がおったら俺を第一に狙うやろしな」
「そういう自分を犠牲にした言い方はすんな。否定はせんが」
 横から自分を大事にしろ、と言いたげに突っ込まれて千歳はきょとんとした。小石川だ。
「将軍やのうなったから、夜の国のお前の死は一時退去で済むとはいえ…気ぃつけや」
「……、ああ」
 嬉しそうに笑った千歳に、小石川もぱっと視線を逸らした。

 申し訳なさが、念頭に存在した。
 自分たちは、誰一人彼をまともに扱ってやっていなかった。
 名前を呼ばず「九州兵」と唾を吐き、気持ちを疑い、敵意を向けた。
 それを憎むどころか、助けてくれた。




「千歳。ちょお」
「ん?」
 謙也に招かれて、従い千歳はテーブルの前に屈む。
「ここ、教えて。わからんねん」
「助けんでええぞ千歳」
「うっさいユウジ!」
「ああ、こことね。…? 昨日、先生に習ったんやなか?」
「え?」
「二組も杉岡先生ばい? ほら、ここ、昨日やった公式の…」
「あ、あー! あれか、あれでええんかこれ」
「うん」
 すぐ理解してか、テキストに向き直って、それからついでのように千歳に礼を言う謙也に笑った。
 まるで普通の同級生。
 少し前まで信じられないような、ぎすぎすした空気だった。
 こんなものを狙って、助けたわけじゃなかった。ただ、白石を死なせたくない一心だった。だから、優しくされるとくすぐったい。
 でも、嫌じゃない。嬉しかった。


「あれ、白石、出かけんの?」

 そのくすぐったい思考が一氏の声でばっさり断ち切られた。
 慌てて背後を振り返ると、白石と、その肩を抱いて支えている小石川。
「うん、健二郎の家に。ちょお久々に…」
「あ、怪我は? まだ大分ひどいんちゃう?」
「俺の家が迎えを寄越すて。将軍様を歩いて来させる家ちゃうしな」
 ならよかった、という顔をする謙也たちを余所に千歳の脳裏は暗いものが渦巻いている。いや確かに。白石は気持ちを信じるとは言ったが受け入れるとは言っていない。
 だからこういう光景は変わらないわけだが、気に入らない。
「姫さんっ…俺も」
 着いていく、と傍に駆け寄った千歳を一瞥し、小石川が口を開く。どんな文句だろうが来い、と身構えた千歳の肩を掴んで、
「千歳も来い。支度せえや」
「………はい?」
「来んならええけど」
「行く!」
「ほなら準備してきぃや」
 さっさとまとめて千歳に背中を向ける小石川。頷いたものの、何故デートに一緒に行かせてくれるかわからない千歳は伺うように白石を見る。彼は迷った後、にこりと笑って手を振った。途端、尻尾を振った犬のように部屋に支度をしに駆けていった千歳を見送り、謙也と一氏は顔を見合わせた。「パブロフの犬かあいつ」と。





 小石川の家は古くから副将軍を排出してきた家系らしく、純日本風の門構えの奥に、大きなお屋敷という立派な家だった。
 家まで乗せてくれた車の運転手が頭を下げて、門を開ける。
 すぐ女中らしき人が白石を迎えて、家の中に連れていくのと逆に足を向けて、小石川は千歳を招いた。
「?」
「ええから来い。そのためやし」
「…?」

 訳も分からずついていったそこは、古い蔵で、見てみると中には一杯の、手入れをされたラケットやら、竹刀。
「うちは代々副将軍やしな。わかるやろ?
 将軍以外の霊兵の武器は、違う神様の武器」
「九十九神ってやつばいね」
「そう」
 古いものに、愛用したものに宿る神様。それが宿ったものが夜の国では武器になる。宿った神様次第で、国神の武器より強くもなる。
「歴代の人らが使ったもんや。こん中から、相性ええもん選んで持ってけ。
 お前、武器がないやろ。かといって急に買ってあつらえたもんに神様はおらんしな」
「…あー、それで俺を」
「当たり前やろ」
 そもそもデートでもなかったわけか。
「じゃ、好きに選ばせてもらうけん、すまんね」
「別にええ。俺は縁側におるから。迷ったら誰か捕まえて聞き」




 副将軍は、代々家から出ていた。
 中には、その副将軍家系の息子が戦場に出られる年を過ぎたり、満たなかったりして、全然普通の家の人間が副将軍になることもある。千歳に聞く話、彼の副将軍だった橘という男はそういうタイプらしい。
 縁側に面した庭を抜けると、一人のんびりと空を見上げている白石と目があった。
 すぐ微笑んで立ち上がろうとする姿を制して、急いで傍に駆け寄り、隣に腰掛けた。


『健二郎。今から将軍様の家に参るで』


 そう、自分に、ある日父親が言ったのは小学校二年生の時。
 父親も副将軍を務めていた。彼が副将軍の代に将軍だったのが、今の国の王。
 その息子が自分の息子の代の将軍だと知って、父は随分喜んでいた。
 だが、同じ小学校だという、その自分の将軍は学校に来ない。
 霊兵になるつもりだという、同じ学校で知り合った謙也も不思議がっていた。

 その日、知る。
 将軍になる彼は霊力が生まれつき非常に高く、幼さ故に制御の未熟な彼は触れるだけで屋敷の使用人を殺めてしまうことが多々あった。
 それを恐れて学校にも行かない彼の話し相手として、俺は連れて行かれた。
 自分も死んでしまわないか、と何故か恐怖をよそ事にして聞いた自分に、父親は言う。
「自分も経験したが、副将軍の家のものは代々家の神様に守られている。自分はお前の年の頃、やはり制御の不得手な将軍様の話し相手になったが、神様に守られていたから危険なことはなかった。お前も大丈夫や」
 思えばそれがあって、自分は将軍と唯一無二の親友になれた。お前もそうなれるならいい、と父親は言った。

 広い部屋。おかしいほど、子供らしい玩具のない。
 書物の多い、部屋だった。
「将軍、さま?」
 部屋に、家族以外がいることに彼は最初に怯えた。
 次に、「将軍やない。まだ」と言った。
「ほな、蔵ノ介」
 怯えて下がる身体を追って、手を掴むと彼が泣きそうな顔をした。
 だが、なにも起こらない。そのまま己の頭を撫でた小石川を、彼はしばらく茫然と見ていたが、すぐに泣き出し、自分に抱きついてずっと泣いていた。



 それから、制御を覚えるまではずっと二人でいた。
 なにをするにも、見るにも。
 苦痛なことはなかった。
 制御を覚えた彼を、小学校五年の時に謙也と会わせて、他のヤツとも謙也を介して出会って。
 それから、





「……」
 手を、あの日のように伸ばしたら、白石の方から掴んできた。
 そのまま腕の中に身体を抱き込んで、キスを額に落とす。
「く」

「なんばしとっと?」

 回想込みでよかったムードがぶつりと切られた。
 不機嫌な視線を向けると、千歳も不機嫌そうな顔。
 片手には、気に入ったのか一本のラケット。
「お前、空気読め」
「読んどう。やけん、こげな家でふらふらしとったら不審者ばい。だけん仕方なく」
「嘘吐けや。絶対嫉妬や」
「そこは否定ばせん」
 ふと、無言のままの白石に気付いて小石川はハッと顔を覗き込む。
 真っ赤な顔とぶちあたって、お互い照れたように顔を逸らした。一人不満な千歳がまた言ってくる。
 近年希なくらいいいムードだった。内心、千歳がいなければなんて、思ってしまったが、こればっかりは悪くないと思う。









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