戦争

ACT:9[ふたりのそら]




「千里は、いつも桔平くんと一緒におると?」
 屋敷の古株の女中がそう聞いたので、橘は少し嬉しげに笑った。
「他の友だち、連れてきたこつがなかね?」
 その後、にやにや笑って言う。普通むかつくのに、橘相手だとそういう気も失せる。
 結果素直に、「わかっとう癖に」と答えた。やはり、橘は嬉しそうだ。
「てか、お前が特別やけん…呼びにくかよ」
 普通の友だちは。
 俺の家は、将軍の家系ということもあって建物は豪華だし、お手伝いどころか女中がいるし、親になんかそうそう会えないし、普通の友だちを呼べる環境じゃない。
 俺の代は、副将軍の家系のヤツに、年の合うヤツがいなかったから、余計。
 桔平とは、テニスで出会った。霊力があったから、夜の国を知っていた彼はあっさり、なら同じ学校行くか、と小学校の時に言い出して。
 それから、ずっと一緒に。

 今思えば、魂の半身か、運命のように、それが当たり前で、不変のはずのこと。

「千歳」
「ん?」

 呼ばれて、振り返って、そこに立つ姿が剣を握って、自分に向けているから驚いた。
 頭の上で、なにか音がする。

「…お前を、俺は…許さん」




 目覚ましの音だと気付いた瞬間、夢から醒めていた。

「…あ、おはよ。千歳」

 同室なのだから、白石がいて当然なのだが、目覚めた瞬間、視界に彼の姿が見えたことにひどく安心してしまった。
「……千歳?」
 急に心配そうな顔になって、寝台に起きあがった自分の傍にしゃがみ込む姿の、頬をそっと撫でる。
 甘えている。最低な、自分。最低な、気持ち。
「……ごめん」
「…千歳?」
 わけのわからない白石に頬を撫でられて、涙を拭われて、でもなにも話せない。

『お前が殺せなかった大坂将軍。…そちらを殺した方が、お前も鹿獅子も奪り返せる』

『許さない』なんて言葉は、自分の夢の妄想だ。でも、あれは現実。
 許さないと、俺だけを罵った方がよかった。その方が、俺は俺だけの問題に出来た。
 でも、彼は白石を敢えて狙うと公言した。彼は本当にそうする。有言実行なところが、彼にはある。
 自分から裏切って、自分から憎めと言って、いざ彼の憎み方を知って、そんなのはルール違反だって思うのは、あんまりにも、最低。
「…俺も、…そうするやろに…な」
「千歳?」
 自分だって、逆の立場ならそうする。なのに、身勝手な、我が儘な自分。




 スターバックスの店内、クーラーの効いた、音楽の流れる風景に、窓の外から見える人混み。
 今日は約束通り、怪我の治った白石が大坂案内をしてくれている。
 知った小石川もついていくと言ったのを、他ならぬ白石自身が却下してくれた。お礼だから、と。
 有り難い。非常に。なのに、あの電話以降、気分は底抜けに沈んでしまっていて。
「はい、千歳の」
 ソファに座ったまま意識がまた飛んでいたらしい。気遣って自分の分を買ってきてくれた白石が自分の向かいに座る。
「どないした?」
「いや、こげんとこ、普段来んなって」
「そうなん?」
「うん。大抵、腹がふくれる方…ファーストフード」
「まあそうやろうな」
「こっち」
 ?と首を傾げた白石に、自分の隣を手で叩いた。
「座って」
「……え、あ、いや」
「…」

 お願い、隣にいて。触らせて。じゃないと、怖くて今から死んでいく。

 まさか、そんなこと、言葉に出来るわけがない。
 でも、少しの沈黙の後、白石は席を立つとあっさり自分の隣に座ってくれた。
「しらいし?」
「これでええ?」
 自分を見上げてくる、照れた顔。堪らなくなって、抱きしめた。

 なんで、拒まないんだろう。

 気持ちが、俺を向いたなんて都合いい話あるわけない。
 そんな、幻想はない。
 なら、何故。

 でも、振り回していても、いい。
 そう思うくらい、その誘惑に負けてしまっている、自分。

 海の音が聞こえて、耳を澄ませた。
 白石が指さす先、海が見える。そこで遊ぶ、数人の子供。
「熊本よりは、綺麗やないやろうけど」
「どこも違うんは普通ばい」
 同じ海はない、というと白石は笑った。
「……白石、なんか、今日、俺に甘い」
「…そうやな。なんか、甘い」
「?」
「…お前が、なんややたら、沈んどるから」
 自分の顔を覗き込む白石。気付かれていた。だから優しかったんだ。
「……なら、甘やかして」
「でかい甘えん坊やな。可愛げないし」
「別によかろ。甘やかして。今日だけでよか。明日んなったら、なくなる夢でよか」
「……」
 砂浜にしゃがみ込んだ。その髪を、白石の手が撫でてくれる。
 馬鹿を言っている。この年になって、しかも将軍だった人間が、なにを。
「…わかった」
 でも、そうやって、笑って許してくれる。白石が。
「…名前、呼んで」
「千里?」
「名前、呼ばせて」
「別にええし」
「……蔵ノ介?」
「うん」
 甘える言葉を吐くたび、堪っていく、なにか。
 吐き気みたいに、どろどろした、なにかが腹にたまっていく。
「抱きしめてよか?」
「うん」
 立ち上がって、白石の身体に手を伸ばそうとして、止まった。
「蔵ノ介が、抱きしめて」
「…」
 びっくりした顔一つせず、千歳の身体に手を伸ばした白石に、その手に、なにかが切れる。
「違うやろ…っ?」
「…千歳?」
 急に引き剥がされて、肩を掴まれ、白石はやっと驚いた顔をした。
「そうじゃなか。甘やかされるんは、俺じゃなか。そうじゃなかろ…っ!?」
「千歳、いたい」
「いつだって悪いんは俺で、罰せられるんは、罰せられるべきは俺ばい!
 お前は一個も悪くなか! 憎まれるんは俺ばい!
 憎まれるんは、俺…。だけで…よかのになんで!!」
 ああ、最悪だ。
 ついでに、最低だ。
 付き合わせて、我が儘言って、利かせて、おまけにこんなことをぶつけて。
 だって、どうしたらいい。
「…どう、言いつくろったって、……俺を殺して気が済むならよかなんて…言えん。
 言えんのに、お前が殺されるんは筋違いだって、やめてくれって…。
 まるで…あいつが悪いみたいに思って、俺は……」
 砂浜に膝をつくと、白石が手を伸ばして、俺の泣いた顔に手を寄せる。
 そのまま涙を拭って、それでも泣きやまないから、舐めて、そのまま頭を抱きしめてくれた。
「……泣け。好きなだけ」
「…っ」
「お前が、そのことで悩む限りは…いつでも慰めたるから」
「……っ」
「その限りは、いつだって、傍にいて、甘やかしたる…」
 きつく、白石を抱きしめて。それで泣いた。気が済むまで。
 済むことはない。でも、疲れるまで。
 気の利いた慰め言葉はなかった。それがよかった。こんな話題に、気の利いた慰めなんかないから。下手なくらいが、ちょうどいいし、なにより、白石がいてくれるだけで、現金に喜べるから。


「…ごめん。」
 みっともなく泣いた。と涙の収まった後、すっかり薄暗くなった海で謝ると彼は今更だと笑った。
 その笑顔に、救われていた。

 救われる、範囲の辛さでいたかった。

 救われていたかった。




「……、」
「千歳?」
「……ごめ…ちょ…」
「え? あ、吐く!? ちょ、せめてこっち来い!」

 うっかり、白石の服に吐いてしまって新しく服を買うことになった。
 そのままで帰宅したら、服が替わっている白石を見つけて小石川が青くなっていたが黙っていた。









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