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[昏迷路−猿の手]−前編
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ジリリリリリリリリリリリリ…
それは、一本の電話から始まった。
「柳沢―――――――――――! 電話だぞー!」
寮生の言葉に、夕飯を貪っていた柳沢は“んあ?”と顔を上げた。
「行ってこーい、その隙に豚カツ頂きー」
「バーカだーね。誰がやるかだーね」
いいながら豚カツの皿を持ち歩いて電話のところまで向かう。
「誰だーね?」
「二年の不二」
「おお、裕太!」
『あ、もしもし? 柳沢さん?』
「おー裕太、どうしただーね?」
『お食事中すいません。どうしても気になって』
「いいだーね」
その後ろで、観月が柳沢のプリンを、木更津がメロンを食べているのは気付いていない。
『…あの、俺の部屋。写真飾ってあるじゃないですか』
「ああ、…兄貴からもらったってヤツだーね?」
『そうなんですけど。それ、なんか変わったことないかって』
「……? どういうことだーね?」
『あ……いえ』
どうも歯切れが悪い。
裕太は結構思ったことはずばずば言う方だ。
『…あの写真、兄貴が撮ったんじゃないんです』
「そうなんだーね? 誰のだーね?」
『……兄貴と俺の、幼馴染みだった佐伯さんの友達の女の人で』
「おーおー熱いだーね」
からかったが、裕太は受話器の向こうで黙り込む。
「…裕太?」
流石におかしい。そう思った。
『……その人が、最近亡くなったって聞いて。
写真、おかしなもの、写ってませんか?』
次の言葉に、寒気がした。
「…じょ、冗談キツイだーね」
『…冗談じゃなくて。いいっす。……とりあえず、燃やすかしてくれると有り難いんすけど…。まあ、無理なら無理で』
プツ。ツーツー。
気味が悪い。
そう思ったが、これ以上問いただす前に切れてしまった。
「……なんだーね」
疑問を飛ばす。
食卓に戻った時にはプリンとメロンはなかった。
裕太の部屋は野村と一緒だが、野村は今日外泊している。
許可をもらって上がり込むと、成る程。机の上にくだんの写真があった。
不二周助と、裕太、その佐伯らしき人物が写っている。
……?
なにかおかしいと思ったが、わからないので、忘れることにした。
おかしいものは写っていない。
しかし、処分して欲しいと電話してまで言うのだ。
「…仕方ないだーね」
写真を、写真立てから取り出して持っていこうとした時。
ゴトン。
床に何か落ちた。
振り返って、なんだろうと思う。
不気味な木だ。五本、先が分かれている。
手のようだ。
「……?」
拾い上げるとすんなり手に収まった。
「…まあ、裕太にこれもそうか訊いてみるだーね」
独り言を漏らすと、部屋から立ち去った。
「柳沢、何処電話してるの?」
娯楽室で見咎めた木更津が訊く。
「あー裕太んとこだーね」
「…そう? 裕太、さっき電話してきたじゃない」
「別件だーね」
「ふうん」
木更津はそのままその場にしゃがみ込む。
「な、なんだーね」
「見てわからない? 電話待ち。亮に電話したいの」
「あ、ああ、双子の兄貴だーね」
ちょっと待つだーね。言い置いて、その時やっと繋がった。
「あ、もしもし柳沢と…ああ、裕太」
『柳沢さん? どうしたんですか?』
「あ、写真処分したけど、ホントによかっただーね?
普通の写真だっただーね。裕太と兄貴と…誰かが写ってる」
『佐伯さん。いいですよ。有り難う御座います』
「あ、いいだーね」
『それ訊くためにわざわざ?』
「あ、違うだーね。お前の、写真の前に変な木の枝が落ちてただーね」
『木の枝?』
「そうだーね。先が五本だーね。手みたいだーね。これはどうしたらいいと思っただーね」
『ああ、それ兄貴のおみやげ』
「お土産? じゃあ持ってきたらまずかっただーね。戻しておくだーね」
『いいですよ。あげますよ。いらないんで。俺』
「…? いいだーね? なんか御利益のある神木じゃないんだーね?」
『あ、違いますよ』
否定すると、裕太は受話器の向こうでさわやかに。
『それ、猿の手です』
「…さ、猿の手って……あれだーね? 願いを叶えた人を不幸にするっていう…」
『ああ、でもただの伝承を元にしたオブジェですから。大丈夫ですよ』
「……そうだーね?」
しかし、不気味は不気味だ。
『はい。保証します。じゃ、好きにしてください。あ! 兄貴! ちょっと待てよ!』
ブツ。ツーツー。
「………いいんだーね?」
本当に大丈夫だーね? と呟いていると、木更津に背中を蹴られた。
「早く退いて。亮が寝ちゃう」
「い…痛いだーね! 今八時だーね! そんな早く寝る中学生いないだーね!」
「いいから」
「……相変わらず俺の扱いひどいだーね………」
呟いて電話を木更津に譲る。
手の中に、その手がある。
「…願い、か」
そうは、いっても。
あるといえば、ある。
ゲームを買いたいから、お金が欲しい。
でも、それは違うだろう。
夜、寝る時間になって、木更津が電気消すよと言う。
「いいだー……?」
言いかけ、不審を抱く。
サイドテーブルの、その裕太曰く、猿の手。
五本の枝を指とするなら、指が一本、折れている。
「……………」
「柳沢?」
気味が悪い。やっぱり、裕太が帰って来たら返そう。
『202号室の柳沢くん。202号室の柳沢くん。お電話が入っております』
アナウンスだ。
「消灯時間に、珍しいね」
「…なんだーね」
眠いだーね。
ぼやきながらも起きあがる。
大した電話ではないだろう。さっさと用件を聞いて切ってしまおう。
ラウンジに向かう。
木更津は先に寝ると言ったから寝ているのだろう。
「おや、柳沢くん」
「観月」
「どうしたんです? 消灯時間ですよ」
「アナウンス訊いてなかっただーね? 電話があるだーね」
「…ああ。赤澤がゲームばかりしていて、うるさくて」
「そうだーね? まあ、出てきてさっさと寝るだーね。気にしないだーね」
「はい、おやすみなさい」
夜の挨拶を交わすと、受話器を取る。
「はい、もしもし」
『柳沢慎也くん? こんばんは。警察のものです』
響いた声に、ぎくりとなった。
何故、警察。こんな時間に。
『落ち着いて、訊いてください』
嫌な予感がした。まさか、なんだろう。
まさか。嫌な予感がする。こういう言い方を、知っている。
まさか。
『…先程、都内の新宿交差点で事故がありました。
運転手と助手席に乗っていた女性は即死。
持っていた免許証と顔から、……君のご両親だという結果が出ました』
足下が揺らぐ。
そんな。昨日、電話したばかりだ。
今は寮生の帰省ラッシュで、自分も来週帰ると。
親は、気をつけて帰って来なさい。テニスは楽しい? と笑った筈だ。
そんな。
『……柳沢くん』
「……ひ、人違いじゃないんですか!? 間違いとか、見間違いとか、免許証盗られたとか!
家にいる確認は…!」
『柳沢くん……残念ですが、出かけたという裏付けも、車のナンバーも、ご両親と一緒です。
……残念だけど、ご両親は………』
「……………」
笑っていた。
一ヶ月前は、笑っていた。
普通の家族だった。
卒業したら、家に帰って、家業を手伝うと言っていた。
頼りにしているぞと父は言った。
あんまり今から言っちゃだめよ、と母は言った。
普通の家族だった。
昨日も笑っていた。
受話器越しでも、笑っていた。
帰って来てね。と。
笑って。
「……………………」
その場に崩れ落ちる。
まだ、逃げ道を探している。
そら似の赤の他人かもしれない。どっきりかもしれない。
悪戯かも。
『……迎えが向かっていますので、ご両親に、会ってあげてください』
最後にそう言って、警察からの電話は切れた。
迎えは程なくやってきた。
逸る気持ちで乗った。
違う。間違いだ。他人だと言い聞かせた。
でも。
霊安室で見た死に顔は、間違いなく両親だった。
「……やくん……慎也くん」
病院で声を掛けられていると気付くのに時間がかかった。
顔を上げると、警察とスーツ姿の知らない男がいる。
「すまないね。こんな時にこんな話で」
「……………なにが、ですか」
「ご両親が保険に入っていらして。
その保険金が降りるんです。君に」
隣のスーツ姿の男が進み出る。
「こんばんは。私、こういうものですが」
出された名刺には、弁護士事務所の名前。
「今回、慎也さんに降りることになった保険金です。
口座を用意しておいてください。来週には振り込みが済みますので」
その冷徹な言い方が冷めた感情を熱した。
「……今、いうことだーね……?」
「…いえ、ですが額が額なので」
書類を渡される。
緩慢な動きで受け取ったが、その記された額に愕然とする。
桁が億の位だ。
「中学生の君が受け取るには、大きすぎる額ですが。
他に受け取り手がいませんので」
判子をお願いします。
そう言って弁護士は踵を返した。
なにもかも判然としなかった。
漠然過ぎた。
ただ、親の死に顔だけが鮮やかだった。
葬儀を終えて、それでも寮に帰る気になれない。
自宅でのろのろとスーツから着替える。
「柳沢さん…」
裕太だ。葬儀にはルドルフの皆が来て、手伝ってくれた。
「…その、………あの……なんて言ったら……いいか」
躊躇う後輩の、落ち込む顔に、少し救われた。
あんな言い方しかしない大人より、思いやって俯く後輩がどれ程大事か。
「……裕太」
「は、はい!」
「…すまんだーね」
出て来たのは違う言葉だった。
有り難うと言いたかった。
裕太は、顔を曇らせると、今日はみんな泊まっていきますからと告げ、部屋を出た。
「……………………」
部屋を出たくなかった。
この部屋は自分の部屋だからいい。
でも外は。
親が使った廊下。ダイニング。お風呂。
小学校までいつも朝早く向かった玄関。
背後から髪くらいとかしなさいという母親の、…優しい声。
父親の、男はそれくらいでいいんだよ、なあ慎也? という声。
思い出すと鮮明だった。
堪らなかった。
夢を。
「……柳沢」
声がした。
顔を上げると、木更津が立っていた。
「…ごめん、勝手にはいって」
「……」
彼らしくない。彼は、いつも無遠慮に部屋をあけて入ってきて、勝手に人のおかずを盗って。
「……何て顔、してるだーね」
「……………………、………泣かない、…んだね」
「……泣いただーね」
「……目、赤くないよ」
どうしたんだろう。普段こんなに。
「……別にいいだーね」
「……よく、ないよ」
こんなに突っかからないのに。
どうして。
「…………お前は、俺が泣かないと気が済まないだーね?」
「……………そうなのか、な。………」
その言葉に、流石にカッとなった。
だが。
「………柳沢、……一人で泣くんじゃないかって、思って、しんどい」
「………」
振り上げた手の、行き場がない。
「……俺達がいなくなったあと、帰った後………夜通し泣くんじゃないかって…。
俺達の前では笑って、……耐えてるんじゃないかって」
その、握っている手が震えていることに気付いた。
「……俺が、俺達が、……力になれなくて、全然…っ……力になれなくて……。
しんどくて…っひどいよね…。」
早口になって、息を一呼吸吸い込むと、木更津は続けた。
「ひどいよ…。辛いの柳沢なのに…俺がしんどいって俺がひどい………!
……………………」
ごめんね。
呟くように謝る、俯く同輩が。
堪えるように泣く。
零れる涙が、重なった。
「……どうしてお前が泣くだーね」
その肩を叩いて、囁く。
その瞳から、涙が零れた。
やっと、泣けた。
「……………ほら、泣いたから。泣くんじゃないだーね。
もう、いいだーね。いいだーよ。
…………………有り難う」
やっと言えた有り難うに、胸が詰まった。
こんな言葉に、人は満たされる。
もっと言っておけばよかった。
「……っ」
もっともっと、愛していると、ありがとうと言っておけばよかった。
こんなに簡単に死んでしまうんだ。
もっともっと、愛せばよかった…!
こんな簡単に、……人は死ぬ。
隣の町の事故も、外国のテロも、
他人事だった。
自分の近くではそんなこと起こらない。
そう、思っていた。それが当たり前。
「…。…………ッ…………」
こんな簡単に。
死ぬんだな。
こんな簡単に。
終わりが来てしまった。
もういない。
もういない。
涙ばかりになった。嗚咽ばかりになった。
やっと泣けたのに、苦しかった。
泣くのなら、全国制覇とかに泣きたかった。
生まれてまだ十余年。こんなに早く、泣く日が来るなんて。
夜、一緒に寝ようと皆に誘われた。
泣いた後は気恥ずかしく、しかし、断れなかったし、嬉しかった。
乾いた心に、少し、水が入り込んだ。
電気を消そうとした時だ。
「おい、柳沢」
赤澤だ。
「どうしただーね?」
「お前、こんなもの持ち歩いてるのか?」
言われて、枕元を見遣る。
……猿の手があった。
「……」
寮に置いて来たままの筈だ。
「……本当ですね。あれ…」
裕太が呟くように驚いた。
「…指が折れてる。一本」
「…指?」
「ああ、指が一本折れると願いが一個叶うと訊きましたよ」
観月の言葉に、まさかの思いがした。
自分は願いと聞いて、こう浮かべた。
小遣いが欲しい。
お金が欲しい。
と。
結果、両親が死んで、保険金が―――――――――――。
「…………」
人を、不幸にする猿の手。
「………お前だーね?」
呟く。
「お前が殺しただーね………?」
「柳沢…?」
「……っ」
こんなもの、ただのオブジェだ。本物の筈がない。
でも。
「早く、父ちゃんと母ちゃん返すだーね! 生き返らせるだーね!」
叫ぶように手を叩き付けた。
「……お、おい」
赤澤が躊躇した時だ。
ぱきん。
指が、もう一本折れた。
「…………ぇ?」
嫌な予感がした。
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