アルファルド

 第三話−【頼まれもせずに咲いた路傍の花】


「桔平の阿呆! 不動峰なんか四天宝寺(うち)と当たる前に負けちまえばよか!!」
「…おい、千歳……?」


 さて、関東大会決勝の地、東京で一応の再会を果たした九州二翼こと、千歳と橘。
 大坂と東京の地で離れていたこの二人だが、再会した橘にほとんど子供の喧嘩のように千歳がキレたのには、ワケがある。



 ―――――――――――――数日前、大坂。



「千歳…お前、ほんっまに勉強…得意科目だけなんやな」
「苦手科目一個もなかとか言う白石が俺はむかつくばい」
 答案用紙片手に頭を押さえる三年二組のクラス委員、白石が三年一組の千歳の面倒を見ることになったのは、自然な流れである。
 クラスは違えとテニス部員とテニス部部長。特に三年で言語の違う土地から、テニスを理由に転校して来た千歳の面倒を、部長が一任されるのは自然の摂理。
 人当たりはよくとも大きく傍に立つだけで威圧感を相手に与える千歳の勉強の面倒を見ろ、というのは普通のクラスメイトには無理。消去法でテニス部員になれば、あとは頭の善し悪しで決まるが、テニス部員の三年生の中でも白石蔵ノ介の成績の良さは教師の折り紙付き。苦手科目一個もなしというパーフェクト具合に、同じテニス部員で白石と並ぶ程成績のよい金色小春と違って面倒見もよいなら、それは白石が千歳の勉強を見ることになるのだ。
「とにかくどこがあかんの?」
 テキストを開いて向かいの机に座る白石と千歳は、先日より周囲には内緒の「共犯関係」にある。
「ぜんぶ」
「お前な…」
 お互いの願いが同じものであると理解し、その願いを許しあうことを決めてからの二人の関わり方はいかにも普通の同級生。
 見方によっては、しっかり出来上がった恋人同士である。
 あれ以降白石が千歳の家に泊まりに来ることは多く、その度に白石の話を聞いたり、千歳の話を白石に聞いてもらったり。
 一組しかない布団で眠る時、気付けば傍の白石を抱きしめて眠ることにも馴れてしまった。
「せやけど先生も簡単に言うてくれるわ。“白石は頭ええから簡単やろ〜?”やて?
 その頭かて実際は答案用紙しか見てへん癖によう言うわ!
 人の顔まず個人として認識してから名前呼べやあの三十路教師」
「…白石、先生はまだ一応二十代たい」
「四捨五入すれば三十路や!」
「その台詞、25過ぎた女が聞いたら殺されっとよ…」
 ここは街の図書館である。
 学校の創立記念日の休みなため、がらんとしている図書館だからこそ、こんな話もおおっぴらに出来るわけだ。
「その点千歳は無害でええな。
 でかいけど愛想ええし、ちっちゃい子好きやし、あれやな、ワンコ!」
「…俺のどこが白石にとって無害と? 有害なこつ思い切りしたん忘れたと?」
「過ぎたこと言われてもなー」
「既に過去の出来事たいね…? 成人して再会した大人が居酒屋で語る思い出レベルとね…!?」
「うだうだ言っとらんでやれ」
「……はぁーい…」
「返事は伸ばすな」
「…ハイ」
 こう見えて、女子の人気は高い千歳だ。それは付きっきりで勉強を見てくれる女子なんて募ればすぐ見つかっただろうが、それもまた問題。
 今の千歳にオンナノコの相手をする余裕はない。なのに二人きりになって下手に期待されて困るのは千歳自身である。
「せやけどお前、オンナノコ怖ないか?」
「怖…? いや、怖くはなかよ?」
「…俺は怖いわ…」
「女子全般?」
「いや、…局地的」
「…? どげんとこ?」
「……逆ナンするオンナノコ」
「……俺もそれは苦手ばい」
「せやけどなー、お前も危険やわ」
「…なにが?」
「なんか、お前って触った女の子全員妊娠させそーやん。
 フェロモン出しすぎや」
「…触っただけで妊娠されたら俺が困ったい…。
 …てか、俺ばっかなんね。白石やってなんか出てなか?」
「そうか?」
「………(無自覚なんがまた怖か)」
 冷静になって白石を見て千歳が気付いたのは、白石が男にも異常にモテる事実。
 男が男に、なんて白石を異常に思ったが、そういったら白石に欲情する連中も異常である。
 しかし、まあそれは一理ある、と思い直すのが昨今。
 白石蔵ノ介は、正直、男から見てやばすぎる。
 髪も肌も綺麗なら、性格は言うまでもなく、成績は常にトップ5の全国常連テニス部の部長。
 彼に向かう視線がオンナノコだけからと侮るな。しっかり男の視線もあるし、それらは大抵が彼を汚したいというような代物。
「……無自覚にエロい人間も困ったいね」
「は? お前のことか?」
「…いや…、白石。お前、手」
「手?」
「その絆創膏なんね?」
 見れば、彼の右手の指には絆創膏。
「ああ……」
 一気に低気圧になった白石に、それが渡邊関係と悟る。
「…センセが…、いや怪我自体は実験で切っただけやけど…。
 センセが手当してくれて…」
「それは、…愚痴に入ると?」
「やってセンセ、俺に“傷残ったら大変やからな”って!
 男やで俺? こんな小さい傷気にせえへんのに…あれも絶対死んだ妻と重ねて言うた!」
「…先生も懲りん人たい」
「全くや。俺の方が美人やっちゅーの」
「…白石は写真かなんか見たことあっと?」
「いやない。けど絶対俺の方が美人や」
「言い切れる根拠は?」
「俺の方が劣ってんなら、似てるからって男の教え子に重ねる筈ないやろ。
 あと、確実に死んだとき俺より年上やったおばさんに俺が負けるか?」
「…白石、お前ほんに一回くらい二十歳過ぎた女の人に殺されっから言葉気ぃつけた方がよかよ…」
「運動ろくにしとらん女に背後取られるわけないわ」
「わからんよー? 合気道有段者とか」
「俺の喧嘩の腕見ていってんか」
「いや…」
「そういや、千歳。お前、獅子楽では絶対不良やったやろ」
「…いきなりなんね。話飛びすぎたい」
「絶対不良やった! 手に負えんくらいの。
 やって去年見たお前の髪、身長も相まって絶対堅気に見えへんかったもん」
 言い切られて頭を押さえながらも、事実なので目立った反論は出来ない。
「まあ、…そこそこ」
「橘くんもか」
「あー…桔平の方が目立っとったんじゃなかと? あいつ金髪やったけん。
 大変たい。至るところで“ライオン”“ライオン”て。俺、“あ、ライオンのツレ”て」
「そのあだ名誰がつけたん?」
「俺が命名して俺が面白がって広めた」
「自業自得やんか」
「知っとおよ。てか謙也のあだ名もどーかと思うばい」
「意味知ってんのか聞きたなるやんな」
「そっとしとーと?」
「親友の優しさやろ」
「…恥かかせるための意地悪ではなか?」
「お前の中で俺どんなイメージや」
「悪魔」
「お前もな」
 これやれ、と開かれたテキストに目を落として、首をひねって白石を見遣った。
「白石、これ…」
「ああ、なに?」
 ひょいと椅子を立って傍まで来た白石の顔のアップに、思わずドキリとした。
 犯した時は顔の綺麗さに注視していなかったが、本当に整っている。
 なんだか、いい匂いさえする気がして。
 そう思ったら、不意に本当に香ってきたのは、多分ただのシャンプーの匂いだ。
 けれど気付いたら、その唇にそっと自分のソレを押しつけていた。
 一瞬、驚いた顔で見た白石はなにか文句を言うかとも思ったが。
「…ああ。俺がお前に犯されんのは続行か。
 ええよ。どこ行く? お前ん家?」
「…違か」
「じゃなんやねん」
「もーよか!」
「そうか? あ、千歳」
 なんね、と投げやりに答えた千歳に、白石はお伽噺の女神のように微笑む。
「今キスした分、帰りハーゲンダッツおごれ」
「お前のキスは値段そげんすっとや!? 一回300円とかすっと!?」
「当たり前やろ。俺は高いんや」
「…先生にも?」
「…先生は、ちゃうけど」
 少し拗ねてそっぽを向いた顔に、ああもうと思った。
 そのままそっと抱きしめると、拒まずおとなしく千歳の服を掴む頼りない手。
「…どげんしてかね…。俺、今…堪らなくお前を甘やかしたか」
「…ほんまに、なんでやろな」
「…さあな。…お前の、この身体にあの悪魔みたいな心もあるとに…」
 ぎゅ、と抱きしめた身体。綺麗に筋肉がついているのに、驚く程細い腰と肩の厚み。
「…同時にあの綺麗なテニスもお前のどこまでも正しい顔も…、あんな必死な好きもあるかと思うと…身体開いて取り出しとうなるくらい欲しかなる」
「……、………抱きたいんなら素直に言えや」
 今度は白石も“犯したいなら”と言わなかった。
 腕を強める。
「…わからんばってん…………抱かせて」
「……うん。全部、俺ん中に吐き出してええよ………」
 伸び上がった綺麗な顔が望むままにキスをして抱きしめ直した。
 それでもこの悪魔みたいな癖、綺麗な彼は自分しか知らないのかと思うと、背筋がぞくりとしたのだ。



 なあ、もうすぐ全国たいよ?
 桔平。
 怖かよ。俺。
 いつ、連絡くれっと?
 俺がここにおるん、知っとうや?
 携帯、替えてなかよ?
 なんでワンコールもくれなか?

 …やっぱりテニスはいるけん、お前はいらんて言われるかもしれんて、

 俺、怖かよ、桔平…。




 関東大会決勝の日。東京。
 そんな不安を抱えたままの千歳が目の前に現れたことを、橘はあまり驚いた風もなかった。
 迷惑ではないとはわかって、安心もした。
 なら何故連絡も、と怖くもなった。

「…桔平、背、あんま伸びてなかね」
 会場の自販機の前で呼び止められたことに安堵したことを知られまいと、千歳はそう言った。
「なんだ。いきなりそれか?」
「いきなりじゃなか」
「ああそうだな。…お前は伸びたか?」
「さあ、あんま興味なか」
「…お前らしいな」
 少し、苛立った。
「なんね桔平。その言葉。
 俺と話す時くらい方言使ったらどげんね」
「…いや、…箍が外れるのも困るんだ」
「箍?」
「……今、外れたら困るだろう。
 まだ、お前のとこと当たったわけじゃないのに」
「………」
「…千歳?」
「…桔平。俺と当たりたいとか、思っとうや?」
「当たり前だろ。お前は違うのか」
「…いや、違わなか」
「…ならいいじゃないか」
 拗ねたように答えながら、気恥ずかしいような、嬉しいような。
 どうも、橘を前にするとガキのような態度をとってしまう。
「ああ、千歳。ずっと、言いたくてな」
「…なん?」
「…悪かった」
 掠れた声が、え、と漏れた。
「あの日、お前を理由にテニスを辞めたことだ。
 それで、お前がずっと連絡をくれなかったことはわかってたんだが…言えなくてな」
「………………」
「…電話で言うのもあれだし、かといって飛び越して他愛ない話をするのもあれで…。
 千歳?」
 気付けば俯いて、身体の左右に降ろした手を震わせている千歳をいぶかって見上げた瞬間、千歳が顔を上げて、なににか真っ赤になった顔で叫んだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ桔平の阿呆!
 不動峰なんかウチと当たる前に負けちまえばよか!!!」
「……おい、千歳? なんだいきなり」
「もーよか!
 桔平なんかしらん!」
「は、お、おい…」
「俺を理由にしたこつわかっとうならなんで桔平の方から連絡せんね!
 俺の方から出来るわけなかやろ!? せんかったんじゃなくできんかっただけたい!
 電話でよかから謝らんね! 俺はお前のそげん無神経がたいが嫌いたい!」
「……千歳、悪いんだが」
「なんね!」
「…お前、“俺が好きだ”って…嫌われてなくて安心して逆ギレしてるように聞こえるんだが」
「……、」
「千歳?」
「……っ桔平の馬鹿! 不動峰なんかさっさと負けるったい!」
 言い逃げのように叫んで下駄を鳴らして走っていなくなった長身に、ただ見送った後橘は頭をかいて呟く。
「…図星かよ千歳…おい」




「…そんで逃げ帰ってきた、と。阿呆かお前」
「やって悔しかよ〜!」
 大坂に帰ってきてすぐ白石を家に呼んで抱きついた千歳の体当たりに押し倒されたように布団に横たわったまま白石は呆れたように。
「…お前、実際橘くんを本気で好きなんか?」
「…たいが好きやけん図星は事実たいが……、恋愛では絶対なかよ。
 …桔平とこげん体勢になったこつ想像しただけで一日中吐けったい」
「…汚い言葉を引き合いに出すなや…」


 とりあえず、夜も更けゆく八月の日。
 全国大会は、あと数日後。







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