それは不可能の代名詞

決して咲かない青いバラ








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36.7度の波打ち際
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 週明け、教室は騒然となった。
 知念は結局、平古場と木手のことが頭から離れず一日に二時間しか眠れない日が連休中続いたままだった。
 一組の教室が騒がしい。
 覗いて茫然となった。
 周囲の男女に囲まれっぱなしの木手がいる。その髪はセットされないまま降りている。
「じゃ、これからはその髪型で来るんだ!」
「ええ、面倒ですし。あれ一時間半かかるんです」
「そんなかかってたのか。じゃあいいじゃん。早起きしなくてすんで」
「それにその髪型の方がいいよ!木手くんなんか綺麗!」
「だよな、綺麗っていうか可愛い?」
「うんうん」
「そのうちみんなだって馴れますよ。それに、もうすぐ受験だからそのうちセットしてる時間も惜しくなると思うんですよ」
 だから今のうちに。と木手。
「いいよいいよ!」
 盛り上がる同級生たちに囲まれる木手を見たくない。そいつに触るなと怒りがこみ上げた。
 そこで木手が知念に気付く。
「ああ、知念クン、おはよう」
 いつも通りに挨拶をした木手に、なにも言えない。
「永四郎…それ」
「ああ、面倒になって。別に先週の所為じゃないですよ」
「………」
 嘘だと思った。少なからず先週の自分の言葉を気にした筈だ。
「似合ってない」
 結局、そんなまた傷付ける言葉しか浮かばなかった。
 口べたなことをこれほど恨んだことはない。
「でも、決めるのは俺ですし。いいでしょ。もう引退してる。
 高校に入るまでは、俺のことは知念クンに関係ないです」
 はっきり言われて、心臓が一突きにされたように痛んだ。
 痛くて、仕方ない。
 まさか、先週木手もこれほど痛い思いをしたのだろうか。
「早く教室行った方がいいですよ。もうすぐ先生来ます」
 いつも通りを装う木手も、木手を無遠慮に囲む生徒たちも。
 なにもかもが胸を滅多刺しにして、立っていることも目眩がして知念は無言でその場を走り去った。
 見送ることなく談笑に戻った木手を、同じクラスの不知火が不安げに見ていた。





 屋上は、この季節普通寒いのに、この南の島では暑い。
 屋上について、誰もいないことを確認する暇なく大粒の涙が知念の瞳から降った。
「っ…!」
 拭っても拭っても溢れる涙を堪えきれず、結局その場で嗚咽をかみ殺さず泣いてしまった。
 どこで間違ったのだろう。
 木手に引かれてしまった一線に、とてつもなく絶望した。
 とてつもなく、辛かった。痛かった。
 どうしたらいいか、もうわからなかった。
 そして、あの時平古場のキスを避けなかったことも返答を出来なかったことも間違いだったと知る。
 もし平古場に同じようにされても絶望しないでまた機嫌悪いのかと思うだろう。
 事実、平古場が一線引いたことすら気付かなかったのだ。
 大事な相棒で、仲間で友達で、でもそれ以上の恋慕など自分は平古場にこれっぽっちも抱いていない。
 所詮、恋人対象と友人は別物なのだ。
 一時限目のチャイムが鳴ったが構わなかった。
 今は、涙を止める方法が見つからなかった。





 ようやく涙が収まったのは昼休みだった。
 この腫れた目で授業もないだろうと帰るために鞄だけ取りに教室に向かう。
 途中、廊下が騒がしいことに気付いた。
 生徒が廊下にざわざわと集まっている。また中心に木手がいるのかと胸が痛くなる。
 その姿を見つけた甲斐が、群から飛び出して声をかけた。
「おはよ知念くん。どしたのずっといなくて俺……」
 言いかけ、甲斐は知念の泣きはらした目に気付いて、言葉が続かなくなった。
「………どしたの?」
 遠慮がちに聞く。それ以上を聞かない甲斐はいい人間だ。有り難かった。
「あれ、なに」
 結局知念は無視して、そう甲斐に質問を返す。甲斐は平古場のように気分を害することなく、ああと返事。
「対抗バスケの写真が張り出されてんの」
 木手じゃないのか、そう思って安堵した。
「ただ…」
「ただ?」
「木手の写真が……」
 語尾を濁した甲斐に、心臓がイヤな意味に跳ねた。
 すぐその前まで向かう。
 全員が群がって購入希望の名前を書いている一枚の場所の上の写真が自然目に付いた。

 永四郎の写真だった。

 試合中、ダンクを決めたところを納められた写真は、当たり前だが髪が降りている。
 木手は元からモテてはいたが、女子にだった。だがその写真はむしろ男子の名前が多く書かれているのがわかる。
 一気に心の中に重苦しい塊が溜まっていった。
 心が逆流するような衝動は、激しい嫉妬だった。
 ああ、自分は矢張り永四郎が好きなのだ。例え一線を引かれてしまっても。
 けれどここでそれを買うなと怒鳴れる筈がなかった。
 ただ蒼白とさえ感じる顔色でその場に立ち尽くす知念の腕が、自分より小さな手に急に引かれた。
 見ると甲斐だった。
 テニスバッグを肩に背負って、知念をその場から引っ張っていく。
 名を呼んだ。だが振り返らなかったし、手を離してくれなかった。
 ただ、有り難かった。
 この場にいたくない。けれど離れられない。二種の感情がない交ぜになって、ずっとあの場所に金縛りになるところだったのだ。
 全力で抵抗すれば振り払える甲斐の引っ張る手を振り払わず、その背中を追って歩く。
 やがてざわめきは聞こえなくなる。
 ほとんどの生徒があの場所に集中していて、静かな多目的教室のところは人一人いない。
 平古場の次に小さい甲斐の背中を、大きく感じたのは久しぶりだった。
 テニスの大会では、副部長として戦う頼もしい彼の姿を、とても大きく感じていた。
 勝った彼が駆け寄ってきて初めて、コートの中にいた姿と違うその小ささに驚くことが何度もあった。
「知念くん、大丈夫だから」
 足を止め、振り返って甲斐は言った。
「木手は、知念くん嫌ってないよ。ただ、初めて怒鳴られて驚いてるだけなんだ」
「…甲斐」
「だから、一線を引いたとかじゃなくて…えっと……あの」
 だから、なんていうかと言葉が見つからない甲斐の小さな頭を撫でた。
「知念、くん…?」
 びっくりした顔の甲斐が、とても可愛い。
「有り難う」
 笑って礼を言う。素直に言えたし、笑えた。
「……うん」
 甲斐も、笑って頷いてくれた。
 甲斐は、多分こう言いたかった。
 木手は一線を引いたんじゃない。ただ、滅多に怒らない親に酷く怒られた子供のように、それがただ怖くてうまく話しかけられないだけだと。
 確かに、そう思えば拒絶するような意志は感じなかった。
 ただ、距離を置きたいような、そんな意志だったことを思い出す。
 木手は、ただ自分を少し怖がってしまっているだけで、そんなものは時間次第で治ること。
 甲斐はそう教えてくれた。
「そういえば、そのバッグは? 甲斐のじゃない」
「あ、これ木手の」
「永四郎?まさか具合…」
「いや全然。ただまた家の奴らに呼ばれて急に早退することになったから届けに。
 受験が近くなってきたからうるさいんだって」
 木手は空手道場の跡取りで、そのため親族がうるさいことは知っていたので納得する。
「じゃ、知念くんも途中まで来る?木手、今校門」
 そこまでついてこいとは言わないからと甲斐。
「いや、校門まで行く」
「そっか」
 甲斐が笑って、手を離すと歩き出した。
 だが、さして歩かないうちに気付いたおかしさ。
 甲斐も自分も、さっきはそのことで一杯で気にならなかった。否おかしいと気づけなかった。
「甲斐」
「え?」
 振り返った甲斐が、足を止めている知念に気付いて止まる。
「それ、おかしくないか?」
「……?」
「鞄の音」
 知念に言われて、甲斐は鞄を軽く振ってみて、眉をひそめた。気付いたらしい。
「あれ?」
「おかしいよな。ラケット、入ってるにしてはうるさすぎる」
「うん…」
 ラケットを木手はいつも三本は入れているが、それが接触する音にしては小さく、うるさい。
 イヤな予感がして、失礼だが勝手に鞄を降ろすと開けた甲斐が、掠れた声を出す。
「なに、これ…」
 覗き込んだ知念も、言葉を失った。
 中は、確かにラケットが三本入っていた。
 ただし、そのラケットは三本ともまっぷたつに折られていたのだ。
「……なに、これ。誰だよこんな…!」
 甲斐が叫ぶように紡いだ。
 同意見だった。
「あ、裕次郎おい永四郎もう…なに?」
 平古場が階段をあがって来て、気付いて駆け寄った。
 気まずさは不思議となかったし、平古場も全く気にした様子がなかった。
 平古場は、甲斐が促す通り木手の折られたラケットを見て、言葉を失った。
 そして、長く感じる沈黙の後、なにもない壁を思い切り蹴った。
「誰だ…」
 喉の奥で低く吐いた平古場の声がやけに響く。それが怒りと呼ぶには生易しい激しい感情だと知念もわかったし、自分自身同じ気持ちだった。
「おい、それ永四郎に見せるな」
「わかってる」
「知念」
 答えた甲斐から視線を知念に移すと、平古場は甘さの欠片もない瞳で言った。
「犯人、見つけてやる。手伝え」
「当たり前だ」
 迷うことも考える暇もいらない。自分も即答だった。
 その日から、犯人探しが始まった。
 朝は早く登校して授業が始まるまでいろいろな生徒にさりげなく聞き、休み時間、放課後も使った。それとなく新垣たちにも心配をかけないよう聞いて、木手に反感を持つ生徒を割り出す時間は授業中を使った。
 だが、あげられたリストの生徒は日に日に容疑者からはずれていくばかりだった。









→[抱き締めた迷子]