「なんやねんこれ!」
「うっさい謙也くん…」
耳元で叫ばれて、財前は一言そう言った。
今は新曲の音合わせに防音の練習室でキーボードの鍵盤をいじっていた彼は、何事だ、という視線を一応向けてくれた。
大抵彼は関わりたくないとすぐヘッドホンを耳につける「会話拒否」を取ることが多いが、謙也は中学からの先輩なので、大抵はちゃんと聞いてくれる扱いだ。
「これ! 前の曲のランキング!」
「ああ」
謙也たちのグループはついこの間新曲を出したばかりだった。やっとそれがチャートに乗ったのか、と見遣る。
チャートに乗るのが初のこの曲も、大抵最初から一位の扱いだ。
つまりそういうミュージックシーンのトップアーティスト。そういうポジションに謙也や財前のグループはある。
しかしその新曲は、二位だった。一位にランクしているのは、見覚えのない歌手。
「こんなヤツしらんし!」
「初めてみる名前ですね…デビューしたばっかのヤツ?」
「し、白石…く…なんやねんこの名前!」
「普通に呼んだら『くらのすけ』でしょ」
「ありえへん名前しとる…」
「どげんしたと」
休憩に行っていた最後のメンバーの千歳が長身を扉にくぐらせて戻ってきた。
「ああ、千歳先輩。これ」
千歳も財前にとって中学からの先輩である。
かといって今年十八歳になる謙也と千歳にセンスや歌唱力で負けているつもりは、一歳年下の財前にはない。
「ランキング…これが?」
きょとんと言った千歳に、相変わらずズレた人だ、と思う。
「今回一位をしらんヤツにとられたって謙也くんが」
「あ、ほんなこつね」
「そんだけか…」
「ばってん、たまに一位とられてもしょんなかろ?」
「そうやけどな…」
まあ、あまりランキングを意識しない集まりなので、謙也も結局そういうアーティストとしては珍しい人種なので結局そういう話になる。
千歳はマイペースの極まりのような人種だし、財前はそこそこいいランクなら別にいい、それより自分の作曲した(作曲は主に財前の担当である)曲をメジャーで発表出来ればそれでいいヤツで、謙也は音楽に関われていればそれでいい、という集まりで。
だから、謙也が一度騒いでみせたのは、ここ最近ずっと一位から落ちたことがなかったグループのメンバーとしての形式美なのかもしれない。
「あ、ランキング見たの?」
そこにグループのマネージャーが入ってきた。
「ランキング惜しかったね」
「ああ、はい」
「次やるんでええですわ。ただ、こいつしらん名前やって謙也くんが」
「俺か」
他にいるのか、という視線をした財前の前で、マネージャーはああ、と訳知り顔に言った。
「白石くんね」
「知ってんですか?」
「知ってるもなにも、この事務所の子。
ついこの間社長がスカウトしてきたばっかりでね。でもいきなり一位取るくらいだから、目は確かなのかしら」
「うちの新人?」
「ええ」
「しらんかった…」
「……」
じゃあ、そこそこ騒ぎになるかもしれない。同じ事務所の新人に一位とられたなんて話は俺らはともかく周囲が、とおっくうになる財前の隣で、どげん人?と千歳が暢気に言った。
(あ、『白石蔵ノ介』や)
某日の音楽番組。あまり出演者をチェックしていなかったが、楽屋を通った時にその名前があって、財前は足を止めた。
「光?」
「ここ」
「あ…」
「同じ番組に出るとか。河野さん言うてくれてもよかのに」
河野とはあのマネージャーだ。確かに、言ってくれてもいい話だろう。
「すいません、じゃ」
中から声がして、キィと開いた扉から顔を出した姿に、全員が挙動を止めてしまった。
白金のすべらかな髪に翡翠の吸い込まれそうな瞳。通った鼻筋にすらりとした線の細い体躯はそれでも少女的ではなく、男と言って間違いない男前の美貌は完成されきった美しさだ。冷たささえ与えるクールな顔が、自分の楽屋の前に立っている三人を見て、些かぽかんと固まる。
「あ、謙也くんたち?」
「知っとる人たちですか?」
中から出てきた彼のマネージャーらしい男性は事務所で見知った顔で、うん、同じ事務所の、と彼に説明した。
「ほら、今回二位だった」
それは余計な気がしたが、聞き終えて彼―――――白石はああ、と頷くと振り返ってにこりと人懐っこく笑った。そうするとあの冷たいような美貌が途端幼くなる。
「聞いてました。とてもすごいんやって。
あ、初めまして! 白石蔵ノ介って言います。
今回共演やったって聞いて…。実はえらい緊張してて」
「…え、あ、初めまして。…緊張?」
ぎこちなく挨拶した謙也が聞くと、はいと彼は律儀に頷いた。
「やって、そんな。ずっとトップのすごい三人やって聞いてて…。
俺、会ってみたかったんです。これが初めてやし、よくわからんから、色々聞きたいけど迷惑やったら、でもお話してみたいし…。
すいません」
「い、いや…別に」
「ほんまですか?」
「うん…」
「よかった。あ、俺新曲買ったんです!
二番の歌詞すごく気に入ってて。メロディもええし。
作詞したんって誰ですか?」
「俺…」
大抵、作詞は謙也の役目だ。
「へえ…。すごい感情こもってましたよね。
すごいなぁ…」
これらが所謂付き合い上の世辞なら嫌味かと笑ってやることも出来たが、白石はあくまで本気で純粋に感動して褒めているのが顔の表情からも声に滲む無邪気な色からも明らかで、謙也はおろか財前も千歳も言葉がない。
「あ、そろそろいかんと…じゃ、よろしくお願いします! 会えてよかったです」
「あ、…うん」
そう言う謙也が、精一杯だった。
「なんか、拍子抜けしたっちゅーか、けどええやつやんな」
その番組が終わった翌日、事務所の部屋でたむろしていると不意に謙也が言った。
「まあ、拍子抜けは事実ですね。つか、えらくこの業界の裏表に染まってへんみたいな人でしたね」
「まあ、よかヤツなんはわかったと」
「ああ、そういや白石くんに会ったんだっけ」
河野が不意に笑った。でも惜しいねえ、と。
「なにが?」
「本当は白石くん。謙也くんたちのグループにいれるためにスカウトしたんだって。
ほら、メインボーカル欲しがってたから」
謙也たちのグループにはメインボーカルがいない。大抵三人が交互に歌うのが主で、メインでやれる程うまいとは一番多く任される財前ですら言えないのだ。
「ほならなんで一人で?」
「さあ?」
「ええやつやん。いれたらどうなん? 今からでも」
人に懐くのが早い謙也がそういった。
「なんの話?」
顔を出したのはあの白石のマネージャーだった。丁度いいと謙也が声をかける。
あの後帰りも白石と話したが、随分人懐っこい人物で、真正面から褒められて悪い気がしないのは財前も同じだ。それに彼は随分自分たちの細かいところも見ていてくれて、色々余計なことかな?と困りながら教えてくれたことは、自分たちも気付かなかった歌う時の悪い癖などで、非常に助かったのが事実。おまけに初めて聞いた彼の歌は、酷く綺麗な声で、歌唱力が間違いなく、とんでもなく高いことがすぐわかった。
「白石! 俺らのメンバーにいれたら?って」
「え…」
しかし彼は困った顔をした。
「いや、それは無理だよ」
「なんでや? 俺らの仲間にいれるんにスカウトしたんちゃうん?」
「いやそれは最初はね。でも今は一人のほうがいいってことになって」
「それを決めるんはあの人でしょ?」
「いや、本人も…」
「ほな本人に聞いてええ?」
「い、いや…!」
「怪しいっすね。まるで本人はええけど、あんたが嫌って感じで」
「……いや、白石くんもそう望んではいても、無理なんだよ。彼にグループは。
無理ってわかったから、一人でって決まったんだ。彼の歌唱力やスタイルは惜しいし」
「なんで?」
「いや…」
さっきからそればかりだ、と思った時だ。入り口からやってきて騒ぎに顔を上げたのはその白石本人だった。
「なんの話?」
「あ、いや」
「お前が俺らの仲間になるって話。けどお前のマネージャーが嫌がってて」
ええやろ?と人懐っこく聞いた謙也に、財前もまさか彼がそんな顔をするとまでは思っていなかった。
彼は笑った。
あの笑みではない。思い切り、嘲笑の顔でだ。
「俺が? 自分らの?」
「…え」
「冗ー談。こんなメロディも歌詞もしょぼいとこに?
いきなり俺に一位とられたからなんの嫌がらせなん?
それとも、もう一位とられるんが嫌やから? それか、単純にこれから一位守る自信あらへんから…俺に入れとか、…そういう阿呆な話?」
「…はぁ!?」
「そういう腰低い話に付き合わせんといてや。
俺、後輩やけどどうでもええ先輩に払う礼儀ないし。
じゃ」
「おい!」
思わず引き留めるように叫んだ謙也ほどではないが、千歳も財前も驚いた。
まるで別人だ。あの日の彼の笑みにも言葉にも嘘はなかったのに、今の彼の嘲りにも嘘はないとしか見えず。
しかし出口をくぐる直前に白石はぴたり、と止まった。
そしてぎぎぎっとブリキの玩具のような動きで振り返り、その顔一杯に“しまった”という色を浮かべて青くなると、マネージャーを見遣って、引きつった声で。
「…すいません、あの……今、……やっ…ちゃいました?」
「やっちゃったね。思い切り」
「………………」
サァーっと顔色の血の気がひく音が聞こえるほど白石が青ざめる。
ついていけない謙也たちの前で、彼は突然土下座かという勢いで頭を下げた。
「すいません!!」
「…は?」
「すいません! いらんことっ…いやとんでもないこと言ったんですよね!?
俺! どないしよう…また…っ。それも先輩にっ…。
あ、あの俺どんな酷いこと言ってしもたんですか!?」
「…え? 記憶、ないん?」
「すいません…!」
平謝りする白石には、やはりあの楽屋で会った時の柔らかい色しかなく、とりあえず姿勢を直させると事情を聞くことにした。
「…病気!?」
「…はい。軽い精神障害らしいんです…。
病名もない程軽いものなんですけど…」
白石とそのマネージャーが言うには、精神障害の一種らしいのだ。
白石には中学生頃から出るようになったその精神障害が未だにあり、それは複数の人間に心にも思っていない雑言を吐いてしまうという、ただそれだけの人格障害で。
暴力沙汰は一度もなし。どうやら本人の本来の人格に本当に反することは出来ない病気らしい。白石は明らかに暴力や他人を傷付けることへの恐怖があるのがわかった。
ただ他人への雑言を吐くことだけは治らず、友だちは出来てもすぐ離れてしまい、人付き合いなどしたことがない、対人トラブルなど年がら年中、スカウト後に知ったごく僅かの事務所の人間もこれはグループ活動は無理、と一人でのデビューを決めたという話。
「……ええと、つまりついついしらんとこでいらんこと言ってしまうだけ?」
「まあ、そう…です。ほんの数分で、すぐ我に返るんですけど…自分がなに言ったかもわからんし」
「ほなら問題ないやん」
「……は?」
目を点にしたのは白石とそのマネージャーだ。
「その程度なら軽いし。ええやん。うち入れば」
「け、けどまたどんな酷いこと言うか…!」
「別によかよ? 本心じゃなかって知っとうし」
「俺も別に」
「……え」
「お前は? 抜きにしたら俺らとやりたいん? やりたないん?」
謙也の言葉に、白石は俯いて唇を引き結ぶ。
辛抱強く待つと、やがて小さく掠れた声で。
「……やりたい…です」
「よし! ほな社長に言ってこよか」
「い、いいんですか!?」
「ええ、ええって。ほな、俺、忍足謙也。よろしゅうな」
「財前光っす。十七歳。あんたは?」
「千歳千里。十八歳。謙也もな」
「……白石蔵ノ介、十八、…です」
「同い年か! ほなタメ口でええで?」
「いえ! 先輩にそんな!
えっと、千歳さんに、謙也さんに…財前さん…?」
「俺までさん付けですか…」
「…あ、ダメ、でした?」
「いや、別に…」
「…よかった」
そう安心した顔をされると、嫌とも言えない。
その後すぐに報道でも発表され、次の新曲は彼がメインボーカルで歌うことがそうそうに決まった。
それまでの付き合いで、三人とも、白石が人付き合いのなさから相当に無邪気を通り越して素直で純粋無垢で、礼儀正しい人間だと思い知るのだった。
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