月を蝕むように

夜を蝕むように

キミの夢にたどり着く

それは悪夢のような

されど現実

忘れた仮面の裏は笑う

けれどそれは、悪魔か自分か

悪魔、再来



月蝕の仮面U
-blind summer fish[-

第一話−【痛覚残留】


『…だよ。絶対だよ。蔵ノ介』

 その声が頭に響く。
 泣かないで。約束する。
 絶対、待ってるから。

「……―――――――――――――ョーマ……………」


 ピピピピピピピ……

 アラームの音と、自分の寝言で目が覚めた。
 むくりと起きあがった白石は、自分を見下ろす同室の恋人に寝ぼけながらにこりと笑った。
「あ、おはようございます、千歳さん…」
「……………」
「千歳さん…?」
 まだボケたまま見上げると、そこには真っ青になった恋人の顔。
「…………?」
 流石に眠気も覚めたが、何故千歳はそんな顔をしているのだろう。



「おっは……なに、この空気」
 朝の挨拶をしかけ、謙也は振った手を下ろす。
 ホテルのレストランの最上階。貸し切りで当然四人以外はいない。
「わからへん、千歳さんが…」
「千歳が?」
 謙也が不思議そうに千歳を見るが、そこには先ほど見て自分が疑問になったのと同じ青い顔。
「どないした?」
「……白石が」
「白石さんが?」
「……寝言で」
「他の男でも呼びましたか?」
 朝からうざいなぁ、と思いながら財前は言ったが、ここで「そんなわけない」と返るのを分かり切って言った。予定調和だ。
 しかし、千歳は戦慄さえ感じる顔で固まる。
「……え?」
 なんだそのリアクション。まさか。
「……えー、梶本!」
 無難な想像を謙也がして言う。千歳は首を横に振った。
「忍足侑士」
 千歳はまた首を横に振る。
「俺!」
 また首を(以下略)。
「光!」
 また(以下略)。
「………………………、誰や?」
 他に白石に関わった男なんかいたっけか?と首をひねる謙也に合わせて、財前もひねってみる。それから、まさかな、と思いつつ財前は訊いてみた。
「越前リョーマ?」
 瞬間、千歳はカミナリでも喰らったようにびくんと反応して、やがて、コクリと頷いた。
「……」
 謙也と財前は沈黙して、それから叫んだ。

「「「ええぇっ!?」」」

 何故、何故その名前が寝言で出る!?まさかまた思い出して…と青ざめた二人は、ハッとして白石を見た。今、白石も一緒に驚いたような。
「俺、あいつの名前、呼んだんですか?」
「……え? 覚えてなかったと?」
「はい。それは、あいつの夢見ましたけど」
「どがん夢!?」
 自分の両肩をがしっと掴んで揺さぶった千歳にされるがままになりながら、白石は考え込んだ後、笑って、
「えーと、なんかお嫁さんになるのを約束した感じの夢?」
そげんこつは絶対許さなかぁぁぁぁぁあぁぁっ!!!!
 即、返った絶叫に、白石もびっくりしたまま、反射的にこくりと頷く。
 ぜはーぜはー、と息を吐く千歳は既に、涙目だった。





(あれ、なんなんやろ…)
 越前の夢。しかし、自分は彼と仲のいい付き合いなど全くしていない。
 あんな風な夢なんて、見る余地はないはずだ。
 なのに、何故―――――――――――――。

 今は『柊』、初の世界ツアーの真っ最中。
 今の滞在地はアメリカだ。余計、千歳が過敏になるのもわかる。
 その日の日程を終え、夕食の時間になる頃には千歳も大分落ち着いていた。

「今日の食事はなんやろな、と」
 ガイドと事務所のマネージャーと一緒に現地のレストランに足を踏み入れる。
 街によくある料理店だ。ただ、多くの有名アーティスト御用達、というところが違うが。
 席に座ってから、財前はきょどきょどする千歳の襟首を引っ張った。
「うざい」
「…光、ひどか」
「うざいっすわ。てか、日本と違ってここ広いんスから会うわけないでしょ」
「……まあ、そうやけん…ばってんあいつは完全になかって言えん」
 まあ、越前リョーマの場合、柊の世界ツアー日程を調べて先読みして近くに来る可能性も否定出来ない。が、以前白石にあんな敗北を喫した男がなお彼を狙うだろうか。
 などと考えている間に料理が運ばれてくる。
 一番に脳天気(by財前)にフォークを突き刺した謙也が口に入れて、固まった。
 不思議に思って、財前も千歳も一口食べてみる。同じく固まった。

 …味付け不明な味………。(まずいとも言う)

「…てか、今、キュウリがくちゃて言うたで……」
「……煮てあるんかな…野菜を……?」
「………」
「こっちの人って食事に二時間かけるんですよね」

 それ悪夢やないん…?

 夢のようなひととき(悪夢)の中、ふと千歳が白石を見ると、彼はなんてことない顔で食べている。
「白石、平気…と?」
「あ、俺は、…母親がイギリス人やから…海外の料理は馴れてて」
「ああ」
「そういえば、俺、白石の両親にご挨拶した方がよくなかね?(小声)」
「やめた方がええっすわ。あんたみたいな大男が愛しい息子と付き合うてるやなんて知ったら白石さんの親、卒倒するか白石さんを引退させるかのどっちかや(小声)」
「…どうでしょう?」
 白石の返事に、聞こえていた!?と慌てる千歳に構わず、
「今の親は俺のやることにあまりなにも言いませんから…」
「…そうなんか……。『今』……?」
「あ、俺、実の親は小さい頃に他界しとって。今の親は父親の従兄弟です」
「……」
 そんなこと、訊いたことなかった。微かにショックな千歳に、白石は大丈夫ですと笑う。
「前の親のことは俺、なにもしらへんし。やから思い出して寂しいってことはないです」
「…え、顔とか」
「…今の親が、」
 白石が流石に気遣って苦笑する。
「写真とか、みんな処分してもうたんで」
「……そ、か。ごめん」
「いいえ」
 街のレストランと言っても、他の客はいない時間だ。その配慮はされている。
 いるのは、自分たちとガイドと、マネージャーと撮影の現地カメラマン。
 マネージャーはいつも接しているあの女性ではない。こういうツアーに馴れているらしい男性で、千歳たちもあまり面識はない。小石川という名前とは訊いた。
 話しかけてもあまり笑わない。

 不意にカメラマンがマネージャーに向かって話しかけた。
 英語だったが、千歳たちにも聞き取れた。

「白石蔵ノ介…彼、なにか似てません? 誰かに」

 小石川は世界に似た人間はそりゃあいるでしょうね、と素っ気ない。
「いえ、そうそう、あの…白石奈鶴! の髪と瞳の色違う版、て感じの」
 聞き覚えのある名前に、千歳たちも耳を傾けるが『そうか?』という感じだった。
 似てるかわかる程、その『白石奈鶴』を知らない。
 彼は十五年前まで海外にまで幅広いファンを持った日本人の男性歌手で、奇跡と呼ばれる歌声を持っていたらしい。現在でも根強い熱狂的ファンはいて、復刻アルバムが出る度凄まじいヒットを出す。
 ただ、十五年前に一人息子を遺し、妻と共に飛行機事故で他界した。
 以上は知らない。だから、あまり注意を向けなかったが、千歳が手を止めて小石川の顔を注視する。
 今、あの人、微かに反応したような。
「彼、確か一人息子がいて、そうそう年も同じだよ。白石くんと。
 結婚していた奥さんが確かイ…」
「スティーン新聞社の記者でしたね」
「…え? ああ、はい。私は」
「彼らの滞在中の撮影に関する契約は今で解約しておきます。
 新聞社の方にも『詮索するような記者は必要ない』と言っておきますのでお引き取りください」
「…え」
「じゃ」
 外に控えていた付き人がカメラマンを店から引きずり出していったが、千歳達が茫然とする中、小石川は携帯を取り出すとどこかにかけた。
「あ、社長。小石川です。
 はい。契約してた会社の方が白石蔵ノ介と白石奈鶴の関係に気付いたのか勘ぐってきたので、はい。そっちの方で向こうの会社に圧力かけるん頼みます。はい。失礼します」
 ピ、と鳴った電子音を最後に通話は終わったらしい。
「な…んなん? 今の」
 謙也がやっと口を開いた。財前も千歳も同意見だ。
 ただ、白石一人が反応を見せない。
「……白石?」
 心配そうに声をかけた千歳に、彼は微笑んだ。
 なにごとも、ない顔で。




 店を追い出されたカメラマンが道を歩きながらぶつぶつと文句を吐く。
 やっぱり怪しい。あの白石って歌手、やっぱり。
 その呟きを偶然拾ったらしい、道ばたでハンバーガーにかじりついていた青年と視線があった。なに見てる!と叫ぶが怯まず、彼は問い返した。
「…Siraishi? K.Siraishi?」
「…それがなに…」
「それ以上、深入りしたら殺されるよ。…やめたら?」
 急に日本語になった青年に、彼が日本人だと初めて気付く。
「は? 誰がころ…」
 最後まで言葉は続かない。瞬間、鳩尾と後頭部を襲った激痛にカメラマンは呻いて倒れた。
 鳩尾を蹴った足と、頭を殴った肘を元の姿勢に戻して、青年はわかんない?と呟いた。
「俺に、殺されるよ、…って意味。勉強になった? 世間知らずのオジサン」
「越前」
 背後から駆け寄った身体が呼ぶ。振り返って、「手塚先輩」と青年が口にした。
「どうだ?」
「ろくなこと知らないんじゃない? 勘」
「そうか。勘だけのひらめきで彼をつついた人間は多いからな。その程度は問題ない」
「でも、手塚先輩だってお人好し。在米中、あの人のガード申し出るなんて。大会シーズンじゃないから暇だけど」
「お前が言うな。お前こそ、引き受けないと思ったぞ」
 越前が「なんで?」と不思議そうに聞き返した。
「…懲りてないのか? あんな…」
「懲りたよ。手を出すのはね。
 …でも、俺はやっぱり、蔵ノ介が好きなわけ」
「……あの人は、生きてるうちにそれが訊きたかっただろうな」
 そう言った手塚の視線が優しくなって、越前の髪を撫でた。

 ポケットに入っていた、写真は古びた色。
 なるほど。『白石奈鶴』は確かに、彼に似ている。いや、逆か。
 その隣に写る親友らしい二人組は、自分と越前に似ていた。





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