月蝕の仮面U
-blind summer fish[-

第三話−【新生航路】


 白石蔵ノ介の歌声は、全く父親と同じやった。
 全ての父、奈鶴のファンは熱狂し、喜んだ。
 そして惜しみない賛辞を送った。
 それが、白石蔵ノ介を壊した。

 ファンは、決して白石蔵ノ介を『白石奈鶴』の息子、という別人として見ぃひんかった。

 全ての人間が、『彼』を亡き『白石奈鶴』として扱った。

 当時、白石蔵ノ介に目立った友人はおらず、父も母も亡く。
 傍で、彼は彼だ、と言う人はいなかった。
 自分の存在があやふやだと、彼は感じ始めて、やがて行き着いた場所は、




「最初は喜んでくれたんです。みんな。俺が父さんと同じやから。せやけど、みんな父さんの名前呼ぶんです。俺のコンサート来てんのに。俺のコンサートのチケット買うてきてんのに。チケットに俺の名前書いてあるのに。書いてある名前、父さんの名前やないのに。やのに俺が父さんやって。ちがう。父さんが俺?俺の名前誰も呼ばへんの。みんなが要るんは父さんで俺やないから。必要なんは声で、俺やないから。父さんが必要で俺はいらへんの。俺はそもそもこの世界にいてるんやろうか。そもそもおらへんのと違うんかな。俺は父さんのクローンかなにかで、ううん、父さんが作った身体で父さんが歌うために用意してて父さんが呼ばれるためにここにいてるから父さんそのものなんやと思う。あれ。パソコンの文字!一度消して、コピーして、ペーストしたやつ。消してもコピーしてあるからペーストしたら全然変わらへんやろ?元通り。俺もそうなん。父さんが消されて、せやけど父さんがコピーしてあったから世界にまたペーストして、俺がいてるの。せやから俺が……」



 自分が、誰かを、最後、彼は見失った。

「そして、最後に…彼は自分の心を壊した。自分で。
 自分自身で、記憶を全て抹消した。自分の意志で。
 全てを忘れた。消した。
 自分を産んだ存在。自分の歌声。自分の過去。思い出。なにもかも消して綺麗にして、ようやく正気になった彼が日本に戻って、…お前達に会った」
 それは、自己防衛というには、あまりに狂った、防御。
 自分で自分を壊さなければ、白石はなにも出来なかった。
 自分で、全てを消すしかなかった。
「……ちょお、待って」
 ただ、言葉を失う千歳を後ろに庇って、謙也が手を挙げた。
「なら、なんで白石は、大丈夫なん?」
「…謙也くん?」
 なにを言っているんだ? 大丈夫って、今の話を聞けば。
「白石自身が自分の記憶全て消したっちゅーんはわかった。
 せやけど、消せるんは『自分の記憶』止まりやろ?」
「…そうや」
 小石川が頷く。
「彼が消せるのは、自分の記憶だけや。戸籍や、血のつながり、ファンの存在までは抹消出来ん。
 せやから、何故、今白石蔵ノ介が『白石奈鶴』との繋がりを全く噂されないか…いや、噂されてもニュースに至らないか、ってことやろ」
「ああ」
「消したんや」
「…は?」
「戸籍はその直後、改竄された。白石蔵ノ介と白石奈鶴がどうやっても繋がらんように。
 血液型も同じやったけど、データは根こそぎ変えられた。
 ファンの記事も全て可能な限りいじられた。白石蔵ノ介の方のライヴは一回きりやったから、そう難しくなかった」
「…そんな」
 大がかりなこと、誰が出来る。ただの会社がそんな真似。
 そう語る謙也たちに、小石川は「会社やない」と否定した。
「繋がりを全て消したのは、…当時のアメリカ大統領や」
「……」
「よく訊いとけ。
 あの映像の『音』がホンマと思うな。あんなん機械で録った時に劣化した。
 ホンマの生の歌は、あんなもんやない。もっと、もっと神がかって…もう、人間やないやろ…っちゅー…。
 そういう奇跡やった」
「それが…?」
「そんな『奇跡』がこの先何人生まれる?」
 彼は繰り返す。何度も同じ言葉を。
「彼は!
 …彼は『奇跡』で、…息子も同じやった。
 死ぬ前、ある働きかけが行われていた。
 白石奈鶴は…あと数ヶ月も生きていたら、日米で『人間国宝』にされた筈やった。
『国宝』になるような人間やった。その息子が、同じ歌声を受け継ぐ可能性なんかそうそうない。低かった。むしろ0に近い。けれど、寸分の狂いなく受け継いでしもた。
 …やからや。今度こそ、『奇跡』を死なせてなるものかと、歌声をなくしてなるものかと国は必死になって……」
 情報を、繋がりを、消したのだ。
 国を挙げて。
 ただ、その『歌声』を守るために。





「…―――――――――――――あんたが」
 夜の暗闇に包まれた空も、街の明かりには届かない。
 うす明るい地上。ホテルから出た、数メートル先の道に待たせた人影が千歳を見て近寄った。
「呼び出すとは思わなかった」
「俺も、呼び出すとは思わんかったばい」
 小石川伝いに呼び出してもらった越前は、不敵に笑った後、不思議そうにした。若干。
「…しないんだ?」
「なにがね」
「…復讐とか、仕返し?」
「そりゃしたかよ? それは白石自身がやったことで済んだってこともあるかもしれんばってん、俺は済まん」
「具体的になにしたら済むか教えて」
「一万回くらい殺したら」
「無理だからごめん。訊かなかったことにする」
 速攻言い切った越前が、「で?」と見上げてきた。
「わかっとうくせに」
「そりゃ、俺達同じだから」
「…白石を、…好きやったと?」
 訊かれて、答えかけて越前は笑った。千歳が知っているとわかった。
「訊いたんだ? 俺とあの人の過去の話」
「…ああ」
 白石が、自分で自分を壊した時に、消えてしまった思い出。
「好きだよ。本当に。
 だから、俺以外を選んでて、俺を忘れてたのが悲しくて犯した。
 やり返されても、今も好きなんだ。思い出す筈ないのにね。
 …だから、守りたいんだよね」
 怖い、ことがあった。
 ずっと、怖いんだ。

 白石が、また自分で自分を消したらどうしよう。

 消したら、どうしよう。
 忘れたら、抹消したら。

 梶本も、忍足侑士も、光も、謙也も、越前も、――――――――――俺も。

 消されてしまったら。

 イヤだ。消さないで。俺を、


「…力ば、貸してくれ」


 消さないで。




「白石奈鶴の生の歌声を聞いたこつのある、人間を、集めて欲しか」

 彼は脅えている。
 この国を。
 また、『奈鶴』と、自分じゃない名前で、称賛されることを。
 だからか。

 だから、声は、…蘇ったのだ。知らぬ間に、以前のように。






 予定外に組まれたコンサートに、首を傾げた。
(普通、世界ツアーって途中にこんな小さいものを組み込むんやろうか…)
 どうも、不思議がるのは自分だけらしい。千歳も、謙也も、財前も普通の顔してスタンバイしてる。
 舞台から見えるのは、ほんの百人くらいの客。
 肩を叩かれて、一曲だけ歌えと言われた。
(一曲だけ?)
 疑問に思った自分の耳に、客席から声が微かに聞こえた。

 奈鶴によく似てる、って言った。

 英語だけど、聞こえた。
 あれ、これ、なんか、嫌な感じがする。
 なんやろう。なんか、前も、昔もこんなイヤなことがあった。
 昔? いつ―――――――――――――。
 血の気がひくような感じがした時、肩をまた掴まれ振り向かされる。
 すぐ、唇を塞がれた。
「…っ…ち、とせ…」
 キス、された? え、なんで、こんな客の前で?
「いつも通り、歌って」
「…え?」
「いつもみたく、謙也の歌詞を、光の曲で、…俺に、歌って」
「……」
 にこりと、千歳が微笑む。
 それだけで、安心した気がした。

 知らない、声が聞こえた。
 自分の声だ。なのに、なにか違う。なにか、違う?
 わからない。
 どうでもいい。
 やって、どんな歌でも、千歳さんは訊いてくれる。

 あ、そっか。今、独りやなかった。



「すばらしい!」

 誰かの声で目が覚めた。いや、寝てないけど。
 気付いたら歌は終わってて、拍手が聞こえた。

「奈鶴にはない音だ。奈鶴を超えている。流石は、奈鶴の息子」

 拍手と一緒に聞こえた声に、一瞬、あれ?って思って安心していた。
 あれ? なんか違う?
 こう、ここは『奈鶴だ』って、そのものだって、リアクションやなかった?
 あれ? 違うって言った。ないって言った。『息子』って俺?
 父さん、やなくて、息子?
「……俺?」
 ぽかんと呟いた頭を、大きな手が撫でた。
 振り返ると、好きな顔があった。

 ああ、そうや。
 …俺は、俺で、父さんやない。

 謙也さんも光も、俺やから傍にいてくれる。


 千歳さんは、



 彼に必要だったのは、ほんの少しの周囲の理解と、支え。
 そして自信。

 あると信じていた。自分の知る白石は父を超えている。
 あの声は凄かったけれど、自分に歌う彼の声の方が、ずっと。








 次の国に発つ日、ホテルを出発する時刻に見送りが現れた。
「げ」
 謙也が発した失礼な一言に、相手の眉があがる。
「なに? 俺、今回こーんな無害ないい役だったのに」
「自分で言うな!」
 むすっとした後輩を撫でた手塚が、今日だけ来させてもらったんだ、と一言。
「あんたら、そういやなんで?
 白石さんの味方なんか…」
「俺と、越前は私用だ。俺と越前の父親と、白石の父親は中学の同級生で親友なんだ」
「…あー」
 なるほど。それで天下のプロテニス選手が時間裂いてまで協力したわけか。
 納得したが、納得し難いという顔をする謙也と財前の思考を余所に、廊下に白石が出てきた。千歳が背後に続く。
「あ」
 白石はそう零して、一度じっと越前を見る。
「…別に、なにもしないケド」
「……っ」
 一瞬怯んだように見えた白石は、しかし次の瞬間、越前に抱きついた。否、抱きしめた。
「え…?」
 というびっくり声は千歳だ。
「ごめんなごめんな忘れててごめん〜!」
「…、蔵ノ介。もしかして、思い出したの!?」
 喜色一杯の顔で白石を見た越前に、白石がうんと頷く。
「…っ、俺もごめんね強姦なんかしちゃって!」
「俺も骨折ってごめん!」
 ぎゅうううときつく抱擁する二人に、最早フリーズした千歳はなにも出来ない。
流石に今からリョーマは選べへんけど、帰国するんは待ってるから
 帰国したら連絡してな? 最前列用意するから」
「もちろんする! ね、今度は俺のために歌って?」
「わかった」
 周囲に花すら飛んでいるんじゃないか、と錯覚する空気に手塚が思わず、
「…それでいいのかお前達…………」
 と突っ込んだ。
 なんかいろいろ端折りすぎじゃないか? なんかいろいろ省きすぎじゃないか?
 と言いたげな手塚の視線もどうやら届かない。
「……俺一人悩んで馬鹿のようだ」
 ここ一年、越前と越前の執着した相手(白石)の所為で密かに大変だったのに。



 音は違って、あなたに届いた。

 『奇跡』の歌は、もういない。



「そない拗ねへんでください千歳さん…………」
 キスまでしてへんのに、と白石に突っ込まれて凹んでいる千歳を謙也が慰めていたのは、後日の話。









 2009/02/28 THE END
 後書き