あの一件から数日後。柊と紫は事務所の協力で、同じスタジオを短期で借り、傍のホテルに泊まってのレコーディングに打ち込むことになった。
そのホテルに行く道中のバスの前に集合時間ぎりぎりに来た遅刻者二人の顔を見て、白石たちは少しびっくりした。
侑士と謙也。二人の顔は真っ青でクマがある。
「「おはよう…」」
二人揃って死人のような挨拶をされれば、千歳も梶本も反応に困る。
バスで移動中に唯一事情を知る財前が話してくれた。
二人揃って、二日間数時間しか眠らず新しい曲と歌詞を作っていたらしい。
「で、俺も付き合うたんですわ。柊は俺が曲やし」
「…出来たん?」
「カップリング曲は。忍足さんの方も」
「…メインは?」
梶本の質問に、財前は「ハァ」と溜息。
「カップリング曲はどっちも常にストックのある中から仕上げたんで。
ただ、二人ともそんなんや納得いかんて…新しいの現在進行形で」
「……」
なんとも言い難い。
財前は少し、疲れているみたいだ。
あれから、妙な緊迫感が走ったままだ。
普段会えばふざけあう、ライバルであり仲間である紫と柊の空気は妙に、おかしい。
喧嘩するわけじゃない。笑ったりもする。ただ、妙におかしい。
「……大丈夫やなかろねぇ」
ホテルの廊下。隣を歩く千歳が、白石の問いにそう答えた。
「一番ダメージ感じとうは忍足と謙也ばい。だけん必死。ただ、普段と違って無駄な力が入っとう。普段、ランキングを全然意識しとらんから、逆を言えば自分たちの理想通りにやれとった。結果、ランキングがよかったって思っとう。それが、ランキングをあかさまに意識したら、逆に品質下がるばい」
「…千歳さん」
普段自分のこと以外では温厚な千歳がそう言ったことに白石は驚いたが、事実だと白石も思う。白石自身、数年アメリカで曲がりなりにも活動したから知っている。あからさまに順位を意識した歌は、あまり人の心に響くものじゃない。
謙也も侑士も、プロ意識もあって、だからこそ今まで自分の理想の『作品』にこだわった。だからこそ白石は謙也の歌詞が薄っぺらいと思ったことはなかったし、侑士の曲も心がないなんて感じたことはなく。だから人気があったのだ。
「正直、迷惑ばい。今の謙也が書いた歌詞をお前に歌わせたくなかし、演奏ばしたくなかね」
「……千歳さん」
白石も、千歳の言い分が正しいとわかるから、なにも言えなかった。
そこで部屋から出てきたところの梶本と、新参メンバーの不二裕太に出くわす。
梶本は聞こえていた様子だ。
「僕も同意見です。今の侑士くんの曲を演奏したくはない」
「梶本」
「…どうにかなんないんですかね? 俺、今の忍足さん、面白くなくって嫌ですよ」
入ってあまり間のない裕太までそう感じている。これはよっぽどだ。
「誰が面白くない?」
割り込んだ声に、全員がくだんの二人かと咄嗟に思って振り返ったが、違った。
背の高い、伏し目の青年。見たことがない。
「ああ、すまない。ただ、聞かれて困るなら部屋でした方がいい。大人数の会話はそれだけで眼を惹く」
「……ご忠告ありがとうございます」
梶本が礼儀として返したが、妙な緊張を持った声だった。わからないが、油断するなという意志を感じる。
「あの、」
不意に白石が口を割った。
「ここ近くで、ライヴかなにか、あるんですか?」
白石以外が、白石を振り返る。なにを言い出したのかが誰にもわからない。が、青年は「ああ」と明るい語調で頷いた。
「メジャーになると早々やれないからな。ここはインディーズの頃の本拠地だから、インディーズの最後の仕事だ。我が儘を言われたよ」
「よければ来るといい。話は通しておく」と言われて、白石は笑顔で「有り難うございます。出来たら行きます」と返事をする。軽く手を振っていなくなった青年を見送った後、千歳が白石を見下ろした。
「知っとう人?」
「いえ、会うのは二回目…三回目です」
「知ってるって言いますよそれ。誰です?」
「ブルーレコードのプロデューサーです。柳蓮二っていう。
俺、今の事務所の前にスカウトされてたから」
「ああ……え?」
裕太がすぐ理解したのか、梶本を見上げる。
梶本も千歳を見遣って、頷いた。
「黒皇の所属事務所ですね。もしかして、黒皇を手がける人?」
「はい。調べましたから、間違いないです。だから、そのライヴは黒皇のインディーズ時代の歌の…まあ、地方ライヴみたいなものです。でも、行けば力量はわかるんじゃないかと」
「ナイスな知恵です。流石白石さん」
行ってみよう、と明るく裕太が言う。「謙也たちは?」と一応窺った千歳に梶本が首を振る。
「余計な刺激かもしれませんし…」
結局その場のメンバーだけで向かうことを決めて、小石川に伝えると一応ついていくと言われた。
譜面とにらめっこをしている謙也を、傍の侑士が見てから椅子に反り返った。
(あー)
おもんない。
あれ? こないつまらんかったっけ?と思う。
「なあ、謙也ー」
「ん?」
「…俺、なんか全然わくわくせえへんねん」
「はぁ?」
「普段、こう、曲作る時はどんなん歌ったろーとかわくわくすんねん。それがない」
謙也はそれがどうした、と返して視線を寄越さなくなった。
内心、多分自分も謙也も、気付いている。
こんなやり方ではダメだ。何年かかっても、以前のようないい曲なんか作れっこない。わかっている。だが、一度頭の中でかかってしまった不完全燃焼なエンジンは、そう簡単に止まってくれなくて。
天井を見上げた時、その視界に急になにか、缶のようなものが現れてなんだと侑士は思う。直後、顔面にそれがばしゃあっとかかった。
「ぶっ!」
謙也の声が同時にあがる。思わず椅子ごと倒れてしまった侑士は、謙也と自分の顔面に財前がジュースを中身全部ぶちまけたと知る。
「光! なにすんねん!」
「なに、って熱うなっとるから、爺に冷や水っすわ」
「若いわ!」
「そうっすか?」
財前は飄々とした顔で、謙也の前から譜面を奪い取る。
その手で破り捨ててしまうと、驚いている謙也と侑士を見遣った。
「今の二人、おもんないっすわ。つまんないです」
「…は、はぁ!?」
「ツッコミとボケせんで、黙々作詞作曲しとるんなんか、謙也くんと侑士さんやありません」
指摘されて、わかっている、と心の中で侑士は思った。こんなの、自分や謙也じゃない。
詳しく話したりしないが、いつも二人でお互い歌のことで言い争うのはよくあった。
漫才じみたそれは、いつも誰かが制止しないと止まらない。
「……………わかっとるんや」
謙也がぽつりと言う。「わかっている」と。
「らしくないんも、それを千歳や白石にどう思われとるかも、失望させてんのも…わかんねん。ただ、…どないしたらええってわか」
「いつも通りでええです」
財前ははっきり言って、破った譜面をゴミ箱に捨てた。
「俺も新しいの作ります。謙也くんとボケツッコミもせんと出来た歌なんて、おもんないですわ。傍目には馬鹿やっとる、それがいつも通りです。そういうんが、俺達」
謙也がおそるおそる、侑士を見ると侑士も同じ様子で自分を見た。
静かに、無意味に回転していたエンジンが止まる音がした気がして。
「……あー、ほんまや」
「やな」
本当にらしくなかった。そう顔を見合わせて苦笑すると、財前が「わかったところで」と二人を引っ張った。
「今、千歳さんら黒皇のライヴに行っとるそうですよ」
「は!? あいつら、まだそんなもんでけへんやろ?」
黒皇はまだ一枚しかCDを出していない。
「せやから、ミニライヴ? インディーズ時代の。着替えて行きません?」
「「行く」」
ハモった謙也と侑士の声に財前も、やっと笑った。
「そういえば俺、兄貴いるんですよ」
ライヴの開始を待つ間、不意に裕太が言った。
「知っとうよ」
「はい。で、友だちが手塚さん。聞いてました。話」
世間は狭い、と千歳と白石が苦笑した。
「千歳さんはマイペースで、白石さんは天然ムードメーカー。謙也さんと侑士さんが漫才で、梶本さんが千歳さんと違うマイペース。財前はクールって」
「…うん?」
「…なんか、違うなって。話しか知らないのに、俺そう思ったんです。
そりゃそこそこ一緒にやってきましたけど。今の、…二人が全然手塚さんの話と違ってて、ああ、これっていけないんじゃないかって」
「…俺達も思っとう」
千歳がそう返した瞬間、客の歓声が響いた。
落ちるライト。ライトアップされるステージ。
そこに立つ、五人の青年。
マイクを持ち、中央に立つボーカルの青年が声を張り上げた。
『さて、待たせたな! 準備はいいかい? レディたち!』
一気に熱があがったとわかる観客の声に消されないよう、小石川が声を強くして言う。
「あいつや。あのボーカル」
スタートしたメロディを歌い上げる、伸びた綺麗な歌声はやや高い。
ミニライヴだと言えないほど多い観客を魅了するとわかる、力強い声だ。
「黒皇のリーダー兼ボーカル、幸村精市」
「通称、皇帝こと、―――――――――――――黒皇〈カウゼル〉」
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